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ショート・ショート(文学)

窓辺のピエロ

作者: 横山ヒロト

 真っ白な部屋に置かれた真っ白いベッド。

 その中に存在する色彩は淡い青に染まったカーテン、羽毛に包まれた灰色のスリッパ、窓際にひっそりと佇むピンクのガーベラ。それと――陶器のように白く美しい肌を持った少女。

 少女の体は、少しの力でも砕けてしまいそうな儚い痩躯だった。

 しかし、少女の目には確かな希望の光が宿っていた。

 宝石のように美しいその瞳に映るのは、窓の下に広がる大きな庭だった。

 弱々しい朝日の光を受けて、朝露に濡れる木々が星くずを散りばめたように輝くその光景は、とても幻想的で美しかった――のだが。

 その真ん中にぽつんと、現れたのは、その光景には最も相応しくない登場人物。

「……ピエロ?」

 少女は鈴の音のようにか細く綺麗な声で呟く。

 彼女の感想は、比喩などではなく、網膜に映しだされた真実をそのまま言葉にしただけだった。

 間違いなく、誰もいない早朝の、病院の庭にいたのは、どこからどう見ても道化の者だったのだ。

 少女は、きょとん、として、その場違いなピエロを見詰めた。

 ピエロは大きな画用紙を掲げる。

〈イッツ〉〈ショー〉〈タイム〉

 少女は首を傾げて、そのピエロの動向を見守る。

 すると、ピエロは紙袋から長い風船を取り出し、どこかぎこちない手つきで形を作っていく。器用ではなかったが、結果として出来たのは、遠くから見ても犬だとわかる出来だった。

 少女は満面の笑みで拍手を送る。

 ピエロはおどけたように一礼すると、次は二つの風船を使って花を作った。

 そうして、次々に風船アートを作っていき、少女は一つできる度に最高の拍手を贈った。

 だけどピエロは最後にハートマークを作ると、わざとらしく転んで全ての風船を割ってしまった。

 少女は少し心配そうな顔をしたが、ピエロはすぐに起き上がって、滑稽な動きで笑いを誘う。

 ピエロは絶対に失敗で終わるからピエロなのだ。

 そして、ピエロはまた画用紙を掲げた。

〈またね!〉

 その言葉の横にはヘタクソなピエロの絵とピースサインが書かれていた。





 それからピエロは毎朝、誰もいない庭に現れた。

 少女は、まるで世界に自分とそのピエロしかいないかのような感覚を抱くようになる。

 そんな不思議な日々が一週間ほど続いたある朝。

 ピエロはいつものように芸を失敗してみせた後に、画用紙を掲げた。

〈手術〉〈絶対〉〈成功〉〈するよ!〉

 少女はどこか影のある顔でピエロを見詰める。

 しかし、次に掲げられた、

〈失敗〉〈するのは〉〈ボクだけさ!〉

 そのメッセージで笑ってしまった。

 あのピエロはいつだって最後に失敗していた。もしかしたら、自分の手術が失敗する可能性を、彼が代わりに引き受けてくれたのかもしれない。

 そう思うと、心の底に沈んでいた勇気が少しずつ浮かんできた。

 少女は淡いピンクに染まった唇を動かす。

「ありがとう」

 ピエロは数秒止まったあとに、一礼して踵を返す。去り際にちゃんと転んでみせて。





 少女はピエロに勇気を与えられ、手術に挑んだ。

 結果は――――成功だった。経過を見ながらだが、これからは退院の方向でリハビリなどを進めていくそうだ。

 少女は大変喜び、その気持ちを伝えようと、翌日の早朝、看護師や警備員の視線をくぐり抜けて庭へと向かった。

 しかし、どれほど待ってもあのピエロはそこに現れなかった。晴れて退院を迎える一週間後まで、一度も。

 少女が退院するその日、隣の病室から暗く淀んだ空気を纏った家族が出てきた。少女はすぐに直感する。きっと誰かが亡くなったのだ。長期入院していると、このような状況に居合わせてしまうことも少なくなかった。

 何度もそんな光景は見てきた筈なのに、なぜかその家族の行方が気になり、目で追っていると、ずっと世話を焼いてくれていた看護師の女性が、遠い目をしながら言った。

「隣の病室の男の子。ちょうど、貴女と同じくらいの年齢の子だったの。自分も病気と闘ってるのに、貴女のこと、励ましたいんだー、なんて言っててね。でも……」

 看護師の女性は窓の外を見た。

 続く言葉はなかったが、少女はその意味を理解した。

 そして少女は思う。きっとその『少年』はあの『ピエロ』だったのではないか、と。彼はピエロだから不器用を演じていたのではなく、本当に器用に芸をすることができなかったのかもしれない。

 でも、彼は確かに演じきっていた。確かに、彼女は彼に励まされた。それが全てだった。

 少女は宝石のように美しい瞳から零れ落ちた輝く涙をそっと拭った。

 彼に――あの窓辺のピエロが安心できるように、笑っていようと心に決めたから。

 まっすぐに目を見た少女の顔は、ちょうどあの庭に咲いていた花のように咲き誇っていた。


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