チョコレートよりも甘く
私は、ダリウス=チョコレーヌ様に仕える使用人だ。
名前はグレーテル。
しがない使用人なので家名はない。
チョコレーヌってチョコレートみたいで美味しそうな家名だなぁ、チョコレート食べたいなぁ、と考えていて両親が必死な顔で何やら言っていたのを聞き逃したんだけど、何やらすごい家らしい。
あ、ちなみに私、転生トリップとやらをした元平成に生まれの地球人である。
「グレーテルはオレの嫁」
「流石はダリウス様、発言が最先端ですね」
というか、発言が異世界みたいな?
「グレーテル……本気にしてない」
わざわざ部屋の隅っこまで行って膝を抱えながらしょぼーんとされた。
黙っていれば金髪碧眼の完璧な王子様顔なのに、喋り出すと子供みたいに見えるのは、私の精神年齢がヤバいからだとは思いたくない。
「そんなことで拗ねないでください。ほーら、今日は私の作ったクッキーがおやつですよー」
「グレーテルが、作った?」
「はい」
「グレーテルの、手作り……」
ちら、ちら、とこっちを見ているから興味はあるんだろう。
何故か知らないけど私はダリウス様に気に入られている。
ダリウス様の兄であるユリウス様には専属のメイドがハーレム並にいるのに、ダリウス様は私以外の使用人はいらないとすら言ったらしい。
女同士の争いに巻き込まれないのは嬉しいけど。
平凡な顔で何ダリウス様を誘惑してるのよ!とか言われなくて良かったけど。
「いらないんですか?」
「……いる。グレーテルが作ったなら、消し炭でも毒入りでも泥団子でも食べる」
一言以上余計なことを言われた。
『ふざけるなー!』とちゃぶ台返しならぬトレー放り投げをしたい。
でも、やった瞬間に職どころか命までなくなるだろうし、脳内だけで我慢しておくことにする。
「いくらなんでも御主人様に消し炭とか泥団子を出したりしません」
「毒入りは、出す?」
「出しません!」
ひーっ!
こんな会話を聞かれたら、殺される。
よくは知らないけど、豪華な内装や、たくさんの使用人がいることを考えるとお金持ちってことは確実だし。
ダリウス様暗殺疑惑とかダメ絶対。
「……嘘。グレーテルはそんなこと、しない、よね」
「しません。それに、一応毒味も済ませてますから」
「……毒味、それ、の?」
「はい、こっちの紅茶もちゃんと毒味してもらってきましたよ」
ちなみに、紅茶を淹れたのは私じゃないのでそっちの毒味をしたのは私じゃない。死にたくないし。
ふと、ダリウス様が物凄く静かになっていた。
置物のように固まっている。
「ダリウス様?」
「毒味したの、誰。アルマ? それともカルマ?」
まるで氷のように冷たい声で、ダリウス様は言った。
ちなみにアルマ、カルマ、は双子の使用人である。
ダリウス様は時々、何かが引き金となってこんな風になる。
私に直接被害があったことはないけど。
「アルマでもカルマでもありませんよ。ジェームスさんです」
ジェームスさん……植木の形を整えようとして丸裸にしてしまったドジっ子な庭師。
毒味とは言わずに食べさせたけど、まあ、毒なんて入れてないしジェームスさんは胃が強そうだし。
胃薬はないけど解毒魔法はあるし。
「あの庭師……」
ボソッと「殺す」とか聞こえた気がする。
……うん、気のせい、じゃないんだよね。
青ざめたユリウス様から、ダリウス様の奇行というか凶行というか私と深く関わった使用人を半殺しにしたとか聞いたことがある。
「ダリウス様には、綺麗に焼けたのだけを選んで持ってきたんです、一番美味しそうなものを食べてもらいたかったので」
こういうときは、媚びておくに限る。
雇い主の精神衛生的にもきっと、これが正しい。
とか思いつつもダリウス様の傍にいることが嬉しい私は色々と末期なんだろう。
「オレのために作った?」
「はい、ダリウス様のために作りました」
「……なら、いい」
クッキーを手に取り口に含むと同時にダリウス様の表情が、ぱあぁっと明るくなる。
一つ、二つと減っていく……ふとダリウス様の手が止まった。
「ダリウス様?」
どうやら、手に持っているクッキーと私を交互に見て、何かを考えているようだった。
「グレーテル、あーん」
「え」
「あーん」
二回も言われては口を開けないわけにはいかなかった。
「あー、」
「“止まれ”」
クッキーのはしっこをくわえた状態で、私の身体は静止する。
魔法を使われたらしい。
一体何を、と抗議したくとも身体は動かない。
「グレーテル、やっぱりオレ、グレーテルのこと、好き、だよ」
ダリウス様の顔が近付く。
唇が触れ合いそうになるほどに、近く──。
「ダリウス、我が弟よ! 少しだけワタシを匿ってくれ……あ」
ふ、と身体が動くようになった。
「ダリウス様! 私、用事を思い出しましたので失礼します!」
離れていくダリウス様を残念に思ってしまった羞恥心に堪えきれず、返事も聞かず、部屋を飛び出してしまった。
私は知らない。
私が去った後、ユリウス様が半殺しにされたこと。
私は知らない。
この日からダリウス様を避けるようになった私に理性がぷっつんと切れたダリウス様によって半強制的に既成事実を作られて本当に嫁になってしまうこと。
──私は、知らない。