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優しい勇者

 勇者。それは理性を失った魔物を鎮める存在。輪廻の彼方から現れ、常に慈悲を以て戦い、人と魔の絆を繋ぎ留める者。

 光の救世主。

 この世界の住人は、勇者と言うものをそのように認知していた。しかしその大半は、その勇者がどのような戦いをするかは全く知らなかった。何故なら彼らの知る勇者は、この世界に召喚されてすぐに魔界へと送られたからだ。

 だから彼らは勇者を神聖化した。勇者は光り輝く剣を振りかざし、不浄な物を焼き払う。魔物との戦いでは傷一つ負わず、踊るように華麗に敵を倒していく。

 無知な民衆は自分達の都合のいいように勇者の物語を作り上げ、曲解したイメージ像を広めていった。勇者の物語は次々と創作され、本人の知らない所で勇者の偶像が作り上げられていく。

 だから誰も知らなかった。この世界に呼び出され、勇者となった少女、小坂真樹がどのような戦いをしているのか。この世界の人間の都合で魔界へと送られた彼女が本当は何をしているのか。

 誰も知らなかった。





 小坂真樹の首が飛んだ。

 少女の頭を刎ね飛ばした牛頭の魔物は、勝ち誇ったように腕を振り上げた。彼女の三倍もある大柄の体躯を持ち、全身を黒い体毛で覆っていた。そしてその魔物が天に突き上げた腕、その先にある鋭利な爪からは血が流れ落ち、その魔物の腕を赤く濡らしていっていた。

 獣と化した魔物が叫ぶ。勝利の雄叫びが、雑草すら生えない不毛の大地を揺るがしていく。


「勇者様!」


 遠くからそれを見つめていた兵士達が叫ぶ。彼らは黒い骸骨が炎を纏ったような外見で、さらにその上から鎧を身につけていた。

 魔界の一角、火の国に属する「炎の兵士」達だ。


「ああ、勇者様がやられた!」

「もう少し抵抗してくれると思ったのに!」


 しかし火の魔王の従僕である彼らは、そこから一歩も動く事は無かった。先程自分達が「勇者」と呼んだ少女が頭を失い、その場に崩れ落ちてもなお、彼女の元に駆け寄ろうとする者は一人もいなかった。

 自分の戦いに首を突っ込んではいけない。彼らは、眼前の魔物と出会う以前に、そう勇者と約束したからだ。


「勇者様! お気を確かに!」

「魔王様がこちらに向かっております! 無様な姿は見せられませんぞ!」


 兵士達が口々に叫ぶ。目の前で勇者が頭を落とされてなお、彼らは誰一人として絶望していなかった。

 こちらの世界に召喚された勇者の性質を知っていたからだ。


「勇者様!」

「……ちょっと静かにしてくれませんか」


 そんな兵士達の呼びかけに対し、どこからか反応が返ってきた。兵士達が声のする場所に視線を向けると、そこには先程刎ねられた真樹の生首が転がっていた。

 その生首は恨めしげに兵士達を睨みつけていた。


「今回復してるので、急かさないでくれると嬉しいです。ちゃんと必死にやってるんですから」


 そして生首が口を開く。真樹の首は何の問題も無いかのように会話を続けた。


「だからもう少し静かにしてくれると助かります。難しいかもしれませんが」

「す、すみません。何度見ても慣れないものでして……」

「私が死ぬところですか?」


 生首からの問いに、声をかけた兵士が頷く。真樹の首はそれを見て「まあ無理もないか」と諦めたようにため息を吐く。

 理性を失った牛頭の魔物が真樹の体に近づく。気にすることなく真樹の首が兵士達に声をかける。


「確かにショッキングなのは認めますけど。それでもそろそろ、慣れてくれてもいいんじゃないでしょうか? そもそも魔物が死体に驚くというのはさすがに恥ずかしい」


 牛頭の魔物が真樹の体を踏み潰す。血飛沫が舞い、それに混じって手足や肉片が方々に飛び散っていく。

 ブレーカーが落ちたかのように、真樹の生首が一瞬黙りこくる。

 しかしすぐに復活し、再び口を開き始める。


「……恥ずかしいと思いますよ?」


 直後、飛び散った真樹の「欠片」が、一斉に真樹の生首目指して動き始めた。肉だけでなく血までもが軟体生物のように地面を這いずり回り、磁力に引かれるように真樹の首へ集まっていく。

 兵士と魔物の目の前で、「小坂真樹」が再構築されていく。肉が一カ所に寄り集まって脚となり、盛り上がって胴となる。肩口から腕が生え、指先まで一気に伸びる。足下に溜まっていた血が一斉にざわめき、足裏から進入して完成した肉体の隅々まで行き渡る。


「ふう……」

「おお、勇者様が元に戻られた!」

「あれが輪廻の輪から外れた者のお力か……」


 やがて数秒もしない内に、首無しの小坂真樹が完成した。服は破けたが、代わりに赤黒い血をボディスーツのように全身に纏っていた。小坂真樹は元々こちらに来る前から貧相な肉体だったので、それが見る者の劣情を掻き立てる事は無かった。


「よいしょ、と」


 そうして生まれた体は軽く肩を回した後、おもむろに目の前に転がっていた首を両手で掴んだ。そして断面を合わせ、一息に互いをくっつける。

 接合部から勢いよく血が噴き出す。しかしすぐに傷口が塞がっていき、数秒で元通りの姿に戻る。

 不死。これが一度死に、この世界に「勇者」として召喚された小坂真樹の能力である。


「うん、完璧」


 二、三回、軽く首を回す。問題なく動くことを確認した真樹は、気合いを入れ直すかのように頬を叩いた。それから真樹は自分の前に立つ魔物に向き直り、不敵な笑みを浮かべて言った。


「さて、仕切り直しと行きましょうか?」


 次の瞬間、魔物が腕を振り下ろした。研ぎ澄まされた爪が空気を切り裂き、真樹の左腕を肩から切り落とす。


「勇者様、お手が!」

「……!」


 一瞬遅れてそれに気づいた真樹が左肩に目をやる。そして今まさに地面に落ちようとしている左腕を、驚きの目で見つめる。


「何すんのよ!」


 直後、真樹は激怒した。痛みさえも怒りへ変わった。真樹は左肩から壊れた蛇口のように血を垂れ流しながら、じっと魔物を睨みつけた。

 それと同時に、肩から落ちる血の流れが変わった。それまで無秩序に流れ落ちていた血液が、まるで意志を持つかのように蠢き始めた。


「おお、見ろ!」

「勇者様のお力だ! 己の血を武器とするのだ!」


 騒ぐ兵士達の前で、その血が「変形」していった。それは重力に逆らい、真樹の意志に従って一個の形を取り始めた。そして腕が荒れ地の上を転がる頃には、肩口から新しい、真っ赤な腕が生えていた。真っ赤な血の腕だ。

 そして腕の先にあったのは一つの刃だった。それは自分の背丈と同じ大きさで、三日月のように大きく反れ、真っ赤に染まっていた。


「そーれ……」


 真樹が刃を持ち上げる。青ざめた空の中、赤い三日月が天を衝く。

 真樹の両目が真っ赤に光る。もう片方の腕で刃の付け根を掴み、魔物に狙いをつける。


「ふん!」


 両手で持ったまま刃を横に薙ぎ払う。鈍い音が響き、魔物の腹が切り裂かれ、傷口から血が噴き出す。

 牛が悲痛な雄叫びをあげる。真樹は構わず一歩前に踏み出し、力任せに血の刃を振るう。


「はああっ!」


 刹那、魔物の右肩から左脇にかけて、一直線の傷が刻まれる。容赦ない袈裟斬りを食らい、魔物が大きくのけぞる。


「いいぞ!」

「いけいけ!」

「ぶっ潰せー!」


 周りの兵士達が歓声をあげる。真樹を気遣ったり、助けようとする者は皆無だった。理性を失った魔物の一撃を食らって生きていられる者はいない。彼らに対抗できるのは、死んでもすぐに復活できる勇者だけなのだ。

 一方の真樹もそんな事は期待していなかった。そもそもそんな事考える余裕も無かった。


「死ね! この、さっさと死ね!」


 つい前までテニスラケットを振っていた女子高生が、転生してたった数日で天下無敵の剣術を極められる筈もない。ただ己の能力に物を言わせ、狙いもつけずに滅多切りにするのみだ。

 真樹が滅茶苦茶に腕を振り回し、魔物の胴体を切り刻む。肉を斬らせて骨を断ち、血みどろになりながら敵を制す。これが癒しの勇者、小坂真樹の戦法である。


「いい加減に……!」

「貴様がシネ!」


 そこで牛頭の魔物が吼える。そして真樹の振り下ろした血の刃を片手で受け止め、もう片方の手を握り拳に変えて真樹を殴りつける。

 拳が腹に当たる。衝撃が体を揺さぶり、腹から下が盛大に吹き飛ぶ。


「あっ」


 肉と骨が粉々になって散っていく。口から空気と声が漏れ、次に間欠泉のように血を吐き出す。刃を掴まれていた真樹の体勢が大きく崩れる。

 魔物がその真樹を投げ飛ばす。下半身を失った真樹は地面をバウンドし、仰向けに倒れる。


「フー、フー、フー……!」


 牛の魔物が鼻息を荒くする。そしてそのまま下半身の無くなった真樹へと近づいていく。その目は赤く濁り、理性の輝きは完全に失われていた。

 牛の魔物が真樹の頭を掴む。そのまま自分の顔の高さまで持ち上げ、赤い目で相手の顔を覗き込む。

 真樹は両目を閉じたままだった。口も閉じ、両腕もだらりと垂れ下げていた。引き千切られた腹の下からは絶え間なく血が流れ落ちていた。


「イイ、気味ダ」


 真樹の顔を見ながら牛が笑う。勝利を確信した笑みだ。いや、ひ弱な人間にしては良くやった方か。体に刻まれた傷が塞がっていくのを感じながら、魔物は笑みを深めていった。

 魔物が違和感を覚えたのはその直後だった。


「ン?」


 傷が癒えたような爽やかなものではない。腹の中に何か異物が入り込んだような、不快な感覚だった。

 魔物が視線を外し、ゆっくりと頭を下げる。

 そして絶句する。


「ナ……!」


 自分の腹に刃物が刺さっていた。縦に突き刺さったそれは三日月の刃と同じくらいに巨大で、真っ赤に染まっていた。

 そしてその赤い剣は、真樹の千切れた腹の断面部から伸び生えていた。腹から血の腕を伸ばし、さらにその先から刃を形成したのだ。

 油断したが故の致命傷である。


「血石」


 絶句する牛の眼前で真樹が呟く。目は閉じたまま、口元を緩めて笑みを浮かべる。


「血石、いただきます」


 血の剣に力を込める。剣を捻って刃を無理矢理水平に変え、内から脇腹を引き裂いていく。

 肉を引き裂き、皮を突き破り、赤い刃が外へと飛び出す。腹から盛大に血がぶちまけられ、残った真樹の体を真っ赤に染める。

 その切っ先には、黒い石のような物体が刺さっていた。


「ギ……ッ!」


 牛の魔物が絶叫する。それは鼓膜を破らんばかりの悲痛な叫びであり、兵士達は思わず耳を塞いだ。真樹にそんな余裕は無かった。

 激痛のあまり掴んでいた真樹を離す。解放された真樹が地面に落ちる。魔物もまた背中から地面に倒れる。

 倒れた瞬間、既に遠くで再生されていた真樹の下半身が起きあがる。そしてそれは、地面に落ちた己の「半身」に向かって駆け出していった。


「早く、早く来て!」


 痺れる頭を働かせて真樹が叫ぶ。それを受けて真樹の下半身は全力でダッシュし、そして上半身の近くに来ると同時に自分から地面に倒れる。

 両者がにじり寄り、「合体」する。接合の瞬間、真樹が僅かに顔をしかめる。

 接合と同時に腹から伸びていた血の剣が体の上で破裂する。そうして自分の血の雨を浴びながら、しかし何事も無かったかのように真樹が起きあがる。

 腹の傷口は塞がり、その手には件の黒い石が握られていた。


「勇者様!」


 それを見た火達磨の兵士達が一斉に駆け寄る。再び五体満足に戻った真樹もそれに気づき、彼らに向かって手を振る。


「ご無事で?」

「はい、なんとか。少し血を出しすぎましたけど」


 一番乗りで真樹の近くに腰を下ろし、安否を確かめる兵士に真樹が笑いかける。疲労と達成感の混じり合った、爽やかな笑みだった。


「それから、これを。血石で間違いありませんか?」

「これでございますか」


 それから真樹はその兵士に対し、手に持っていた件の黒い石を見せる。兵士はそれを受け取り、そしてすぐに「ああ、確かに本物だ」と納得した。

 それから彼は立ち上がり、周りに集まっていた残りの兵士達に声をかける。


「勇者様がやりおおせた。同胞の心を鎮めてくださったぞ!」


 直後、周りの兵士達が一斉に歓声を上げる。最初に発破をかけた兵士もそれに併せて喜びを爆発させる。


「やった! さすがは救世主!」

「癒しの勇者様、万歳!」

「さ、勇者様。私の手を使ってください」


 その中にあって、真樹は兵士の手を借りて立ち上がった。兵士の手も燃え盛っていたが、真樹はそれを躊躇いなく掴んだ。最後の方で少しよろけたが、それでも何とか立つことは出来た。


「魔王様は? いつ来られるのでしょうか?」


 真樹が兵士の一人に問いかける。兵士は病んだように青紫に染まった空を見上げ、すぐに真樹の方に向き直って答えた。


「もうすぐかと。魔王様の力の気配を近くに感じられますので」

「ということは、それまでここで待機ということで?」

「そうなるかと」


 兵士が答える。真樹は頷き、そして彼から血石を受け取る。一方でこの時、真樹に腹を裂かれた牛頭の魔物も同時に身を起こした。


「ん? 俺今まで何やってたんだ?」


 呆然と周りを見回すその姿は、もう本能に狂ってはいなかった。赤く充血していた瞳は元の理性の輝きを取り戻し、それまで自分が何をしていたのかすら忘れていたようだった。


「あちらも元に戻ったようですな」


 その巨大な魔物の様子を見て、兵士が安心したようにため息をつく。真樹もそれを見て、同意するように頷いて言った。


「穏便に済んでよかったです」

「これも全て、勇者様のおかげですね」

「私は出来る事をやっただけです」


 そして兵士からの問いかけに対して、真樹は謙虚な姿勢を崩さなかった。





 火の魔王が彼らの元にやってきたのは、それから二分ほど経った後だった。その魔王は護衛もつけず、一人で彼らの元へ直接歩いてきた。

 そんな一大陸の王にしてはあまりに無防備な姿を前に、しかし兵士も真樹も、誰もそれを咎めようとしなかった。

 山と同じ大きさを持ち、四本の脚で闊歩し、耳まで裂ける大きな口を持った溶岩の獣に対して喧嘩を売ろうとする命知らずはいないことを知っていたからだ。


「マキよ。そして兵士達よ。此度はよくやってくれた。そなた達のおかげだ」


 火の魔王、デルネスが口を開く。口の奥から蒸気が漏れ出し、荒れた大地を熱していく。

 真樹と兵士達、そして正気を取り戻した牛頭の魔物はそれを聞いて、一斉に平伏した。


「魔王様。わざわざここまで来ていただき、恐縮でございます」

「良い、良い。血石の問題ならば、我が出向かねば始まるまい」


 獣の形をした溶岩はそれを見て満足そうに頷いた。それからデルネスは顔を作る溶岩の中から一対の目玉を浮き上がらせ、それを真樹に向けて彼女に話しかけた。


「特にマキよ。大儀であった。戦いといい、家事といい、そなたには助けられてばかりよな」

「とんでもありません。これが私の仕事でございますから」


 マキはそこまで言って顔を上げる。自分より何十倍も巨大な溶岩の獣が、口を開けたままじっとこちらを見つめている。体のあちこちから溶岩が流れ落ち、足下の大地を執拗に灼き払っていく。


「私の全てはあなたのもの。どうぞなんなりとお命じください、ご主人様」


 その溶岩の化物をまっすぐと見つめながら、小坂真樹は恐れる事無く言ってのけた。





 魔界に降り、魔王達と協力して魔物の暴走を食い止める。それが「癒しの勇者」としてこの世界に転生した小坂真樹の最初の仕事であった。

 そして真樹は今、この火の魔王「デルネス」の従僕メイドという形で、彼の城に厄介になっていたのだった。

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