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 ソナタと面会ができるようになったのは彼女の意識が戻ってから二日後のことだった。手術を先送りし続けていた影響もあってか、これまで以上に彼女の病は悪化しており、ベッドに寝たきりの状態が続いた。調子がいい日には上体を起こすこともできたが、前のように屋上へ雪を見に行くなど、一人で歩くのは困難となっていた。


 まだ二学期は終了しておらず、変わらず高校は開校されていたが、睦月はソナタとの面会が許可された日から、高校には登校しなくなっていた。それも全て、彼女の傍にいたかったからだ。もうあの日のような、心をえぐるような不安を感じたくなかった。今は少しでも、彼女と過ごしていたかった。


 だが、ソナタはそんな睦月をもちろん気にかけた。


「睦月、学校には行かなくてもいいのかい? 私のことはいいから、青春を謳歌してきなよ」


 口調こそ変わりはしないが、意識が戻ってからのソナタの声には張りがなく、手術前よりもか細いものとなっていた。


「大丈夫です。もともと落ちこぼれでしたし、今さら学校に行かなくたって問題はないですよ」

「仮にそうだとしても、冬里くんや御節さん、氷柱ちゃんと過ごす時間は大切にすべきだよ。学生生活は限りがあるんだから」


「これまで十分に学校生活を楽しんできましたから、もう満足していますよ。それに、俺は今、ここにいたいんです。あなたのそばにいることを許してください」

「全く……君は本当に、お人好しだね。君の意志ならば、私から何も言えないよ。それに君は、頑固者だからね」


 ふふ、と呆れるように小さく笑った。だが、その笑みは力なく、前のような生気はあまり感じられなかった。その事実が、睦月の心をきつく締め付けた。


「それよりも、ソナタさん。俺に何かできることはありますか? 何でも言ってください」


 取り繕うように、睦月は尋ねる。胸の内をのぞかせないように、必死に笑顔を作る。


「なんだか睦月、優しいね。ううん。もともと優しすぎたのに、さらに優しくなったというか……。なんだか、必死に何かを繋ぎとめようとしているような、そんな感じ」


 だが、その青白い瞳には、全てを見透かされているようだった。どことなく不満そうに、だが嬉しそうな、複雑そうな表情をソナタは浮かべた。


「君が私のことを心から気にかけてくれるのはわかっているよ。十分伝わってきているからね。だから、私はその気持ちだけで十分だよ。学校まで休んで、こうして来てくれているんだから」

「ソナタさん……」

「だけど、もし一つだけ許してくれるなら。傍にいてほしい。私と一緒にいてほしい。それ以外は何も望まないから。今だけでいいんだ……」


 温もりを探すように伸びてきたか弱い手を、睦月は優しく握り、精一杯の笑みを浮かべた。


「もちろんです。それが俺の望みなんですから」

「ふふ、そうか。私たちは、似た者同士なんだね」


 ソナタは小さく笑うと、ゆっくりと目を瞑った。やがて、小さな寝息が聞こえてくると、睦月は魂を吐きだすかのような、大きな溜め息をついた。安堵と不安が入り混じった溜め息だった。ずしりと、両肩に分銅が乗っかったかのような疲労を感じた。


 肉体的な疲労もあるが、精神的疲労のほうがずっと重かった。いつ、ソナタの容態が変化するかわからず、常に気を張った時間を過ごすことを強いられるためだった。隣にいる喜びはもちろんあったが、彼女に対する不安が募っていくのも事実だった。


 今こそ静かに眠っているが、こうして目を覚まさないままなのではないか。今はこうして、握った手からほんのりと温もりを感じることができるが、いつの間にか冷たくなってしまっているのではないか。そんな愚考を浮かべること自体、彼女に対して失礼だというのに、弱った彼女を見ていると、不安で仕方がなかった。


 生まれたての小動物のように小さなソナタの手を両手で握り、両目を瞑り、彼女の無事を祈った。


 傍にいること以外、祈ることしかできない。無力な自分を恥じ、呪った。



 手術前と変わらず、連日のようにソナタの病室へと赴き、一日のほとんどを過ごす日々を送った。時には泊まることもあった。ソナタは家に帰るように促してくるのだが、睦月は頑固として首を縦には振らなかった。


 だが、以前よりもソナタは眠ることが多くなっており、日に日に弱っていくのが目に見えてわかった。起きているときこそ意識ははっきりしており、意思の疎通もできるのだが、やはり以前よりも感情の変化に乏しくなっていた。


 それでも、ソナタと過ごす時間は幸せだった。精神的疲労も肉体的疲労もありはしたが、それすらも上回るほどの喜びが確かにあった。前よりも頼ってくれる彼女が愛おしかった。


 家に帰らず、学校にも行かずに見舞いを続ける睦月に、両親は当初ひどく反発と心配をした。だが、日々憔悴していく睦月と、事情を氷柱から聞かされ、無言を貫くようになった。


 もともと子どもよりだった母親はともかくも、父親に至っては、「自分が決めたことなら最後まで貫け」と、これまでの厳格さが、まるで嘘かのように理解を示してくれた。きっと、これまで意志を持つことのなかった睦月を尊重してくれたのだろう。両親の理解は、素直に有りがたかった。





 

 あの曲が聴きたい。ソナタの頼みを聞き入れ、音楽を聴いていた。ソナタは眠ってしまったかのように目を瞑り、ベッドに横たわったまま、静かに音楽に耳を傾けていた。


 楽しいはずの時間が、ひどく寂しく思えた。少し前までは二人で歌うこともできたのに、今はそれすらもできない。希望にあふれた歌だと意識していたこの曲も、この局面となっては、悲哀に満ちた曲に聞こえた。


 再生を止めてしまおうか、それも考えた。だが、至ってソナタはこれまで通りの平常運転で、曲の情景に居合わせるかのように、一心に耳を傾け続けていた。


 やがて、曲が終わると、ソナタは片耳からイヤホンを外した。自分と同じく、この曲を聴くことに嫌悪感を持ったのだろうか。


 その表情からは、どんな感情が含まれているか読み取ることができなかった。ただ、侘しい、寂しいといった感情が含まれていないことは確かだった。


 手術後としては珍しく上体を起こし、純白のベッドを見つめたまま、


「雪の上を、歩きたいなぁ……」


 叶わないことを願うように、ポツリと漏らした。


 涙が溢れそうになった。既に、視界は涙でぼやけていた。


「行けますよ。だって、こんなにも雪は降ってるんですよ? 行けないはずがありませんよ。それに、たったこの前約束したじゃないですか。二人で、バカみたいに足跡をつけるって。約束、破らないでくださいよ……」


 無茶なことを言っているということは重々承知だった。自由の利かないソナタに、約束を照らし上げ、さも悪者のように責める自分は本当に最低だった。


 だが心はもう崖っぷちだった。弱ったソナタを見ることが堪らなかった。


「そうだね。約束したんだよね。ふふ、覚えていてくれたんだ」

「忘れるわけありませんよ……。たったこの前のことですし……。それに、あなたと歩くことを俺は本当に楽しみにしているんですから」


 睦月は絞り出すように声をだし、俯いた。


「そんな顔しないで、睦月。いつもみたいに笑った顔をしてほしいよ」


 ソナタは小さな手を伸ばし、あやすように俯く睦月の頬を優しく撫でた。冷たく、滑らかな感触が頬に伝わった。


 睦月は必死に笑顔を作った。一番苦しいはずのソナタが、こうも笑顔を浮かべている。どうして、苦しくもなんともない自分がこうも沈んだ表情を浮かべるのだ。ソナタを不安にさせてはいけない。彼女の不安を取り除くために、ここにいるのだ。笑え。笑うのだ。


「すみません。ちょっと取り乱してしまいました。俺は全然大丈夫です」


 どう見ても空元気だった。声には張りがなく、頬が痙攣しているのが自分でもわかった。だが、ソナタが少しでも安心するように、必死に笑顔を取り繕った。


「ふふ。まだ硬いけど、君にはやっぱり笑顔が似合うよ。……ねぇ、睦月。私が君と歩けるようになるまで、待ってられる?」


 質問の意図がわからず、睦月はソナタの顔を見た。


 ソナタは変わらず微笑こそ浮かべているが、目は笑っていなかった。睦月の真意を確かめるかのような、青白い双眸が睦月をはっきりと捉えていた。

これはきっと、本心を問われているのだ。どれだけの覚悟があって、病に蝕まれ、いつ何が起こるかわからない彼女のもとに、どれだけの精神を持って傍にいられるか。そう問われているのだ。そして、心は弱りながらも、自分の想いは数カ月の時を経ても、全くもってぶれていないのだ。


「いつまでも。あなたの隣で歩ける日が来るのであれば本望です。どれだけの時間がかかろうとも、俺は待ち続けます」


 確固たる意思のもとに、睦月ははっきりと答えた。


「君なら絶対にそう言うと思ったよ。本当に、優しすぎるね。君は」


 睦月の返答に、ソナタは呆れたように目じりを下げた。睦月から視線を外し、雪に目を向けた。そして、新たな決意を固めたように、力強い声で彼女は言った。


「私は、まだここにいたい。君と一緒に歩きたいよ。だから、決めたよ」


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