二人目の勇者
買い出しから帰ってきた二人がその客人に気づいたのは、彼女達が一階メインホールに足を踏み入れた直後だった。火の魔王デルネスの城は広く、正面玄関と繋がるホールもまた例外ではなかった。そこを守る衛兵も二人しかおらず、人の往来も少ないので、そこに見ず知らずの人間がいれば嫌でも目に付くのであった。
「だから私は、ここに勇者に会いに来たのだ。その勇者が不在とはどういうことだ? 教えてくれたまえよ」
しかもその「赤の他人」は、二階に続く階段の横に立っていた衛兵の一人に詰め寄っていた。鎧を着込み槍を携えた衛兵はうんざりした顔でその男を見つめ返し、自分から話そうともしなかった。階段を挟んで反対側に立っていたもう一人の衛兵も、客人に対してうんともすんとも言わなかった。
「おい、あそこ」
「む? もしや」
しかし真樹達が戻ってきたのを知ると、すぐに彼女達に視線を移した。その顔は明らかに嬉しそうであった。
「おお、帰ってきたか」
「今日も大量であろうな」
その態度は、それまで件の客人に向けていたのとは真逆のものだった。そんなあからさまな変化を見て客人は不平そうに顔を渋らせたが、衛兵は気にすることなく自分達に近づいてくる真樹達に
声をかけた。
「今日は勇者様もご一緒でしたか。道中、何か危険な目には遭いましたかな?」
「ちょっと魔族の人を鎮めてきました。蛇頭の人なんですけど」
「なんと。血石は摘出したので?」
「こちらに」
真樹が懐から白色の塊を取り出して見せる。真樹のメイド仲間と衛兵達の三人は一斉にそれを見つめ、そして三人ともが苦い表情を浮かべた。
「これが我々の体内に出現するのか……」
「いつ見てもおぞましい……」
「なんだ話せるのか。ならばいい加減、私の質問に答えてくれないか。話せるというのに無視するとは、いい度胸じゃないか」
それから衛兵二人が感想を述べると、今度はそれに反応するように件の「客人」が声を上げた。彼以外の四人は同時に「客人」に意識を向け、真樹と彼女の連れはそこで初めて「客人」の細かい容姿を認識した。
青い革の服の上から赤いマントを羽織った、茶髪の青年だった。腰に剣を提げ、反対側の手には盾を持っていた。体つきは非常に屈強で、服越しにも筋肉質なのが見て取れた。
何とも勇者のような格好をした男だった。
「こちらの方は?」
そんな事を思いながら、真樹が衛兵に問いかける。衛兵は困った表情をしながら、真樹とその連れを交互に見やった。
「それがこちらでもわからないのです。本人は自分は人間界で選ばれた勇者である、と言っているのですが……」
「こちらにはそのような話は全く来ていないので、信じていいのか正直わからんのです。今他の者に確認を取らせています。とにかく素性がわかるまでは、彼にはここで待っていただく事にしています」
本当に勇者なのか。真樹は軽く驚いた。そして同時に、自分以外に召喚された人間が入るのかと興味を持った。
「あなた、もしかしてあなたも召喚されてきたんですか?」
そして即座に真樹が問いかける。自称勇者は真樹の方を向き、首を横に振りながらそれに答えた。
「それは違う。私はちゃんとこちらの世界で生まれた者だ。君と同じ、この世界の出身だ」
どうやらこの男は、真樹を「普通の魔界人のメイド」と思っているようだった。真樹がどう答えようか考えていると、隣にいたメイド仲間がすぐに言い返した。
「この子は違いますよ。別の世界から来た勇者様なんです。今はワケアリでメイドやってるんですけどね」
「なんだと。本当なのか?」
男が真樹に問いかける。真樹は少し困ったような顔をしながら、それでも控えめに頷いた。
「本当なのか?」
疑わしげな表情をしながら、男が周りに問いかける。衛兵もメイドも揃って首を縦に振った。
「なんと……」
それから再び男が真樹を見る。メイド姿の真樹は恐る恐ると言った感じで男を見つめ返す。
「なんとも貧弱な娘だな」
勇者は明らかに残念そうな顔をしていた。
確認に向かっていた兵士が彼らの元に戻ってきたのは、そのすぐ後だった。結論から言うと、マントを羽織った彼の言っていることは全て本当のことであった。彼はこの世界の住人であり、血石を破壊する勇者として魔界に来たのである。
「そんな話は聞いてないぞ。勇者様は一人だけのはずだ」
「それが、これは救世協会の意向ではなく、そこに所属している国の一つが独断でやったことらしくて。それで情報の精査や伝達が遅れていたようなのです」
衛兵に詰め寄られ、その兵士がおどおどしながら答える。勇者と名乗る男は得意げに胸を張り、「どうだ」と言わんばかりにドヤ顔をしてみせた。
「どうしてこんなことしたんだ? 協会の意志を無視して独断専行なんて、いくらなんでも……」
「功績が欲しかったんじゃないのか? 勇者様の手を借りなくても、自分達だけで事態を収拾できるんだぞって自慢したかったんだろ。本当はどうなのか知らんが」
だが衛兵はその勇者に反応せず、二人であれこれ邪推を始めていた。メイドは真樹に邪険な態度を取った勇者をジト目で睨みつけ、真樹はバツの悪い顔で明後日の方向を向いていた。
勇者を好意的に意識している者は一人もいなかった。
「それと勇者様。デルネス様がお呼びでございます」
「魔王様が?
「手伝って欲しい事がある、とのことです。帰ってきたばかりで恐縮なのですが、何卒お願いいたします」
一方で伝えに来た兵士は真樹にそう告げた。彼も彼で、闖入者の勇者に対して欠片も意識を向けていなかった。
「魔王様はなんと?」
「それが、直接会って話がしたいとのことで。お願いします」
「わかりました。向かいますね」
真樹が頷き、兵士が再度頭を下げる。真樹の隣にいたメイドが真樹の持っていた紙袋を受け取り、「行ってきなよ」と告げる。
「こっちでやっとくからさ」
「ありがとうございます」
「いいって、いいって。デルネス様の頼みは断れないからね?」
メイドにそう言われた真樹は、それからまっすぐ魔王の座へ向かっていった。仲間のメイドは去り行く背中に手を振り、衛兵二人もそれに気づいて真樹に激励を送った。
誰も二人目の勇者に意識を向けてはいなかった。
「地の魔王の治める地で問題が起きたらしい。偵察兵も差し向けたが、全く音沙汰がない。済まんが、お前には彼の地に赴いて状況を調査して欲しいのだ」
それが火の魔王、デルネスの要請だった。魔王の座で彼の前にひざまずきながらそれを聞いていた真樹は、すぐに顔を上げてそれに答えた。
「かしこまりました。直ちにそこに向かい、何が起きているのかを確認してまいります」
「頼むぞ、勇者よ」
「しかし、ここは本当に暑いのだな。いったいどうなっているのだ?」
しかし真樹が応答し、デルネスがそれに反応する。そしてその一方で、真樹の隣にいた「二人目の勇者」は見るからに暑苦しそうに顔をしかめていた。
彼らのいた魔王の座は溶岩流の上に足場を置いたような作りをしていた。おかげで四方八方でマグマが沸騰し、足下からは絶えずゴボゴボと煮立つ音が聞こえてきていた。
とにかく熱かった。その男の勇者はサウナに閉じこめられたかのような息苦しさを感じていたのである。
「水は無いのか? こんなに熱くてはやってられん。誰か水を持ってきてくれないか?」
「おい、あいつは何をしに来たんだ?」
「人間界の勇者らしいぞ。とても頼もしいとは思えんがな」
熱に強い耐性を持つ溶岩鬼が、その勇者を見ながら愚痴をこぼしあう。魔王の世話係であるこの子鬼二人組は、まるで風呂に浸かるかのように溶岩に半身を沈め、澄まし顔のまま悠長に話し合っていた。
「使えるのか? 役に立つのか?」
「無理だろ。マキ様の足を引っ張るのがオチだ。あんなヒヨッコに何が出来る」
「無礼者め! この私を侮辱するというのか!」
しかしそのゴブリンのやりとりは、男勇者の耳にしっかり入っていた。彼は顔をマグマと同じくらい真っ赤にし、あれこれ言ってきたゴブリンを睨みながら大声で言い放った。
「この私に出来ない事はない! 不可能はないのだ! そうやって勇者の力をみくびっていると、いつかお前達も痛い目を見ることになるぞ!」
「それで? その男はなぜここにいるのだ?」
そこでようやく、デルネスが男勇者に意識を向ける。魔王から声をかけられた彼は、一転して満足そうな表情を浮かべた。自分も勇者として認められていると思いこんだのである。
実際はデルネスもこの時まで、彼の存在を眼中の外に置いていただけであった。
「私も勇者として、火の魔王に謁見したいと思っていたのだ。だから私はこうしてここにいる」
男勇者が答える。不遜な態度だった。デルネスが感情を押し殺しながら続けて問いかける。
「我は貴様を呼んだ覚えはないぞ」
「勇者を止められる者はいない。例え王であろうと、魔王であろうと、勇者の道を阻むことは出来ないのだ」
「……本気で言っているのか?」
「何か問題でも?」
男勇者はどこまでも唯我独尊を地で行った。真樹はデルネスが激怒しないか心配になり、マグマゴブリン達は逃げるように溶岩の中に潜っていった。
そしてデルネスは口を僅かに開け、歯の隙間から炎を噴き出し始めた。四本の脚で立ち上がり
、体表からマグマを垂れ流しながら巨体を揺らす。
熱を帯びた風が吹き始め、部屋の温度が急激に上がっていく。明らかに機嫌を損ねていた。
「お待ちを、魔王様。ここで暴れてもなんにもなりません」
しかしすんでのところで、真樹がデルネスを説得する。デルネスは真樹の方を向き、真樹はその顔を見返しながらデルネスに言った。
「どうか、怒りをお鎮めください。魔王たるもの、容易く感情に流されてはなりませぬ」
「……お前がそう言うのなら」
真樹の説得を受け、デルネスの怒りは緩やかに鎮火していった。真樹の文字通り体を張った活躍には、魔族達はこれまで幾度となく助けられていた。魔王であるデルネスも例外ではない。
その事もあって、デルネスは真樹に対しては強く出る事が出来ずにいたのだ。
「好きにするがいい」
「ありがとうございます」
熱波が収まっていくのを肌で感じた真樹は、すぐに胸をなで下ろした。隣にいた男勇者は訳が分からず目を泳がせていた。
「人間の勇者よ。貴様も好きにするがいい。何をしようが我は咎めぬ。その代わり、己の行動には己が責任を持つようにせよ」
そして投げ遣り気味にデルネスが言い捨てる。男勇者は強がるように「当然であろう」と胸を張って答え、真樹は「余計なこと言うな」と言わんばかりに顔を渋らせていた。
そして真樹はこの時、自分がこの後も災難に見舞われる事を知らずにいた。