浮ドック
浮ドック
ウラジオストク 金角湾
冷戦期、この街は軍事都市として閉鎖されていた。
湾は湾口から奥へ進むと、やがて右に折れ、そこから真っすぐ深く伸びる。その両岸に艦船が連なる当時の光景は、正にソ連太平洋艦隊の巣窟と言えた。
現在はこの湾も民間に開放され、大小様々な船舶が出入りしている。
しかし、今でもその造修機能は維持され、ロシア太平洋艦隊所属の艦船の整備や改修などが行われていた。
今、太平洋艦隊司令部から程近い浮ドック上には、艦首や艦尾の他、複数箇所を青いビニールシートで覆われた潜水艦が横たわっていた。NATOコードネームでは、キロ型と呼ばれる潜水艦である。
「監督官!」
潜水艦の艦首部を見上げながら、部下に指示していた男は、そう呼ばれて振り返った。
そこには海軍の制服を着た四人の男達が立っていた。二人の中佐と少佐が二人。
名前までは知らなかったが、その四人が第19潜水艦旅団の参謀達であることを、監督官は知っていた。
「お揃いで…何か?作業は予定通りですが…」
不審の色を浮かべる監督官に、一人の中佐が答えた。
「司令部に来たついでだ。検閲ではない、単なる見学だ…この二人がドック上の潜水艦を見たことがないんでね、連れて来たんだ。硬くなる必要はない」
二人の少佐を親指で指す中佐は、笑んで見せた。
「構いませんが…参謀長、艦内はダメです。今、蓄電池の交換中で入れません」
「問題ない。艦内はいつでも見れる。艦底を実際に触れることが重要なんだ」
潜水艦乗りとして長い経歴を持つ参謀長が、机上の知識しかない若い参謀達を教育するつもりで訪れたことを監督官は理解した。
「蓄電池の交換は、明後日までに終わる予定です」
訪問理由を理解した監督官は、参謀四人に説明を始めた。
「艦尾は後で見れば分かりますが、今ペラは外してあります。新品は近々付けます」
説明する監督官を先頭に、ヘルメットを被った五人は艦首の下に移動した。
「現在、上部の発射管二基を改修中です。『カリブル』システムのアップデートも順調に進んでいます。全工程の終了後、このパルトゥースは強力なミサイル潜水艦になります」
監督官は四人の顔を見渡しながら言う。
ロシア海軍で正式名称パルトゥースと呼ばれるキロ型は、艦首上部前面に六基の魚雷発射管がある。配置は二段式で、上段は二基で下段が四基となっていた。
「そうだ、監督官。2011年から続くこの計画が完了すれば、我が旅団のワルシャワンカ五隻は、グアムに展開する米国のSSGNと同等の存在に生まれ変わる」
参謀長は愛称を使いながら、誇らしげに監督官から話を引き継いだ。
「オハイオですか?」と、少佐の一人が疑問を吐く。
「解らんか?貴官もラッカやアレッポのシリア攻撃は知っているだろう。3M14T系のミサイルを搭載すれば、2500kmの対地攻撃が可能だ。ウラジオの近海から日本や韓国の全域は勿論、中国の北海と東海の艦隊主要港も射程内に入る。戦略的運用が可能だ」
参謀長はやや語気を強めて、その少佐を諭す。
「原潜は全てカムチャッカだ。そして『ワリャーグ』の射程は1000km。これから先、我が旅団は太平洋艦隊の切り札となる。これは誇張ではない。客観的な見方だ」
もう一人の中佐が口を開いた。彼は旅団の作戦参謀である。
「失礼しました、私の認識不足です。以後、気を付けます」
中佐二人の言葉に、少佐は赤面して委縮する。
潜水艦下の空気は、明らかに重くなっていた。
「参謀長、今日は特別です。艦内で蓄電池の交換作業でも、如何ですか?」
一人監督官は、戯けて見せた。




