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 病棟の一階にある小さなカフェに睦月と雪那はいた。お互い同じコーヒーを頼み、窓際の席に向かい合って座っていた。


 ソナタの意識は戻ったものの、主治医によれば、しばらくは安静が必要らしい。経過は今のところ良好だが、倒れた事実というのは何も変わらないため、当然といえば当然だろう。面会も一時はできないらしい。


「睦月くん。あなたに話しておかないといけないことがあるの」


 雪那の張りつめた面持ちが、睦月の胸を一層ざわめかせた。


「ソナタの症状についてなんだけど。睦月くん、ソナタからは病状のことを聞いたことはある?」


「はい。長い間入院はしてはいますが、命にかかわるほどの病気ではないこと。そして――」


 そこで、睦月は言葉をきった。いや、続かなかったのだ。


 ソナタから教えてもらったのは、今話したことだけだった。病状も、原因も教えてもらっていないことに、今さらながらに気づく。


 疑問には思っていた。どうして、生活に支障のなさそうなソナタが入院しているのか。確かに体調が思わしくない日もありはしたが、入院しなければならないほどに思わしくないのか。


 だが、現実として彼女は入院していた。それも、六年という長すぎる期間だ。知ろうとしなかった。いや、知りたくなかった。現実から無意識的に目を背けていたのだ。彼女の内に眠る病魔から逃げていたのだ。


 口ごもる睦月を見据え、雪那はうっすらとした寂しそうな笑みを口元に浮かべた。


「そう。やはりあの子はあなたにも伝えていなかったのね。それもそうね。大好きな人に、今の自分の現状を教えることは、計り知れないくらいに怖いでしょうからね」


 睦月は血相を変え、雪那を見つめた。


 雪那の言葉が、あまりにも冷淡すぎるものに聞こえた。まるで、ソナタに圧しかかっている現実が、あまりにも大きすぎるものだと言っているようで。


 雪那は睦月から視線を外し、胸に手をやった。呼吸が少し荒くなり、胸にやった手が小さく上下していた。これから口にすることが、彼女にとっても辛いことであることが目に見えた。


「睦月くん。落ちついて聞いてね。あの子にのしかかっている現実を。あなたは、知る権利があると思う。ううん。あの子のために、知っておいてほしいから」


 雪那は自分をも落ちつかせるように、頼んだコーヒーを飲んだ。マグカップを握る手が、小さく震えているのが見て取れた。


 聞きたくなかった。これまでの幸せな日々が全て壊れてしまうような、そんな気がした。


 だが、耳を傾けないといけないのも事実だった。大切な人の現実から目を背けるわけにもいかない。彼女の弱さも重みも、全てを受けとめる覚悟はできていたのだから。


「あの子に潜む病は、現在の日本の医学じゃ治すことができないと言われているの。できるのは手術による延命くらいで、完治は不可能なの。そして、おそらくあの子に残された時間はそう長くはありません」


 予想だにしていなかった宣告に、睦月は声をあげることも、瞬きをすることもできなかった。表情を強張らせ、心が揺れ動くのを必死に抑えながら、雪那の話に耳を傾けた。


「病気を患った当初は、何度も何度も手術を受けたわ。必ず治ることを信じ続けて。だけど、それが延命のものだと知ると、あの子はその延命目的の手術を頑なに拒否していたの。それもそうよね。治るわけでもなく、ただベッドに横になる時間が増えるだけだもの。それがどれだけ退屈で、残酷かなんて、考えなくたってわかることよね」


 睦月は氷柱が入院を頑なに嫌悪していたことを思いだした。誰もない、自由も利かない、あんな寂しい場所に留まるのは嫌だと言っていたことを。加えて――


「私たち病気もちの人はね。一人のときや寝る時がすごく怖いの」


 氷柱の言葉を思い出す。氷柱の言葉をソナタに当てはめれば、彼女はどれだけ寂しく、怖い思いをしてきたのか。そして、それらを増幅させるだけの手術に、意味を見出せなくてなってしまったのだろう。それが何年もの間続いていた。病院と言う鳥かごから飛び立てる確証もない手術を受け、その度に絶望していったのだ。


「だけどね、ここ最近になって、あの子は手術に前向きになっていたの。あれだけ手術を嫌がっていたあの子が、どうして延命目的でしかない手術を受ける気になったのか。これも簡単にわかることよね」


 雪那はソナタと同じ、儚げな微笑みを浮かべた。


「睦月くん。あなたと過ごす時間を、もっと増やしたかったから」


 息が、胸が苦しかった。心臓をわしづかみされかのようだ。その場で踊り狂いたいくらいに嬉しかったのに、ひどく苦しかった。


「今回ソナタが倒れたのは、その延命の手術を先延ばしにしていた結果なの。あの子はきっと、早く楽になりたかったのね。だけど、そこにあなたが現れた。生きる希望も何もなかったあの子の前に、希望をもたらしてくれた。感謝しても、しきれないです」


 感謝を示すように、雪那は睦月にお辞儀をした。


「いえ……そんな……」


 数分ぶりに出た声は、自分のものとは思えない、ひどくしわがれた声だった。喉の渇きを癒そうと、コーヒーを喉に通すも、全くと言っていいほど味を感じることができなかった。


 頼りにされているのがたまらなく嬉しかった半面、ソナタへとのしかかっていた現実があまりにも大きすぎることに、睦月は視線を落とすしかなかった。


「睦月くん。私から再度のお願いです。あの子の、ソナタの傍にいてあげてください。いてあげるだけでいいんです。今のあの子に、あなたは必要不可欠なんです」


「はい、もちろんです」


 葛藤はあるし、現実はあまりにも重く辛いものだった。だが、一番苦しんでいるのは睦月でも雪那でもなく、ソナタ自身なのだ。


 ここで折れてはならない。彼女が重荷を支えきれないのなら、自分が一緒に支えるのだ。


 少しでも長く一緒にいたい。それはソナタだけの願いではなく、かねてからの睦月の願いでもあるのだから。


 多少の落ちつきを取り戻した睦月は、もう一度コーヒーを喉に通した。ほどよい苦みが口の中に広がったが、頼んだ当初の温かさはとうに失われていた。


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