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その夜、ジグリットはアイギオン城の三階にある与えられたばかりの居室に一人でいた。彼はまだ興奮していて、寝台に腰かけたまま眠ることができなかった。
王妃エスナは戴冠式が終わった数時間後には、ベトゥラ連邦共和国のシェイドへ向けて旅立っていた。彼女の別れの挨拶は、母親のものというより、ジグリットには一人の女性が頬にした優しいくちづけに過ぎなかった。それでも、去って行くエスナの背中は、ジグリットを感傷的にさせた。彼女と共に道化師までもが王宮を去り、いよいよ彼は不安になっていた。
扉が叩かれたのは深夜も遅くだった。ジグリットは起きていたが、扉が叩かれる前に、その複数の足音に気づいていた。それは無用心なほど不揃いで、訓練を受けていない者の足音だった。
「誰だ?」ジグリットは寝台に座ったまま訊ねた。
「陛下、遅くに申し訳ございません」グーヴァーの声だった。
そうとわかれば気を張る必要がなくなり、ジグリットは扉口へ行き鍵を開けた。
部屋へ入って来たのは、グーヴァーだけではなかった。彼は三人の医師を連れていた。
「一体、何事だ?」ジグリットが顔をしかめていると、全員が重々しい顔つきで彼を見た。
グーヴァーが前に進み出て言った。
「どうぞ、落ち着いて聞いてください」
ジグリットは落ち着いていた。ただ、何が起こっているのかわからないので、不審に思っていただけだ。
グーヴァーが椅子を取ってきて、ジグリットに座るよう勧めた。彼は座り、大きな鞄を手にした医師達を順に見上げた。
「陛下の戴冠式は滞りなく済みました」グーヴァーは滅多に見せない愛想笑いを浮かべていた。「ですが、まだ儀式が残っていまして」
ジグリットは首を傾げた。「そうだったか? 言われたことはすべてこなしたはずだ」
「もちろんです。これは戴冠式が終わってから、王に伝えるようにと昔からの慣例なのです。なので、ジューヌ様・・・・・・陛下には、今初めてお話させていただくのです」
ジグリットは不穏な空気を肌で感じ取り、言い返した。
「だったら早く教えてくれ。こういう騙し打ちのような真似は好きじゃない」
「ええ・・・・・・では」
グーヴァーが進み出て、ジグリットの腕を掴み上げた。それは少し強引で、ジグリットは恐ろしいことが起きる予感がして、躰を捩った。
「離せ! 何するんだ!」
しかしグーヴァーは寝台にジグリットを押し倒し、彼が転がるとその両腕を押さえた。
「おい、何している!」
嫌な予感が的中し始めて、ジグリットは暴れた。自由な足をばたつかせ、腕をなんとか外そうとする。しかし今度は足を誰かが押さえ込んだ。医師の一人だ。
「ちょっとの間ですから、大人しくしていてくださいよ。気の毒だとは思いますが、これもしきたりってやつですので」
四肢を封じられて、ジグリットは青褪めた。二人の医師は鞄を開けて、ごそごそと何かを取り出し、寝台の上に並べていく。それが見たことのない不気味な器具ばかりで、ジグリットはすうっと血の気が引くのを感じた。
「前と同じ場所でいいんじゃないか」
「いやいや、クレイトス様は随分、我慢してらしたよ」
「じゃあ、前前国王のときみたいに、腰骨の上あたりはどうだ」
三人の医師は奇妙な相談を始めた。
一体、何をする気なのか、怖くて訊くことができず、ジグリットは泣きそうな顔で騎士長を見上げた。グーヴァーは眸が合うと、困惑したように顔を逸らした。
「せ、せめて、何をするのかぐらい話してくれ」
脇に立って準備をしていた医師の手が、黒い物をジグリットに見えるよう真上に差し出した。それには覚えがあった。そう、ニグレットフランマだ。
「魔道具!? それを・・・どうする気なんだ?」
「埋め込むんです」グーヴァーが言った。
「・・・・・・埋め込むだって?」
「そうです。ニグレットフランマは寄生型魔道具なんですよ」
ジグリットは叫んだ。「そんなこと知らない! 聞いていないぞ、グーヴァー!!」
「もちろんです。これを知っているのはここにいる人間だけ。クレイトス様から取り出したばかりですが、いまだ壊れたことはありません。安心してください」
「安心なんかできるか! 今すぐこの手を離せ! 離さないと酷いぞ!」
ジグリットがあまりに暴れるので、グーヴァーと医師は全体重をかけて押さえ込んでいた。ジグリットにしても、勝手にそんなものを躰に入れられてはたまらないと、間接が外れそうなほど、懸命に動こうとする。
「お願いです、ジューヌ様。代々タザリアの王となる者は、この儀式を行ってきたのです。聞き分けて下さらないと困ります」
「そんなこと、聞き分けてたまるか!」
しかしすでに医師達は準備を終えていた。年老いた医師はジグリットの真横に寄って来ると、解剖用の小刀を振りかざした。
「やめろッ!! やめないと、おまえら全員、王宮から追放してやるからな!」
ジグリットは最後の足掻きとばかりに、もがきにもがいた。しかし当然、大の男二人に押さえられ、まともに身動きできるはずはなかった。
医師がジグリットの上衣を脱がせた。剥き出しになった腕に、ひやりとした液体が塗られた次の瞬間、鋭い痛みが走った。ジグリットは口を開けたが声は出なかった。
徐々に意識が遠ざかるのを、彼は悔し涙を流しながら受け容れるしかなかった。やがて、ジグリットの首がかくんと横に落ちた。力が抜けきり、グーヴァーは腕を押さえていた手を離すと、少年の目尻の涙を指先で拭った。
鮮血の臭いが部屋に立ち込め、騎士長は眸に入る光景に吐き気を覚えた。それでも彼は黙ってそれを見下ろしていた。心の中で何度も何度も新しい王に詫びるグーヴァーを、ジグリットは夢も見ないまま受け容れるしかなかった。




