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黒き獣と赤の少女  作者: 竜胆 梓
一章 《黒き獣》
9/35

7 -《緑の猟団》-

 翌朝、前日までと変わらない乾いた風が吹き、空は相変わらず高く秋の空気が色濃い。低く垂れ込めた雲もなく、風に雨の匂いも混じらない移動には絶好の天候――

 であるにも関わらず、何故出発が遅れているかと言えば、


「……リュート、そろそろ出発するんだが……」


 服の裾を握りしめたまま放そうとしないリュートを窘めるように声をかけるが、その効果は相変わらず芳しくない。

 幼子のようにむずがるわけでも、離れる事を恐れて泣き出すわけでもない。だが、ただどうしてもその手を放す事はしなくて――


「すぐに戻る。……そう心配するな」


 魔鉱石を運ぶに当たり、あるかどうか不確定な襲撃に備えた護衛という形ではあるが、その実|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)からの襲撃があるのはほぼ確実だ。そのため運搬用の荷馬車に同行するのは取引相手と交渉をする村長、鉱山で働く者の中から二人トマスという中年の男とシーザという若者、後はえいと俺という少数での構成となっている。あまり大人数では相手を警戒させてしまうため、普段とあまり変わらない構成にした、という事らしい。

 だがそれは詰まるところ、リュートは村に残る事になり――元々戦闘能力として数えられていないのだから当然の事ではあるのだが、見知らぬ者の中に一人取り残される事に、どうしても不安は隠せないようだった。

 せめてラーを残していけば不安も紛れただろうが、機動力という点で馬車を引く以外にも馬がいた方がいい――その判断から荒事にも馴れているラーもまた連れて行く事は決定事項。


「ジーク……わたしも……」

「……言っただろう。戦闘になる、と。……危険だ」

「でも……」


 理屈はわかっているのだろう、不安げに見上げる瞳は彼女自身自分の行動を咎めるような、そんな色が浮かんでいる。

 その姿を見て、ふとあることを思い出す――今居る場所、キラザ村はクルヴィ山脈の裾野に位置する村だ。

 クルヴィ山脈というのは、そう旧ユヴェリエ領をぐるりと囲む山脈だ。人の足で越える事が出来る場所は僅か数カ所、輸送路に使える場所などほぼ一つしかないためこの村は交流のある場所ではないが、直線的な距離だけで見れば故郷と目と鼻の先だ。

 風土も領主も異なるが、故郷に――忌まわしい記憶のある場所に近い場所。そんな所で一人残されるという事がリュートにとって負担でしかないだろう事は、考えずとも解らなければならないのに。


「いーんじゃね? お嬢連れてっても」


 膠着状態を崩したのは第三者の声――炭坑で働く二人と共に積み荷の確認をしていた榮は、まるでたわいもない事を話すようで、


「え?」

「待て……何を無責任な事をっ」

「無責任じゃねーよ。襲撃がほぼ確定の事とはいえ、戦力的に一番安定してるのはこっちだろ? ……言っちゃ悪いが、今まで村が襲われなかった事の方が異常だよ。ってコトは、これからも襲われない保障にはならない――ってな」

「……だが」


 榮の言う事には、一理ある。魔鉱石を村から運び出した時にしか襲撃がないとはいえ、その状態がいつまで続くかなど判ったものではない。――最悪、相手の気紛れで今までとは異なる行動に出ても何ら不思議ではないのだ。魔鉱石以外にも、賊が金に換える事ができるものはある――女子供などが人攫いに合い、奴隷商に売られるなどそう珍しい話しではないのだから。


「それによぉ、お嬢の事が気になって、仕事に集中できませんでしたーじゃ、お話にならないだろう?」

「……っ。解った……」


 本当に、この男は嫌なところでいちいちこちらの内心を言い当ててくれる。

 苦々しげに睨み返すも、相変わらず榮は涼しい顔だ。遊ばれている感は消えないが、いつまでもこの場所で言い争っていては示しもつかない。


「え……? で、でも……いいの?」


 一方でリュートはといえば、まさか許しが出るとは想像もしていなかったのだろう。戸惑う瞳が俺と栄を交互に見上げる。


「なーに戸惑ってんだよ。付いてきたいって言い出したのはお嬢だろ? こうして無事保護者の了解も取れたんだ。丁度いいカムフラージュにもなるだろーしな、しっかと胸張って行こうや」


 楽しそうに笑う。そんな栄の姿にため息を禁じ得ない。

 鉱石と大人四人が乗っているとはいえ、運搬用の荷馬車はそれなりに広さがある。小柄なリュートなら乗れない事もないだろう。現に同行の件を話しても、村長を初め他の者達も反対はしなかった。

 小さな村では買い出しなどに出かける時、村の外を見せるために子供を連れて行く事も少なくない。いつもと変わらないと見せかけるのなら、確かにうってつけだろう。

 幌のついた荷馬車にリュートが乗り込む姿を見送り、俺もまたラーの背に跨る――襲撃があった場合に備え、榮は荷馬車の方で待機し、俺は目見えるところで護衛がいると示す役をする事になった。この地方では珍しい黒髪、おまけに男だてらに長くしているので、目立ってしまうため必然的にこの配役だと説明する榮の顔は、まるで悪戯を企む悪ガキのよう実に楽しげだった。

 不安と期待が入り交じる村人達の視線に見送られ、魔鉱石を運ぶ一行は|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)が出没する街道へと踏み出した。





 キラザ村に来る時に使った道と同じように、南の街道も小さな村に通じるものにしては太く路面も整えられていた。とはいっても、当然大都市のように石畳や煉瓦を敷き詰めてあるわけではなく荷馬車の轍や人、馬などの動物が踏み固めたものではあるが――

 常緑の緑と緑の隙間から降り注ぐ日の光は心地よく、どことなく故郷の森を連想する。そんな郷愁を思考から追い出し、周囲に気配がないか探る。幸いにも、今のところそれらしい気配はなく行程はすこぶる順調と言えた。

 時折石を踏んだ馬車ががたりと揺れる。その度に魔鉱石を詰め込んだ木箱が音を立てるので、近くに腰を下ろしているリュートはいつか中身が飛び出してくるのではないかと落ち着かない様子だ。


「……こちらに移るか?」

「あー、てめお嬢だけ贔屓すんなよな」

「そちらに乗ると言ったのはお前だろう。文句があるのなら初めから外にいればいい事だろう」

「んだよ、冷めてーな。荷馬車乗ってるだけって、案外暇なんだぜ?」

「真面目にやれ……」


 相変わらずの調子に、呆れてため息をこぼす。はたして襲撃があった際、大丈夫なのかと不安になるがそれは表に出さないよう注意する。護衛するこちらが不安になっていては、村長を初めキラザ村の者達にも不安が伝播しかねない。

 その点でいえば、榮のいつも通りの振る舞いはある種、理に適ってはいるのだが――


「しっかし、意外と少ないのな」


 平穏な道中に暇を持てあました榮は、木箱に目を向けそうこぼす。蓋もない板をつなぎ合わせただけの簡素な箱には、荒削りな石がいくつも詰め込まれている。一見普通の石にも見えるが、よく見れば所々がねずみ色以外の赤や青、緑や黄色などに薄く色づいている。

 注意しなければ見過ごしてしまいそうな、些細な色――これがキラザ村を支え様々な|《魔道具》(アーティファクト)の動力となる魔力を秘めた石、魔鉱石なのだという。

 初めて鉱石を目にした時、何故そんな石を積み込んでいるのだろうと本気で首を捻った。何しろ魔鉱石の見た目は先程言ったようにどこにでもある石のようで、石炭や炭を見慣れている身としては、とてもではないがそれ等の代わりになる存在だ、などととてもではないが信じられない。


「……おい」

「キラザ村って、結構な産地だったんだろ? いくら産出量が減ってるからって……質も、あんまよくねーってか」


 咎める声を気にもかけず、独り言のように問いを投げる。


「アンタ……解るのか?」


 榮の言葉に答えたのは村長だった。その顔には少なからずの驚きが浮かぶ。


「まあ、こんな生活してるといろいろと詳しくなるんでね」

「そう……か」


 何やら意味深に笑う榮とどこか疲れの見える顔で俯く村長。二人の間でいったいどのような意志のやり取りがあるのか、一人外にいる身では把握する事も出来ない。


「ああ、魔鉱石ってのは中にある魔力の量によって見た目が変わるんだよ」

「……そうなのか?」


 こちらの疑問を知ってか知らずか――いや、この男の事だから解っているのだろう。榮は続ける。


「確か貯め込んでる魔力の量によって見た目がガラス質に近くなる――だったか。判りやすく言うと魔力が多いほど見た目宝石っぽくなるんだとよ。おかげで国保管の宝石の中に魔鉱石が混じり込んでたー、だの魔力結晶に至っちゃ一部で宝石代わりの宝飾品にしてる奴もいるー、だのいろいろ面白い話しがあるんだよ」

「なんというか……希少なものなのだろう?」

「ああ。まぁそうだけどな。まぁぱっと見宝石に見えなくもないのがあるしな? 光り物好きだろ、偉いさん連中って」


 呵々と笑う。一括りにされている者達が聞けば顔をしかめそうな物言いである。


「あまり茶化すな……」

「へいへい、真面目にやりますって。だからそう睨みなさんな」


 じとりと向けた非難の眼差しに、榮は反省の欠片も感じられない態度で肩をすくめた。




 森の中を進む荷馬車は相変わらずよく揺れて、硬い床の上に直接座っているから体が痛くなってくる。腕とかを伸ばせたら少しだけ楽になるのかもしれないけれど、魔鉱石の詰まった木箱や他の人も乗っているからそんな事も出来無い。


 ……無理、言っちゃったかなぁ。


 いくら体が小さいって言っても、無理について来ちゃったしやっぱり邪魔になるものは邪魔になるよね。今更のようにそんな事を思うけれど、でもどうしてかあの時ああせずにはいられなかった。

 それがどうしてなのか、何でなのか、自分でもよく分からない――寂しかったと言われたら、多分そうなんだと思う。でもそれだけなのかっていわれたら、違うと答えてしまうと思う。なら、いったい何がって聞かれたら――はっきりと、答えることはできないのだけれど。

 自分でもよく分からない、もやもやした感覚。訳のわからない何かが何なのか、考えるけど答えは出てこない。まるで霧を捕まえようとしているような、そんな感じ。結果のでないことに気が滅入ってしまう。気分を変えようと前を見て――


「あれ……?」


 なにか、何か妙なものが見えたような気がして、思わず声がこぼれる。

 だって――さっき見えたものは、どう見たって……

 目をこすって確かめる。幌を被っていない荷車の前から見える景色は相変わらず秋の森で、葉っぱを落とさない樹が青々と茂っていて、荷馬車に驚いた小鳥達が空を飛んでいて――そしてふわりふわりと風に揺れる、蛍みたいな淡い光。

 夏の夜、水辺に行った時みたいに、森の中でゆらりゆらりと淡い光が揺れている。それも一つや二つじゃなくて、もっともっとたくさんあって――その光景はきっと、絵にしたらいろんな人が綺麗だというものなんだと思う。

 綺麗なはずの光景なのに、だけどどうしてだろう得体の知れない薄気味悪さといっしょに本能的な何かが訴える――


「リュート?」


 荷馬車の外からジークの声が聞こえた、丁度その時だった。


「……ん? あれこの景色は……。シーザ、お前道間違ったんじゃ――」


 御者席で手綱を握っているシーザさんに向けて、荷台に乗っているトマスさんが首を傾げながら声をかけた。

 まるでその声が合図だったみたいに唐突に、森がざわめく。一斉に飛び立った鳥の羽ばたきに煽られたみたいに、荷馬車がぐらりと揺れる。

 ううん――違う、そうじゃない。何か硬いものがぶつかって、そのまま馬車を転かした?

 魔鉱石を入れた箱が大きく跳ねる。もちろん中に乗っているわたしたちも無事じゃなくて、支えになるようなものにしがみつく暇もなく、衝撃が襲ってきた。




 なんだ、これは――っ!


 たった今目の前で起こった事に、驚きよりも戸惑いを抱かずにはいられない。

 |《緑の猟団》(ヴァルトルーター)からの襲撃がある事は、当然予測していた。故に気配を感じられなかったとはいえ、襲撃を受けた事に驚いているのではない――問題は、つい先程目の前で荷馬車を襲ったモノ。

 モノ――そう、物なのだ。人の胴回りより遙かに太く長い、黒茶色の固まり――鞭のようなしなりと共に襲いかかってきたそれは、まさしく樹の幹としか形容できない物だったのだから。

 だが、ただの樹の幹が人を襲うはずもない。しかし幹は投げ槍のように投げられた様子もなければ加工された形跡もない。例えるならば、まるで自らが意志を持って襲いかかってきたような――有り得ない現象。

 あまりに予想外の事態に固まっていたのは一瞬。今は原因よりも状況把握の方が先決だと思考を切り替える。更なる攻撃の可能性を危惧し、周囲に目を向けるがそれらしき前兆は見当たらなかった。

 だが、森の奥で動く複数の気配――


「っ! 榮、動けるか?」

「とーぜんっ、言われるまでもねぇっての。ようやっとお出ましってか!」


 接近してくる複数の気配と荷馬車を押し倒した樹の幹に警戒しながら榮の名を呼べば、横転した荷馬車からひょっこり顔を出す。怪我を負った様子もなく、いつもと変わらない飄々とした態度。心配する必要も無かったかと思う俺の前で、榮は身軽な動作で地面に着地し、


「おっと、逃げようとするなよー?」


 そんな言葉と共に、茂みへ飛び込む。そう時間を置かず戻ってきた榮は片手に見覚えのある男を捕まえていた。どうにか逃れようともがくものの、体勢が悪いのか単なる筋力差か、まるで子猫を捕まえるよう首根っこを捕まえる手を振りほどく事は出来ないようだ。


「……何をやっているんだ?」

「んー? いやここ麓の街に向かう道じゃないらしいんだ。近道でもないって話しだし……な?」


 後は言うまでもない、とばかりに榮。


「……|鼠(内通者)は居ないのではなかったのか?」

「いやいや、オレは内通者が居なくても判別は出来るっつっただけだろ。間違えんなよそこのトコ」


 苦笑交えの言葉は、相も変わらず緊張感など皆無だった。

 状況にも関わらず暢気なやり取りをしている俺達とは違い、驚きを隠せない者も居る。


「シーザ……お前、なんで……」


 ようやく横転した荷馬車から這い出してきた村長とトマスが信じられないといった目で榮に拘束された男――シーザと呼ばれた若い男の名を呼ぶ。


「なんで――だって? それはこっちのセリフだ! あんた達こそ、なんであんな嘘なんかつくんだっ!」

「嘘? 何言ってるんだお前」

「しらばっくれるな、鉱石の事に決まってるだろ! あんたら村の上役は採れないなんて嘘をついて――俺達村の人間を騙してたんだろう!」


 拘束されて動く事が出来ない代わりだろうか、シーザは射殺さんばかりの憎悪が混じる目で村長を睨み付ける。これには当の村長はもちろん、トマスの方も心当たりがないらしく、両者の顔には先程とは度合いの異なる困惑が浮かんでいた。


「とりあえず、詳しい話しは後にしてくれ。お客さんのお出ましだ」

「客……?」


 困惑する二人にシーザを押しつけ、視線を茂みへ向ける。ほぼ同時、茂みの中から複数の黒い影が飛び出す。


「黒狼っ?!」


 黒い毛皮を纏う、大型犬を一回り大きくした程度の体躯を持つ獣を目にし、村長とトマスの気配に緊張と怒りが混じる。黒狼と呼ばれる大型の狼は、この辺りに生息する獣であり遭遇すること事態はそう驚くほどの事ではない。

 だが、キラザ村周辺ではここ最近本来人に慣れる事のないはずの獣がまるで|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)に従うように動いている――それもそのはず、事前に聞いた話しが確かならこの黒狼はキラザ村を苦しめる|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)が使役する獣なのだから。

 転倒した荷馬車を取り囲むように広がる群れ。大半は様子を伺うように遠巻きにこちらを観察しているが、中には攻撃を仕掛けてくるモノも居る。散発的に近付く黒狼を切り捨てるが、茂みの中から次々と新手が湧いてくるため数は減るどころかむしろ増えている。


「よう、久しぶりだなぁ?」


 そして獣達の後を追うように姿を現した数人の男達。統一感の乏しい薄汚れた皮鎧、全員が全員、手に武器を持ちこちらを脅すようにちらつかせている。その風貌はまさに盗賊の見本と言ってもいいだろう。例に漏れず、口元に下卑た笑みを貼り付け横転した荷馬車を嘲笑う。


「用件は言わなくても解るだろう? そんなんじゃご自慢の積み荷も運べねぇ、オレらが代わりに運んでやるよ」


 奪うの間違いだろう。高圧的な態度に呆れてものも言えない。


「おまえら……シーザに何を吹き込んだっ!」

「吹き込むぅ? 人聞きのわりー事言ってんじゃねぇよ。オレらは単にそっちの偉いさんがフトコロに入れてるって、親切に教えてやっただけだぜ? なぁ、そうだろう?」


 おそらく|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の首領であろう男が、同意を求めるよう配下達に言葉を振る。口汚い肯定の言葉が次々に上がる。ただでさえ怒りに顔を赤くしていたトマスは、憤怒のためますます顔を赤くする。


「何を言っているんだ……これはいざという時のために貯めておいた分で……」

「貯め込んでた事にゃかわりゃしねぇよ。この分じゃ、他にも出てきそうだよなぁ?」

「ああ――地質的には採掘場と周辺の地質は、そう変わらないはずなんだっ!」

「シーザ!」


 トマスによって拘束されたまま、盗賊の言葉に答えるシーザ。


「ほらな。現場を知ってるヤツがこう言ってんだ。言い訳は出来ねぇぜ?」

「魔鉱石は、そんな簡単な物では……」

「そんな言葉、信用出来るか――! アンタがこれ以上採掘は無理だなんてふざけたことを言わなけりゃ、今も――!」


 村長の言葉に、シーザは明らかな敵意を向ける。いや、それはもはや殺意と言うべきか――事情は解らないが、魔鉱石の採掘が出来なくなることによってシーザは何らかの損害を被り、そこを|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)につけ込まれた。といったところか。


「あーあー、言い訳は見苦しいぜ? さて、楽しい収穫の時間だ。なーに、心配するなって採掘の方はオレらが引き継いでやるよ。ってコトで、おめーらはここで死ねや!」


 獰猛な笑みを浮かべ、配下達共々武器を振り上げた。薄汚れた直剣、ダガーは勿論のこと周囲を取り囲む黒狼達も四肢に力を込め、いつでも飛び掛かる事が出来るよう身構える。



「いいねぇ、その小悪党っぷり!」



 一触即発の空気をぶち壊したのは――もはや言うまでもない、榮の場違いに楽しそうな一声だった。




 あまりにも場違いな台詞に、一瞬呆けた|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)――その好機を見逃すはずもなく、一息に距離を詰めた榮は手当たり次第黒狼を、賊を殴り飛ばす。一見すると闇雲に暴れているように見えるが、常に囲まれないよう己と相手の位置を把握し、時に同士討ちを、時に仲間同士を障害にし、またある時は襲いかかってきた黒狼を片手で投げ飛ばし飛び掛かろうとしていた別の黒狼にぶつけて動きを封じる――圧倒的多数を相手にしているというにも関わらず、その姿には焦りの欠片もない。むしろ楽しんでいる節すらある。

 あまりに手慣れた立ち回りは、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)――ひいてはギルド内でも畏怖の対象である|《狂獣》(モルデラウァ)の名に相応しいものであり、暴力的で有りながらもどこか目を離す事ができない、そんな何かがあった。


「な――っ、化け物か……?」

「オイオイ、いくら何でもそりゃ酷くね? だいたいよぉ、おまえらなっさけねぇのなぁ。こんなぞろぞろ引き連れて来やがって……数を揃えた上に、獣の力を借りねぇとまともに戦えねってか? 所詮ケダモノの親分はケダモノ、ってトコか」


 呆然とした首領の呟きに、挑発するよう嗤う榮。嘲る言葉は首領のプライドを傷つけるには十分だったようだ。怒りのあまり顔を赤くし、がなり声をあげる。


「粋がるなよガキ共がっ! その強がりがいつまで持つか、せいぜい足掻いてみろ!」

「おー、それ思いっきり負け犬の台詞だぜ? 板についてるなぁ。さてはアンタ、どっかから逃げてきたクチかぁ?」

「黙れッ!」


 だがそんな声も栄にとってはからかいのネタでしかないようで、激昂する首領を実に楽しそうに眺めていた。


「挑発してどうするっ」

「ははっ、これ位屁でもないだろ?」

「お前と一括りに考えるな!」


 安い挑発に乗ったとはいえ、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)が有している戦力はけして侮れるものではない。いや、人間だけであればさほど問題ではなかったのだろう。

 だが黒狼の連携が、茂みの中から前触れ無く襲いかかってくるしなる樹が、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)に本来以上の力を発揮させる。


 ……やりにくい……っ!


 賊の件を受け流し、体勢の崩れたところへ刃を向けようとした矢先、風の音を感じて半歩下がってみれば、つい先程まで居た場所を無数の枝が貫いている。もし反応できていなければ、どうなっていたかはいうまでもない。

 |《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の構成員は今目の前にいるだけではなく、おそらく何人かは茂みの中に姿を隠しているのだろう。そして、安全圏から|《魔道具》(アーティファクト)を使い攻撃してくる。

 音を使って指示しているのだろう、そのせいでタイミングを読みやすい黒狼の攻撃はともかく、前触れのない樹の鞭は気配がないことも手伝って対処がしにくい。

 流石の榮も邪魔をされては本領を発揮できない上、厄介な|《魔道具》(アーティファクト)使いを先に潰すためとはいえ護衛対照を置き去りにするわけにもいかない。

 仕掛ける事の出来ない状況にもどかしさを感じながら、鬱憤を晴らすよう飛び掛かる黒狼の腹へ剣を振り抜いた。


「ジーク、上っ!」


 リュートの悲鳴とほぼ同時、頭上から聞こえる風切り音。間一髪の所で避けたそれは地面に浅いとは言えない穴を穿つ。

 改めて、その威力に舌打ちする。数が多い獣も、盗賊も気配があるため早々不意鬱を喰らうことはない。が、この植物による強襲は別だ。生き物ではないためだろう、気配というものがほとんど感じられず、故に避ける事が難しい。

 今は、どうにか間に合っているが――いつ反応が間に合わなくなるか。


「邪魔さえなければ止めに行くものを……っ」


 安全圏から高みの見物を決め込んでいるであろう二人の術者に対し、吐き捨てる。いや、この苛立ちは|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)その物に向けたものか――他者を傷つける事を厭わず、奪い、嘲笑う。その行為が、暴力が、否応なく心の奥底に刻まれたあの光景を連想させるせいだろうか。

 嫌悪感を通り過ぎて、吐き気すら覚える。胸の内で燃える感情に振り回されないよう呼吸を一つ、目の前の黒狼を切り捨てた。





 怒号、鉄と硬いものがぶつかり合う音、むわりと漂う生臭い獣臭――

 盗賊団|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)に取り囲まれてからどれだけ経ったのか、短いのか長いのか、判らない。ジークと栄の足下は黒狼の流した血でもう元の色が判らなくなってしまっているけれど、押し寄せてくる黒狼の数は減ったようには思えない。いつものジークだったら、いくら大きな群だとしてもここまで苦労していないと思う。今は同じ|《五つ星》(ペンテ)の榮も一緒なんだし、普通なら、そこまで苦労する相手じゃないんだと思う。

 でも――実際は、違う。今ジークも栄も黒狼を荷馬車に近づけさせないようにするだけで精一杯で、遠巻きにこっちを見ている|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)に攻撃できていない。

 二人が苦戦している一番の原因は、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)が仕掛けてくるもう一つの攻撃だ。時々茂みの中から飛び出してくる太い木の根か幹か、とにかく普通なら有り得ない成長速度で伸びて、まるで意志を持っているみたいに襲ってくる樹の枝のせいで、二人とも思うように動く事が出来ていない。

 荷馬車を押し倒したのは樹の鞭だけれど、樹の鞭自体の速度はあんまり速くない。たぶん、速さだけなら黒狼達の方が早いんじゃないだろうか?

 なのに、ジークも栄も反応できない。


 ――まるで、いつ何処から樹の鞭が飛び出してくるのか、わからないみたいに。


 そんなこと、ないよね? だって樹の鞭が飛び出してくる少し前に、その場所にあの光が現れる。蛍が舞うみたいに淡くて、明るい森の中だと見逃してしまいそうで――だけどそこにあるってはっきりとわかる淡い光の粒が、きらきらと光っているんだから。


「止めに行くって……オイオイ、もしかしてお前、|《魔道具》(アーティファクト)持ちが何処にいるかわかる系?」


 固唾を呑んで見守る前で、唐突にそんな問いを投げたのは栄だ。


「あんな目立つ音を出していれば、誰でもわかるだろう!」


 苛立った声で答えるジーク。その言葉に、わたしは内心首を傾げてしまった。

 音? ジークはそう言ったけれど、いったい何のことなんだろう?

 今、この場所を満たしているのは黒狼の唸り声や鳴き声、それにジークと栄が黒狼を斬りつけたり投げ飛ばしたりする音がほとんどだ。荷馬車に隠れたわたしや村長さん達は息を殺して外の様子を伺うしかできない。

 こんな状況で、目立つ音なんて出していたらすぐに判ると思う。けど――|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の男達は武器を手にジーク達を警戒してはいるけれど、合図と呼べるような音を出しているようには、とてもじゃないけど見えない。


「あん? これ操ってんのあそこにいるむさいのじゃねぇのか? へー、ここまでした上にまだ姿隠すとか、どんだけ。しかしよぉ、もしかしてお前|《魔道具》(アーティファクト)持ちが何処にいるか、判る系? マジで?」

「何を訳のわからん事を――!」


 相変わらず、からかうような榮の言葉にジークは振るっている剣と同じような剣呑さで返す。

 ジークの様子は、とてもじゃないけれど嘘をついているようには思えない。ジークにだけ、何かが聞こえている?

 そんなことってあるんだろうか? それに、口ではああ言っているけど栄はあんまり驚いていないような気がする……。


「へぇ……」


 戸惑うわたしとは反対に、榮はジークの言葉を聞くと面白そうに眼を細める。その姿に、顔に、どうしてだろう何か、何か嫌なものを覚える。


 そう、あれはまるで――


「んじゃジーク、ここは俺とお嬢で防衛すっから、お前いっちょ隠れてる《獣使い》仕留めてきてくれや」

「――は?」

「いや、何そんな意外そうな顔してんの」


 唐突な言葉に、一瞬ぽかんとするジーク。勿論黒狼達に囲まれている今の状況でそう隙を晒すことはしないのだけれど……。


「何を、寝言を言っているっ」

「寝言じゃねーし。だって、お前《獣使い》の居場所が解るんだろ」

「……それが、なんだと言うんだ?」


 足を止めたジークに、隙だと判断したのか飛び掛かってくる黒狼。その腹に剣をたたき込み切り捨てながらの言葉に、榮はやっぱりどこか楽しそうな口調で答える。


「俺やお嬢にはお前の言う音とやらが聞こえねぇんだよ。だったら、適材適所は基本だろう?」

「聞こえない……?」


 どういう事だ? と視線で質問する。だけど榮はそれを無視して黒狼を投げ飛ばしながら続ける。


「あー、もうごちゃごちゃ考えてる場合かよっ。このままじゃ分の悪い消耗戦になるってのは目に見えてるだろ? わざわざ相手の土俵で戦ってやるなんざ、正気じゃねぇっての。こう言う時は頭を叩くのは基本だろ!」


 榮の言うことは正論だと、戦うことに関してほとんど知識のないわたしでも判った。だって、相手の黒狼は二人が倒しても倒しても、後から後から現れる。減ったどころか、むしろその数は増えているようにすら思える。

 このままだと、いつかジーク達の体力が切れて相手に押しきられてしまう――そんな光景を連想するには、十分すぎて。

 だけどジークが行動に移れないのは、きっとこの場所のことを心配しているから――二人でだって横転してしまった荷馬車に取り付こうとする黒狼を追い払うのに苦労しているのに、この上ジークが黒狼を操っている《獣使い》を止めに行くためだとしても離れるということは、それはやっぱりこの場所を守りきれなくなる可能性があるからで。


「なぁに、そう心配しなさんな。こっちはこっちで上手くやるさ。|《狂獣》(モルデラウァ)の名前は伊達じゃないんだぜ?」


 からからと、こんな状況だって言うのに疲れの一つも感じさせない声で笑う。向かってくる黒狼を迎え撃つ形で対処しているジークとは違って、榮はむしろ好戦的に切り込んでいる。だから常に動き回っているし、その分体力を使っているはずなのに――その姿からは疲れなんてちっとも感じさせない。


「――解った」


 そう答えたジークの声は、やっぱりまだ割り切れない感じがあったけれど、今のままじゃ埒があかないと解っているのはむしろわたしなんかよりも実際に黒狼を追い払っているジークの方だ。だから榮の提案が正しいんだって、まるでそう言い聞かせるみたいに頷いてラーに飛び乗って茂みの中に姿を消した。


「んじゃ、いい感じに体も温まってきたトコだし、こっちもそろそろ反撃と行きますか。……なぁお嬢、タイミングの指示、頼むぜ?」


 遠ざかっていくジークの背中を見送っていたわたしに、唐突な言葉。


「え? し、指示って……?」

「木の根の来るタイミング! 解るんだろ?」

「な、なんでそれを……?」


 どうしてそう思ったの? 疑っている、どころか確信を持った言葉に、返す言葉が見付からない。


「細かい事は後だっての! ほらほら、ぼさっとしてるとあの兄ちゃんが帰ってくる前に挽肉にされちまうぜ?」


 物騒な例えに、そうだったと気持ちを切り替える。――例え、ジークみたいに直接戦う力が無くったって、わたしだって一応はギルドに登録しているんだ。他の、普通に街で暮らしている人達よりも、こういう時には慣れていて――だから、ちゃんと気持ちを切り替えて、わたしはわたしにできるとこを、しなきゃ!

 目を懲らす。黒狼はまだまだ増え続けているし、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の男の人達も無傷だ。突然茂みに入っていったジークに驚いたみたいだけれど、《獣使い》のいる方向に向かったことに気付いたのか、今までと違って少し慌てているように見える。

 そして――あの煌めきが、目に映る。


「栄っ、右!」

「おうよっ!」


 警告したのとほとんど同じに、榮がいた場所を木の根が貫く。だけどその僅か一瞬の間に、榮は地面を蹴って攻撃を避ける――ううん、それどころか黒狼の群のまっただ中に飛び込んで、手当たり次第に殴りつける。その姿は、まるで暴風か何かだ。

 わたしが出来る事はといえば、木の根が来そうだと言う事を伝えること、ただそれだけで――それでも余計なことを考えないように、ただひたすら周囲に注意を払って、光を見逃さないよう目を懲らした。

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