15
ソナタとの別れから二カ月が経った。
彼女が傍にいなくなっても、そんなこと知ったことではないと、依然として時は流れ続けた。それもそうだ。この世界にとって、彼女の存在など幾多にある歯車のネジの一つにしか過ぎないのだから。
そしてもちろん、睦月の日常も変わらずやってくる。彼女と出会う前までの日常に戻るだけだった。朝起きて、学校に行って、授業を受けて――そんな日常が戻ってきただけだ。
変わらずに日常を過ごすと、彼女に誓いはしたが、やはり、そうは問屋が卸さなかった。気がつけば、彼女のことを考えてしまう。そして、彼女が傍にいないという事実を思い出すと、胸の中にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥ってしまうことも多々あった。
彼女のことを考えないようと必死に努力もした。だが、「彼女」を考えないと意識をすることは、考えることと同義だということに気づいた。結局、前提に「彼女」がいるのだから。
意識しないことが、決して強いというわけではない。だが、少しでも考えると、頭の中の彼女を消しさるのは至極困難なことだった。一日を悶々として過ごす、そんな日もあった。女女しいと言われても否定はできなかった。
憔悴しきった自分に、何度も冬里や御節、氷柱などの友人、知人が声をかけてくれた。そのたびに、「大丈夫」と答えてきた。全くもって「大丈夫」ではなかった。だが、自分に言い聞かせるように、鼓舞させるようにそう言うしかなかったのだ。
いつまでもウジウジしてはいられない。彼女はもう、ここにはいない。それは、決して覆ることのない事実なのだから。
だから、睦月は目標にひた走ることを決めた。そう、勉強することだ。少しでも勉強して、賢くなって、彼女のように苦しむ人を助けることができれば。そう考えた。
安直な考えかもしれないが、この目標の先にはきっと、彼女がいるような気がしたのだ。少しでも彼女の役に立てるようになりたかった。
部活にも委員会にも所属していない睦月にとって、時間を作ることは難しくはなかった。彼女と過ごしてきた時間に、勉強を当てはめればいいのだから。やり場のない、もどかしい思いをぶつけるように、狂ったように机に向かい続けた。
時間が足りないと嘆く日の連続だった。一日を有意義に使ったかと問われれば、「YES」と答えたいとところだったが、これまでの努力を怠っていたせいで、躓く日がほとんどだったため、能率は決していいとはいえなかった。
だが、「これまで勉強してなかった自分が、頑張って勉強をし始めた、これは紛れもない事実なんだ」そうやって自分を美化し、優越感と達成感に浸り続けた。傍から見れば、大した勉強量でもないというのに。そんな自分が本当に嫌いだった。だが、そうやって自分を鼓舞することでしか、己を保つことができなかった。
そんな愚か者を打ちのめすかのように、現実はすぐさまにやってきた。
瞬く間に一日が終わり、終礼での出来事だった。
「それじゃ、模試の結果を返すぞ。名前を呼ばれた者は取りにこ~い。返されたものから随時帰っていいぞ~」
二月の初めに受けた、全国一斉テストの結果のことだった。来年の受験を目指す、ほとんどの人間が受けたため、現在の自分の現状が正確にわかるものだった。二年生ではあるとはいえ、あと一カ月ほどすれば三年生になるため、テストの雰囲気や現状を知るうえでは非常に価値のあるテストだった。
出席番号に次々と名前が呼ばれ、結果が返却されていく。頬を緩ますものや、表情を歪ますものなど、反応はそれぞれだった。
「……くそっ!」
返却された結果に目を通した睦月は、自分への怒りのあまり、力いっぱい机を拳で殴った。じーんとした痛みが拳に伝わるが、そんなことを気にしていられないほどに、目の前が見えなくなっていた。
頑張っているつもりだった。勉強しているつもりだった。だが、結果は残酷だ。数字にして、グラフにして出ているのだ。自分がどんなに努力していたつもりでも、非情な現実がそこにあった。
「くっそ……」
気がつけば、何度も何度も机を殴っていた。拳が赤くなるまで慣れ親しんだ勉強机に八つ当たりを繰り返した。だが、悲鳴を上げるのは机でもなく、自らの拳と心だけだった。
「む、睦月! 何してるのよ!」
狼狽した御節が、繰り返し机を殴り続ける睦月の腕を掴んだ。
「離してくれよ……。放っておいてくれよ……」
「落ちつきなさいよ。自暴自棄になったって、何も変わらないでしょ」
「うるさいな! 御節に何がわかるんだよ! 学年の中でも断トツで成績がよくて、生徒会長も務めている御節に、俺の何がわかるんだよ!」
勢いに任せ啖呵を切った直後、睦月ははっ、と我に返った。
言いすぎだった。思ってもいないことが、次々と言葉になった。自分の無力さで目の前が真っ暗になり、差し伸べる手を乱暴に振り払ってしまった。
「ごめ、ごめん、なさい……」
見たこともないような御節の沈む表情に、睦月の心は痛んだ。
最悪だ。どうして心配をしてくれる友人に向かって、あんな言葉を言い放つことができるのか。御節の発言はもっともでしかなかったというのに。
「むっつん」
背後から肩を叩かれた。その威圧的な声色に、恐る恐る振り返った。
怒りと哀れみの混じった瞳をした冬里が背後に立っていた。
「付いてきて」
親指を立て、「こっち」とジェスチャーし、冬里は一足早く教室を出て行った。その有無を言わせない雰囲気に、睦月は従わざるを得なかった。
しゅんとしたままの御節を一瞥し、焦燥感に駆られながら、睦月は冬里を追いかけた。
冬里に連れ出され、睦月は誰もいないグラウンドへとやってきた。第二グラウンドと言われるグラウンドで、新しく第一グラウンドが造られてからは使用頻度が少なくなったため、こうして部活以外の用途として使うには最適の場所と言えた。
二月という、冬真っ盛りと言わんばかりの冷たい風が二人の体を刺した。
ポン、ポンと、冬里はグラウンドの隅に転がっていたサッカーボールでリフティングをしていた。サッカー部のエースストライカーともあってか見事な足さばきで、ボールを地に落とす気配をまるで感じさせなかった。
「それで、こんなところに呼び出してどうしたんだよ?」
模試の結果が芳しくなく、イライラが募っていたためか、自然と語気が荒くなってしまった。自分の力の無さを冬里に押しつけても、何の意味もないというのに。
リフティングをする姿勢は崩さずに、冬里は振り向いた。気持ち良さそうにボールが宙を泳いでいた。
「むっつん。ちょっと最近、気を張りすぎなんじゃないか?」
いつものような、飄々とした口調が睦月の苛立ちをさらに増させた。
「気を張りすぎって……。別に、そんなことないさ」
「いいや。そんなことあるね。さっきも模試の結果を見て、御節に八つ当たりしてたじゃねえか。関係のない御節にあんな言い方をする必要はないだろ。御節も、むっつんのことを心配してるんだぜ?」
「それは! そう、だけど…」
冬里の言うことは最もだった。目標を目指すばかりで、周りが見えていない自分を気にかけ、声をかけてくれた御節に、余計な言葉を口走ってしまった。本当は礼を言わなければならない立場だというのに。
「心配しているのは御節だけじゃない。俺や氷柱ちゃんはもちろん、クラスのやつらも、ここ最近のむっつんの様子を気にかけてたぜ。むっつんを取り巻く、ピリピリとした空気が、みんなを寄せ付けなくしてる」
リフティングを依然として続ける冬里ではあったが、その表情は険しいものとなっていた。普段から笑顔を絶やさない冬里の表情としては、非常に稀有なものだった。
「勉強することが悪いだなんて言わない。むしろ、学生の本分としては正しすぎると思うさ。だけどよ、結果だけを求めて、周りが見えなくなったやつのその後なんて、たかが知れてるだろうよ。そんなつまんねえ結果なんかを求めるために、周りの人間を巻き込むなよ」
似つかわしくない冬里の強い口調と発言に睦月は俯いた。拳を握りしめ、唇を噛みしめた。冬里は間違っていないのに、ただ怒りだけが増した。
「だいたい、これまで全くと言っていいほど勉強してこなかったむっつんが、いきなり模試で上位を取ることなんてできるはずがないだろう? 今まで努力してこなかったやつがちょっと頑張っただけで大きな結果を求めようなんて、考えが甘いんだよ」
「なんだとっ!」
張りつめていた苛立ちが、冬里の言葉によって切れてしまった。
顔を真っ赤にし、呑気にリフティングをする冬里の胸倉をつかんだ。宙を楽しそうに泳いでいたサッカーボールが地に落ちた。
いきり立ち、胸倉をつかんだまま、睦月は冬里を睨んだ。だが、それ以降の行動には移らない。いや、移ることができなかったのだ。
冬里の言っていることが、寸分違わず的を射ていたからだ。事実を指摘された睦月に言い返せる言葉は何一つない。だが、目を背けていた事実を突き付けられてしまうと、どうしても頭に血が上ってしまうのだ。
胸倉を掴まれた冬里は、思い悩む睦月を一瞥し、ふぅ、と大きく吐息をついた。
「あのさ、むっつん。勘違いしないでほしいんだけど、俺はむっつんの努力を馬鹿にしているわけじゃないんだぜ? むしろ、むっつんの努力はすげえと思うよ。ただ、捉え方を指摘しているだけさ」
冬里の言っていることの意味がわからず、睦月は怪訝とした表情を浮かべた。
「むっつんが今、必死に勉強しているのなんてわかっているさ。ずっと一緒に学校生活送ってきたんだぜ? しかも、一緒に底辺を争っていた俺から見れば一目瞭然さ。授業中に居眠りしたり、物思いにふけたり、携帯電話を触ったり。一高校生とは思えないほどふざけたことばかり二人でしてきたけどさ。そのむっつんが、ノートにがっついて、ペンをひた走らせる。ホント、変わったよ」
ニコリと、冬里は笑う。その目は、睦月を理解しようとしている、非常に優しいものだった。
「だけど、むっつんは自分のことを信じることができてねえんだ。むっつんの道は間違ってなんてねえのに、このままの自分で目標に向かっていけるのか、むっつん自身が信じ切れてないのさ。そんでもって、周りが見えなくなって、結果だけを求めた。違うか?」
「……そうだ、その通りだ」
全てを見透かされているのではないかと思えるほどの冬里の発言に、睦月は肯定するしかなかった。がくん、と項垂れ、冬里の胸倉から手を離した。
目標に走り続けているつもりだった。だが、前に進めば進むほど、壁に当たってしまうのだ。努力を怠っていたのだから、躓くのは当然なのだが、ひたすらに理解しようとしても理解ができないことが多々あった。机に向かい、ペンをひた走り、ノートを埋め尽くす。ようやく壁を壊しても、また分厚い壁がふさがる。
本当にこのまま進んでいって、彼女の隣に立つことができるのだろうか。努力を怠っていた自分に、彼女の隣に立つ資格はあるのだろうか。そんな考えが、頭をちらつくようになっていた。
「大丈夫さ、むっつん。努力は裏切りはしねえ。仮にそれが微々たる努力であろうと、絶対に結果はでるんだ。むっつんが諦めない限り、努力はそっぽを向いたりしねえよ。よく言うだろ? 努力は嘘をつかない。継続は力なり、ってな」
サッカーを長年続けてきた男の、説得力ある言葉だった。冬里はぐっ、と握りこぶしを作り、睦月のほうに向け、
「どんなに才能のないスポーツが好きな人間でも、やらないよりやったほうが絶対にうまくなるだろう? もちろん、才能に打ち負けて頂点にはいけないかもしれない。だけど、確かに力は伸びつつけるんだよ。だから、どんなことがあっても諦めるな」
睦月の胸をこつんと叩いた。力強い声と拳に、睦月の体が小さく震えた。
顔を上げると、そこには冬里の優しい微笑みがあった。瞳には、友人を思いやる温かな炎が宿っていた。
「実際、結果は出てたじゃねえか。確かに、むっつんの望むような結果ではないかもしれない。だけど、前のむっつんとは雲泥の差じゃねえか。前のむっつんなら、もっと悪い成績をたたき出しているだろうし、そもそも模試について関心すらもってないさ」
「確かにそうだけどさ。でも、本当にこのまま勉強していって間に合うのかな、って思ってさ。決心は揺るがないんだけど……」
情けないとはわかっている。だが、不安がどうしても付きまとうのだ。このまま進んでいって、ゴールにたどり着けるのかと。
冬里はしばし、考え込むように地についたボールを足でいじくりまわし、
「そうだなぁ……。もし、自分の努力を信じることができないようならな。俺を見ろ。俺は、少し前までのむっつんだ。少し前のむっつんと同じく、落ちこぼれで、勉学に関しては努力をしようとしない学生だ。んで、くじけそうになったときは俺を見ろ。あの時のむっつんと、これからのむっつんがどれくらい変わったか、簡単にわかるからよ。ま、俺も勉強しなきゃいけないんだけどな」
地面からボールを浮かし、再びリフティングを始めた。
「自分を信じる……か」
「そうだ。後は信じるだけさ。むっつんの進む道は、決して間違ってなんかないんだからな。ほらっ」
ポン、と冬里は睦月に向けてボールをけり上げた。
宙に浮いたボールから視線を逸らさず、下半身をひねり、ゴールに向けてシュートを放った。
右足にジャストミートされたボールは、見事ゴールへと吸い込まれた。
「そうそう。むっつんが諦めずに信じて突き進めば、こうしてゴールにたどり着けるさ。だから、今はゴールに向かって、ドリブルしていけばいいのさ」
「……ホント、サッカー馬鹿だな」
呆れを表すように息をついて、小さく笑った。
睦月に釣られるように、冬里もニシシ、と笑顔を返した。
「おうよ。俺はサッカー馬鹿だ。それしか能がねえからな。さ、帰ろうぜ。御節も心配しているだろうしさ。御節にもちゃんと謝れよ?」
「ああ。――ごめん、冬里。ありがとう」
睦月の珍しい感謝の言葉に戸惑ったのか、冬里は照れくさそうに笑顔を作った。
「いいってことよ。友達の間違いを指摘してやるのが、友達ってもんだ。それに、俺もむっつんに教えられたよ」
「……? 何を?」
睦月の疑問にはすぐには答えずに、冬里は空を見上げ、
「努力の在り方をさ。俺も、ちょっとは勉強しねえとな」
「絶対しないな」
「せっかく恰好よく決めたのに台無しにするんじゃねえ!」
お笑い芸人顔負けのチョップを、睦月の頭にお見舞いした。
誰もいないグラウンドに、二人の笑い声は響いた。
笑うということは、こんなにも気持ちのいいものなのだと、改めて実感させられた。
部活に向かった冬里と別れ、教室に戻ると、模試の結果によって阿鼻驚嘆と化していた情景は既になかった。放課後の教室に残っていたのは、背中をすぼめて座っている御節だけだった。
自分の座席に座り、項垂れている御節に近づく。消沈とした表情を浮かべた彼女を目の当たりにすると、後悔がどしりと募った。
「御節、ごめんな。あんなこと言って。御節は俺のことを心配してくれただけなのに……」
「別にいい。私も、おせっかいなこと言ったと思ってる」
無表情はそのままに、淡々とした口調で御節は言った。
「そんなことない。御節は何も悪くないんだ。俺が本当にバカ野郎だった。ごめん」
小さく、頭を下げる。発言もそうだが、御節にこんな表情をさせてしまったことが、とにかく申しわけなかった。
「見せて」
「え?」
頭を上げ、御節に視線を送る。睦月には目をくれず、御節はいまだ俯いたままだった。
「模試の結果。わからないところがあったから、模試の結果がでなかったんでしょ。教えてあげるから、見せて」
抑揚のない御節の言葉に圧され、睦月は自分のカバンの中から模試の結果を取り出し、手渡した。
模試の結果を受け取ると、御節は問題用紙と交互に見比べた。しきりに首と目を動かす様子が、生粋の勉強好きであることを証明していた。
やがて、問題と解答に目を通しえおえた御節が、ゆっくりと顔を上げた。
「まだ一教科しか見てないから何とも言えないけど、基礎がまだ足りてないんだと思う」
「基礎が? 結構勉強したつもりなんだけどな……」
「ちょっと前からようやく勉強し始めたあんたが、他の人と同じスタートラインに立っていると思っていること自体が間違いなのよ。他の人はちゃんと基礎を学んで、応用を勉強している。だけど、あんたはその基礎を飛ばして応用から入ろうとするからダメなのよ」
御節は模試の分析結果を淡々と述べた。あまりにも発言が的を射ていたため、口ごもることしかできなかった。
「確かに結果は出てきてる。そもそも、この高校は進学校なんだから、ここに入学できてる時点で頭が悪いはずはないのよ。スポーツ推薦で入ったあのバカは除いてね。だけど、まだ基礎が足りない。だから、まずは基礎を勉強していきましょ。私が、教えてあげるから。あんたが、よかったらだけど。私には、それくらいしかできないから……」
自信がなさそうに、御節は目をふせる。居心地が悪そうに、むずむずと体を動かしている。強気な御節には似つかわしくもない姿だった。
そして、この姿にしてしまったのは、他でもない睦月なのだ。心までもが強くない彼女を傷つけてしまった。だが、御節は傷つきながらも手を差し伸べてくれている。そんな彼女の優しさを振り払うことはできなかった。
「教えてくれ、御節。俺、一人じゃ何にもできないから。親や御節の忠告を無視し続けた、自業自得の結果だけど、それでも俺は頑張りたい。だから、力を貸してほしい」
目標は間違ってはいない。冬里にも後押しされた。ならば、己を信じて前に進むだけだ。それでも壁にさえぎられるのであれば、助けてもらえばいい。自分は一人ではない。頼るということは、決して弱いことではないはずだから。
御節は顔をあげ、一瞬穏やかな表情を作るも、すぐさま表情を曇らせ、
「ねぇ、睦月。そんなに結果に焦って、嫌いな勉強に取り組むのは……雪野さんのため?」
恐る恐る、不安そうな眼差しで問う。その眼差しを消し払おうと、睦月は確固たる思いを胸に、答えを返す。
「ううん。違うよ。これは、俺のためだ。もちろん、彼女の存在が後押しになったのは間違いない。だけど、気がついたよ。俺の目標は、俺が昔から抱いていた思いなんだ。誰かのためにありたい。困っている人を助けたい。だから、俺は勉強するんだ。本当に、今さらなんだけどね」
「ホント、あんたはバカなんじゃないかと思うくらいに優しいわね。そんなんだから私は……」
しみじみと御節は呟く。俯いた横顔には、寂しげな表情が浮かんでいた。
「そんなんだから?」
睦月の問いに、御節は諦めたように大きく溜め息をつき、微笑む。
「何でもないわ。そういうところも本当にあんたらしいわ。とりあえず、英語から解きましょうか」
御節は自分の机と、隣の机を向かい合わせにくっつけ、睦月を隣の席に座らせた。一対一で生徒を教える、個別指導の学習塾のような形となった。
「ほら、ここの問題から解いてみて」
御節は問題用紙を差し出し、ペンで問題をコンコン、と叩いた。
「いや、あの。ここからわからないんですけど……」
「はぁ!? ここって基礎中の基礎じゃない! 一年生、下手したら中学校の頃には習ってるわよ?」
心底驚いたように黄色い声を出す。呆れかえられることはこれまでも多々あったが、ここまで驚かれたのは初めてかもしれない。
「へへ。逸材でしょ?」
「恰好つけてる場合じゃない! あんた……これでよく模試を受けれたわね……」
「へへ。逸材でしょ?」
「ある意味逸材よ! いい。こっから一年、死ぬ気で勉強するわよ! これまでサボり腐っていたあんたは、人一倍じゃ足りないわ。他の人の三倍、いや五倍は勉強するものだと思いなさい! 私を頼ったことを後悔するくらい、びっちり骨の髄まで教えてあげるから、覚悟すること!」
眉を吊り上げ、びしっ、とペンで睦月を差す御節の表情は、どこか楽しそうで、生き生きとしていた。
いつもの彼女に戻っていたことに、睦月は胸を撫で下ろす――が、予想以上の御節の鬼教師っぷりに、指導が終わった頃には、心と体は崩壊寸前だった。
有意義な時間であったのは間違いないのだが、それと引き換えに、御節の本性を引き出したことに、いささか後悔の念が生じたことは否めなかった。
だが、それでも困った時や迷ったときにはいつも支えになってくれる。友人とはかくも素晴らしいものだということを再認識した。ずっとずっと、失いたくない大切な人たちが、自分にはいるのだ。
俺はこんな大切な人たちのためにありたい――睦月は改めて、確固たる目標を胸に刻みつけた。




