掴まれた勇者
魔界は大きく分けて四つのエリアに分けられている。それぞれ火の大陸、水の大陸、地の大陸、風の大陸である。そして名は体を表すの通り、それぞれが言葉通りの特徴を持っていた。水の大陸は大地の大半が水没し、風の大陸は大地が丸ごと宙に浮き、地の大陸は地下に国がある、といった具合である。
まるでゲームの世界みたいだ。小坂真樹は最初その説明を聞いた時、すぐにそう思った。ここに来て最初に受けた「授業」の中でこれだけは忘れずにいられたのは、その中身に親近感を抱けたからかもしれない。
そして真樹は今、その四つの大陸の一つである「地の大陸」に向かっていた。火の魔王直々の命を受けての出立である。真樹はメイドから勇者へと姿を変え、大勢の家臣やメイドに見送られながら旅路に出たのであった。
「勇者様、どうかお気をつけて」
「ご武運を勇者様」
「勇者様頑張れー!」
あちこちから激励の言葉が飛ぶ。真樹はこそばゆい思いを感じながら、城門を潜って外に出た。門のすぐ外には馬車が停められており、真樹はそれを使って地の大陸に向かうのである。
なお、その馬車は馬も車も盛大に燃え盛っていた。火の大陸に属する物は、一部の魔族を除いて基本的に燃えているのである。
「では勇者様、お乗りください。快適な旅をご提供しますよ」
御者も燃えていた。彼は車に乗ったまま被っていた帽子を手に取り、軽く一礼した。帽子も燃えていた。
見慣れた光景だった。真樹は愛想良く笑い、そして「よろしくお願いしますね」と答えながら馬車に乗り込んだ。足場も燃えていたが、真樹の靴や脚に火が燃え移る事は無かった。
「ま、待て。本当にそれに乗るのか?」
しかし真樹が中の椅子に腰掛けたとき、外から弱気な声が聞こえた。真樹が窓越しに外を見ると、馬車のすぐ横で一人の青年が怯えた顔を見せていた。
人間界から送り込まれてきた二人目の勇者は、燃え盛る馬車を前に後込みしていた。
「大丈夫なのか? 火が移ったりしないのか?」
青年は顔面蒼白となっていた。御者は「そんなことありませんよ」と呆れたように返し、真樹も同意するようにうんうんと頷いた。
「馬車が燃やすのは敵だけです。あなたも勇者様とご一緒に彼方へ向かうのでしょう? お客人を燃やすなんて無粋な真似は致しませんよ」
この時、自称勇者のこの青年は、周囲からは「真樹の付き人」と認識されていた。魔王デルネスが説明を面倒くさがり、家臣に向けて適当に説明した結果がこれであった。
「さ、お早く。時間は待ってはくれませんよ」
御者が催促する。それでも青年の膝は盛大に笑い、顔からは脂汗を大量に流していた。
それを見た真樹が軽く手招きをした。
「どうしたんですか? 行きましょうよ」
青年は生唾を飲み込んだまま微動だにしなかった。顔は怯えきり、後ずさりすら始めていた。
それを見た御者と真樹は、「これはまだ暫くかかりそうかな」と思った。しかしその青年は、彼らが思うほど軟弱者では無かった。
「くそ、やってやる! やりゃあいいんだろ!」
青年が叫び、一息に馬車に駆け込む。力任せに扉を開け、真樹の向かい側の椅子にどすんと腰掛ける。
尻が椅子についた瞬間、青年は苦痛を耐えるように目を閉じ、眉間に皺を寄せた。歯を食いしばって体を強ばらせていたが、その内全く熱くない事に気づき始めた。
「あれ、これ……」
「ね? 平気でしょう?」
予想外の出来事に呆然とする青年を見て、真樹がクスクス笑いながら声をかける。青年は真樹を見やり、暫し呆気に取られた顔を浮かべる。
「いや、これは、その」
「では行きますよ。揺れにご注意を」
しかし青年が何か喋ろうとした刹那、御者が勢いよく鞭を振るった。燃え盛る馬が盛大に嘶き、前脚を大きく持ち上げる。
「おっと」
「うわっ!」
そして馬車が走り出す。馬が駆け出した直後、真樹と青年を乗せた車は大きく揺さぶられた。
この馬車に慣れていた真樹は何とか耐えられた。しかし青年は不意打ちを食らい、地面に顔から衝突した。
真樹は小さく笑ったが、嘲ったりはしなかった。自分もこの馬車に最初に乗った時は、彼のように大きくこけたからだ。
「大丈夫ですか? この馬、結構気性が激しいんですよ」
そう言いながら、真樹が手を差し伸べる。鼻を押さえながら起き上がった青年は真樹の顔を見上げながら、彼女に問いかけた。
「これの事、詳しいの?」
「何度か利用してますから」
そう言って真樹は微笑んだ。青年はバツの悪い顔を浮かべながら、彼女の手を取った。
馬車が激しく揺れたのは最初だけだった。その後は眠りを誘う小気味良い振動に変わり、順調に地の魔王の治める大陸へ向かっていった。
そしてその間、二人の勇者は互いの事をあれこれ話し合うようになっていた。転んだ青年を真樹が助け起こしたのが、二人の無意識に抱いていた警戒心を氷解させる切っ掛けとなったのだ。
「へえ、そうなんだ。面白いね」
「こっちじゃ普通の事なんです。確かに変わってるかもしれませんけどね」
目的地に着いた馬車が止まる頃には、二人はすっかり打ち解けていた。そして馬車が唐突に停止した事を受け、二人はそこで会話を中断した。
「なんだ? トラブルか?」
「着いたみたいですね」
困惑する青年の横で、真樹が達観したように呟く。その時、ここまで彼らを連れてきた御者が窓のすぐ横に姿を現した。
「目的地に到着しました。じゃ、私はこれで失礼しますよ」
御者はそれまで馬車を引っ張っていた馬の一頭に乗っていた。そして彼はそれだけ告げると馬に鞭をやり、一目散に何処かへ走り去っていった。
「逃げた!?」
「大丈夫。私達はちゃんと目的の場所に着いてます」
驚く青年を真樹が窘める。青年は窓の外に目を向けたが、そこは辺り一面不毛の荒野となっていた。
町や城といった物は一つも見られない。本当にここで合っているのか?
「地の国は地下にあるんです」
不安にかられていた青年に真樹が声をかける。青年は窓から視線を外し、振り返って真樹を見ながら問いかける。
「どういう意味だ?」
「これから私達は地下に潜るんですよ。ここは言ってしまえば、地下行き用の特等席と言うわけです」
「地下だって?」
再度青年が外に目をやる。階段や梯子の類は一つも見られない。
「どうやって降りるんだ?」
青年が真樹を見る。真樹はくすくすと笑い、そして「まずは席について」と促してから声を放った。
「揺れますから、どっしり構えていてくださいね」
「どういう意味だよ」
「言葉通りです。天井に頭をぶつけたくなかったら、私の言う通りにしてください。いいですね?」
真樹の顔はとても楽しそうだったが、口振りはいたって真面目なものだった。青年は素直に彼女の忠告に従い、席に戻り、脇にある取っ手を掴んだ。
馬車が揺れたのは、その直後だった。
「なんだ!」
「来た」
馬車は縦に揺さぶられていた。それが青年の混乱を更に助長した。
「なんだ! 今度は何が起きてるんだ!」
その青年が真樹に問いかける。真樹は微笑みながら彼に言った。
「地の魔王様が私達を連れて行ってくださるんです」
意味が分からなかった。青年は恐怖と混乱のあまり、外の光景に意識をやる余裕が全く無かった。
だから自分の身に何が起きているのか、まるでわからなかった。
地面から生えた巨大な腕が馬車を鷲掴みにしていた。
青年は最後までそれに気づかなかったのだった。