トロイメライ
邪悪な〝暗黒竜〟の復活。
聖都へと迫りつつある屍者の兵団。
刻一刻と大陸は災厄に蝕まれつつある。
暗澹とした歴史に終止符が打たれてから実に七百年の月日が経っていた。
かつて邪なる竜の王を封印せしは、『七星刀』と呼ばれし七人の英雄。
七日七晩に及んだ死闘を制し、暗黒なる竜は封印される。
だがしかし、その代償はあまりにも大きかった。最後の瞬間、断末魔と共に竜が残した瘴気。それに触れし四人は『魔』に憑かれ、半人半魔の存在へと変容した。
今まで共に血を流してきた仲間たち。それを残りし者たちは殺した。
そして英雄は、三人となった。
血なまぐさい英雄譚。
代価としてもたらされたもの――平和。
三人のうち、〝金獅子〟と呼ばれし若き騎士は、大陸の東と南の地を統べる『セレストニア』の姫と結ばれる。
聖都アデュランダルを守護する聖騎士の王国は、さらなる栄華を築いていくこととなった。
〝鉄碧〟と呼ばれし戦士は、邪竜の封印を守るため残った北の地にて、山賊蛮族の類を平定し新国『バルビア』を興した。
聖なる竜の化身たる〝白竜姫〟は、人の手の触れられていない西の地にて、竜の楽園『ヒスエ』を築き、悠久の時を穏やかに過ごしたとされる。
だが、長きに渡る平穏の中、人の心は儚くも移ろい行くもの。かつて先人たちが命を賭けてもたらした平和を破ったのは、その末裔であった。
少なくとも、肥沃な国土と強大な力を誇るセレストニアに、恐れを抱いたのはバルビアだった。
良好な関係を築いていたはずの英雄の末裔たちは、やがて祖先の流した血の色を忘れ、涙の味を忘れた。
自分たちにとって都合の良いよう解釈された英雄譚。それを自国の歴史とするなら、いずれ両国の歴史観が食い違うのは必定。
いつしか軽蔑しあうようになった二つの大国。睨み合いを続けるのにも似た状況下において、バルビア帝国十二代皇帝――デュマ・アルビノナイト・バルビアは大陸に七百年ぶりの戦火をともした。
始まりは些細なことだった。バルビアが領地拡大のために切り開いた北東の森の一部、それがセレストニアとの国境に掛かっていたらしい。
間もなくしてセレストニアより使者が派遣された。平和的な解決に向けてのものだった。
しかし、長きに渡る睨み合いに疲弊していたデュマは、吹けば消え入りそうなはずの火種を劫火と成した。セレストニアよりの使者を切り捨て、その首級をもって開戦の狼煙としたのである。
国境を破り、セレストニアへと進行したバルビア軍だったが、戦力の差は瞭然だった。
バルビアの張った戦線は、セレストニアの誇る聖騎士団の前に続々と撃破された。
撤退を余儀なくされた皇帝デュマとバルビア軍。間もなくして、大陸の最南に位置する帝都はセレストニア軍によって完全に包囲された。バルビアの敗北はもはや時間の問題だった。
だが、そのぎりぎりの間際に、デュマは最も恐ろしく、最も愚かな選択をすることとなる。
其の地にて封印されし邪悪なる存在、――〝暗黒竜〟の封印を解こうとしたのだ。
七星刀がうち、四人は『魔』へと堕ちた。だが残る三人、その血族は存命である。ゆえに闇の盟主は完全な復活を果たすことは出来なかったが、代わりの者をデュマへと使わした。
其の者とは、かつての英雄が一人にして半魔へと堕ちたる――〝屍廻仙〟。死者の世界で更なる高みへと至りし伝説の大魔道士だった。
暗黒の魔道を用いて甦らせしは、魔へと落ちたる七星刀が残る三刃。
〝骨喰〟――。
〝双暴〟――。
〝荒鬼主〟――。
黄泉路の三王につき従いし屍者の兵団は、瞬く間にセレストニアの騎士団を討ち滅ぼす。それはもはや人と人との戦争ではなかった。決して死ぬることなく、止まることのない亡者の行進。それは一方的な殺戮であり、まさに地獄絵図だった。
こうして形勢は逆転し、セレストニアは戦線を大きく後退することとなる。
セレストニアの誇る騎士団の撤退に、更なる侵攻を進めたバルビアの屍者兵団は、やがて西の地にて聖なる竜とそれに連なる眷属を滅ぼしたらしい。
〝暗黒竜〟解放の鍵、残る英雄が血族は二人。
おそらく大陸の蹂躙と引き換えに、切り捨てられるであろう――〝絶碧の愚帝〟デュマ。
そして、バルビア包囲戦において命を落としたセレストニア王に代わり、聖都アデュランダルにて騎士団の命運を託された、まだうら若き〝聖姫〟――アイシャ・レオンハート・セレストニアである。
戦線の回復を目指すアデュランダルの〝聖姫〟は、ついに勅命を発した。
前途有望たる冒険者に新たなる七星刀の称号を与える――。
その言葉に、冒険者たちはにわかに活気立つのであった……。
――と、まあ、そんな話はさておいて。
あたしはといえば始まりの町、白レンガ造りの町並みと大鐘楼でお馴染みの海洋都市シエナから程近い、辺境のリリポット村で今日も今日とて小説を書いている。
こんなはずじゃなかったんだけどなー。そんな内心とは裏腹に、白い羽毛が飾りについた万年筆はよく走る。
記念すべき旅の始まりに、奮発して買ったあたしのブロンドに良く映える深い緑色をした羽根突き帽子。値切り交渉の末、あたしのもう一声――、に押し切られる形で防具屋の店主が渋々おまけにくれた万年筆。帽子の飾りと同じ素材の水鳥の羽根は、原稿用紙の上をまるで水面を走るみたいにして埋めていた。
騎士見習いの少年と魔道士見習いの少女が綴る甘くてすっぱい恋模様は、学生時代の(ほろ苦い)思い出が下敷きだ。
そんな物語の中盤、きりのいいところであたしは筆を止めた。
課外授業で訪れた初心者向けの洞窟内で、高位の魔物である単眼の巨人と思わぬ遭遇を果たし、必死の攻撃魔法も効果なく少女が捕まったところで、だ。話はこれから少女奪還に燃える少年と、ライバルの少年との共闘へとなだれ込む。
正直、ここからの戦闘描写はあたしの最も不得手なところで。そんな気持ちの乗らなさ加減もあるから、あたしは万年筆の先をインク瓶へと落とすと、微妙に張り詰めていた神経も一気に緩んだ。
軽く纏めていたブロンドを両手で解きざま、わしゃわしゃしながら伸びをする。
「こんなはふひゃなあったんらけどなー」
あくび交じりに、それでも一応言ってみた。
あたしの名前は、マルグリッド・ウィンベル。冒険者職種養成校のノークウッド学院を卒業したばかりの十八歳。ゆくゆくは吟遊詩人を目指したいけど、今はただの詩人だ。
「こんなはずじゃなかったんだけどなー」
あくび交じりをため息交じりに代えて、もっかいあたしは呟いた。
数日だけの予定だったリリポット村の滞在も、早一ヶ月。昔から住んでたんじゃなかろうか、そんな気さえしてくるリリポットの安宿は、六年暮らした学校の寮より快適だった。
一晩二十シリングの安宿は簡素なつくりの丸太小屋。それでも一軒丸々借りてこの値段は相当にお値打ちものだ。
雰囲気程度のブランケットを掛けた椅子の背もたれはやっぱり硬いままだけど、ひと月も座り続ければ慣れるのもそう難しいことじゃない。
背もたれ深く座ったままで、ゴキゲンドリの甘い息にやられたみたいにグダグダするさまはもはや堂に入ったもの。とても殿方には見せられない。こんなステータス異常状態を引き起こす目下の敵は、種蒔き月のぽかぽか陽気といったところか。
木枠にガラスをはめ込んだだけの窓は、開けっ放しておいた。暖かで柔らかな風があたしの頬を撫でる。月日の変化を如実に知らしめるのは、微かにくすぐったい夏草の匂い。
母親譲りのスカイブルーの瞳の先には、それより色濃い種蒔き月の空が広がる。海まで続いているんじゃないかという爽やかな青に、だが確かに陽は西へと傾きつつあった。
穏やかな陽光が屋内へと降り注ぐ。ガラスに反射した瞬きの中、ふわりと舞う埃はまるで綿毛のよう。晩春の日の束の間、それはまさに平穏そのもの。さりとて冒険者としてはいかがなものだろうか。
なんとなく左腕を持ち上げた。
ブラウスシャツの袖口越しに、手の甲が覗く。そこには小さな星の印が八つ。
冒険者組合で入れてもらった、さっぱり上がらないレベル8の印を眺めながら、今度は言葉もなく溜息だけがついて出た。
と。
「なによマリー、ずいぶん辛気くさいわね」
いつの間にやらやってきた、あたしより随分薄暗い衣装の彼女にそう言われてしまった。
シエナの町の衣料品店で、ふたりともに一目惚れし、どっちが諦めるかで口論した挙句に結局ふたりとも購入した白のブラウスシャツ。それが今日のあたしの衣装と見事にバッティングしてはいたものの、その上にはきつく締め付けた皮製のコルセット。下半身にはこれまた皮製のニーハイブーツが黒のパンツをきつく締め付けている。
柔らかな褐色をした肌に、全身のほとんどを覆った黒コーデ。腰まで伸びた銀色の髪の毛は美しかったが、その煌きは漆黒の装いに吸い込まれてか、なんとも鈍くのっぺりとして見える。
彼女の名は――、アーシェリート・スナイデル。修練課程は違えども、学院の同期生だ。
基本職種が〝人形遣い〟のすらりとした長身の彼女は、あたしを見下ろしながら続けた。
「で、なによマリー。スランプにでも陥っちゃったってわけ? あんたは書くことくらいしか取り柄がないんだから、早急に脱出法を見つけないとダメよ」
基本職種が〝人形遣い〟の彼女は、随分なことを言う。〝人形遣い〟なんて学校卒と同時にもらえるような職種で、あたしの〝地図書き〟と同じくらいさしたる資格じゃあないっていうのに。
肉体的にも精神的にも見下ろさんばかりの、なかなかな暴言を、あたしにむりくり買わせたビスタチオブランドのレンズグラスの蔓を弄りながらで言ってのける彼女。
ルビーにも似た神秘的な赤色をした瞳。その装飾としては他とない、憂いを帯びた長いまつげ。それがレンズに当たるらしい。もはや口癖と化しつつある「やっぱりワンランク上のにすれば良かったわ」、それが彼女の口から発せられる前に、確かプレゼントの礼も言ってもらえていないあたしは口を開いた。
「大丈夫だよ、ちょっと休憩してただけ。だからここから追い出されることもないから安心してね。それで、さっぱり稼いでくれないアーシェは今まで何してたの?」
ちょっとだけ意地悪にあたしは言ってみたけど、アーシェはどこ吹く風といった感じ。
逆にあたしの方がちょっと自己嫌悪に陥ったりする。なんだか不公平だ。まあ、あたしの言ったことは特段間違ってはいないから、別に自己嫌悪に陥る必要もないのだけれど。
あたしの小説はといえば、洞窟内の探検を終えるところまで書き終えれば、今回分はとりあえず終了。
それを、明日シエナから雑誌の編集者が受け取りに来る予定になっている。幸か不幸か、あと二週間はリリポッド村に滞在できる現金が手に入るというわけだ。
「ん、私はまあ、『毒消し』を調合してたくらいかな。他にすることもないし。乾燥させたオオイボガンマをごりごり擂って粉にしてさ」
なぜだか切れ長の瞳を緩ませて、アーシェは擂り棒を擂るジェスチャー。どこに楽しくなる要素があったのかは分からないが、一応〝調合士〟の資格も持っている彼女は、少し得意げだ。
かつて学院一の秀才として将来を嘱望されていた博識の彼女は、女のあたしにしても見惚れてしまうような笑みを浮かべていた。
反対に、あたしは少し薄暗い気持ちになる。
ガンマガエルの親分とでもいうようなオオイボガンマという単語に揺さぶられた脳内で、まだ全身を黒色の衣装で覆う以前のアーシェを思い出したからだった。
紐解かれる学生の頃の記憶。それはやがて、バロック様式をした図書室の扉を開け放とうとする――。
だが。
「胡蝶の夢……」
アーシェの声に、あたしは我に帰る。気づくとアーシェの顔はあたしの右頬のすぐ近くにあった。
彼女が顔を傾けると、長く美しくこぼれる銀色のまにまに動く影。あたしが小さく声を上げると、アーシェはそれを隠すようにして、あたしのすぐ目前へと顔を移動させる。
椅子に腰掛けたあたしの両の腿の上へと腰を下ろし、あたしの首へと腕を回す。
そしてまっすぐにあたしの瞳を見据えて、くすくすと笑った。
瞳に差した影でも見透かされてしまったみたいで、あたしはなんだか格好が悪い。ブロンドの毛先に細く長い指を絡ませ遊び始めたアーシェに向けて、あたしは口を尖らせる。
「なによ、それ」
「マリーってば、作家先生で〝書物取扱者〟の資格まで持ってるのに胡蝶の夢くらい知らないわけ?」
「それくいらい知ってるわよ、昔の偉い哲学者かなんかが言った言葉でしょ。あたしが聞いてるのはそれがどうしたのかってことよ」
――ここにいる蝶は私の見ている夢の産物だろうか。それとも私こそがこの蝶の見ている夢の産物だろうか……。
授業で習ったか、学院の図書で見たのかは思い出せないが、確かそんな話だったと記憶している。
講釈めいた雑学を聞かされるの御免こうむりたいあたしは、『作家先生』の件に少しだけカチンとしつつも、おくびにも出さずにアーシェの長い指と腕をするりとかわした。
小さなおしりを二度はたくと、渋々ということもなくアーシェは薄い唇の隙間に歯を覗かせながら立ち上がる。
始まりの町から旅立ち、一つ目の村で立ち往生している身としては宿代を稼ぐのだって一苦労だ。それに関しては他の面々には期待も出来ないので、結局あたしが身を削る羽目になった。
学院時代の思い出や、甘ったるい夢想を切り売りして書いている連載物の小説は、アーシェの失笑をかいつつもリリポット村で十分に寝食を得るくらいの稼ぎにはなっているのだ。
だから、今現在このパーティの命運はひとえにあたしに掛かっているはずである。そうあたしは強く明言したい。いずれあたしの小説は、主人公の少年とライバルの少年との秘め事へと展開していくと、そういうことを妄想するのがあたしの趣味だと、本気で思っているアーシェの前であたしは強く明言したい。
「それで……」口を開きかけてあたしはふいに気がついた。
「……ひょっとして、アーシェの言ってる蝶って、あの蝶の、湖のニジイロアゲハのこと?」
我らがパーティは一路聖都を目指す。
とはいっても、一路にも色々あるわけで。
あたしたちが取った経路は、比較的王道って言われる類のヤツだった。
海洋都市シエナから順にセレストニアの七つの都市を時計回りに巡って中央の聖都を目指す。
七都市はそれぞれ七星刀と呼ばれた英雄たちを見出した七人の賢人の名が付けられていて、七つの町の石碑にはそれぞれの賢人が記した詩が刻まれている。とどのつまり、〝吟遊詩人〟のバイブルたる『英雄譚』を順に辿るには持って来いなのだ。
そしてもちろん、この経路を強く押したのは〝吟遊詩人〟志望たるあたし、マルグリッド・ウィンベルなのである。
そんなわけでシエナを旅立ち、リリポット村までやってきたあたしたち。初めての村では当たり前のように『通過儀礼』が待っていた。
リリポット村の南西部には峨々たる峠が聳え立ち、頂上部は山賊の根城となっている。悪漢どもの砦は堅牢な門に守られていて、開けるには特別な鍵が必要だ。
その特別な鍵はリリポット村の鍵屋が作ってくれるのだが、鍵屋いわく、そのためには村の奥に広がる湖畔にのみ生息するニジイロアゲハの羽が必要なのだという。
なぜゆえ鍵を作るのに蝶々の羽が必要なのかは不明ながら、通過儀礼としては最簡単。さすがは初めての町だけはあるってものだ。なのに……。
なのに、あたしたちときたら、村に来てからすでに一ヶ月、いまだニジイロアゲハを捕まえられずにいるのだ。
――私の見ている夢の産物か。それとも私こそが夢の産物だろうか……。あの、ニジイロに煌く羽を翻し、宙を舞うアゲハの。
あたしの問いかけに、アーシェは少しだけ意地悪そうに微笑む。「さあ、どうかしらね」そして続けてこんなことを言う。
「でも、あまりに出来すぎてる、とは思うでしょマリーだって」
子供の使いみたいな案件に一ヶ月も費やして収穫は皆無だってのに、出来すぎてる、はないものだ。なんて思ってはみたものの、そんなあたしに否定の言葉を吐かせる前に、出来すぎ『その一』がやってくる。
「ご主人様、ロイヤルクバーヘンのお茶が入りました」
燃えるような真紅の髪と瞳の持ち主は――、エーテル・ドナーシェ・スナイデル。
ばっちり似合うパフスリーブのメイド服に、短めの裾から覗く長い足はこれでもかってくらいの美脚だ。
「ありがとね、エーテルちゃん」
ひょいとテーブルへと腰を浮かせたアーシェは、躊躇いもせずにあたしの原稿のすぐ近くにお尻を置いた。
かしずいたような格好のエーテルちゃんが、小さなカップの乗った盆を差し出す。
もったいぶるようにカップのふちに指を掛けたアーシェが、切れ長の瞳で見下ろした。
カールがかった真紅のショートヘアーの下、エーテルちゃんは上目遣いのままアーシェをじっと見つめている。大きな瞳を瞬きひとつせずに。
あたしはその一連の所作を呆れ顔で眺めながら、エーテルちゃんの盆からもう一個のカップを引っつかむ。そして柑橘の芳香と微かな甘さの黄金比率を演出する、完璧な温度を保ったロイヤルクバーヘンをぐいと飲み干した。
エーテルちゃんのドナーシェというセカンドネームはドナ・アーシェの略だ。
古代エルフ語によると『アーシェの僕』となるらしい。アーシェの命名のセンスはひどい。生みの親としては致命的な才能だと思う。
エーテルちゃんは、〝人形遣い〟たるアーシェがその技術の粋を結集して創り出した――人形だ。
今や最低限の基本職業としてどの町の冒険者組合でも登録可能な〝人形遣い〟。だけど、実は結構由緒ある職業だったりする。
その名が歴史に登場したのは今から七百年の昔。最初の〝人形遣い〟は、魔に堕ちて〝骨喰〟となる以前、まだ〝紅羽根〟と呼ばれていた頃の七星刀がひとりを始祖としている。
とはいえ、紅羽根が操ったとされる数多の式神型人形、〝紅羽天使〟は東天を覆い尽くしたとまで後世に伝わるほどだから、たかが〝人形遣い〟と一笑に付すのははばかられるのだが。
そんな由緒ある職業が、なぜ冒険者の基本職程度に収まっているかといえば、理由は単純極まりないものだった。ようは〝紅羽根〟ほどの洗練された技量と魔力を兼ね備えなければ、たかが〝人形遣い〟は、たかが縫いぐるみ程度に仮初めの魂を書き込むくらいのものにしか成りえないのだ。
それなのに――、だ。経験値も浅くて、冒険者論文一冊すら学術協会に上奏してないアーシェは、上級職の〝反魂術士〟でも〝錬金術師〟でもないアーシェは、たかだか〝人形遣い〟の知識と技くらいで、最上位〝宝石人形〟の創生を成し得てしまったのだ。
エーテルちゃんの素体は、最高難度の発掘レベルの割に〝冶金〟も〝練成〟も比較的易しい〝エーテリオン〟だから、学院では結構な成績だった〝人形遣い〟程度にも創生できました……一応それなりな理由に聞こえなくもないかもだけど。それでもやっぱり レベル8の冒険者のお供に最上位の宝石人形は似つかわしくはないだろう。
さすがにあたしもなんとなく思う。それくらい希少なことなのだ。確かにこれは『夢』と呼んだほうが手っ取り早いような気がしてきた。だけどもそれならそれで『胡蝶の夢』とはどういうことか?
「確かに夢って言うならそうかもね。だけどもそれならアーシェは、あたしたちは実は夢の産物だ、とでもいいたいわけ?」
「私もマリーもホントは存在しないとか? だったら、あの塩っ辛くて思い出したくもない、学院での青い春な日々も帳消しかしら」
あたしは再びオオイボガンマのいつだって眠たそうな横顔を思い出す。
そして、つかの間浮かんだ映像に、あたしはしてやられる。
滑らかな褐色をしたアーシェの背中……。うなじから耳の先にかけて這い寄っていく、誰かの視線――それは間違うことなきあたしの視線。
立ちくらむような、若き日の残光を追い払ったあたしの前で、アーシェは意地悪そうに笑う。
「ひょっとするなら、いもしない胡蝶を二人仲良く追いかけてるって夢かも、ね」
あたしはわざとむくれて見せて、
「なによぉそれ、ならホントのあたしたちはどこに存在してるってわけ」
「うーん、きっとシエナを旅立ったばかりの草原だったりして? 遭遇したモンスターに眠り息でも吹きかけられて、熟睡中の私たちを足のほうからゴブリンあたりがガジガジやってる途中とか、もしくは身ぐるみ剥がされて、スライム風呂に漬けられちゃってるところとか?」
ガジガジは嫌だ。だけど褐色の肌にぬめりついて、アーシェをくんずほぐれつなスライム風呂には一瞬惹かれて、慌てて記憶の彼方に追いやった。
そうはいってもやっぱり――、あたしが心中で継ぎの言葉を吐こうとしたとき、おもむろに木戸が開いた。
「っはぁ、エーテルちゃんっ、ジュースじゃ、ジュースをはよぉ持ってきてくれぃ」
室内へと入ってきがてら彼女は――、出来すぎ『その二』は、元気いっぱいドリンクを注文した。
「成果はどお?」
いつものようにアーシェが尋ねる。
土埃に頬を汚す彼女もまた、いつもの通りに答えた。
「うむ、ユズのやつが惜しいところまでいってな。気力を補充次第、わしが決着をつけるところじゃ。ユズには負けられぬからな」
言い終えて、ニカと笑う。
緩めた瞳と同じ色をした黒髪は長く、左右で結っても腰に届くほど。細くて華奢なからだは未発達そのもので、学院の生徒だとしたら中等科所属といった感じ。
頭部の左右を彩る髪飾り、胸当てと腕輪には特殊効果もバツグンそうな繊細で豪奢な細工。そういった装備の施された、黒のビスチェドレスから伸びた健康的な足。両の太ももに絡みつくホルスターには、純金製の装飾は細工もバッチリな二丁の拳銃――通称『シャルウル』と『ミョルニル』。六連装填の〝魔弾〟を発射するための光具。
彼女は――、クルナスム・クルム・セブンスノート。
セブンスノート家の末梢たる、失われし『ドワーフ』王家の姫君は、今日も今日とて撃鉄を叩く。
「クルナ様はオレンジジュースでしたね」
エーテルちゃんが持ってきた盆の上で、オレンジ色の液体が揺れる。
クルナちゃんは「そうじゃ」と短く言うや、コップを両手で掴んで一息に飲み干す。
しばらくぶりに水面から顔でも出したみたいに、「ぷはぁ」と大きく息を吐いたクルナちゃんは、
「今日こそニジイロアゲハはわしがしとめてやるからな、アーシェもマリーも果報を待っておれよっ」
そう言ってとたとたと駆け出して行った。
「行ってらっしゃいませ」とエーテルちゃんが小さく手を振る。
ドワーフのお姫様なのに、〝錬金〟も〝冶金〟も苦手なクルナちゃん。だけどもその特殊専門技能〝採掘〟の恩恵は、我々にはなくてはならないものになっていた。
それは例えば、始まりの町の周辺の草原で、エーテルちゃんの素体たる超希少鉱石〝エーテリオン〟を掘り当てちゃったりするみたいな……。
あたしはクルナちゃんの後ろ姿の消えた木戸を見つめたままで、うむむと唸った。もしもこれが何かの、もしか胡蝶の夢だって言うのなら、いったいどこからが夢だというのだろうか?
あたしはクルナちゃんと出合ったあの日を、そもそもが始まったあの日の回想なんてしてみる。
……そう。言い出しっぺは確かにアーシェだった。
仕方がないから、あなたとパーティを組んであげるわ――。
今思い出しても腹の立つ、ひどく高慢な調子。だけどもあたしが面食らったのはそんな物言いなんかじゃなくて、よりにもよってなんであたしとなのかってことだった。
学院の卒業式の翌日。少し早い春の訪れを告げるような木漏れ日の下、カフェのオープンテラスで、海洋都市たるシエナの名物塩コーヒーをちびちびやっていたあたしはハッキリいって途方に暮れていた。逆説的に言うのなら、途方に暮れていたからこそに大して美味しくもない塩コーヒーをちびちびやっていたともいえる。
故郷の長閑な山村で一番の成績だったあたしは、村で始めて学院に受かったりなんかして、神童などともてはやされたりしたものだ。
ところがそんな栄光も今は昔。村で一番のあたしなんて、都会に出てみれば所詮井の中のガンマガエルだった。
〝吟遊詩人〟課程専攻の三年間の成果といえば、基本職種の〝詩人〟のみ。音感も運動神経もいまいちのあたしは詩人系の補足職種たる〝奏歌手〟も〝舞踏家〟も取れちゃいなかった。
補足職種がなければもはや趣味の範疇とでも呼べそうな、吟じられない〝詩人〟一択でもって旅に出るなんてよもや自殺行為。パーティなんて組んでもらえるはずもないあたしは、課外講義で取った〝地図書き〟と学院の図書委員に三年従事すれば試験免除で取得できる〝書物取扱者〟でどうにか食べていけないかと思案する。
学院への入学にあたり、ひとり十シリングの会費までとって(別にあたしが頼んだわけじゃないけれど)、壮行会まで開いてもらった身としては、このままおめおめ村に帰るのもなんだか気が引ける。とりあえず古書市に潜り込んで、良さげな品を目利きして転売して稼ぐ〝書物取扱者〟ならではの裏技だとか、冒険者組合に集まる迷宮の攻略情報だとかの統計をとって、財宝のヤマ張り地図で一発逆転に賭けてみるとか。これとかあれとかそれならどうとか。押したり引いたり足したり掛けたり。手持ちの駒を組み立てたり、組み替えたりして、どうにか故郷に戻る日取りを先延ばしにできないものか。あたしは試行錯誤を重ねてみたのだけど、やっぱり良い案は出てきそうになかった。
出るものといえば呪詛のごとき溜息ばかり。もはやしょっぱいのか苦いのかも分からない塩コーヒーを、あたしは時々思い出すようにすすっていた。
そんなひとり曇天なあたしを、まるで希望の使者みたく陽光を背に立っていたのがアーシェだった。
彼女は不適な笑みを覗かせつつ、さあ縋りなさいとばかりに救いの歌を奏でた。
「仕方がないから、あなたとパーティを組んであげるわ――」
彼女のことは知っていた。
図書委員を三年もしていれば、昼休みのたび図書室でひとり食事する生徒は嫌でも目に入る。それが美しい銀髪と褐色肌の持ち主とくればなおさら人目もつくだろうが。
図書室という限られた場所で、昼食時という限られた時間の中で、あたしは彼女を知っていた。
書物相手に語りかけるような寂しい昼休みを過ごす学院一の才女のことを、そして彼女にその後起こったことも……。
あたしは彼女を知っていた。
だからこそ、意外とかなんとかそんなんじゃなくて、あたしが最初に思ったのは、やっぱり彼女は『卒業させられた』んだなっていうことだった。
あたしはそれをなんの感慨もなく受け止めていた。不条理な正義が導き出した結論を、甘んじて受け止めていた。自分に対する失望には怒ることもできた。だけど世界に対する失望には無力感しかなくて……。
現実は現実としてただそこにあるだけだから、肯定しようが否定しようが現実は現実でしかないのだ。世界に敵愾心をもったところでなにがどうなるわけでもない。それでもきっと、根っこの部分であたしはそれがひどく物悲しかったのだと思う。それから五分後、アーシェの提案にあたしはオッケーというのだけれど、ひょっとしたらそれはあたしの根っこがそうさせたのかもしれない。
――ならば世界はあたしが変えてやろう。
奥底に張っていた根は大地を突き破り、天を穿つ。世界に対し宣戦布告の咆哮を上げし出会いと別れの春の日に、まあでもやっぱりあたしはただの〝詩人〟だった。
快諾したくせに、旅の仲間としてはおよそメリットらしさも見当たらないあたしは当然の質問をする。
「でもなんであたしなの?」
ボッチのあんたが可哀想だから――、高慢ちきに言ったあとで、長い睫毛をちょっとだけ伏せながら継いだアーシェ。すらとした抜群のスタイルを控えめに、俯いて。
さっきまでの尊大な態度はどこへやら。人見知りみたいに頬を染めつつ、ボソボソ話すさまは、銀髪の知的クールな美女には似つかわしくない気がする。でも、なんだかそれはそれで可愛らしかった。
あたしは自然と頬を緩めながら、聞こえないよ、と言った。
「あーもぅ」アーシェは駄々っ子みたいに言いながら、あたしに背を向ける。
さらと銀色の長い髪の毛が揺れ、一瞬だけ覗き見えた彼女の細い首筋。あの日見た背徳的で、だけどそれゆえ忘れえぬ光景。蘇る記憶にあたしの鼓動は高鳴っていく。
そんな中。
「あんた、けっこう良いヤツだしね」
アーシェの言葉が、耳の奥でこそばゆい。
気を良くしたあたしはこのあとすぐ、門出の祝いにピスタチオのレンズグラスを買ってあげて早速後悔することになるのだけど――その件は長くなるからまた今度にしよう。
ともあれ、パーティを組むことになったあたしたちが早速したことといえば、冒険者組合でのメンバー募集であった。そりゃそうだ、ただの〝人形遣い〟とただの〝詩人〟じゃ旅立ったところで五分と持つまい。
で、やってきたシエナの冒険者組合。
前途有望たる冒険者に新たなる七星刀の称号を与える――。戦線の回復を目指すアデュランダルの〝聖姫〟が発した勅命に、冒険者組合はにわかに沸き立っていた。
そして、そこで予想外の来事があたしを待ち受けていた。
あたしは幼馴染みと再会したのだ。
でも――。
「マリーじゃないか」掛けられた声に、だけどあたしは戸惑うことしかできなかった。それほどまでに、目の前にいる人物はあたしの記憶の中の彼と見違えていた。
見上げるような長身に、黒髪のショートヘアー。細身でありながら、その実引き締まった身体であるのは、さらした腕の筋肉からも窺い知れる。
そんな偉丈夫が、あどけない笑顔で無邪気に笑いかけてくる。
「ひょっとして……ティオ、なの?」
あたしは、はっとして呟いた。
子供時代。冒険者ごっこといえばあたしで、あたしがいれば遊びは冒険者ごっこになった、といっても過言ではない。それくらいあたしは小さな頃から冒険者に憧れていた。
やがて冒険者としての第一歩を踏み出し、その一歩目で躓くことになるとも知らない子供のあたしは、溢れる夢や希望の赴くままにちびっ子冒険者の最前線に立っていたものだ。
その頃は確か戦士系職種きどりで、棒切れ片手にパーティを牽引するあたしのいっつも後ろに隠れていたのが、今やその面影はない――ティオルーム・パスカルフィットである。
女のあたしよりちっちゃかったくせに、人一倍冒険者に憧れていた少年は、あたしの学院入学を誰よりも喜んでくれた人物でもあった。
羨望しつつもティオが冒険者を目指せなかったのは勉強がいまいちだったせいもあるけれど、それよりなにより、木こり稼業の父親の跡を継ぐという未来が運命付けらていたからだ。
少年の人生は長閑な山村で始まり、そして終わるはずだった。
そんなわけで言葉を発しつつも、自信なんてあたしはなかったのだけど、目の前の偉丈夫は「そうだよ、マリー。ちびっ子戦士のティオさ」なんて相も変わらず笑いかけてくる。
「でも、なんで?」見れば簡単な装いにも、ティオは安物の剣なんて腰に差している。材木を売りに来たついでってわけはないだろう。
「村でオヤジの手伝いの合間にさ、俺、やっぱり冒険者への憧れを捨てきれなくて剣術の練習なんてやってたんだ。そしたらオヤジ、稼業は継いでもらうけど二年は好きなことやっていいって言ってくれてさ」
あたしは、熊のようにいかつくて大っきなティオの父親を思い出す。この三年間、その遺伝子は脈々と継承されていたらしい。少年の瞳を緩ませるティオの顔を、あたしは見上げながらそう思った。
見下ろすティオが続ける。
「でさ、せっかくだから旅の始まりがシエナなら、マリーに会えるんじゃないかって思ったんだけど、うん、やっぱりこの町にきて正解だったよ」
微動だにせず、言いながらティオは真っ直ぐ見つめてくる。
なんだかあたしの方が気恥ずかしくなって顔を背けると、代わりのように隣のアーシェが言った。
「パーティへの参加を歓迎するわ」
ちょっと何を勝手に――、右手を差し出すアーシェのあまりに簡単すぎる契約に、口を挟もうとしたあたしを、彼女はあっさり制する。
アーシェの冷たい瞳がハッキリと言っていた――レベル一桁の〝詩人〟と〝人形遣い〟、組んでくれるお人好しなんてまずいないわよ。
あたしはぐうの音もだせないまま、固い握手を交わすふたりを見ていた。
確かにまだレベル自体付いていない木こり剣法使いとはいえ、貴重な男手には違いない、はずだ。
三人になったあたしたちは、だけどやっぱり旅立つには心許なくて。
それから一週間ギルドに通って仲間集めに精を出した。せめてレベルは低くともあと一人くらい、そう思って声を掛け続け、そして振られに振られて完敗だった。
自分たちより高位レベルの冒険者には歯牙にもかけられなかったあたしたちは、ギルドでの七日目の夜、同じく仲間集めに奔走しては振られていた少女へと声を掛けた。
その少女こそがクルナちゃんだった。
ふわふわのフリル使用とはいえ、制服にも似た黒のビスチェドレス姿はどこをどう見たって学院の中等科生といった装い。おまけに自分の冒険者レベルを表す刻印もないとくれば、そもそも立ち止まる人間なんて皆無だった。
あたしたち以上に散々たる成果の、『星なし』と呼ばれる非冒険者の彼女へと声を掛けたのは、まあなんというか憐れみみたいなものがあったからに他ならない。
「〝錬金術師〟を探しておるのじゃ」
彼女はきっぱりとそう言った。
〝錬金術師〟なぞという高位職種と組もうなど、星なしには大それた話。もしくは常識知らずか。どちらにせよ、ますますあたしたちは彼女が憐れでしょうがなくなった。
「シエナは旅立ちの町だから、しばらくは強いモンスターも難易度の高いクエストもないはずだよ。〝錬金術師〟なんて高位職種に出会えるのは、当分先の話だと思うけどな」
あたしは彼女が傷つかないよう、やんわりと言ってやった。
あごに人差し指を当てて、クルナちゃんは唸る。
「まあ、何がなんでも〝錬金術師〟じゃなきゃダメってことではないのじゃがな。〝錬金〟までいかずとも〝魔石精製〟が出来る者であれば、〝魔道士〟でも〝学士〟でも構わんのじゃが」
すると。
「ああ、それなら私出来るわよ」
たかが〝人形遣い〟のくせに、学院時代、大学課程の錬金学を八割修めたアーシェがさもなしと言わんばかりに答える。
「本当かっ」瞳を輝かせるクルナちゃん。
でもどうしてまた〝魔石精製〟なんか――あたしが訊くより先にクルナちゃんは継いだ。
「笑われるかもしれんが。わしは、ドワーフ族のくせに精製が苦手でのぉ。魔石を切らした〝魔銃士〟なぞお笑い種もいいところじゃ」
あたしたちは三人が三人とも目を瞠っていたはずだ。目の前にいる少女は、希少種族の『ドワーフ』で、高位職種の〝魔銃士〟だという。
いやいやまさか――、もれなくかぶりを振るあたしの前で、クルナちゃんが駆け出す。そして程なくして戻ってくると、抱えた麻の袋をひっくり返した。
中からは大小様々な石くれが、キラキラと輝きながら転がり落ちる。
一つ二つ手に取って、近づけたりかざしたりして見たアーシェは、
「パーティへの参加を歓迎するわ」
右手を差し出していた。
クルナちゃんがその手を両手で握り返す。
ちょっとアーシェ――、怪訝な瞳を向けるあたしへと、顔だけ振り返ったアーシェが言った。
「これ全部希少金属の原石よ、彼女は本物だわ」
……さりとて彼女は本物だった。錬金も冶金もできないドワーフ族のクルナちゃんは、だがしかし何の変哲もないシエナ付近の痩せた土壌から『希少鉱石』を〝採掘〟しまくるのだった。
そこから先はもう怒涛ってヤツだ。
クルナちゃんが掘り当てた超希少鉱石〝エーテリオン〟をアーシェが人体練成して、宝石人形のエーテルちゃんが創生されると、四人のパーティは五人になった。
冒険者組合で最初の星の刻印をようやく入れてもらった常識知らずのティオとクルナちゃんと、学院卒のおまけですでに星が五つ腕に刻まれていたあたしとアーシェ。四人と一体の宝石人形は晴れて冒険へと旅立つ……と思った矢先、シエナを出て十歩と立たないうちに、『超天文学的確率事象』が発生。
突如として大地に大穴が出現。吸い込まれたあたしたちは地下迷宮へと落下した。
地上を目指すその道中、ひとつの光り輝く卵を発見する。巨大怪鳥の卵か何かかと、初めての迷宮の主戦に息を呑んで身構えるあたしたちの前で、それは孵る。
神々しい光と共に生誕したのは、お尻にちっちゃな尻尾の生えた、ヒスイ色の髪をした少女。それはクルナちゃんよりもちっちゃくて、少女というより幼女といった方が正しいようだ。
髪色と同じ、ヒスイ色の大きな瞳をぱちくりとさせる彼女に、そっぽを向かせたティオのあまりきれいとはいえないマントを羽織らせる。
彼女はにこりと笑った。
それがパーティの六人目の仲間、ユズちゃんこと――ユズリコ・エズリハとの出会いだった。
彼女は、屍者の軍団に滅ぼされた〝白竜姫〟の眷属、その生き残りだという。
同胞の敵を討ちたいという幼き少女の真摯な表情に打たれ、あたしたちはもれなくパーティに加えたわけだけど、よくよく考えればこんな弱小パーティに加えてあげるなんて偉そうにも程がある。
聞けばクルナちゃんの故郷、『セブンスノート』王国だって、かつての暗黒竜の配下、三魔王がひとり〝快楽〟に支配されてからというもの、王国の民は奴隷のような扱いを受けているというし……。
レベル一桁の弱小パーティには、レベル一桁の弱小パーティとは思えぬほどの問題が山積みなのだ。
しかしそれはそれ。
六人になったあたしたちはといえば――もはや最強だった。
クルナちゃんの効果も様々な〝魔弾〟に、ユズちゃんの竜属特有の〝息吹〟。それをエーテルちゃんに宿りし、希少鉱石〝エーテリオン〟の〝反鏡〟能力がその効果を倍増させる。
はっきりいって瞬殺だ。
出会いしな、ティオなんて剣を抜く間すら与えてもらえない。それくらい圧倒的だった。
せっかくだから腕試しと、通過儀礼の合間に大陸三周目くらいで挑戦すべき、リリポット村の古の洞窟に入ってみたら、すんなり最下層の地下二百五十階まで行けてしまった。
最奥に居座る古代魔神を撃破して、しっかり宝箱も頂戴する。そんなわけで、レベル三桁にしてしっくりくるはずの、『殲滅剣・轟神雷帝』をレベル3のティオは腰に差しちゃっていたりするのだった。
……うん、こうして旅立ちからの一ヶ月を振り返ってみると、確かに何もかもが出来すぎだ。夢だと言われたほうが納得もできそうだ。
「ここまでくると何がホントで何がウソなのかも分からなくなってくるわね」
あたしは呟く。
「何もかも物事の本質は表面どおりではないものよ」
と、アーシェ。そして続けた。
「例えばクルナちゃんやユズちゃん。ふたりとも見た目は幼いけど、ひょっとしたら私たちより年上かもしれないわね」
ドワーフ族に聖竜属か、確かにそれもありなん。ぼんやりと考えていると、
「……ところでマリー、あんた大丈夫なわけ?」
まじまじとアーシェが見てくる。
「なにが?」あたしは両の瞳をしばたかせる。
「なにがってあんた、ティオくんのことよ。クルナちゃんもユズちゃんもすっかりティオくんに懐いちゃってるけど、もしか私らより彼女たちが年上かもと想像して、それでもあんたはなんとも思ってないわけ?」
アーシェは呆れるように言ったけど、あたしにはやっぱりさっぱりなんのことやら分からない。上の空を表現したかったわけじゃないけれど、あたしはとりあえずもう一度、空の青をしばたかせてみた。
「っていうか、なんでそんなことアーシェが気にするの?」
なんとはなしに言葉に出してはみたものの、言いだしっぺのアーシェはすでに興味もないようにあさってを向いていた。
いったいぜんたい今日のアーシェときたら何が言いたいのやら。いつもみたくからかわれてるのかとちょっぴり食傷気味なあたしはその瞬間、それに気が付いた。
さらりと流れる銀髪の両側から、ちょこちょこと顔を出す褐色の先端。あたしはそれを久方ぶりに見留めた気がする。アーシェの――〝ハーフエルフ〟特有の長い耳を。
いつだって知的でクールな外見で、完全武装のアーシェだけど、その実けっこう動揺が表に出るってことをあたしは知ってる。顔にこそ出さないものの、彼女の先細った長い耳は喜怒哀楽の振り幅を示すように動くのだ。
とはいえ、銀髪を掻き分けるくらいの、こんな振り幅は初めてだ。いったいどの感情表現なのか……なんて疑問を浮かべていたら、実に素直なアーシェの、実直なまでに素直な従者がさっさと答えた。
「ご主人様は、ティオ様のことが気になっておられます」
瞬間、アーシェの両耳がウサギみたいにピーンと跳ねた。
今更ながらに口を封じようとしたアーシェと、がんじがらめになったエーテルちゃんがもんどりうって転がった。あたしのプレゼントしたビスタチオのレンズグラスも明後日の方向に飛んでいく。
いろんな衝撃に整理が追いつかないあたし。
やがて、あたしは声を上げて笑っていた。
スカートの裾もはだけたまま突っ伏すエーテルちゃん。そんな彼女に覆いかぶさったままのアーシェはバツが悪いのかいまだに動く素振りもない。
彼女たちのそんなさまに、だけどもあたしはなんだか幸せがこみ上げてきて、自然と顔も綻んでいた。
その幸せのまにまに、あたしは胸のつかえがひとつ取れたような気がしていた。
あの日――、卒業式まで残すところ一ヶ月を切ったあの日……。あたしは〝書物取扱者〟取得に向けて、いつもの図書委員の業務に就いていた。
季節は冬。窓の外には粉雪が舞っていた。さすがに海風の吹きぬける港町のシエナが雪で覆われるなんてことは稀だったけど、図書室の暖をとるためにくべられた薪ですら寒々しく感じられる、そんな別れの間際の節。あたしは、残り少ない図書委員としての日々に、ちょっと感慨を覚えたりなんかしていた。
持ち寄りで購入した粉末状のドリンクの中からホットココアを選んで、委員の特権として活動中にほっこりやりながら辺りを眺める。
いつもどおりの昼休み時間には、いつもどおりの面子。三年もいれば、馴染みの顔もひとつやふたつじゃきかない。挨拶だってすれば、世間話をすることだってある。だからというほどではないにしろ、心境的に感慨深かった余計なお世話のあたしは、三年間顔を合わせながら結局一度も口をきいていなかった彼女のことが気になりだしたのだった。
その彼女とは、もちろんアーシェのことである。
彼女が高等科を卒業しても大学課程へと進むエリートコースの人間であることは、制服につけられた腕章で解ってはいた。彼女にすれば九年課程の六年目を過ぎたにしかないとしても、あたしにすれば最後の三年目だ。あたしはなんとか話しかける口実を作ろうと、分厚い史書から片時も目を離さない彼女の後ろ姿を見つめていた。
そんな時だった。同じ腕章をつけてはいても、図書室に顔を出したこともない生徒が五人、やってきては彼女を見下ろす。
「ホントだってー、あたし見たもん」立て巻きロールな咲桜髪の女生徒が猫撫で声で言った。
「だったら確かめないとね」黒髪ショートの女生徒が、なぜだか楽しげに継いだ。
三人の男子生徒はニヤニヤしながら頷くと、突然彼女を引き起こした。史書をテーブルに広げていた彼女は、力ずくで体を持ち上げられたかたちになった。
唖然とするあたしを尻目に、彼女を羽交い絞めにする男子生徒。
彼女が薄汚い言葉を吐くと、一人の男子生徒が彼女の頬を張った。
うな垂れ、無言になる彼女。
黒髪の女生徒が近づき、そして……。
彼女は着ていた制服を次々と脱がされていった。それは毟り取られると呼んだ方が正しいような、無残な光景だった。
男子生徒から解放された彼女は、下着一枚の姿で床に倒れ付す。
咲桜髪の女生徒は、彼女の腰まである銀髪を鷲掴みにして引っ張り上げた。褐色をしたアーシェの背中、うなじから耳の先にかけての滑らかな曲線も露になる。
燃ゆる暖炉の火が、彼女の肌の褐色を淡く、色濃く、揺らめかせる。それはあまりにも背徳的で、それゆえに美しかった。
「ねっ、言ったとおりでしょ。この娘が人類にあだなす邪悪なる一族の末裔だって」
『ハーフエルフ』の証たる肌の色に長い耳。それを晒しながら、女生徒は声高に言った。
どこか誇らしげで、その顔には人好きのしそうな愛くるしい笑みが張り付いている。
だからなおさらに――、あたしはムカついた。
多分それだけだ。それだけで十分だ。それ以外にそいつの横っ面を引っぱたく理由があるだろうか?
〝暗黒竜〟と同じ、邪悪なる存在の源泉。人類の仇敵として古代より語り継がれる一族。それがダークエルフ。
彼らが人の目から姿を消してはや数百年。彼らと人間との間に生まれた存在こそ半人半エルフのハーフエルフ。
その定義から言えば、彼女はハーフのハーフ、クォーターのクォーターエルフといったところか。数百年前に及ぶ祖先の罪を持ち出されることなんてナンセンス。それより何より理由はどうあれ、こんな仕打ちが許されて良い筈はないだろう。
あたしは女生徒の一人に平手をかまし、着ていた緑色のブレザーを床に伏した彼女へと掛ける。
暗澹たる前途なんて忘れて、運命は自分で変えるもだというご都合主義の精神論を実行する。冒険者が正しく行使すべき力を正義というのなら、かつての冒険者に憧れていた少女の純粋な気持ちのままに、あたしはすなわち正義を実行した。
膝つきまくりの三年間を払拭するくらい、自分に自分で酔っちゃうくらい、間違いなく格好よかったはずだ。少なくともその時までは。
黒髪の女生徒に、聞いたこともない罵声を浴びせられる。それを合図に男子生徒が雄叫びを上げながら迫り来る。それもグーでだ。ただの詩人志望のか弱い女の子を三人がかり痛めつけるとかホントありえない。
後に残ったのは、オオイボガンマみたいに顔を腫らしたあたしだけだった。
薄汚い言葉を吐きながら生徒たちが帰っていく。次はこんなもんじゃすまねえぞとかって、どの口で言ってるのだろう。これがエリートコースだっていうんだから、ウチの学院も長くはないような気がしてくる。
無茶苦茶な被害者意識の彼らをぼんやり見送るオオイボガンマなあたしの隣で、アーシェは泣いていた。ほとんど裸の姿で、床に俯き、すすり泣いている。
正直あたしも泣きたいところだったけど、もはや痛みも通り越して何がなんだかよく分からない。だから、とりあえずあたしは自己紹介してみた。話しかける口実には、十分すぎるほどに十分だ。
「わ、わらひ、まぅぐぃっど・うぃんぐえる」
オオイボガンマ的には精一杯のご挨拶。切れた唇でもう一度言い直すのは正直しんどい。
さらと銀色の長い髪の毛が揺れ、一瞬だけ覗き見えた彼女の細い首筋。緑色のブレザーに包まった彼女が顔を上げる。褐色の肌に涙色の彼女は、だけど、
「あんたってバカでしょ」
そう言って笑った。それが彼女の声を初めて聞いた瞬間だった。
そして。
あたしはオオイボガンマな腫れが引く頃に元々決まっていた通り、アーシェは不本意ながら無理やりに、この春学院を卒業した。
〝暗黒竜〟の復活とその勢力の拡大に、確かに時勢は息詰まっていた。
忌むべき存在として、長らく人間の仇と認知されてきたハーフエルフを見る世間の目は冷たい。少し前まではそんな歴史認識なんて忘れて、ラブアンドピースにどっぷり浸かってきたくせに、いやどっぷり浸かってきたからこそに、か。弱くて疑心暗鬼なわれわれ人間は、自ら敵を作るのだ。弱い我々より、さらに弱い敵を。そうして無様な自尊心に縋り付いて安心したいのだ。
祖先の犯した罪なんてアーシェには関係のないことだ。それでも結局、素性のバレたアーシェは学院を追われた。
どんな理由にせよ、不平等な裁定を下した学院はやっぱり間違っていると思う。
だけど――、こうしてあたしたちは過去ではなくて、今を、未来を歩んでいる。
あたしは一応の心の整理をつけた上でこの旅路にいるのだけど、正直アーシェの本心は聞けずじまいだった。
それでも。
「あのさ、アーシェ」あたしがとりあえず声を掛けると、アーシェは身を縮めるように膝を抱えた。そして左右の耳を開いたり塞いだりしながら、「あわわわわ」と声を張り上げ、聞こえない振りをする。
その姿はちょっと幼稚で、ちょっとおもしろい。
まるで遥か西の大地にいると聞き及んだインディオ族みたいだ。あれ、インディオ族は口を手で開いたり塞いだりしながら、「あわわわわ」ってやるんだっけ?
むくりと上半身を起こしたエーテルちゃんが目をぱちくりとさせる。真紅のショートヘアーは、元々のカーリー具合がなおさらくしゃくしゃになって鳥の巣みたいだ。
そんな僕を前に、ご主人様はといえば、小さくなって「あわわわわ」を繰り返している。
素の表情を背中越しに見せるアーシェに、あたしはひとつ胸のつかえが取れた気がして。
だけど、同時にひとつの後悔を思い出す……。
旅立ちの日、アーシェは『紫海を臨む村』と称される地を目指したいと語っていた。
それはかつて〝紫海仙〟と呼ばれ、現在は〝屍廻仙〟と呼ばれるハーフエルフの大魔道士が築いた隠れ里だ。
地図にも記されてない秘密の村の手がかりは皆目見当もなし。だからというわけでもないだろうけど、セレストニアの七つの都市を時計回りに巡って中央の聖都を目指すという経路をあたしが提案したときだって、王道すぎて普通すぎる、と口では言いつつもアーシェは別段反対もしなかった。
「英雄譚を辿る王道こそ〝吟遊詩人〟の喜び。それが分からないなんてアーシェってば人生半分は損してるね」
そう言って嘯いたあの日を、あたしは今も覚えている。けらけらと笑いながら、だけど本心ではちゃんと笑えているかと心配していたあの日のことを。
そう。あたしは、本当は恐れていたのだ。ハーフエルフの安寧の地へと辿り付いたアーシェの心境の変化を。
いつの日か、唐突に突きつけられる別れを。
アーシェのためだと信じていた。
ハーフエルフの隠れ里を目指すなんて、あたしには自ら種という枷に囚われようとする愚かしい行為に聞こえた。そしてそれを断ち切りたいとあたしは願った。だけど……。
薄々は気づいていた――その思いこそが欺瞞だ、と。
本当のところなんて、アーシェ本人しか知りえない。だけど臆病者のあたしは、結局のところで聞けずじまい。そのくせ妄想症なものだから、悪い想像にばかり頭が働いちゃう。
目的地へと至ったアーシェから、人とハーフエルフのけして埋まらぬ溝を肯定されるのが怖くて、結局はあたしもアーシェを虐げた彼らと同じ存在なのだと言われるのが怖くて――、アーシェを虐げた彼らと同じことをあたしもしてしまったのかもしれない。
〝吟遊詩人〟を目指すから、王道の経路で行きたいなんて嘘だった。
本心では、王道の経路を辿れば隠れ里には辿り付けないと知っていたのだ。
冒険者組合で土地の情報を得られるのが、〝地図書き〟の利点のひとつだ。
王道の経路沿いの情報は、既にシエナの冒険者組合で手に入れていた。辿り着くにしろ何かしらの複雑な方法が必要であろう隠れ里の情報が、王道経路の正規の冒険者組合で得られることはまずない。
あたしはそう思い、実際それはその通りだった。
あたしは胸を撫で下ろし、同時にアーシェをその冒険者としての到達点から遠ざけた。
友情という名の方便を盾に私が手に入れたものは、仲間たちとの愉快な旅。
そして、澱のように溜まっていくだけの罪悪感。
あたしはなんて醜いのだろう。ひょっとしたらあの日以来、顔だけじゃなくて心までオオイボガンマになってしまったのかもしれない。それはそれでオオイボガンマに対する偏見でしかないのだけど。
ひょっとしたらひょっとして、私の顔はいまだにオオイボガンマのままなのでは、なんて悪い想像というか妄想は、連鎖の限りを尽くしてゆく。カエルに変えられた魔法を解く鍵は、確かお姫様の口づけじゃなかったっけ?
あたしは妄想童話のオチのページを捲る心境で、美人聡明な褐色肌のプリンセスを眺めてみたのだけど……。
やっぱり彼女は「あわわわ」を繰り返しているだけだった。
床に転がるレンズグラスを拾って、あたしはアーシェへと差し出す。
ようやく「あわわわ」を止めたアーシェは、咳払いなんかしたあとで、すっくと立ち上がるとレンズグラスを掛け直した。
隣で、鳥の巣みたいな頭のエーテルちゃんが、ご主人様の肩埃なんて払っている。
大真面目な顔のエーテルちゃんだけど、ご主人様の身づくろいの前にするべきこともあるだろう。あたしは捲くれあがったままのスカートの裾へと冷ややかな視線を送る。アーシェの趣味なのかなんなのか、真っ赤で紐みたいな下着が丸見えだった。
あのさ、アーシェ――あたしが口を開きかけたとき、機先を制するようにアーシェが声を上げた。それもあたしに背を向けたままで。
「例えばマリー、クラムボンの特製パンプディングのカラメルソースの隠し味ってなんなのか気にならない?」
クラムボンはリリポッド村唯一の菓子店で、中でも特性パンプディングはあたしとアーシェのお気に入りだった。土地の名物というなら、このレベルの物を今後もぜひ期待したいもの。塩コーヒーなんて論外である。
とはいえ、別段カラメルソースの隠し味なんて気にならないあたしはそう言いかけて、慌てて「なるっ、気になるよっアーシェ」食いついてみた。
「でしょ。冒険とはすなわち、あくなき探究心の追求なのよ、マリー。学者肌の私はより一層、例えばマリー、あなたなんかよりも一層探究心が強いというわけ。だから、つまりそういうことなわけよ。わかってくれたかしら」
レンズグラスの蔓をくいと上げながら、アーシェは得意満面に言った。
従順なる僕のエーテルちゃんは目を輝かせながら「さすがです、ご主人様」と呟いたけど、問いを投げかけられたあたしは戸惑うばかり。
そんなあたしに向けて、アーシェはこれでもかってくらいに座った目でまくしたてる。
「だーかーらぁ、探究心の追及者たる私にとって、気になることは山ほどあって、さっきの気になる、もつまりは、私の多岐に渡る気になるのひとつに過ぎない程度のことくらいのものであるからして、それはいわゆる高尚なる学術的見地に伴う理論解明の為の糸口にして入り口なわけよ。理解してくれたマリー?」
さっきの気になる、ってティオのこと?
開きかけたあたしの口を閉じさせたのはエーテルちゃん。
ジト目のアーシェの後ろで、スカート全開の彼女のジェスチャー。面積もほとんどない赤色の三角形に、気もそぞろなあたしはそっちにばかり目が行くけど、彼女は一生懸命に口を開いたりすぼめたりしている。
あたしはそれに倣って、彼女が口を開いたら「はぁ」、すぼめたら「いぃ」。途端に頭の中で正解のランプが閃いた。
「はいっ、はい! わかりましたっ。さすがっ、さすがアーシェは学者の鑑だね」
あたしの大げさに過ぎる賛辞の言葉に、アーシェはふふんと鼻を鳴らす。本当のところ学者どころか、たかが〝人形遣い〟に過ぎないのだけれど。
乗り気のアーシェはもったいぶった口調で続けた。
「好奇心の赴くがままいざ行かん、道なき道を。冒険者の辿りし標。それがやがて道と呼ばれるのだ」
アーシェらしくもない詩的な表現だった。
酔い気味のアーシェをさらに恍惚とさせる従者の拍手喝采に、だけどもそれはあたしの耳に運ばれてこない。
誰だってそうだ。気になることがたくさんあるから、進むことが出来るんだ。この先にあるものがなんであれ、気になるから先を目指すんだ。そう。突き詰めれば、本当に必要なものがなんなのかなんて、わからないから旅に出るのだ。
だから、もしその時が来たなら、あたしは笑って送り出してあげようと思った。
それがアーシェに必要なものなら、アーシェが自分にとって必要なものを見つけられたのなら、それほど幸せなことはないだろう。
今はまだわからない。それがハーフエルフの隠れ里か、あたしの幼馴染みか、それとも別の何かなのか。それでもきっとその時が来たなら、もうあたしは揺らぐこともなく親友を送り出せるはずだ。
本当に自分勝手だな――、とは思う。それでもあたしは、一人勝手に犯した罪に決着をつける。
それにしても、ティオだ。
体ばっかりでっかくなっただけの田舎坊主と思っていたら、いつの間にやらモテ期到来とは抜け目のないやつだ。あたしは不思議な気分でちょっと微笑んだ。
遠回りするつもりなんてないけど、今はまだ旅路の途中。ちょっと長めの滞在は、初めての通過儀礼と共に。
だけど不自由もない毎日に、飽きのこないパンプディングはもうしばらく楽しめそう。賑やかな日々に、隠し味も結局不明なカラメルソースが、抜群のアクセントになるときだってあるだろう。リリポッド村の滞在もあとほんの少しだけ、長引くかも。
〝屍廻仙〟を筆頭とした〝裏切りの四屍王〟の動向には世界中が括目しているし。
七百年前に一匹討たれ、盟主たる〝暗黒竜〟が封印されてからというもの、海深く、地の底に、森の最奥へ、と身を潜めていた〝憤怒〟、〝哀切〟、〝快楽〟の〝三魔王〟も、四屍王に負けじと再び暴れ始めたたらしい。
蛮族の長を祖に持つバルビア帝国の二将、〝右槍〟と〝左盾〟の〝二枚看板〟も健在だ。
その結末が終焉であったとしても〝絶壁の愚帝〟は戦争のラッパを吹き鳴らし、指揮棒をめたらやったら振り回す。
そして災厄の現況、〝暗黒竜〟――。
世界へと迫る脅威は何ひとつ解決しちゃいない。いないけれども――、まあいいか。
あたしはなんとなく思った。
夕焼けの橙を導くように、扉が開かれた。
泥だらけのクルナちゃんとユズちゃんがやってくる。
ユズちゃんの真白のローブは言わずもがな、ヒスイ色の髪の毛まで泥だらけ。だけど二人とも、空の虫かごとは思えないくらいに飛び切りの笑顔で。
前途有望たる冒険者に新たなる七星刀の称号を与える――アデュランダルの〝聖姫〟は勅命を発した。
あたしたちは前述のビッグネームを手土産に、ティオを七星刀にと、志も高く旅立ったわけだけど、この分では聖都に着くのもいつになることやら。
でも。
扉の前には、ひときわ背の高いティオ。西の山間へと沈みつつある陽光を背に、その輝きに負けないくらいの笑顔だった。
「不甲斐なさすぎよ、あなたたち。しっかりしてちょうだいよ、まったく」
蔓を持ち上げてレンズに陽の光を反射させるアーシェは、さっきまでの慌て具合が嘘のよう。冷徹なまでに温度のない言葉を吐き捨てる。
今日も、もはや当たり前のように蝶を捕まえることは出来なかった。
アーシェの裏腹な言葉にティオは悪びれもせず、笑ってごまかす。
ティオのこと何とも思ってないわけ? 尋ねた親友にあたしは結局ちゃんとした回答を言えずじまいだった。だけど、いつだって肝心なところが抜けちゃうそんなあたしらしさも、今日くらいは好きになれそうだ。
あたしが窓の外に目をやると、虹色に煌めく羽を翻すアゲハが、沈む陽を目指して飛び立っていった気がした。
頭のずっと奥で声が響く――あの美しすぎる蝶は、永遠に人の手に触れられない方が良いのかもしれない。
後ろ向きに過ぎる道徳心は、誰かの言葉。いや、ひょっとしたら、それは――。
湖畔を七色に染め上げて蝶は舞い、虫かごは今日も空のまま。予定調和みたいなものだというのなら、きっと明日も、明後日も。
なのに、あたしはといえば……。
ティオの笑顔を見てしまったらなおさらに。
それならそれでいいかもと思った。
蝶があたしの見ている夢の産物であろうと。
あたしが蝶の見ている夢の産物であろうと。
このリリポッド村の日々が、胡蝶の夢であったとしても――。
――でも、まあやっぱり……。
足の方からガジガジは嫌だけど。
長くてゴメンナサイ。
それでも読んでいただけたアナタ様には、ひとえに感謝です。ありがとうございました。




