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8

 その日を境に、睦月は彼女の病室を連日で訪れ続けた。


 日も空けずに患者の立場である彼女に会いに行くというのは気がひけたが、彼女は心底嬉しそうにしてくれたし、笑顔も少しずつ増えていた。彼女の笑顔が増えることが、睦月にとってもこの上ない喜びだった。


 毎日見舞いに行くということもあり、自然とソナタの父親とも顔を合わせる形となった。海外の人間ということもあり、かなり気を張っていたのだが、日本語も完璧に話せるおかげで、大した気を遣う必要もなかった。


 とはいえ、大事な一人娘に近付く不埒な男だと思われていたのか、度重なる警戒と威嚇をされてしまった。だが、非常に気さくで優しい人であったため、打ち解けるのに時間はかからなかった。


 会話、多種多様のゲームなど、彼女と過ごす時間は様々なものがあったが、その中でも多くの時間を、音楽を二人で聴くことに費やした。


 ソナタは睦月が一番好きだとオススメしたあの曲が本当に気に入ったらしく、一日に何度も何度も聴くことが多かった。いつの間にか、彼女は歌詞を完全に覚えてしまい、二人して歌うなんて日もあった。彼女の透き通った小鳥のような音色が大好きだった。


 こんな楽しい時間が、ずっと続けばいいのに――。

 誰もが一度は思ったことがあるだろうこの言葉を、睦月はいつしか心の中で唱えるようになっていた。




 その日もいつも持ち歩いている音楽プレイヤーとお見舞い品を持っていき、ソナタの病室を訪れていた。


 睦月が椅子に座るまで、ソナタはベッドに横になっていた。心なしか、顔色があまり優れていないように見えた。


「こんにちは、睦月。今日もありが――こほっ」


 話の途中で、彼女は小さく咳をした。


「だ、大丈夫ですか? どこか、調子が悪いんですか?」


「大丈夫だよ。それより、今日は睦月のことや、睦月の周りについて話をしてくれないかな? 私のことは、前に話したからね」


 どこか無理をしているようにも見えるソナタが心配だったが、お安い御用です、と睦月は自分の家族や友人について彼女に話した。


 溺愛している氷柱や、お調子者だが友人想いの冬里。無愛想ながらも優しく、手を差し出してくれる御節のことを話した。


「随分と個性的な人たちなんだね。会ってみたいな」


 ソナタの言葉に、睦月はふと気がついたことがあった。


 こうして連日で彼女の見舞いには来ているのだが、睦月とソナタの両親以外、彼女を見舞いに来ている人を見たことがないのだ。


 それも仕方のないことなのだろう。六年間もこんな閉鎖された空間で過ごしていた彼女に、知人が簡単にできるとは思えなかった。


「ソナタさんがよろしければ、暇を見つけて連れてきますよ」


 他人と関わる喜びを味わってもらいたいと、睦月は彼女に提案をした。


「いや、それは悪いよ。彼らにも用事はあるだろうし、私のためにそこまでしなくても……」


「いいえ、必ず連れてきます。何でもやるって言いました。それに、彼らは見返りを求めるようなことはしないです。だって、俺の自慢の妹と友人ですから」


 誇らしげに睦月が語ると、ソナタはどこか不服そうに顔をしかめた。


「自慢の妹に、友人か……。それじゃ、私は睦月にとってなんなんだい?」

「……え?」


 思考が一瞬にして停止した。彼女の質問の意図がまるでわからず、頭の上に巨大なクエスチョンマークを浮かべた。


「だから、私は睦月のなんなんだい?」

「それは……」


 何なのだろうか。ソナタは自分にとっての何なのだ?


 知人? 友人? 違う、そんな言葉じゃ収めることなんてできやしない。ならば、一体何なのだ?


 自分は、彼女のことをどう思っているのだ? 


 逡巡しながら、ちらりとソナタを一瞥した。彼女の青白い瞳は、既に睦月へと向けられていた。


 その視線が恥ずかしくて、視線を逸らした。


 何故、逸らす? 何故、恥ずかしく思うのだ。


 答えなんて、わかっている。きっと、この感情は――


「少し意地悪な聞き方をしてしまったね。私も、ちょっと期待しすぎてしまったようだ」


 ソナタもまた、視線を下に向けた。白磁のような白い頬に、ほんのりと赤みがさしていた。


 沈黙が病室に、二人の間に流れた。睦月が視線をさまよわせるのに対し、ソナタはどこか落ちつかなさそうに体をもじもじと動かしていた。


「けほっ、けほっ!」


 突如、吐くように彼女が大きく咳きこんだ。気まずい空気は一瞬にして払拭された。


「そ、ソナタさん! 大丈夫ですか?」


 反射的に立ち上がり、ソナタの背中をさすった。


「あ、ああ。大丈夫。別にこれくらいはどうってことないさ。けほっ! 最近調子がよすぎたのもあるからね。これくらいは許容範囲さ」


 胸を抑え、絞り出すような声で言った。どこからどう見ても、大丈夫とは思えなかった。


「とりあえず、体を横にしてください。俺のために上体を起こしてもらわなくても大丈夫ですから。ね?」

「……ごめん、睦月。ごめんね」


 心底悪そうな呟き。女の子らしい、弱弱しい声だった。


「いいんですよ。それに、俺が悪いんです。患者であるあなたに必要以上の会話を強要させてしまいました。申し訳ありません」


 崩れ落ちないよう支えながら、ソナタをベッドに横にさせた。


 ソナタは体にかけていた布団を目元までかぶせた。潤んだ青白い瞳が、ひょっこりと出た形となった。


 しばしの間、二人の間に無言の時が流れた。


「あ、俺。雪那さんに連絡してきますね」


 睦月が連日で見舞いをするようになった今、二人を気遣ってくれてか、雪那は病室に顔を出す頻度を減らしていた。何か困ったことがあった時にと、雪那の電話番号は事前に教えてもらっていた。そして、今が彼女に電話をするときだ。


「ちょっと外に出てきます。ソナタさんはここで待って――」


 立ち上がり、病室を後にしようとする睦月の腕が、ひんやりとした何かに掴まれた。


 振り返ると、憂いを帯びた瞳をしたソナタが、睦月の腕を掴んでいた。


「待って……」


 しぼりだすような、震えた彼女の声は。


「一人にしないで……。どこもいかないで……。ここにいてほしい、いてくれるだけでいいんだ……」


 今まで聞いたこともない、不安の色を帯びていた。


 その潤んだ瞳と哀願する声に、睦月の心は大きく跳ねた。


「もちろんです。あなたが望むのならいつだって隣にいます」


 ぎゅっ、と彼女の白く、冷えた手を優しく握った。自分の熱で暖めるように、優しく、だが強く握った。


「大丈夫ですよ。俺はここにいますから。安心して眠ってください」

「ありがとう、睦月。やっぱり君は優しいね……」


 睦月に手を握られたまま、ソナタは目を瞑った。数分後に小さな寝息が確認できると、睦月は小さく安堵の息をついた。


 こうして可愛らしい寝息を立てている彼女を見ていると、自分よりも年上だとはとても思えなかった。むしろ年下、氷柱と同年代の少女のようだ。


 氷柱もそうだが、病に侵された人間というのは、肉体的にはもちろん、精神的にもひどく弱くなるものだった。そうした場合には、常に隣にいて安心させるのが一番だというのは、氷柱を長年介護してきて得た教訓だった。


 天使のような寝顔をしたソナタを見据え、目を細めた。その寝顔は非常に愛くるしく、母性本能をくすぐるものだった。睦月は彼女の頭を撫でようと、繋いでいないほうの手をゆっくりと伸ばした。


 ふわりと、ソナタの艶やかな髪に触れた。彼女が起きないよう、氷柱をあやす際と同じように、優しく、かつ慎重に彼女の頭を撫でた。川のように清らかな髪が心地よかった。


 そのまま撫で続けていると、ソナタは小さく、気持ちよさそうな可愛らしい声をあげた。その声がどことなく嬉しそうで、睦月は赴くまま頭を撫で続けた。


 不意に、彼女の青白い虚ろな瞳と視線がぶつかった。石像のように、睦月は硬直した。今、自分がどんな表情をしているのかはわからない。ただ確かなことは、ひどく赤面しているであろうことだった。顔だけでなく、全身が炎のように熱かった。


「す、すみません! あ、あまりにも寝顔が気持ちよさそうだったので、つい――」


 慌てて手をひっこめる。顔から火が出る思いだった。うちわが近くにあるのであれば、手がもぎ取れるくらいに扇ぎたかった。


 ソナタの表情はどこか不服そうで、ぼんやりとした瞳は未だに睦月を捉えていた。握っていたほうの手に、ぎゅっと力をこめ、


「やめないで。撫でてほしい……」


 弱った子猫のような、愛おしい声でそう言った。


 うわぁ、と睦月は心の中で声をあげた。女子を敵に回してしまうような発言になるが、あえて言わせてもらおう。全ての女子の存在が等しく見えるほど、異次元な生物が目の前に存在していた。もう可愛いや美しいといった言葉では表現できないほど、目の前にいる女の子が愛おしかった。


 ソナタの哀願の連続に、睦月の理性は崩壊寸前だった。今すぐにでも目の前にいる小さな少女を抱きしめたかった。もう、彼女しか見えなかった。そして、今さらながらに気がついた。


 ソナタのことが、好きなのだと。


 全身に熱を駆け巡らせたまま、睦月はソナタの願いに応え、手を繋いだまま頭を撫で続けた。


 打楽器のように心臓は高鳴り、額にはほんのりと汗がにじんでいた。恥ずかしさのあまり、今すぐにでも手を離したいという気持ちもあったが、こうしてソナタに触れられる喜びがあるのも事実であり、ジレンマに悩まされる形となった。何より、自分の気持ちに気がついてしまった以上、彼女の願いを無視することなんてできなかった。


 結局、ソナタが再び寝息を立てるまで、役得と言ってもいい、嬉しい生き地獄をさまようこととなったのだった。


 患者である以上、ソナタの体調が思わしくない日はもちろんあった。そのたびに彼女の手を握り、安眠するまで隣に居続けるということは睦月の中で決まりのようになっていた。


 知りあって数週間ほどしか経っていないというのに、彼女との距離が随分と縮まったように思えた。勘違いかもしれないが、それくらいに彼女を近くで感じられる日が続いた。


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