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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
100/287

第一章 王道への炎駆

「タザリア王国物語3 炎虐(えんぎゃく)の王女」



 取り返しのつかない猛火になるまで、時間はかからない。

 いつだって炎は(くすぶ)っている。

 私の目の前で、そして私の内側で。

 それが()ぜたとき、人はこう言うのだ。

 時が満ちたと――――。

                      ジグリット・バルディフ 『回顧録』より



第一章 王道への炎駆(えんく)

第二章 双炎(そうえん)策動(さくどう)

第三章 火炎に(まぎ)れし人々

第四章 立ち昇る戦塵(せんじん)陽炎(かげろう)

第五章 炎砂(えんさ)を従える兄妹(きょうだい)

第六章 蛇遣人(じゃけんじん)炎婚(えんこん)

第七章 魔炎簒奪(まえんさんだつ) 

第八章 炎虐(えんぎゃく)の誓い




第一章 王道への炎駆(えんく)


          1


 聖階暦(せいかいれき)2021年。その年のタザリアは不穏な厚い雲を払えず、チョザの街でさえいつもの年よりも暗澹(あんたん)とした雰囲気に包まれていた。黄昏月(たそがれづき)にタザリア国王、クレイトス・タザリアが逝去(せいきょ)し、年の終わりの白帝月(はくていづき)に入ってからも王無きままのタザリアに気概(きがい)(とぼ)しく、酷寒(こっかん)と大雪に慣れているはずの人々でさえ、陽の射さない曇天の下、陰鬱(いんうつ)な日々を送っていた。

 唯一明るい話題といえば、ジューヌ王子の戴冠(たいかん)だったが、それも街の人々には大した期待を与えなかった。脆弱(ぜいじゃく)で名高いジューヌ王子がタザリア王となることに、難色を示す人間の方が多かったのだ。

 そんな中、戴冠式が近づいたある夜、ジグリットはマウー城を訪れていた。それはエスナ王妃が彼を招いたからだった。王子に話があるとはどういう事なのか、ジグリットは戦々恐々(せんせんきょうきょう)だったが、無視するわけにもいかず、王妃のいる居室へと向かった。

 マウー城は年中変わらず窓という窓が開け放たれ、白帝月(ふゆ)も初旬のその夜は、壁の切石(きりいし)まで冷え切っていた。ジグリットは地下で道化と会う以外に、マウー城を訪れることは滅多になく、彼は王妃の居室へ行く間、緊張を隠せなかった。

 侍従や侍女の姿もなく、シンと静まり返った通廊をジグリットは足早に歩いた。王妃はジグリットをジューヌと思ってくれるだろうか。自分の産んだ息子が見分けられないなんてことが、あるのだろうか。ジグリットの不安に反して、彼が居室の扉を叩くと、王妃は孤児(こじ)を見る眸ではなく、王子を優しく迎え入れた。部屋には彼女しかいなかった。

「よく来てくれたわね、ジューヌ」

 エスナは暖炉の火がさらに強まるよう(まき)を投じた。そして自ら、熱く沸かした牛乳(ミルク)蒸留酒(ウイスキー)を垂らして彼に渡した。

「ありがとうございます」ジグリットは母親にというよりは、王妃に対する礼儀で答えた。

 ジグリットから見ても、エスナはいまだ若く、母というより一人の美しい女性だった。リネアに似た面差(おもざ)しで、内面も激昂(げきこう)しやすい性質の上、気分屋だったが、それが彼女の美しさを引き立てていることは間違いなかった。まるで誇り高い雪豹(ゆきひょう)のごとく、エスナは素肌に(まと)った白い毛皮の長衣(ローブ)から、伸びた素足を()しげもなく(さら)して、ジグリットの向かいではなく、金襴(きんらん)張りの長椅子(ソファ)の隣りに腰掛けた。ジグリットは王妃と見つめ合う必要がないことに安心した。

「ジューヌ、お父様がこんなことになって、さぞ辛いでしょうね」エスナの手がジグリットの頭に触れた。彼女に髪を撫でられると、ジグリットはくすぐったくなって身を縮めた。「でもね、あなたが次代の王になることがあの人の望みだったのよ。リネアではタザリアをお父様のように守ることはできないわ」

 ジグリットはエスナの手をそのままに、黙って聞いていた。

「残念だけど、わたくしはずっとタザリアが好きになれなかった。あなたの生まれ故郷だとわかっているのよ。でも、わたくしは心底、ベトゥラの人間なの。あの北の大地だけが、わたくしを(なぐさ)めることができる。クレイがいなくなってしまった今、わたくしの悲しみを(いや)せるのはあの地だけ」

 エスナが何を言いたいのか、ジグリットにはさっぱりわからなかった。(グラス)に口をつけ、喉元(のどもと)を温かい液体が通り過ぎるのをジグリットは心地良く感じていた。暖炉に赤々と火が燃えていても、この部屋は広く寒いことに変わりなかったのだ。

 エスナは黙っているジューヌに続けた。

「ジューヌ、わたくしはベトゥラに帰ります。クレイがいない今、この国にわたくしは必要ないわ。あの人だけが、わたくしをこの地に(しば)り付けることができたのよ」

 エスナの声に震えが走り、ジグリットは彼女が泣いていることに気づいた。

「あなたやリネアを置いて行くわたくしを(ゆる)してちょうだい。ひどい母だと(さげす)まないで」

 ジグリットは杯を置くと、今度はその可哀相(かわいそう)な女性の髪を撫で返した。エスナの髪は太陽に照らされた雪のように、薄い金色に輝いていた。一瞬、ジグリットはフランチェサイズのアンブロシアーナの黄金色(ブロンド)の髪を思った。そうすると、余計に王妃が気の毒になってジグリットは微笑(ほほえ)んだ。

「大丈夫ですよ、母上」ジグリットは優しく言った。「たとえ母上がどこに行こうとも、ぼくもリネアも変わらずあなたの幸せをお祈りしています」

 エスナはその(キツ)い眼差しに似合わぬ切なげな表情で、ぽろぽろと涙した。彼女にとって、それがどんなに勇気がいることか、ジグリットにもわかっていた。タザリアの王妃として(とつ)いだ女性が故郷に帰っても、一族には(うと)まれるだけだろう。それでも雪深いシェイドに帰りたいという彼女の心を、ジグリットは邪険(じゃけん)にできるはずもなかった。

 実質、それはエスナがタザリアと縁を切ることを示唆(しさ)していたが、ジグリットは(わず)かな時間にそのことが(もたら)す国にとっての損失を(はか)って、ベトゥラ連邦共和国との関係にそれほど深い軋轢(あつれき)が生じるとは考えなかった。ベトゥラとの間に互いの脅威(きょうい)となる国、ゲルシュタイン帝国がある限り、エスナ王妃が帰還したとしても、あの僭主国(せんしゅこく)は黙ってそれを受け()れるだろう。表向きはこれが深刻な問題になるとは思えない。

 そして何より、自分の正体がバレるかもしれないという不安を抱えていたジグリットにとって、王妃の決断はむしろベトゥラ連邦共和国との関係が悪化したとしても、それを差し引いてなお有り(がた)かった。


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