日常の勇者
食材の調達もまたメイドの仕事である。彼女達は日毎に買い出し係を決め、その日の担当が城下町で料理人の要求してきた食材を買ってくるのである。
城下町の市場は火の魔王のお膝元だけあって、魔界に存在するあらゆる食材が手に入るようになっていた。中には人間界で作られた野菜や肉もあり、まさに「無い物は無い」ときっぱり断言できる程の品揃えを誇っていた。
そしてこの日は、小坂真樹が買い出し担当の一人となっていた。不死の勇者とし召喚された彼女もまた例外では無いのだ。
「勇者様! やっちまえ!」
「行け! ねじ切れ!」
そして今まさに、勇者・小坂真樹は市場の商人の手足をもぎ取っていた。
「いい加減にしろ!」
真樹が本能のままに吠える。うつ伏せに倒した相手の背中を足で押しつけ、姿勢を低くしながら蛇人間の四肢を力任せに引きちぎる。
直後、人の体と蛇の頭を持ったその商人が悲鳴を上げる。その目は黒く濁り、理性の光を失っていた。
「やった! 決まった!」
「血の雨が瑞々しいぜ!」
その様を見た野次馬が熱狂する。真樹が「いらない」とばかりに手足を投げ捨てると、群衆は我先にそれを奪い合う。野次馬の中には鎧に身を固めた警護の兵士もいたが、彼らもまた職務を投げ捨て、本能のままに真樹の暴れる姿を見て狂喜していた。
そんな群衆に取り囲まれた中で、真樹が蛇人間の背中から足を離す。そして間髪を入れずに、その蛇人間の背中に手刀を叩き込む。
蛇人間が苦悶の表情を見せる。
「見つけた」
一方で真樹は会心の表情を見せる。彼女は額に汗を浮かべ、顔をべったりと血で汚しながら、背中に突き刺した手を勢いよく引き抜いた。顔と同じくらいに血で塗れたその手には、白い石のような物体が握られていた。
血石だ。
「終わり!」
その場に座り込みながら、血石を持つ手を高々と掲げる。それを見た野次馬は同調するように歓声を上げ、喜びの渦の中で蛇人間が意識を無くしてその場に倒れる。
小坂真樹の勝利が決定した瞬間であった。
「勇者様、是非見せたい物がございます」
そこに彼の四肢を持った野次馬の一団が駆け寄ってくる。彼らは全員が期待に目を光らせ、それぞれが手にしていたパーツを真樹に差し出した。
「これでいいですか?」
「ええ、大丈夫です。わざわざありがとうございます」
「いえそんな、当然の事をしたまでですよ」
「それでも助かったのは事実ですから。本当にありがとうございます」
彼らが差し出した四肢を見て、真樹はすぐに頷き礼を述べた。それを見た彼らは見るからに嬉しそうな表情を浮かべ、そそくさと蛇人間の側に四肢を置いて彼女達の元から離れていった。周りの面々はそんな彼らを、羨望と嫉妬の入り交じった視線で見つめていた。
「いいとこ取りしやがって」
「へへ、早い者勝ちだぜ」
小坂真樹は勇者として、己の身を省みずに自分達の奇病を治そうと奮闘していた。今でさえ、見ず知らずの商人を助けるために、正面からぶつかっていっていた。
そんな彼女の姿は、当の魔族にとってはまさに救世主のように映っていた。特に彼女と馴染み深い火の大陸の住人は、他の大陸の者達に比べてより強く彼女を神聖視している傾向があった。
そんな勇者と直接話をしたいがために、彼らは死に物狂いで蛇人間の手足を奪い合っていたのである。本来被害者である蛇人間は、勇者と堂々と対話をするためのダシに使われた訳である。
「どうだい? 治せそうかい?」
「一週間もすればくっつくだろう。それまでは絶対安静だね」
しかし当の蛇人間はそんな事など露知らず、やってきた町医者に自分の傷の具合を尋ねていた。一度意識を失い、再び理性を取り戻した頃には、自分の手足が無くなっていたのだ。当然ながら彼はショックを受け、その顔は見るからに青ざめていた。しかしそれでもヒステリーは起こさなかった。
「すまんね勇者。変に手間を取らせてしまったようだ」
それどころか、彼は真樹に対して謝罪までした。一方で真樹はそれに対して「おあいこですよ」と答え、そのまま自分の腹を指さした。
真樹の腹には大きな穴がぽっかり開いていた。
「あなたがぶち抜いたんです。だからあなたが気に病む必要はありませんよ」
「なるほど、確かにおあいこだな」
蛇人間が小さく笑う。真樹もつられて小さく笑う。それから蛇人間は医者の持ってきた担架に手足と共に乗せられ、診療所へと運ばれていった。
野次馬もそれに併せて散っていき、それぞれが元の生活を再開していく。衛兵も持ち場へ戻り、やがて市場に元通りの活気が戻っていく。
「マキ、立てる?」
そして最後まで座り込んでいた真樹に、同僚のメイドが手を差し伸べる。真樹と共に買い出しに来ていたそのメイドの手を、真樹はしっかりと掴んだ。
「今日も絶好調ね」
「ただのごり押しですよ」
メイドの手を借りて立ち上がりながら、真樹がメイドの問いかけに答える。彼女の体は血で真っ赤で、腹にも穴が開いたままだったが、真樹も周りの連中も、誰もそれを気にかけなかった。
魔族は細かい事は気にしない性質だった。そして真樹も、すっかりその空気に毒されていた。
「さて、それでは買い物再開と行きましょうか。他のお店を回った方がいいかもしれませんね」
「そうね。まあ何とかなるでしょ。お店はたくさんあるんだし」
そしてそんな酷い格好のまま、真樹と同僚メイドは共に買い出しを続行した。腹の穴は買い物の途中で勝手に塞がっていき、血も乾いて目立たなくなった。
誰も気にしなかった。
「じゃあこれとこれと、これください」
「はいよ。これでいいかい?」
「ありがとうございます。あとついでにこれもください」
メイド二人の買い出しは、いつも通り平和に終わっていったのだった。
そんな彼女達の元に客人が来たのは、彼女達が城に帰ってきた後の事だった。




