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操舵室

 操舵室


「艦番号、155!…『はまぎり』!」

 左ウィングで日本の駆逐艦を識別し、操舵室内に戻って来た副直士官の声が響いた。

「行きと違う艦か?」

 操舵室中央の所定場所で、窓越しに双眼鏡を観ていた当直士官は副直士官に問うた。

 右舷側にある作業台の前に立った副直士官は、開いてあった航海日誌を捲り始めた。

 そしてその手が止めると、今度は人差し指を開いた頁の上で滑らし、

「違います。153、『ゆうぎり』です」とやや強調して答えた。

「嬉しいね…送迎を別の艦でやってくれるとは…」と当直士官は独り言を漏らした。

 ロシア太平洋艦隊、第100揚陸艦旅団所属の大型揚陸艦「ペレスヴェート」は、旅団に課せられた任務であるカムチャツカへの物資輸送業務のため、航洋曳船「MB-37」を随伴し、津軽海峡を抜けて太平洋上に出たのは三週間前の事であった。

 この時、海峡出口で待っていた「ゆうぎり」は、近づいてあからさまに写真撮影などを行った後、隊列の左後方に位置し、二隻が北上するのを確認するまで帯同した。

 ロシア艦艇乗りの多くは、日本海軍の監視と情報収集の執拗さには感心していたが、いつもの事とは言え、その度に癇に触ると感じていた。

「もしかして、また近づいて来るのか?」

 当直士官のうんざりだと言わんばかりの不平の声が、操舵室に居る者達の耳に伝わる。

「彼等は勤勉ですから。こちらの都合はお構いなしでしょう」

 戯けながら副直士官は応えた。

「何を陸揚げしたかまで分からんだろうに…こっちは長い航海を終えて、静かに母港へ戻りたいというのになぁ…」と当直士官のぼやきは続く。

 ただ、操舵室内はこれからの行動を予期して、誰もが息を凝らしていた。

「日本の駆逐艦、近づく!」

 突然放たれた見張員の声に反応し、咄嗟に当直士官は双眼鏡を覗き込んだ。

 艦首の白波を高く立てた「はまぎり」の姿は、徐々に大きくなっていく。

 何時もと同様に、自艦に対して「はまぎり」は反航で左舷を通過し、追従する「MB-37」の後方で回頭した後、増速して右舷を同航で追い抜き、情報収集を完了したら離れるとイメージした当直士官は、大きな声で号令を掛けた。

「副直!艦長に報告。日本の駆逐艦の近接確認、対応行動開始」

「了解」と答えた副直士官は、素早く艦内電話に手を伸ばした。

「針路、速力保持。対水上見張り強化!マイク、収集員艦橋!」

 矢継早の命令に、操舵室内は殺気立つ。

 操舵員はジャイロコンパスを凝視しながら、舵輪を小刻みに動かして保針に努め、休憩中で操舵室内に居た見張員は、全員が慌ただしく外に出て行った。信号員は発光信号灯の灯を入れ、速力マークの位置を確認した。

 艦長に報告を終えた副直士官が、情報収集員を艦橋に上げる艦内マイクを入れた後、当直士官は隊内用交話機の送話器を取って「MB-37」を指呼し始めた。

 交話機本体のスピーカーから応答する言葉が流れると、

「こちら、077。針路、速力、隊列保持。どうぞ」と艦番号の後に指示を出した。

 復唱と了解という音声が耳に入った当直士官は送話器を戻すと、また窓越しに双眼鏡で日本の駆逐艦を睨み付けた。

 灰色の艟艨の艦橋トップと左ウィングに、撮影器材などを手にした乗員達がこちらを観ている姿が目に入った。

「相手は準備万端、意気揚々と近接して来やがるな」と言って、強く舌打ちした。

 そこへ各種器材を持った情報収集員達の慌て急ぐ足音が、操舵室に飛び込んで来た。

「左舷に急げ!」と副直士官が怒鳴ると当時に、足音は左ウィングへと遠離って行く。

 双眼鏡をゆっくりと外し、溜息を突いた当直士官は、副直士官に振り向き、

「あの艦が本艦の正横に達した時間とポジションも記録してくれ。ウィングに出る」と言って、重い足を引き摺りながら左ウィングへと出て行った。

 一時の喧噪の止んだ操舵室からも、肉眼で「はまぎり」の人影が確認できるようになった頃、苦虫を噛み潰したような表情の艦長が姿を現した。


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