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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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3-1

          3


 タザリアの王、クレイトス・タザリア三世は、まだ黒々とした分厚い髭を指先で弄びながら、二人の騎士と謁見していた。隣りには王の側近、ギィエラが薄い影のようにぼんやりと立っている。ギィエラは引き摺りそうな焦げ茶の長衣ローブを着て、左眸に黒の眼帯をかけていた。王とその側近は、眸の前の騎士を値踏みするかのように、一段高い場所から見下ろしていた。

 一人はウァッリス公国へ出向いていた騎士で、もう一人はナフタバンナでの会戦に一役買った、漆黒の騎士と名高いファン・ダルタである。

「今回の殊勲は紛うことなく貴公であろう。ファン・ダルタ」

 王が朗々とした声で告げると、ファン・ダルタは片腕に兜を抱き、玉座の前に跪いたまま、深々と礼をした。

「斯様なお言葉、有り難く頂戴致します、陛下」

「貴公の活躍、戦報により詳細に入っておるぞ。良くやった。ナフタバンナでの会戦が早々に終結に至ったのも、その方の類稀なる剣技によるところ。炎帝騎士団の中でもずば抜けておるとは聞いていたが、これほどまでとは思わなんだぞ」

 褒め称され、ファン・ダルタは微笑うどころか、さらに眉間の皺を深くした。

「お言葉ながら、わたくし一人の功労ではありません、陛下。炎帝騎士団、それに何よりその他の兵士達の尽力のお蔭であります。死した兵士達がいたからこそ、わたくしの剣が瞋恚(しんい)(ほむら)となり敵を打ち砕いたのでございます」

 ファン・ダルタの低い声は、やはり喜びよりも深い悲哀を帯びていた。タザリア王はそれに気づいて玉座に背を凭せかけた。

「ファンよ、殉国した兵のことを気に病むのはわかるが、貴公が生き残ったことは、やはり賞賛に値することだとわたしは思っている。貴公には後で正式な通知がいくだろうが、先に伝えておこう。貴公に“冬将(とうしょう)の騎士”の称号を与えることとなった」

 ファン・ダルタだけではなく、隣りで同じように跪いていたもう一人の騎士も驚きに顔を上げた。冬将の騎士の称号とは、タザリアの歴史上、最も国に尽した選ばれし騎士にのみ与えられるもので、ここ五十年はその称号を受けたものはいない名誉あるものだった。

 炎帝騎士団の中で称号を受けているのは、騎士団長のグーヴァーだけで、残りの二十余名の騎士達でさえ、そのような名誉は手にしていない。しかもグーヴァーが"嵐世の騎士"と呼ばれる称号を戴いたのは、十六年も前のことで、それ以来のことだった。

 タザリア王は驚いている二人の騎士を交互に見つめた。彼らは若く、その身に纏った甲冑や外衣(マント)には汚れや疵が無数に付いていたが、その眸は力強く輝いていた。

 タザリア王が知る限り、ファン・ダルタはまだ十七歳だった。王の庶出の長男、タスティンと二歳しか違わなかったが、彼が殺した敵兵の数は最早数え切れないほどであり、炎帝騎士団の最も若くして、最も剣豪である騎士は、その若さ故に戦いの悲しさに打ちひしがれていた。

 王が斥候より受け取った第一報では、ファン・ダルタの率いる部隊はナフタバンナ国境のロンディ川下流に位置し、最前線といえた。タザリアに近い上流付近ですら、激しい戦闘が繰り広げられていたと聞いている。さらに敵陣に深く入り込んでいたファン・ダルタが、生きて戻ったこと事態、奇跡的だった。

 しかし、奇跡は彼にしか起こらなかった。ファン・ダルタの率いていた部隊は下流域で全滅させられた。そして敵陣に彼は一人、残された。そのまま人質になってもおかしくはない状況で、ファン・ダルタは降参の構えを見せず、一人戦った。そして恐るべきことに、彼はその場にいたすべてのナフタバンナ兵を斃してみせたのだ。

 ファン・ダルタがたった一人で一個大隊を壊滅させたという戦報が届いたのは、それから三日後のことだった。そしてその翌日、ナフタバンナとの百余日にも渡る戦いは裏で行われていた講和により終結した。

 タザリア王はもう一人の騎士を呼んだ。

「レイビス、証文をここへ」

 レイビスと呼ばれた騎士は、精悍な面を上げてタザリア王へ近づいた。そして、王にナフタバンナ王国のアリエスタ王から預かった証文を手渡した。彼は北の交戦地域を避け、南からテュランノス山脈を迂回し、ウァッリス公国を通って北へ上り、ナフタバンナ王にタザリア王からの証文を渡す役目を担っていた。そして、代わりにナフタバンナ王から返事である証文を受け取り、先ほど帰還したのだった。

 タザリア王はその場で証文を広げ、それを黙読した。そこには、ナフタバンナとの講和についての条約が長々と書き連ねてあった。

「うむ、重大な問題点はないようだ。ご苦労であった」

 レイビスは一言も発しないまま、ゆっくり礼をすると、その場を退出した。残されたファン・ダルタも同じく立ち去ろうとしたが、背後から聞き覚えのある重々しい足音がして、彼は首を回して相手を見た。上官の炎帝騎士団、騎士長グーヴァーだった。そして、その彼の真横には、きょろきょろと辺りをしきりに窺っている少年が伴われている。ファン・ダルタはこれから交わされる会話を思って、退出するのを先延ばしにした。

 グーヴァーはファン・ダルタより数歩玉座に近い場所で膝を着いた。ジグリットはその横で慌てて同じように膝を着く。

「陛下、再びご尊顔を拝見できて、このグーヴァー、恐悦至極にございます」

 側近のギィエラは王よりも先に声を発したグーヴァーの傍若な振る舞いに対し、僅かに眸を眇めたが、タザリア王は親友に会ったかのように歓喜の声で彼を迎えた。王にとっては前父王の頃より騎士として国に仕えていたグーヴァーは、彼のもっとも信頼する幼馴染みであり、また最高の友であった。

「おう、グーヴァー遅かったな。先にファン・ダルタと話しをさせてもらったぞ」

 グーヴァーは王の言葉に、跪いている黒ずくめの部下を見て笑った。

「若さは何事も迅速にこなすものです、陛下」

「おまえもまだまだ若いぞ、グーヴァー。タスティンもジューヌも、後十年はおぬしに勝てんだろう」

「それは嬉しい限り。武術指南役としては、そうそう勝たれるわけにもいきますまい」

 自信とも取れる笑みを浮かべた騎士長に、王は豪快に声を上げ笑った。隣りのギィエラも適度な愛想笑いで王に従う。

 ジグリットは広い謁見室の端から端までを観察し、南に十も連なる窓のすべてに見たことのない白い薄布が掛けられているのを興味深く見入った。エスタークではそのような風習はなく、窓は開放されるがままで、虫や強い陽射しは時に彼らを悩ましていたが、ここでは鎧戸を閉めずとも、それらを締め出すことができるようだった。しかも、その布越しでもアンバー湖の瑠璃色の水面や、その向こうに聳えるテュランノス山脈の南峰にかかった白雪がくっきりと見えていた。

 ジグリットはついで、黄金の玉座に座る髭面の王と、その隣りの曖昧な笑みを浮かべているいけ好かない感じの男を観察した。王は彼が想像していたよりずっと質素な姿だった。燦然と輝く宝石を身につけてもいなければ、着ている物も白い荒織の上衣(シャツ)に、枯草色の綿の下衣(ズボン)だけ。タザリア王はすぐにその不躾な視線に気づき、グーヴァーの隣りで落ちつかなさげにしているジグリットに声をかけた。

「そしてジューヌ、おまえはなぜここに来た。わたしに話しでもあるのか?」

 ジューヌと呼ばれて、ジグリットは当初、自分のこととは気付かなかったが、全員の視線が自分に集中しているとわかると、眸を瞬かせて首を傾げた。挨拶をした方がいいのだろうかと思ったが、風邪で声が出ないので、一言も発することはできない。

 困っているジグリットに、グーヴァーが横から王に申し出た。

「陛下、この者は王子ジューヌ様ではございません」

 タザリア王はグーヴァーに眸を向けた。彼の眸はジグリットと同様に鉄錆のような赤茶色をしており、それが薄布を通して入り込む陽射しに琥珀の硝子玉のように輝いていた。

「どう見ても我が息子だが?」

「彼はエスタークから連れて来ました孤児でございます」

「わたしを(たばか)るつもりか、グーヴァーよ」

「まさか・・・陛下、よくご覧下さい」そう言ってグーヴァーはジグリットだけをその場に立たせた。「この服も、このぼさぼさの髪も、それにこの子の足」

 ジグリットはグーヴァーの指摘する箇所に王が順に眸をやるのがわかり、急に恥ずかしくなって、もじもじと両足を擦り合わせた。すると足先の泥が固まってぼろぼろと御影石のタイルに落ちた。

「・・・・・・なるほど、我が息子がそのような格好をするとは思えん」

「ご理解戴けたでしょうか。彼はジグリット、エスタークの孤児です」

 グーヴァーの言葉に、初めてギィエラが口を挟んだ。

「それで騎士長、その少年をどういうおつもりで王宮(ここ)へ入れたのです?」

 ジグリットはその声に僅かな冷淡さを感じて、ギィエラを見上げた。しかし、ギィエラの顔はその黒い眼帯の不気味さとは別に、ジグリットを見つめて微笑すら浮かべていた。ジグリットは、その外見の妙な違和感に彼から眸を逸らした。

「グーヴァー、なぜこの子をここへ連れて来たのかは、わたしも知りたいところだ」

 王もジグリットを見ていた。王の真摯な視線に、ジグリットは見返したり、俯いたりを繰り返した。王はギィエラとは違い、妙な笑みなど浮かべていなかった。その眸は真剣そのもので、ジグリットの背筋を無意識に伸ばさせた。

「わたしがジグリットを王宮へ連れて来た理由はたった一つです。陛下、彼はジューヌ皇子に似ていると思われませんか?」

「・・・・・・確かに、わたしが見紛うほどにな。しかし、今よくよく見ると、違いもある。もうわたしは間違わないだろう」

「陛下は父子ですから、そうかもしれません。ですが、もしこれが敵だったらどうでしょう? ジューヌ様とこの少年、ジグリットを見分けることができるでしょうか?」

 そこで王とその側近である二人の男は、騎士長の言いたいことを理解した。

「おまえは、この子供を我が息子の身代わりに仕立てるつもりか?」

 王の言葉にギィエラが反論した。

「まさか、ジューヌ様の身代わりになど、なれるはずがありません」

 そして、今までじっと黙って跪いていたファン・ダルタは、そこに至って初めて口を開いた。

「恐れながら陛下、この少年はエスタークの貧民窟(スラム)の孤児で、我々騎士団に不貞を働こうとした仲間の一人なのです。彼らはグーヴァー騎士長の愛馬ロゼの鞍を盗もうとしたのです」

「なんと!」王はそう言って、またジグリットを見た。王の眸には非難じみたところはなく、ただ興味の色が窺えた。指に髭を巻きつけた王が何か発言する前に、ファン・ダルタが再び進言した。

「彼はエスタークに戻すべきです。王子の影武者として育てるには、身分差がありすぎると思われます」

 ジグリットはみんなが反対しているなら、エスタークに戻れるかもしれないと思った。もしそうなれば、タダで一年分の収入を得たようなものだ。

 しかし、王は玉座から立ち上がると、ジグリットの方へ近づいて来た。立ち上がった王はこの中の誰よりも長身で、ファン・ダルタと比べても遜色のないぐらい恵まれた体格をしていた。質素な服装だったからこそ、それは余計に際立っていた。


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