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8/21

7

その日は一睡もできなかった。だが、不思議と意識ははっきりとしていて、体に疲れはまるでなかった。むしろ、気分は晴れ晴れとしていて、ここ数日のもやもやは既に塵と化していた。


 土曜日ということもあって、学校も昼に終わり、睦月はわき目もふらず病院へと直行していた。


 大方の事情は冬里と御節、氷柱に話していたということもあり、冬里と氷柱は快く後押しをしてくれた。御節に至っては、何故か少し複雑な表情を浮かべていたが。


 四○四号室。雪野ソナタと書かれた部屋の前に、睦月は立ちつくした。

 これまで何度も氷柱の付き添いで病室を訪れてきたというのに、心臓が馬鹿みたいにバクバクと動いているのがわかった。喉が渇き、額にほんのりと汗をかいていた。


 大きく深呼吸をした。落ちつかせるように、胸に手をやった。


 大丈夫、恐れる必要はない。今日は、彼女の見舞いに行くという約束を果たしに来たのだから。


 よし――意を決し、扉をノックした。


「どうぞ」


 ここ最近で聞きなれた、透き通った川のような声が扉越しに聞こえた。


 彼女の声に促され、睦月は重い扉をゆっくりと開けた。


 そこは、一面銀世界だった。


 病室らしさが全開に出た、白を基調とした部屋。その白い空間に設置されている、純白のベッドに体を預けた、誰もが目を疑うほどの白く、美しい少女。鮮やかな銀色の髪も、白のパジャマと同化したかと錯覚するほどに透き通った肌も、微笑みも、名前も。全てが白い、雪の精がそこにいた。


 初めて出会った時と同じくらいの衝撃に、足がすくんでいた。こんなにも美しく、孤高の存在に惹かれていたということを改めて実感した。


「やあ、こんにちは、睦月」

「こん……にちわ」


 彼女の変わらない微笑みに一応の笑顔を返すも、きっとの表情は少し引きつっていたことだろう。


 これまで何度も氷柱が患者となった姿を見てきたが、こうして身内以外の見舞いに来ることは初めてだった。そのためか、ベッドに身を預ける彼女にどんな表情で向き合えばいいかわからなかったのだ。


「そんな顔はしないでほしいな。君らしくもないよ。私を病人としてではなく、普通に接してくれた君と話がしたいんだ。複雑な感情を抱かなくてもいい。私を同級生や友人のように思ってくれると嬉しい」


複雑な表情を浮かべ、俯く睦月に彼女は寂しそうな笑みを向けた。


 浮かれていた。安直で軽率な自分を恥じた。


 見舞いに行くということは、即ち患者の病状を一部垣間見ることを意味するのだ。病状がどうあれ、入院をしているということは体のどこかに支障があるということなのだ。見舞いに来た時点で、患者の状態を受け入れなければならないのだ。


 ただ彼女と会いたい、話したいがために見舞いに来るという無神経な動機を悔いた。彼女の本質を知ろうともしない、理解しようともしない自分が許せなかった。本当に、最悪で最低だ。


「とりあえず、座ったらどうだい? 立ちっぱなしも疲れるだろうからね」


 彼女に促され、睦月はベッドの横に置かれた椅子に腰をかけた。


 目新しいものを発見した、純粋無垢な子どものように、ソナタはまじまじと睦月を舐めまわすように見つめた。


「それは制服かい? ふふ、本当に高校生だったんだね」

「もちろんですよ。疑っていたんですか?」

「いやいや、疑っていたわけではないんだけどね。いいなぁ、って思って。ふふ、青春だね」


 微笑む彼女とは対象的に、睦月は未だ曇った表情を浮かべていた。


 いつもと変わらぬ調子で話すソナタは、どこも支障がないように見えると言うのに、こうしてベッドに身を預けているだけで、ドス黒い不安が胸の中に広まっていった。


「あの、こういうことを聞くのは不躾かもしれないですけど。その……体のほうは、大丈夫なんですか?」


彼女の容態が気になって、睦月は溜まらず口にした。


「ああ、問題ないさ。長い間入院こそしているが、命にはかかわらないほどの病だよ。そんなに深刻な顔をすることないさ」


 穏やかな表情を浮かべる彼女に、ほっと睦月は安堵した。


「それなら、本当によかったです。もし俺にできることがあったのなら、何でも言ってください。できることなら、何でもさせてもらいますから」

「ふふ、相変わらずだね。ありがとう、睦月。それじゃ、ちょっとお話でもしようか。そうだね。とりあえず、私について話そうか」


 いろんなことを彼女から聞いた。見た目からわかるとおり、彼女は純粋な日本人ではなかった。父方が海外の人間で、母方が日本人のハーフだそうだ。海外で生まれ育ち、日本でいう小学校入学前にこっちに越してきたとのことだった。


 中学に入るまでは何不自由のない健康な体の持ち主だった彼女だったが、中学に入って間もなく、病を患った。


 あまり人のいない、静かな場所で療養させようという家族の心遣いから、彼女は今現在までこうしてこの病院にいるらしい。


「だから、ここは私の家のようなものなのさ。本当にごく稀に、家に帰ることもできたけど、ここ六年はほとんどこの場所で過ごしてきたんだ。いつしか成長も止まって、進んでいくのは時間だけ、って感じかな」


 ソナタは自嘲の笑みを浮かべて、自分の体を見渡した。


睦月の胸ほどしかない背丈。白磁のように白く、小枝のように細い腕。お世辞にも、育っているとは言えない小さな胸。見た目だけなら十八とは思えない少女の体だった。


「冬が好きだったのはね。ここから見ることのできる景色で、一番心を揺さぶられるのは雪だったからさ。私が前まで住んでいたところはあまり雪が降らなかったけど、この地域はとても雪が降るからね。だから、多少の自由が利く夜には雪を見に行くことが多くなっていたんだ」


 外の世界に思いを馳せるように、ソナタは視線を雪の降る外へと移した。


 そう、ソナタと出会った日も、地域的には初雪が降った日だった。大好きな景色である雪を見たくて、彼女は病院という鳥かごから一時的に飛び立っていたのだ。


 だが、その話は裏を返せば、雪くらいしか見るものがないということでもある。体に潜む病のために、外の世界を知ることができないのだ。飛び立てるのは、一部の空のみなのだ。


「ねぇ、睦月。長い間こういう殺風景なところにいると、あまり情報が入ってこないんだが、何か目新しいことはないのかい?」

「と、いいますと?」

「そうだね、例えば……。そうだ、音楽とか。あまりこういうところじゃ音楽は聴けないから、音楽が聴いてみたいな。そうだね、睦月の好きな曲はなんだい?」

「割と音楽は聴くほうなので、好きな曲はいっぱいありますね。あ、そうだ」


 ブレザーの内ポケットから音楽プレイヤーを取り出す。登下校の際や、すぐそばのコンビニに行く時など、外出する際には常時持ち歩いている愛用のプレイヤーだ。


「このプレイヤーに俺の好きな曲がいっぱい入っていますから、聴いてみますか? お、俺のイヤホンでよければです、けど」


 普段から耳に詰めているイヤホンに、ソナタが嫌悪感を示すのではないかと恐れたが、


「君のイヤホンなら全然気にしないよ。ふふ、ありがとう、睦月。それじゃ、遠慮なく聴かせてもらおうかな」


 彼女は身を乗り出し、嬉しそうに目を細めた。


 睦月が選んでくれ、という彼女のリクエストに、睦月は音楽プレイヤーを片手に、ソナタへとイヤホンを渡した。


 ソナタは小さな耳にイヤホンを一度装着するも、すぐさま外し、じぃっ、とイヤホンを凝視して、


「そうだ。こうして両耳あるわけだから、二人で一緒に聴かないかい? そうしたほうが、二人でゆっくりと味わえるだろう?」


 はい、とイヤホンの片耳を睦月へと差し出した。


 彼女が何を言っているか、しばしの間理解しそこね、軽く呆けていた。

「は、はい」


 もう一度、「はい」とさらにイヤホンを差し出すソナタに圧され、睦月は反動的に片耳のイヤホンを受け取った。


 イヤホン自体は長くなく、左と右に枝分かれしている部分はさらに短い距離からであったため、二人の距離は必然的に近いものとなった。


 睦月が左耳に、ソナタは右耳にイヤホンを装着し、一曲目の音楽を流し、耳を傾ける――つもりだった。


 だが、どうしてもすぐ近くに感じるソナタのほうへ意識が傾いてしまうのだった。病室に微かに香る消毒液の匂いに紛れて、彼女のふんわりとした甘美な香りが鼻腔をくすぐった。どうしてこうも、女の子というのはとても仄かないい匂いがするのだろうか。


「うん。いいなぁ。この曲。心に響いてくるよ」


 気がつけば、一曲目が既に流れ終わっていた。うんうん、と頷く彼女を見ていると、何て邪なことを考えていたのだと、頭をコツンと叩いた。


「ねぇ、睦月。もっと聴きたいな。他にもいっぱいあるんだろう?」

「もちろんです。曲だけなら異常にありますよ。まぁ、結局聴くのは限られてしまうんですけどね」

「君の好きな曲、オススメな曲でいいんだ。お願いするよ」


 わかりました、と睦月は音楽プレイヤーを操作した。


 それから数時間ほど、二人は多種多様の音楽に浸っていた。


 曲が流れている最中に、「うんうん」「いい曲だなぁ」「わお」などと、子どものような反応をする彼女が印象的だった。これまで見ることのできなかった、彼女の横顔が垣間見れたような気がして、睦月の頬は緩みっぱなしだった。


「そうだ。この曲がありました。俺が一番好きな曲です。若者を中心とし、多くの支持を受けている人気のロックバンドの曲です。冬について歌っていて、すごく心に染みます。恐らくですが、ソナタさんも好きになってくれるかと」


 恐らく、睦月が一番聴いているであろう曲。冬の季節について歌っているが、季節を問わず、一年中聴いている曲だ。


 睦月の前振りに、関心を示すような声を上げたソナタを見て、曲を再生した。


 静かで、切なさを漂わせるギターソロから始まり、ボーカルの優しい歌声が聞こえてきた。


 いつ聴いてもいい曲だな、と浸りながら、睦月はソナタの様子を窺った。

 これまで、曲が流れている最中には必ずと言っていいほど何らかのアクションを起こした彼女が、静かにその曲を聴いていた。目を瞑り、貪りつくすかのように、一心に耳を傾け続けていた。その表情からは感情が読み取れず、心は別のどこかに旅立っているかのようだ。


 静かながらも、心に訴えかけてくる声に、詩に、睦月も聴き惚れていた。


 曲も終盤に入り、歌声がフェードアウトしていき、再生は終了した。


 ソナタはゆっくりと目を開き、


「とても……とてもいい歌だね。二人の冬の思い出が詰まった詩。冬と雪の良さが、全面にでてるよ。雪の笑顔……か」


 感嘆したような吐息をつき、外へと目を向けた。外は未だに雪が降っていた。


「だけど同時に、とても切ない歌だね。最終的には、この二人は離ればなれになるんだね。一緒に歩いたことは胸にしまい続けて、一人で歩いてくことを決心してる」


 窓とは逆の位置に座っている睦月からは、彼女の表情を確認することはできなかったが、その声色からして、きっとまた寂しそうな表情を浮かべているのだろう。


「そうかもしれません。だけど、俺は違う解釈ですよ」


 え? と疑惑の色を浮かべた表情で振り返り、ソナタは睦月を見つめた。


「確かにこの二人は一度、離ればなれになるかもしれません。だけど、思い出を糧にして、また出会うことを祈っているんだと、俺は思っています。だって、嫌じゃないですか。最後はハッピーエンドじゃないと、ね」


 でしょう? と、睦月は彼女に微笑みかけた。


「実に君らしい考えだね。うん、なんだかそんな気がしてきたよ。きっとまた会えることを信じて、歩き続けているのか……。そうだね、きっとそうだ」


 睦月の笑顔に、ソナタも頬笑みを返した。


「この曲、私もすごく気に入ったよ。もう一回聴いてもいいかい?」

「何度でも。俺も大好きですから、いくらでもお付き合いしますよ」


 ありがとう、と心から嬉しそうに微笑む彼女をもっと見たくて、睦月はすぐさまに同じ曲を再生した。


 五周目に入ると、ソナタは小さな声で歌詞を口ずさみ始めるようになった。彼女の艶やかな唇から発せられる、小さな音色が心地よかった。





 それから数時間後。


「ソナタ、入るわよ」


 がたん、とドアが小さく跳ねるような音を発し、ゆくりと開いた。


「お母さん」


 ついさっき話してもらった、ソナタの母親だった。十八にもなる娘がいるとは思えないほど若々しく、綺麗な人だった。


「あら、来客さんがいらしていたのね。ごめんなさい」


 ぺこりと、ソナタの母親は睦月にお辞儀をした。


 睦月も慌てて椅子から立ち上がり、緊張の面持ちを浮かべたまま、お辞儀をした。


「い、いえ。僕のほうこそ連絡も入れず、入り込んでしまって申し訳ありません。お邪魔させていただいています。真白睦月というものです」

「真白、睦月くん。そう、君が……」


 睦月の名を呟き、ソナタの母親は小さく微笑んだ。その儚げも綺麗な微笑は、まさにソナタの微笑そのものだった。


「あの、僕が何か……?」

「いいえ、なんでもないの。私は雪野雪那。ソナタの母親です。これからも、ソナタのことをよろしくお願いします」


 もう一度、ぺこりと雪那はお辞儀。それに釣られるように、睦月も再度お辞儀をした。


「ふふ、お母さん。それじゃまるで結婚の挨拶をしに来たみたいじゃないか」

「私は構わないけど、そういうことはお父さんに聞かないとね。あの人はあなたをきっと放したがらないわ」

「そうだね。あの人の狂愛は困ってしまうレベルだもんね」


 ふふ、と二人は顔を見合わせ、微笑みあった。まるで、一輪の花が咲いたのではないかと錯覚するほどの美景だった。


 タイプの違う、美人母娘の会話に、睦月はもどかしさと焦燥感に駆られた。

「あ、あの。僕はお邪魔でしたら今日はこの辺りで御暇させていただきますが……」


 それに、時刻も五時を過ぎていた。時間の経過を忘れてしまうくらい、ソナタとの時間を堪能していたようだ。これ以上の長居は迷惑をかけてしまうだろう。


「いいのよ。あなたの都合と時間が許すのなら、いつまでも居てもらって構いませんよ。私もあなたとお話してみたいですし。とりあえず、座ってください。私も座りますから。腰を据えてお話をしましょう?」


 腰を据えて何を話すんだろう、と疑問と恐怖を抱きながら、睦月は着席した。隣に置いてあった、もう一つの椅子に雪那も着席した。


「それに、あんなに楽しそうに誰かと話しているソナタを見たのは本当に久しぶりだもの」


 え? と睦月は眉をひそめた。その言い方ではまるで――


「ちょっとお母さん? 今部屋に入ってきたのに、その言い方じゃ一部始終を見ていたような言い方だけど?」


 ソナタに怪訝そうな表情と口調で咎められ、はっ、と雪那は口を手でおおった。


「あら、口が滑ってしまったわ」

「全く。どこから見てたの?」

「二人で一つの音楽プレイヤーを使って、密着して曲を聴き始めたところからかしら?」


 かなり前からじゃないか! と、睦月は何とも言えない恥ずかしさを覚え、視線を下に落とした。全身に熱が駆け巡った。


「じゃあその間、ずっと外で待っていたの?」

「だって、邪魔しちゃ悪いような気がしたんだもの。それに、言ったでしょう? あんなに楽しそうにしているあなたを見たのは久しぶりだったもの。母親として、これ以上の喜びはないでしょう?」


 雪那は愛でるように、ソナタの艶やかな銀色の髪を撫でた。


「だけど、ふふ。あんまりにも二人して楽しそうにしているものだから、一緒にお話したくなってしまったの。邪魔をしちゃってごめんなさいね」


 ぺろっ、と雪那は可愛らしく舌を出した。どこからどう見ても、子持ちには見えない若々しさだった。


 雰囲気こそどこかソナタと通じるものがあったが、どちらかと言えば取っつきやすいタイプの人間であり、会話に気苦労をする必要もなかった。


 だが、時折見せる微笑みが、ソナタと母娘であることを証明していた。


 病室には、三人の談笑で花が咲いていた。またしても時間を忘れるほどに、話が絶えることはなかった。




「睦月。そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃないのかい? 制服のまま、こんな時間まで道草を食っていたら、親御さんたちも心配されるだろう」


 外に視線を向ければ、辺りはあっという間に暗くなっていた。七時も回っていない時間帯でここまで空が沈むのは、冬がすぐそこまでやってきているからなのだろう。


「いや、俺は大丈夫です。ですが、ソナタさんのご迷惑になるのなら……」

 もう少しソナタの傍にいたかった。いや――できるならば、ずっと彼女の傍にいたかった。もっと、彼女との時間を過ごしたかった。


「その言い方は、卑怯だよ。こんなにも私なんかに付き合ってくれた人を嫌うわけがないじゃないか。私としても、君にはここにいてもらいたいよ。君と話をしていると、飽きない。それに、お母さんも言ってた通り、本当に楽しいから」


 嬉しそうに、ソナタは雪のような笑顔を浮かべた。


「だけどね、家族を心配させちゃダメだ。今も、首を長くして君の帰りを待っているだろうから。愛してくれる家族に対する最大の報いは、心配をさせないことだから。私はそれができてないから、君は家族を大切にしてあげてくれ」


 雪那は寂しそうに、悔しそうに俯き、ソナタの白い手を握った。


 その手を、ソナタがぎゅっ、と優しく握り返した。


「君が許してくれるのなら、また来てほしい。私はここで待っているから」


 わかりました、と睦月は立ちあがった。上体を起こしたままのソナタを見下ろし、


「来ます。必ずまた来ます。明日は日曜日で、休みですからね」


 彼女を安心させようと、満面の笑みを作った。


「うん。待っているよ。今日はありがとう、睦月。本当に、ありがとう」



「睦月くん。今日は本当にありがとうございました」


 睦月と共に部屋を出た雪那が頭を下げた。


「いえ、僕は何もしていません。こちらこそ、何の断りもなく見舞いに来てしまって申し訳ないです」


 頭を上げ、雪那はソナタの病室に目をやった。


「実を言うとですね。私はあなたのことを存じていたの。あの子、ソナタがね。ここ最近、楽しそうに話していたの。夜の屋上に、不思議な男の子と出会ったという話。おせっかいで、物好きな子だけど、本当に優しくて、一緒にいて飽きないって話してくれたの。たった三日のことでしかないのに、昔からの友人のように話していたわ」


 まるで自分のことのように、雪那は嬉しそうに言った。


 睦月も同様だった。嬉しかった。たまらなく嬉しかった。こんなにも、心が暴れ狂うように踊ったことがあるだろうか。


 掴みどころのないソナタが、自分のことをどう思っているか、気になって仕方がなかったのだ。もしかすれば、邪険に思っているのではないか。不安も宿っていた。


 だが、少しでも自分のことを思っていてくれたことが、本当に嬉しかった。この三日間が嘘ではない、無駄ではなかったのだ。


「そして、あなたを今日見て感じたわ。あなたなら、あの子を任せることができる。あの子が楽しそうにする姿なんて、もう見れないと思っていたくらいですもの。だから、お願いします。できるならば、あの子の傍にいてあげてください」


 深ぶかと、雪那は今日何度目になるかわからないお辞儀をした。


「頭を上げてください。雪那さんがそこまでする必要はないんです。これは、僕が僕の意志でやっていることなんですから。それに言われずともです。彼女が望んでくれるのであれば、僕は彼女の傍にいます」


 寂しそうに、儚げな微笑を浮かべるソナタを、もっと心の底から楽しませたい、笑わせたかった。


 そして、答えはもう出ている。この感情が何なのか、今日ではっきりとしたのだから。


 雪那はゆっくりと頭を上げ、憂いを帯びた表情を浮かべ、


「ありがとうございます。どうか、あの子の心を救ってあげてください……」


 意味深にそう言って、ソナタの病室へと戻っていった。


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