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4 対峙

「早く連れ戻しなさいって言ってるでしょう! 私の言うことが聞けないの!」


 凄まじい陽火の金切り声に、ようやく取り巻きの男たちは我に返り動き出す。

 主である陽の姫の命令は絶対だ。

 どんな命令でも従わなければ、陽の姫の機嫌を損ねてしまい、先ほどの男のように失脚することになる。

 それだけは避けなければならない。


 王宮から追い出されるのならまだいい。

 中には陽火の怒りをかい、彼女の一声で無残にも殺されてしまった者もいる。

 そういう男たちを何人も見てきた。

 すべては陽の姫の気分しだい。


 自分たちの変わりなどいくらでもいることは、男たち自身も承知のうえ。

 それでもわがままな陽の姫に従うのは、彼女に仕えていれば綺麗な衣装をきて王宮内を闊歩し、旨い料理も酒も褒美も与えられるからだ。

 陽の姫のご機嫌を損なわせないよう要領よく立ち回れば、これほど旨みのある仕事はない。


 陽の姫のお気に入りが増えるのは本意ではないが、目の前の男を捕らえれば、おそらく褒美が与えられるだろう。

 頭の中で狡猾に計算した男たちは、我先にと悠里との距離をつめていく。


「貴様! とまれっ!」


「待て! 陽の姫様に逆らうというか!」


「聞こえないのか? 止まれっ!」


 すっかり優雅さを欠いて呼び止める男たちの声に、悠里は立ち止まり、ゆっくりと肩越しに振り返った。


 陽の姫の命令に従い悠里を捕らえ、あわよくば褒美をと、意気込んでいた男たちはそろってその場に踏みとどまる。

 彼らは一様に息を飲む。

 中には顔を青ざめさせ後ずさる者も。


 悠里の黒い瞳に峻烈な光が過ぎったのを見たからだ。

 身にまとう雰囲気さえ明らかに豹変し、放たれる気が回りの空気までをも凍えさせた。


 先ほどまで陰の姫に優しく接し、穏やかな眼差しを向けていたものとは違う、これ以上自分たちに近づく者は、たとえ誰であろうと容赦しないというばかりの鋭利な目であった。


「な、な、何だその目はっ!」


 取り巻きの一人がちらりと陽火をかえりみる。

 陽火は小さくうなずいた。


「でも、あの男を傷つけてはだめよ」


 陽火の許可はいただいたとばかりに、その男はにやりと唇をゆがめた。


「貴様……これでも逆らうというか!」


 相手は丸腰。

 勝算はこちらにあると信じて疑わないその男は、腰に帯びた太刀に手をかけ抜いた。


 鞘走る刀身の音に、月華は身を震わせ悠里と男を交互にみやる。


 鉄色の刀が、眩しい陽の光を受け鋭い光を放つ。


 ひらひらした衣装で身を飾り、いかにも脆弱そうないでたちである彼らだが、これでもいちおう、陽火の護衛も兼ねているのだ。

 しかし、得物を手に身がまえるその姿はあまりにもさまにならない。

 それどころか、太刀を扱ったことがあるのかと首を傾げるほどの腰つきだ。


 もっとも、平和な王宮内にいる限り、武器を交えて敵と戦うなどまずないのだから仕方がない。


 一方、刃をちらつかせ、脅しても悠里に少しも動揺は見られなかった。

 小さな悲鳴を上げる月華を、悠里は手で制し背にかばう。

 あくまで冷静であった。


「そんなものを抜いて、どうしようというのですか?」


「どうしようって……それは……その……」


 反対に問い返され男は困惑顔で口ごもる。


 もちろん、本気で斬りつけるつもりはない。

 悠里を従わせるため脅しで太刀を抜いただけなのだが、予想に反して相手はいっこうに怯む様子すらみせない。

 それ以上に、こちらの意気地を挫くほどのあの凄絶な目はいかようか。


「月華様が怯えています。太刀をおさめなさい」


 抑揚のない悠里の声に男はくそっ、と短く吐き捨て悠里に向かって駈けだした。


 悠里の頭上めがけて男の太刀が振り上げられる。


「いや、やめて! お願いやめて!」


 目を見開き、月華は悲痛な叫び声をあげた。


 私とかかわってしまったばかりに悠里が。

 お願い。

 悠里を傷つけないで。


 悠里!


 ──。


 静寂の中、かつりと乾いた音が鳴ったのを耳にする。


 何が起きたのだろうか。


 目を開けるのが怖かった。

 おそろしくて顔をあげらることができない。

 それでも、確かめなければ。


 いつの間にか悠里の背にきつくしがみついていた月華は、おそるおそる顔をあげ、まぶたを震わせながら目を開く。


 笛を逆手に持った悠里が、振りおろした相手の刃を頭上高く受けとめていた。


 あたりを包む空気に緊迫したものが漂う。

 その場にいる者全員の視線が、悠里と悠里に対峙する男に向けられた。

 陽火も例外ではない。

 みな固唾を飲み、この成り行きを、言葉を発することもなく見守っていた。

 否、見守るしかなかった。


「悠里……」


 悠里が無事だと確認した途端、膝の力が抜けそうになった。

 崩れ落ちる寸前、伸ばされた悠里の片腕に支えられる。

 力強い腕だった。

 それでも、いっこうに震えのとまらない月華の肩を抱くように、悠里の腕が回され引き寄せられる。

 身体に力が入らず、そのまま悠里の衣服がしわになるほどにしがみつく。

 そんな月華を安心させるように、肩に回された悠里の手に力が込められた。


「ご安心ください月華様。わたしは大丈夫ですよ」


 得物を振りかざしてきた男を凝視したまま、悠里は安心させるように優しい声音で月華に言い聞かせる。

 けれど、優しい声とは裏腹に、悠里の瞳の奥に揺れるのは怒り。

 月華はいや、と首を振った。


「いやです。悠里、お願いです! 悠里の身に何かあったら私はどうしてよいのかわかりません!」


 相手は武器を手にしている。

 悠里を斬りつけようとした。

 そんな男を相手に、どうして大丈夫だと言えるのか。


 身動ぐ月華を悠里はさらに胸に抱き寄せた。

 青ざめた顔で唇を震わせる月華に微笑みを落とす。


「月華様、そんな顔をなさらないでください。どうか、わたしを信じて」


 優しさの中に力強さが込められた声。

 ささやく悠里の声に、月華は大きく息を吸って吐き出した。

 悠里の胸に添えた手から鼓動が伝わり、その音が自分のそれと重なる。


 信じてください。


 その言葉に、徐々に身体の震えがおさまっていくのを感じた。

 信じてと言った悠里の言葉に偽りはないと思って。


「引きなさい」


「……なに?」


「聞こえませんでしたか? 引きなさいと言っているのです」


「引け、だと?」


「はい」


「はっ! わかっていないようだな」


 男はにっと唇をゆがめ、さらに続ける。


「女の前だからといって、かっこつけるな! 武器も持たない貴様に何ができる。その笛で俺を倒すとでもいうのか。笑わせるな!」


 悠里はやれやれといった態でため息をこぼし、まぶたを伏せ瞳を閉ざす。

 そして次の瞬間、上目遣いに相手の男に視線を据えた。

 あくまでも冷静さを保ってはいるが、感情の奥底に留めている怒りが、今にも燃え上がる直前の炎のごとくその瞳にくすぶっていた。


「よいのですか? 怪我をするのはあなたのほうですよ」


「怪我だと?」


 動揺の片鱗もうかがわせない悠里の落ち着き払った声と態度に男は大仰に眉をあげた。

 冷静すぎる悠里の態度が、男からしてみれば癇に障ったらしい。

 男が期待したのは、振りかざした刃に怯える悠里の姿であったのだから。


 怯えて腰を抜かし、惨めったらしく命乞いをする悠里の姿を見れば、陽の姫もこの男に対する熱が瞬時に冷めるだろうと画策してのことだった。

 だが実際はどうだろうか。


 悠里は薄い嗤いを口許に刻む。


「あなたから太刀を奪いその腕をへし折るくらい、わけなどないのですよ。こう見えて、腕には自信があるので」


 悠里の腕の中で月華が小さく息を飲む。


「もっとも、月華様の前で、そのような手荒な真似はできることならしたくはないのですが」


 居丈高に振る舞う男の気迫さえも振り払ってしまう凄烈さが、悠里の身から放たれる。

 さらに、悠里はついっと男に顔を近づけささやくように言う。


「陽の姫様に無様な姿は見せたくないでしょう?」


「どういう……?」


「わたしにやりこめられて醜態をさらすよりも、ここで引いた方が、まだあなたの体面が保てますよ。あの者の二の舞にはなりたくないでしょう」


 あの者と言って、悠里は陽の姫の足元にすがりつく男を一瞥する。


「それとも、引くためのいいわけが思い浮かばないのでしたらこう言えばいい。あの男はどこの誰ともわからない異国の野蛮人、陽の姫様にふさわしい男ではない、と。事実そうですから。引き際を見失う前に、さあ」


 さあ、と促され、男はぎりぎりと奥歯を鳴らす。

 これはたんに虚勢を張っているだけか、あるいは真実かと見計らっているようでもあった。


「はは。腕に自信があるだと? はったりを言うな……」


 先ほどの勢いはどこへやら、男の発する声は弱々しい。

 悠里はにこりと笑った。


 この男の意気はもはや削いだも同然。


「そうですか。ならば、はったりかどうか、試してみましょうか。後悔しても知りませんよ」


 男は喉の奥でうっと声をつまらせた。


 ぎりぎりと噛み合う刃と笛。


 刃ごし、男と悠里の視線が真っ向からかち合う。

 悠里の瞳に怯える男の顔が映し出された。


 もしも、相手が殺意をもって斬りかかってきたのなら、笛一つで身を守ることなどできようもない。即座に断たれていただろう。だが、相手が本気で斬りかかってくるつもりはなかったのは、最初からわかっていた。


 殺気が感じられなかった。

 太刀筋も見えていた。


 いや、男が武器を扱い慣れていないことは、太刀を抜いた瞬間から察することができた。斬りつけてきた相手の方が顔色を変え、荒い息をこぼしている。

 太刀を抜いてしまったものの男の顔ににじむのは、後悔という感情。

 凶器は男の立場を反対に脅かす結果となってしまった。


 怯んだ相手の刃を手にした笛で押し返すと、男は足をよろめかせその場に尻もちをつく。

 頬をひくつかせ悠里を見上げる男の表情には、憎悪と困惑が入り交じっている。


 悠里は静かな眼差しでしばし男を見下ろしたが、不意に興味でも失せたとでもいうように背を向け足元に視線を落とす。

 月華の髪に挿した花が落ちていた。

 すがりついてきた拍子に、髪からこぼれてしまったのだ。

 落ちたその花を拾いあげる悠里の顔に、静かな憂いが過ぎっていく。


「悠里!」


「もう大丈夫ですよ」


「怪我は? 怪我はしていませんか?」


「見てのとおり、どこも」


「ほんとうに?」


「ええ」


 胸に手をあて月華はほっと息をもらす。

 それでもまだ震えがとまらなかった。


「月華様、参りましょう。歩けますか?」


「はい」


 震える月華の肩に悠里の手が置かれた。

 そして、今度こそ二人は陽火たちの前から立ち去っていった。


 怖くて振り返ることができなかった。

 陽火と目を合わせることができなかった。

 それでも、陽火の視線が痛いほど背中に突き刺さる。


 胸の奥にわだかまる黒い不安は何だろう。


 不安な面持ちで隣を歩く悠里を見上げると、すぐに、何事もなかったように優しい笑顔を返してくれた。


 もう何も起きないで欲しい。

 そう、願ったのに──。


 陽火の手から扇がすり抜け地面にこつんと音をたてて落ちた。

 二人の姿がすっかり見えなくなった頃、安堵の息をもらし取り巻きたちは口を開き始める。


「あの男、ただの優男かと思っていたら……」


「なんたる無礼なやから!」


「陽火様に逆らうとはまったく身のほど知らずな!」


「やはり、強引にでも捕らえるべきでした」


 悠里の姿が完全に見えなくなってから、捕らえるべきとはおかしなことを言うものである。


「……のよ」


「はい?」


「おまえたちが軟弱すぎると言ったのだわ! そろいもそろって役立たずばかり!」


 男たちを怒鳴りつけ、陽火は不機嫌な態度で歩き出す。


「陽火様! どちらへ?」


「帰るのよ!」


「お庭の散策はもうよろしいのですか? お茶会は?」


 陽火はくるりと男たちに向き直る。


「ほんとうに気が利かない男たちだわ。どうしてわからないの? お茶会ですって? そんな気分ではないってことくらい察しなさいよ!」


 ふいっと、顔を背け再び歩き出した陽火に、男の一人が慌てて落ちた扇を拾い差し出した。


 男にしてみれば気を利かせたつもりだったのであろう。

 しかし、陽火はまなじりを吊りあげ差し出された扇を手で払った。

 振り払った勢いで陽火の尖った爪先が男の頬をがつりと掻く。


「この私に地面に落ちて汚れたものを持たせるつもり! 無礼なのはおまえの方だわ!」


「ひっ……も、申しわけっ!」


 男の頬からうっすらと血がにじむのを見て、陽火は嫌悪もあらわに顔をゆがめた。


「見苦しい。おまえの顔はしばらく見たくないわ。私がいいというまで姿を見せないでちょうだい!」


 そこへ、ここぞとばかりに、付き人役から解かれた先ほどの男が、赤子がはいはいするように陽火の足元ににじり寄ってくる。


「陽火様……陽火様! どんなことでもいたしますから、どうかわたくしめを陽火様のお側に。ああ……陽火様」


 腰に手をあて、陽火は自分の履に頬をすりつけてくる男を冷めた目で見下ろした。

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