巨人と勇者
青年が次に目を覚ました時、目の前にはこちらを心配そうに見つめる真樹の姿があった。青年は動かす度にあちこち悲鳴を上げる己の体に顔をしかめつつ、椅子の上で姿勢を立て直して真樹と向かい合った。
「何だ? 何がどうなったんだ?」
「到着したんですよ」
そう答える真樹は平然と席についていた。服も乱れておらず、汗もかいていない。自分とは大違いだ。
青年は少しバツの悪い表情を浮かべた。
「気になさらず。ここに来る人は最初は誰だって混乱しますから」
そんな青年の心象を察してか、真樹がそれとなくフォローする。青年は苦笑を漏らしつつ、話題を逸らすように視線を窓の外に向けた。
「ところで、今俺達はどこにいるんだ?」
「もう着きましたよ。地の魔王の治める国の中です」
正確には地の国の検問の外です。真樹はそう言いながら、馬車の扉を開けた。青年も真樹に続いて馬車を降り、地面に足をつける。
「なんだこれ」
そして青年は怪訝そうに顔をしかめる。足を着けた地面は赤く、妙に弾性があった。それでいて瑞々しく、生きているように蠢いてもいた。
とても自然の大地とは思えなかった。
「どうなってるんだ? なんか柔らかいぞ。ここじゃこれが普通なのか?」
青年が真樹に問いかける。真樹は小さく笑ってそれに答えた。
「そりゃ柔らかいですよ。ここは腹の中なんですから」
「は?」
青年は耳を疑った。真樹は全身で向き直り、続けて彼に言った。
「ここはハブーン。地の魔王セスタの胃の中に作られた唯一の繁華街です」
地の魔王、巨人セスタは病的なまでに過保護な性格だった。彼は自身の統治する街がいつ外敵の侵略を受けるか不安で仕方なかった。無辜の住民が戦火に晒され、傷つき倒れていく事が耐えられなかったのだ。
そこで彼は外壁で街を囲み、検問を置いた。しかしそれでも彼の心は安まらなかった。次に彼は街の上を丸ごとフェンスで覆い、さらにフェンスを魔力障壁で包み込んだ。これで上空からの攻撃にも耐えられるよう、万全な備えを講じた。
それでもセスタは心配で仕方なかった。可愛い民草達をもっと効果的に守るにはどうしたらいいか、彼は今まで以上に悩み続けた。
そして不安とそこから来る心労がピークに達した時、彼は不意にあることを閃いた。もっとも馬鹿馬鹿しく、それでいて今まで以上に効果的な防御方法を。
彼はそれをさっそく実行した。彼は己の統治する街を大地ごと抉り取り、一息に飲み込んだのだ。そして街を腹の中に収めた後、彼は地の底へと潜っていった。
こうすれば誰からも襲われる心配はない。セスタは初めて安心を覚えた。そうしてハブーンは、「腹の中の街」として広く知られるようになったのである。
「やりすぎだろ」
そんなハブーンの成り立ちを真樹から聞かされた青年は唖然とした。スケールから発想から、その何もかもが彼の価値観から大きく逸脱していた。
「いや、馬鹿だろ。いくらなんでもそこまでする必要は無かった筈だ」
「あなたはそう思うかもしれないけど、セスタ様はそうじゃなかったのですよ。自分が手塩にかけて興した街を、下手な理由で潰されたくなかったんです」
「だから飲み込んだって言うのか?」
青年が苦々しい顔で尋ねる。その顔を見つめながら真樹が頷く。
青年は最後まで理解できなかった。どれだけ考えても、やり過ぎとしか思えなかったのだ。
「深く考え込まない方がいいですよ」
そんな青年の心境を察してか、真樹が彼に声をかける。青年は真樹に意識を向け、そして真樹は彼を見つめながら言葉を続けた。
「そもそもここは魔界なんです。人間界とは価値観も世界観も大きく違っているんです。そこに人間の物の見方を丸ごと持ち込むのはナンセンスと言わざるを得ません」
「じゃあどうすればいいんだよ?」
「だから全部受け入れるんです。理屈ごなしに否定するのではなく、それはそういうものだからと考えるのを止めるんです。そうでないと、この先やってられませんよ」
そう言ってから、真樹は愛想の良い笑みを浮かべた。だが口振りは真剣そのもので、青年は彼女のアドバイスを真摯に受け止めるしかなかった。
そんな彼らに声がかけられてきたのは、まさにその時だった。
「失礼します。勇者様ですか?」
声のする方に二人が目をやると、そこには一人の少女が立っていた。華奢な少女だった。小柄で、背丈は彼らの腰ほどしかなく、目元を包帯でぐるぐる巻きにしていた。
彼女が着ていたフリルの多いドレスもまた、この少女の幼さをより強調していた。とにかく、幼かった。
「あの、ひ、火の国から来られた勇者様なのですよね?」
その小さな少女は、辿々しい口調で二人に確認してきた。青年は突然の事に困惑したが、彼の横に立つ真樹はにこりと笑って彼女に答えた。
「はい。デルネス様の命により馳せ参じました。小坂真樹と申します」
「ああ、やっぱり勇者様なのですね。よかった」
真樹の言葉を聞いた少女は見るからに安堵した。それから少女は包帯越しに視線を青年に向け、少し眉をひそめながら真樹に問いかけた。
「あの、こちらの方はどちら様しょうか?」
「私の連れです。どうかお気になさらず」
「そうなのですか。わかりました」
真樹は青年の素性をぼかして答えた。青年はすぐに反論しようとしたが、少女が先に納得した声を上げたので、それ以上言うに言えなくなってしまった。
「で? この子誰なんだよ?」
その代わり、青年は真樹に近づいてこの少女の事を質問した。真樹は彼に顔を寄せ、小声でそれに答えた。
「セシルス様です。ハブーンの親衛隊長で、セスタ様の一人娘ですよ」
「魔王の娘?」
「そうです。ですからくれぐれも粗相の無いように」
真樹が釘を刺す。青年は小さく首を縦に振り、それから改めてセシルスに目を向ける。
「それでは早速で悪いのですが、今からお父様、ではなくて、国王セスタ様の元までご案内します。私について来てくださいね」
青年が目を向けると、華奢な幼女セシルスは二人にそう声をかけた。異国の勇者は二人ともそれに同意し、それを見たセシルスは「ご足労おかけします」と言ってから彼らに背を向けた。
しかしすぐに出発はしなかった。セシルスは動こうとはせず、代わりにその場に立ち止まったまま両手を腹に押し当てた。
それに気づいた青年が怪訝な顔を浮かべる。
「何してるんだ?」
「出発前の準備です」
「だから何をしてるんだよ」
「見ない方がいいですよ」
疑問に思う青年に真樹が声をかける。しかし彼女の忠告は、却って彼の好奇心に火を点ける結果となった。
青年は足音を立てないよう、ゆっくりとセシルスの横に回った。真樹は声を出さず、視線でそれを咎めたが、青年はお構いなしにセシルスの側面に立った。
セシルスは青年の動きに気づかなかった。背を丸めて両手で腹を抱え、苦悶の表情を浮かべていた。眉間に皺を寄せ、今にも嘔吐しそうな勢いで大きく口を開けていた。
「ん?」
青年が口元を覗き込む。それを横にセシルスがえづく。今にも吐きそうなくらい強烈に顔を歪め、何かを喉から出そうと腹に力を込める。
「おえっ」
そしてセシルスが何かを吐き出す。出てきた「それ」はセシルスの手の中にぽとりと収まる。
青年がそれに目をやる。
「は」
そして絶句する。
セシルスの手の中には二つの目玉が転がっていた。
「よいしょ」
目玉を片手に移し、セシルスがおもむろに包帯を取る。目があった場所にはぽっかりと穴が開いていた。
セシルスはそこに、今吐き出した目玉を填めていった。填め込まれた目玉は動作確認するようにぐるぐると動き、一通り動いた後でセシルスは短く「よし」と呟いた。
「なんだよそれ」
「だから見るなって言ったのに」
顔面蒼白になる青年を見ながら真樹がため息をつく。
一方でセシルスは驚く青年そっちのけで姿勢を戻し、真樹に視線を戻しながら口を開いた。
「お待たせしました。では行きましょうか」
自分は一生魔界には適応できないかもしれない。青年は醒めた顔を浮かべていた。