回想録
回想録
以下の文章は、陸上自衛隊で情報畑を歩いた塀栄造氏が、戦後に著した回想録「統幕幕僚の情報戦記」の抜粋である。これは日本の将来への貴重な教訓と考えられる。
「戦争の結果、自衛隊の情報は組織でするのではなく、少数の職人的勘でする情報である実体を暴露してしまった。同時に責任者が責任を逃げて会議で行う指揮であることも判明してしまった。
(…)
日本はかつて経済大国と自負していたが、軍事的には、どんなに威張っても空域を保持する力も、宇宙から地上を見る力も、サイバー空間で戦う力も弱い小国であった。ミサイル一発で海岸の原子力発電所がやられたら、また広島以上の危害を被ったであろう。軍事大国の谷間で、大きな『兎の耳』を立てているような国が、何を頼りに生きているかを、もっと深刻に研究する必要がある。太平洋戦争の敗戦という大経験を経ながら、情報はまだその日暮らしであった。
(…)
情報の職人にはそんな空気が堪えられなくなった。シビリアン・コントロールの壁の中の言語空間で、真実を述べずに事無かれで生きていくような器用さを、職人は持ちえなかった。」
このように塀氏は、自衛隊内での『情報』の置かれた状況を記しており、情報の取扱いや組織などの改革を訴えている。
さらに、相手国が戦後に編纂した調査書に、塀氏は注目している。
「相手国軍部は終戦の翌年四月、『自衛隊の情報部について』という調査書を本国政府に提出している。その結言のなかの一節をまず紹介しておかねばならない。
『結局、日本の自衛隊情報は不十分であったことが露呈したが、その理由の主なものは
(1)自衛隊の上層部は、当国の軍備が日本よりも弱小と断定し、当国の生産力、士
気、弱点に関する見積もりを不当に過小評価してしまった。
(2)不運な戦況、特に偵察および情報活動の失敗は、最も確度の高い大量の情報を
逃がす結果となった。
(3)陸海空自衛隊間の円滑な連絡が欠けて、せっかく情報を入手しても、それを役立
てることが出来なかった。
(4)情報関係のポストに人材を得なかった。このことは、情報に含まれている重大な背
後事情を見抜く力の不足となって現われ、情報任務が自衛隊では第二次的任務に
過ぎない結果となって現われた。
(5)自衛隊の官僚主義が情報活動を阻害する作用をした。隊の上層部たちは、いずれ
も事無かれ主義的な消極論を繰り返し声明し、戦争を効果的に行うために最も必要
な諸準備を蔑ろにして、最終的に攻撃あるのみを過大に強調した。その結果彼らは
敵に関する情報に盲目になってしまった。』
と結んで、これが相手国軍部の自衛隊の情報活動に対する総評点であった。
あまりにも的を射た指摘に、ただ脱帽あるのみである。」
これは、相手国による自衛隊の情報に関する分析が、的確であることを意味している。
結局、日本陸海軍の情報軽視の弊害は、続く自衛隊でも克服されなかったのである。
【参考文献】 堀 栄三 「大本営参謀の情報戦記」 文藝春秋 1996年