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7 予兆2

 突然、やってきた兵士たちに両腕をとられ、無理矢理連れられた場所は陽の姫のいる部屋だった。


「さっさと入れ」


 乱暴に背中を押され部屋に踏み込むと、目の前には悠然とした仕草で長いすに座る陽の姫と、取り巻きたちの姿があった。


 目もくらむような明るい部屋に、悠里は一瞬目をすがめる。


 広い室内には見事な調度品の数々。

 部屋の中央の卓には食べきれないほどの豪華な食事と飲み物が並べられ、焚きつめられた強い香と、食べ物や酒の香で、部屋は何ともいえないにおいが充満していた。


 朱珂の国のもう一人の姫は暗い牢獄のような部屋に閉じ込められ、自由さえも与えられていないというのに、この差は何であろうか。


 同じ朱珂の国の姫であるというのに。


 陽の姫に仕える男たちは、彼女を中心にして思い思いにくつろいでいる。

 悠里がここへ連れられてくるのを聞かされていなかったのか、彼らは驚いた顔でいっせいにこちらに視線を向けた。


『あの男……陽の姫様に逆らった男ではないか』


『その昼間の男が何故ここに?』


『この場で陽の姫様があの男に罰をお与えになるのかもしれないぞ』


『ほう、だとしたらそれは見ものだな』


 取り巻きたちは揃って薄ら笑いを浮かべ、現れた悠里に注目する。


 一方、部屋に入った悠里の目には、あきらかにこのような真似をしていったいどういうつもりだと非難の色が浮かんでいた。

 そんな不遜な悠里の態度を見かねた取り巻きたちが声をあげた。


「貴様、無礼にもほどがあるぞ」


「陽の姫様の前だ。ひざまずけ!」


 そんな男たちを、陽の姫はゆるりと手を持ちあげ制した。


「おまえたち、いいのよ。この男は特別なのだから」


「特別? ですが……」


「私がいいと言ったらいいの。私が決めたことに何か文句でもあるのかしら?」


 途端、男たちは渋々ながらも口を閉ざしてしまった。

 陽の姫にそう言われてしまっては返す言葉はない。それどころか、意外にも陽の姫が上機嫌であることに取り巻きたちは訝しむ。


「さあ、悠里といったわね。おまえもこちらにきて座りなさい。お酒はいかが?」


「けっこうです」


 にべもなく言い捨てる悠里に、陽火は一瞬、ぴくりと眉を動かす。

 悠里は息を吸い、ため息交じりに吐き出した。


「わたしに何の用でございましょう」


 悠里の声は刺々しい。


「あら、おまえを私の供の一人として加えてあげると昼間言ったでしょう。忘れたのかしら?」


「それでしたら、お断りしますと申したはずですが」


「ええ、もちろん聞いたわ。でもね、おまえは勘違いをしているの」


 陽火は口の端を吊り上げ、にっこりと意味ありげな笑みを浮かべる。

 紅をはいた赤い唇が毒々しい。


「おまえに断る権利はないのよ」


 長いすから立ち上がった陽火は、ゆっくりとした足どりで悠里の元に近づいていく。


「私はおまえのことがとっても気に入ってしまったの」


 陽火は手にした扇の先端で、悠里のあごをくいっと持ち上げた。


「私は欲しいと思ったものは必ず手に入れる。そう、必ず。おまえは私の回りにはいない類いの男。だから、側に置きたいと思ったの」


 取り巻きたちの間から静かなどよめきが走る。


 陽の姫に対して無礼な態度をとった男の処罰が見られる。

 酒の席にはいい余興だと、ほくそ笑んでいた取り巻きたちが驚いたのはいうまでもない。

 それ以上に、陽の姫がここまで誰かに固執するのは初めてであったからなおさらであった。

 それも、得たいのしれない異国の旅の楽士ごときに熱をいれるなど……。


 悠里の目が静かに陽火を見下ろす。


「そう、その目よ。私を前にしてもおまえは少しも物怖じしない。媚びようともしない。それに、何より私は強い男が好き」

 悠里を見上げる陽の姫の瞳に熱がこもる。


「おまえはとても魅力的」


「陽の姫様! 昼間も申し上げましたが、このような得たいのしれない男を側に置くなど許されるはずが!」


「卑しい旅の楽士ですぞ!」


「そうね……ああ、そうだわ。お父様に頼んで、おまえをそれなりの地位にしてあげてもいいわ。お父様は驚くかもしれないけど、今まで私の頼み事を断ったことなど一度もないの。宮廷楽士はどう? おまえにぴったりだと思わなくて?」


 他の者なら感極まって泣いて喜ぶだろう陽の姫の申し出にしかし、悠里の表情は少しも変わらない。


「あら、興味がないって顔ね。でも、そんなはずはないでしょう? かっこつけなくてもいいのよ。ここに陰の姫はいないのだから、おまえの本音を聞かせてごらんなさい。そもそも、旅の楽士なんてたいしたお金にもならないでしょう。そんな惨めな生活を続けていくよりも、私の供の一人となってこの王宮で暮らせば何不自由なく楽しく過ごすことができるのよ。綺麗な衣装を着て、毎日豪華な食事をとって、おまえが口にしたこともない高価なお酒を飲んで。おまえにとって夢のような話だと思わない?」


「わたしにはまったく興味がありません」


 悠里のあごに添えられていた扇が離れる。と、次の瞬間、陽火はその扇で悠里の頬をはたいた。

 ぱしりとした音が部屋に響き渡る。


「何度も言わせないで。おまえに断る権利はないと言ったはずよ」


 そう言って、陽火は赤くなった悠里の頬に手を添え優しくさすった。


「ああ……美しい顔に傷がついてしまったわ。でも、この私を怒らせるおまえがいけないのよ。ねえ……」


 陽火の瞳がひたと悠里を見つめる。


「おまえを私の夫にしてあげる」


「よ、陽火様!」


「なんということを!」


 腰を浮かせて取り巻きたちはうろたえる。

 もはや、陽の姫のいつもの気まぐれというには度が過ぎた。


「いずれ私はこの朱珂の国の女王となる身。だから、ほんとうの夫となる者はそれなりの身分の者でなければだめだけど、おまえを私の二番目にしてあげる」


「用件はそれだけでしょうか。月華様が待っておりますので、わたしは戻らせていただきます」


 たちまち、陽火の顔が青ざめる。


「月華月華って、だったら、陰の姫には消えてもらおうかしら。そもそもあの女なんて、いてもいなくてもこの国にとってどうでもいい存在なのだから」


「どうでもいい?」


 問い返す悠里に陽火はにやりと唇をゆがめた。


「まさか、陰の姫が泣けば雨が降るなんてそんな馬鹿げた話、本気で信じているわけではないわよね」


「……」


「あの女が消えてしまったところで誰も何とも思いはしない。それに、戻る場所がなくなれば、おまえはあの女の元に帰ることはできない」


 悠里は目を細め、目の前の陽の姫を見下ろす。


「あら、その目は何? おまえだって聞いているでしょう? あの女は毎夜いろんな男に抱かれているのよ。そんな、汚らわしい女がこの朱珂の国の姫だなんて、そもそもあり得ないのよ!」


「それ以上、月華様を侮辱するのは許しません」


「許しませんですって? おまえ、誰に向かって言っているかわかっているの? この私に意見するつもり!」


 怒りにまなじりを吊り上げ、陽火は再び扇を持つ手を振りあげた。しかし、悠里の頬を打つはずのその手をいとも簡単につかみとられてしまう。

 ぎりぎりとしめあげてくる手首の痛みに陽火は顔をゆがめた。


「痛いわ。離して!」


 つかまれた手を振り解こうと身をよじる陽火であったが、男の力にはかなわない。


「無礼者! この手を離しなさい! 離しなさいと言っているのが……」


「月華様の身にもしものことがあれば、わたしはあなたを許しませんよ」


「な、何よ……ちょっと言ってみただけだわ。冗談に決まってるじゃない……」


「冗談でもそのようなことは二度と口になさらないでいただきたい」


 つかんでいた陽火の手を離し、悠里はさっと身をひるがえすと部屋から出て行ってしまった。


 悠里が部屋から去って行ったと同時に、陽火は腰が抜けたようにその場にぺたりと座り込んでしまった。

 握られた手首を押さえていた陽火の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 それを見た取り巻きたちはいっせいに慌て始め、我先にと陽火の元へ駈け寄った。


「陽火様!」


「おお……陽火様。お可哀想に……」


「さあ、涙を拭いてくださいませ」


「そうですよ。陽火様に涙は似合いません」


「さあ、笑ってください」


 必死になって男たちは陽の姫のご機嫌をとり始める。

 今頃になってやってきた男たちを、陽火は怒りの滾らせた目で睨みつけた。


「何なの? そろいもそろってくずばかり! 私だって泣くときくらいあるわよ。もう出ていって。みんなこの部屋から出て行きなさい!」


「陽火様」


「うるさい!」


 陽火は握っていた扇を側にいる男に投げつけた。


「出ていって! 私を一人にしてちょうだい!」


 我を失い大声をあげて泣く陽火に、男たちはなすすべもなく立ち尽くすばかり。


「それでは、また後ほど様子を見にうかがいますので……」


「もう来ないでと言ったでしょう!」


 男たちは互いに顔を見合わせ、陽火に気づかれないよう肩をすくめると、ぞろぞろと部屋から出ていってしまった。


 部屋に一人とり残された陽火は、流れる涙を手の甲で拭いその手に視線を落とす。

 強く握られた手首が赤く染まり、いまだずきずきとした痛みをともなって疼いている。


 私にこんな真似をして。

 この国の姫である私を乱暴に扱うなんて。

 あの男……っ!


 陽火はそろりと立ち上がり、おぼつかない足どりでソファーに歩み寄り身体をあずけた。

 振り解くこともできないほどの力強い手だった。

 怖かった。

 男の人があんなに怖いと思ったのは初めてであった。


 痛みの残る手首を見つめていた陽火の頬に、怒りとはまた別の色の赤みが差す。


「……欲しいわ。あの男が欲しい。絶対に私のものにしてみせるわ」

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