書籍化記念短編 「菓子職人になった理由」
短編 菓子職人になった理由
小さい頃の思い出、と聞いて思い出すことは何だろうか。
夕焼けの中を走り回って遊んだ記憶だろうか。或いは、手をつなぐだけでも顔を赤くしていた純情な想いだろうか。はたまた、大きな犬に追いかけられたトラウマだったりするかもしれない。
「小さい時の思い出ですか?」
弟子の問いかけに、そう答えた男。
日本一とも世界屈指とも評される凄腕の菓子職人に対してする質問としては少々的外れな気もするが、日々の多忙の中にあって、師弟のコミュニケーションとしては他愛も無い会話というのも大事である。
「そうです~。というか、わたしには師匠の小さい時が想像できないんですよね~」
「昔も今もあまり変わりませんよ。こんな感じの子供でしたね」
「師匠がそのまま子供になったら……きっと性質が悪いガキンチョだったんでしょうね。親泣かせ、大人泣かせ、友達泣かせ」
「そこまで言いますか。君はもう少し師匠を敬う気持ちを持つべきですね」
男は、盛大に溜息をついた。
常日頃から遠慮のない弟子ではあるが、今日はいつにもまして絡みがしつこい。
「これ以上ないほど尊敬していますよ。でなきゃ、こんな休みなしの忙しい職場なんて辞めてますし。で、師匠の小さい時の思い出は何か無いんですか?」
「そうですね……」
◇◇◇◇◇
「い~ち、に~い、さ~ん……」
子供たちの賑やかな声がする。
夏休みの小学生ともなれば、友達同士で遊ぶことは何よりも楽しい。
他人の子供が家に遊びに来ることを嫌がる親も多いので、子供は外で遊べと追い出されると、決まって皆で近所の公園に集まって他愛も無い遊びに興じる。
「ちーちゃん見つけた!!」
彼らが興じる遊びは、かくれんぼ。
日本全国で、この遊びを知らない人間などはほとんどいない。最もポピュラーな子供遊びの一つ。
鬼役が決められた数を数える間、他の者は姿を隠す。鬼が見つけるまで、隠れるのがこの遊びの共通ルールだろう。
子供の隠れ方などたかが知れているため、大抵は直ぐにも鬼に見つけられてしまうのが、よく見られる遊びの風景だ。
だが、時にはこういった遊びにもイレギュラーが伴う。
「あれ? あいつどこに行った?」
「さあ、帰ったんじゃない?」
子供たち数人で遊んでいたかくれんぼ。
帰る時間になっても、一人がまだ見つかっていない。しかし子供たちはそのことをあまり深く考えない。子供ゆえの浅慮と言えばそれまでであるが、未熟な人間はえてして大きな失敗を犯してしまうものだ。
「きっと一人で先に帰ったんだよ」
「そうだな。俺らも帰ろうぜ」
めいめいに帰路に着く子供たち。親の待つ家に、薄暗くなってきたからと急いで帰る。
そして、そんなことを知らない少年が独り。夜が更けるまでじっと隠れていた。子供にしては信じられないほどの忍耐強さではある。本来であれば褒められてもよい資質であろうが、今はそれが悪い方に出た。
誰も居ない公園。お腹もすく。辺りも暗くなった。
さすがにこの時間になれば、おかしな状況であることに、誰だって気付く。少年もまた然り。
「みんな~もう帰ったの~?」
帰っていれば返事がないはず。そんなことを気づけずに、公園をうろつく少年。目には不安げな感情しかない。
ふと、そんな子供に目を止める男が居た。警邏中の警察官だ。
「僕、こんな時間にどうしたんだ?」
声を掛けたお巡りさん。彼が少年に聞いたところによれば、かくれんぼで置いて行かれたという。
こんな時間までよくもまあ隠れていたものだと驚嘆したものの、警官は生来の面倒見の良さから子どもを家まで送ることにした。
子供の手を引きながら。
◇◇◇◇◇
「それで、どうしたんです?」
「親にはしこたま叱られましたよ。こんな時間まで何処に居たんだ、ってね」
「へぇ~」
「その時、お巡りさんに貰った飴。あの時の美味しさは今でも忘れられません。お腹が空いていた時にもらったから、えらく美味しかった覚えがあります」
職人は、遠い目をする。
今まで食べた飴の中でも、燦然と輝く美味なる飴として記憶の中に位置づけられているのが、お巡りさんから貰った飴だ。
「ふ~ん。やっぱり、親泣かせな子供だったんですね」
「たまたまです。普段は良い子でした。でもまあ、その時の美味しい飴が、この世界に入った切っ掛けだったのかもしれません。こんな美味しいものを作ってみたいってね。そう思えば感慨深い」
「小さな飴が、世界一の職人を作ったわけですね。うんうん」
「世界一は言いすぎでしょう。そんなに偉くないです」
「じゃあ何番目ですか?」
「ここは謙虚に、二番目ぐらいにしておきますか」
「大して変わらないじゃないですか」
お互いに笑い合う師弟の間には、どこかのんびりとした空気が流れていた。のだが。
「店長!! ああ、やっと見つけた。何でこんな所に居るんですか。この糞忙しい時にサボらんで下さい」
「あらら、見つかってしまいましたか」
「師匠、かくれんぼが下手なのは子供の時からっぽいですね」
自称世界二位の菓子職人。
彼が世界一に王手をかけるのは、それからしばらくしての事だった。
次は「ジョゼ視点でのモルテールン家のとある一日」