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一度死んだ勇者

 小坂真樹こさかまきは最初、目の前の光景が理解できなかった。ここがどこで、自分がなぜここにいるのか、それすらもわからなかった。


「おお、成功だ!」

「やった、やったぞ! これでまた勇者様を戴ける!」


 目の前で、フードを被った男達が何事か騒いでいる。部屋は薄暗く、周りに置かれた燭台の灯が頼りなく室内を照らしていた。

 そしてその暗い部屋の中で、自分は丸い台の上に座り込んでいた。


「なに、これ……? どうなってるの……?」


 意味がわからなかった。何もかもが理解不能で、真樹は頭が痛くなってきた。


「おい、騒ぐのもそこまでにしろ。かの者が混乱しておられる」


 そうして頭を抱える真樹を見て、男の一人が取り巻きを窘めた。彼もまたフードを目深に被り、その素顔を知ることは出来なかった。


「お初にお目にかかります。我々は魂呼びの使徒。あなたをこの世界に呼び寄せた者であります」


 そしてその男は続けて真樹に向き直り、彼女にそう告げた。一方でいきなりそんな事を言われた真樹は困惑した。


「は? 何言ってるんですか?」

「あなたは元いた世界で命を落とし、その魂はそのまま死後の世界へと旅立ったのです。我々はそこに介入し、あなたの魂をこちらに召還したのです」

「え、え?」


 真樹はますます混乱した。目を泳がせ、口を開け、額から汗を流し始める。

 それを見たフードの男は一つ息を吐いた。それから「戸惑うのも無理はありますまい」と告げ、そのまま彼女に言葉を放った。


「いきなりあなたは死にましたと言っても、理解は出来ないでしょう。当然の事です。ですが貴女の心には刻まれているはずだ。視界が真っ黒になる前に何を見たのか。貴女がどのような目に遭ったのか」


 そう言われ、真樹は苦い顔を浮かべた。その後も男は「さあ思い出して」と催促するので、真樹は彼から視線を逸らして意識を内に向けた。

 そしてすぐに思い出した。ここで目を覚ます前、自分が何をされたのかを。


「私、確か車に……」


 道路に飛び出した子供を助けようとして。

 子供を助けた後、真横から車が迫ってきて。

 そして。


「……!」


 全て思い出した。同時に自分がどうなったのか、本能で察した。

 即死だ。自分は死んだのだ。


「ああ、私、私……!」

「……」


 自分が死んだことを知って、真樹はそれまで以上に取り乱した。台から飛び退き、背中が壁にぶつかるまで後ずさる。

 男達は何も言わなかった。彼女を追おうともしなかった。その内、男の一人がゆっくりと口を開いた。


「心中、お察しします。悲嘆に暮れても当然でしょう。自分の死を自覚して、錯乱しない者はおりません」


 真樹はその男を見つめた。顔は青ざめ、額からは大量の汗を流し、心臓は爆発しそうな程に激しく脈動していた。

 しかし永遠に続くかに見えたその混乱も、やがて終息していった。汗は次第に止まり、動悸も収まっていく。自分の心が今の状況を受け入れつつある。

 人間の持つ適応性、いわゆる「慣れ」というものを、真樹は生まれて初めて自覚した。


「我々がそんな貴女をここに呼んだのは、他でもありません。我々は貴女に、勇者の素質を見いだしたのです」


 そうして落ち着きを取り戻しつつあった真樹に向けて、男が真剣な口調で語りかける。茶化しているようには思えないその語り口を受けて、真樹は一歩前に踏み出した。


「勇者? 私が?」

「そうです。貴女には、勇者としての素質がある。だから我々は貴女をこの世界に召還した」

「でも私、剣とか振った事無いし。テニスはしてたけど、言うほど体力も無いし……」

「我々が注目したのは貴女の心です。明るく前向きで、希望を失わず、常に誰かのために動く。貴女のそんな光の心に、我々は強く惹かれたのです」


 男は恥ずかしげもなく言ってのけた。真樹は戸惑ったが、強く否定はしなかった。

 それどころか、男のその荒唐無稽な話を受けて、彼女の好奇心が勢いよく鎌首をもたげ始めた。


「それってつまり、私の心が勇者にふさわしかったって事なの?」

「そういうことです。我々にとっての勇者とは、絶対の力ではなく、優しい心を持った者のことを指すのです」


 真樹の問いかけに男が答える。それを聞いた真樹は、ますます己の知的好奇心を促進させていった。


「そうだったんだ。じゃあでも、どうしてあなた達は勇者を必要としているの? それに勇者候補とか、自分達の世界でどうにかならなかったの?」

「ああ、そうですね。まだこちらの世界について説明していませんでしたね。ではまず、それから順を追って説明するとしましょう」





 真樹の質問を受けて、男達は初めて自分達の説明不足に思い至った。それから彼らは、初心者の真樹にこの世界の有り様を話し始めた。


「我々の世界では、長いこと戦争がありました。人間と魔族による、長い戦争です」

「魔族って、モンスターみたいな人達のこと?」

「そうですね。確かに人間にしてみれば、魔族はモンスターのようなものですね。とにかく人間と魔族は長い間戦っていたのですが、それもついに終わりを迎えたのです」


 人と魔族は、それこそ何千年、何万年も前から戦っていた。しかし長いこと戦っている内に、両者はやがて「何故自分達は戦っているのか」という、一番大事な部分を失念していった。

 忘却は世代を経るごとに深刻になっていった。そして今ではもう、その「両者の開戦に至る明確な理由」すらもわからなくなっていた。彼らはもはや明確な意思も目的も持たず、ただ祖先から続く「漠然とした怨恨」に従って、漫然と闘争を繰り広げていた。


「ここで戦いを止めては、ご先祖様に申し訳が立たない。もしくは今ここで止めたら、今まで投下してきた資源や資金、人員や時間が全て無駄になって仕舞う。そう考えてもいたのでしょう。今まではそうやって戦い続ける事も出来た。でもそれも限界が近づいてきた」


 二つの種族がそれに疲れ、それを無意味と悟るのに、長い時間はかからなかった。


「そこまで来て、人と魔族の中で同時にこんな考えが出てきた。もう無理だ。これ以上争うのは止めよう。もうこんな無駄な事は止めにするべきだ。これからは種族の復興と進歩に力を注ぐべきだ、と」

「それで、そのまま終戦した?」

「もちろん反対する勢力もいました。ですが戦争を望む者よりも、嫌がる者の方が大多数を占めた。それだけ彼らは戦争に倦み疲れていたと言うわけです」


 終戦協定はスムーズに進んだ。そしてそのまま、両者は共存の道を進む事になった。

 人も魔族も、その意向を歓迎した。王侯貴族から庶民に至るまで、そのほぼ全てが憎しみの感情を捨て去った。第一種戦時体制を何千年にも渡って継続してきた反動が、彼らの心から恨み辛みを吹き飛ばしたのだ。


「物資の欠乏。貧困。徴兵。貴族も平民も等しく全てを奪われた。立派なのはガワだけで、どっちも素寒貧。おまけにそんな状況になってまで戦う理由さえもハッキリとわからない。こんな状況で戦争を続けようといきり立つ者は、そうはおらんでしょう」

「でも親しい人を殺されて、怒る人もいたはずじゃ……?」

「当然おります。でも我々の場合は怒りよりも先に、悲しみが前に出てきたんです。何でこうまでして苦しまなければならないのかと。それだけ辟易していたと言うわけですよ」


 だから庶民レベルでの両者の融和も、予想以上にすんなりと済んだ。トラブルが無かったわけでは無いが、差別意識からの悲惨な事件が起こる事も無かった。共存は順調に進んだ。


「ですが、それでも問題は起こるものでして。具体的に申しますと、終戦以降に魔族が急に暴れ出す事件が続発したのです」

「急に?」

「はい。何の前触れもなくです。もちろん原因はわかっております。彼らの中に、血石けっせきと呼ばれる物質が出現したからなのです。それが魔力を放出し、魔族を凶暴化させているのです」

「どうしてそれが出来るのかはわかってるの?」


 真樹のその言葉に、男は黙って首を横に振った。


「いえ、それが全く。何故それが魔族の体に生まれるのか、全く見当もつかんのです」

「それじゃあ、根本的な原因の解決にはならないじゃない」

「その通りです。血石を取り出して鎮めるという、その場しのぎの解決しか出来ないのです」


 そこまで言って、男が続けて口を開く。


「さらにタチが悪いことに、その凶暴化した魔族は非常に強く、我々の手には負えない存在なのです。凄腕の戦士をかき集めても、その内何名かは必ず命を落とす。それほど強くなるのです。おまけに何故彼らの中に血石が生まれるのか、それすらもわからない」

「戦えば戦うほど、強い人がいなくなっていく?」


 真樹が問いかける。男は頷き、続けて口を開く。


「そうです。正直に言って、八方塞がりなのです。現時点で相当数の戦士が散っており、我々だけではどうしようも出来なくなっているのです」

「そこまで酷いの……?」

「そうです。だから我々は、あなたを呼んだのです。一度命を落とし、魂のしがらみから解放された貴女を」


 そこまで言って、男は再び頷いた。真樹はその男の最後の言葉の意味が理解できなかった。

 そして次の瞬間、男達は一斉に真樹に向かって土下座した。


「虫の良い話であることは重々承知しています。ですがお願いでございます。勇者となって、我らのために戦っていただきたいのです!」

「え、あ、その」

「お願いでございます!」


 溺れる者は藁にも縋る。台を挟んで映る男達の姿は、まさにその諺通りのものあった。その必死さは、真樹の心に十分過ぎるほど伝わった。


「ええと、その……」


 真樹は即答できなかった。目を逸らし、困ったように頬を掻いた。


「そ、その、私で良ければ。お手伝いします……」


 だが拒絶も出来なかった。確かに真樹は困っている人間を放ってはおけない性分であった。だがそれ以上に、「押し」に弱かった。


「どこまで出来るかはわかりませんけれど。私で良ければ」


 お前は他人に流され過ぎだ。相手を甘やかしすぎる。そう言われた事も一度や二度ではない。そして真樹も、自分の性格を自覚していた。

 だが結局、彼女は己の性格を矯正出来なかった。困っている人を前に見て見ぬ振りが出来る程、彼女は冷たくはなれなかったのだ。


「勇者に、なります」


 そうして断りきれないまま、真樹が言い切る。直後、平伏していた男達は顔を上げ、おもむろに立ち上がり、そして喜びを爆発させた。


「やった! やったぞ!」

「承認してくださった! なんと頼もしい事か!」


 自分よりも背丈のある男達が、手を叩き合って喜んでいる。その子供じみた光景を前にして、真樹の心も嬉しさで満たされていった。


「では、小坂真樹様。早速ですが、これをお受け取りください」


 そうして自然と顔をほころばせていた真樹に対し、男の一人が一振りの剣を差し出す。それは黒塗りの鞘に納められた、細身の剣だった。


「これが、勇者の剣?」

「癒しの剣でございます。暴走する魔を鎮め、血を祓う聖なるつるぎです」


 剣を両手に載せた男が一歩前に踏み出し、その場で恭しく跪く。残りの男達も同じ姿勢を取り、頭を垂れる。

 真樹は恐る恐る、その男に近づいていく。台を踏み越え、男の差し出す剣を受け取る。


「軽い」


 それが剣を持った最初の感想だった。大きさはテニスラケットよりも一回り大きかったが、その重量はそれに比べてずっと軽かった。


「鞘から引き抜いて、刀身をご確認ください」


 男に言われるまま、真樹が柄と鞘を持って剣を引き抜く。やがて刀身が完全に露わとなり、真樹は片手で鞘を持ったまま、それの切っ先を真上に向けた。

 銀色に輝く、綺麗な刃だった。それはいわゆる「片刃剣」であり、自分から見て左側が鋭く研ぎ澄まされていた。

 そしてよく見れば、その刀身は僅かに左向きに反れていた。さらによく見ると、刃が鋸のようにギザギザになっていた。


「日本刀?」


 真樹が思わず呟く。男達は真樹の言葉の意味を測りかねたが、すぐに気を取り直して真樹に言った。


「まあ、いいでしょう。とにかく、次は実戦です。早速ですが魔族との戦いに慣れていただきましょう」

「え?」


 突然過ぎる提案に、真樹は剣から目を離して男を見た。男は申し訳なさそうにフードの上から頭を掻きつつ、そのまま真樹に声をかけた。


「いきなりで本当に申し訳ないのですが、やはり習うより慣れろと言うことで。それにこの世界での貴女の能力を知っておくのも速い方がいいかと思いまして」

「え、でも、そんないきなり。私初めて剣握ったんだけど」

「大丈夫。剣が教えてくれますよ」


 そう言った直後、男達の姿が一瞬で消えた。正確には彼らの着ていたローブだけを残して、中にいた男達だけが消失したのであった。


「すぐにコーチがいらっしゃいます。ご武運を」


 どこからか声が聞こえる。ここから消え去った男の声だ。声はそのまま薄暗い室内に響いた。


「ついでに言っておきますと、ここ以外にも練習部屋はいくつかありますので。ここでの訓練が終わりましたら次の部屋に移ってください」

「なにを……!」


 真樹はその言葉に反論しようとした。しかしそこまで言ったところで、どこからか物音が響いた。

 真樹の意識はそちらへ向かった。彼女は無意識の内に言葉を止め、そちらに目を向けた。

 そして後悔した。


「お前が今回の勇者か」


 柱の陰から出てきたのは、見るからにそれと分かる「狼男」だった。ふさふさとした体毛の下に筋肉の鎧を着込み、その体躯は縦も横も真樹の二倍はあった。

 その狼男が真樹を見つける。彼は金色に輝く瞳で真樹を睨みつけ、動けない真樹にそのまま言い放った。


「構えろ。早速だが稽古をつける」





 結論から言って、真樹はその部屋だけで五百回死んだ。

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