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黒き獣と赤の少女  作者: 竜胆 梓
一章 《黒き獣》
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3 -先達との遭遇-

 いつの間に列んでいたんだろう。その人は受付で引き留められていたジークを無視して、呆気に取られるミーナお姉さんの前に依頼書を置いた。

 身長はたぶんジークと同じくらいで、大人の人でも高い方に入るんだと思う。短く刈った焦げ茶色の髪と、同じ色の吊り目がちな瞳。この国――東大陸ではよく見かける目と髪の色。がっしりとしたでも無駄のない体つきはたぶんこの人がギルド員で、きっとランクも高いんだろうということを感じさせた。どちらかというと恐い顔をした人が多いギルド員の中では珍しく、あんまり恐い印象を受けなくてむしろどこにでも居る普通の人みたいな印象を受ける。

 でもなんでだろう、こういう場所でも物怖じしない雰囲気をなんだか少し恐いと感じてしまった。

 男の人は人なつっこそうな――と言うよりも、ふてぶてしい態度のまま視線でミーナお姉さんを促す。


「え? あ、はい畏まりました。少々お待ちください」


 突然の割り込みに戸惑っていたミーナお姉さんだけど、ずっとそのままなんてことはなかった。……こういうことには馴れているのかな? 依頼書を受け取ると内容を確認するように視線を落とす。


「あっ、待ってくださいまださっきのお話は終わっていません! 今回煙に巻いても、他のギルドでも同じ事を言われますよ。ちゃんとここにいてくださいね!」


 入れ替わるようにこっそり受付を離れようとしたジークに、しっかり釘を刺した。ジークは応える代わりに小さく肩をすくめた。

 見上げたジークの顔は困っているような、呆れているような――なんて言えばいいのか、上手く言葉に出来ないけど……でも、やっぱりジークは困っているんだってことがよく分かった。


「………」


 ジークのそんな顔を見ていると、わたしの中にじわりと、罪悪感がわいてくる。

 あの事件について調べるためにも、ジークのギルドランクが上がるのは、ミーナお姉さんが言うように必要なことなんだと思う……。ジークも、本当ははわかっているはず――でもこうして答を渋るのは、きっとわたしがいるからだ。

 ちょっと前に、ジークが|《三つ星》(トリア)から|《四つ星》(カトル)にランクが上がった時にもそうだった。ジークがギルドランクを早く上げてしまうから、ジークより長くギルドに所属している人の中でそんなジークを煩わしく思って、直接戦う事になって――その時、負けた相手がわたしを盾にジークに勝とうとして、ジークはそれでものすごく怒って……あの時は、周りの人が止めていなかったらジークは相手の人を殺してしまっていたかもしれない。

 ギルドに登録している人同士でのちょっとした諍いは注意されることはないけれど、そんなことになっていたら注意だけじゃすまなかったと思う。あの時止めてくれた人たちには、どんなにお礼を言ってもたりない。

 ジークのことを止めてくれてありがとうと言う間、ずっと言えなかったことがある。

 ギルドに登録している人は、ジークみたいに大人の人たちばかりじゃない。中には、わたしみたいに小さな内からギルドに登録して腕を磨いている人たちだっている。小さな子供は働く場所も少なくて、ギルドはそうした働かなきゃいけない子どもたちに仕事を斡旋している場所でもあるんだって。もちろん、ギルドの仕事は安全なものばかりじゃなくて危険なものも多くて、でもそういう人たちは生きるためには危険でも仕事をしなきゃいけないから、そういう心構えは出来ているんだと思う。


 でも、わたしは――


 あの日以来、ずっとジークといっしょにいろんな街を回って歩いている。ジークがギルド登録する時、わたしもいっしょに登録したけれど武器なんて扱った経験のないわたしのギルドランクは三年経った今でも「初心者」を意味する|《星無し》(ナーダ)のまま、変わっていない。

 戦うことも出来なくて、その覚悟もなくて――ただあの時、あの日あの場所でジークが伸ばしてくれた手にすがりついただけのわたし。

 あの事件で、ジークは弟さんを亡くしている。だからお父さんとお母さんを亡くしたわたしと、あの事件について知りたいって言う目的は同じ。


 だけど――出来ることは同じじゃなくて。わたしは何も出来なくて。


 なるべく迷惑にならないようにってどんなに頑張っても、小さな子供と一緒に旅をすればどうしても移動に時間がかかるし、あの時みたいに迷惑を掛けちゃうことだってある。

 どうすればいいのか、どうしたらジークの足枷にならないでいられるのか。ぐちゃぐちゃになった思考は答を出せなくてただ自己嫌悪するばかりだった。俯いたわたしに気づいたジークが心配そうに見下ろす。


「どうした?」


 気遣ってくれると判る優しい声が、今はただどう答えたらいいのか判らなくて苦しくて、役に立てないことが不安で恐くて――


「……大丈夫」

「そう、か……? あまり無理はするな」

「うん……ほんとに大丈夫だから」


 強がって答えてみたけれど、わたしの心は曇り空みたいにどんよりとして、いつまでたっても青空は見えない。強がっているのを見抜かれてしまったんだろう、わたしの瞳覗き込んだジークが何か言おうと口を開いた、


 と、その時だった――


「――んだよ、だったらこの兄ちゃんとコンビ組んで行くってのならどうだ?」


 そんな言葉と同時に、ジークの腕をさっきの男の人がぐいっと掴んだ。




 受付嬢との間に入ってきた男は、どうやら依頼を受けに来た者だったようだ。随分長いこと引き留められていたわけだから、いくら複数人で事務処理をこなしているとはいえ、いい加減業務が滞っていたのだろう。痺れを切らした者が割り込んできても不思議ではない。

 これ幸いにこの場を離れようとしたが、しっかりと釘を刺されてしまったためそうも行かない。やれやれと肩をすくめた俺の前で、男が提出した依頼書に目を通していた受付嬢の動きが、ぴたりと止まる。


「え……? あの、失礼ですが……この依頼、本当に受けるつもりですか?」

「うん? でなきゃわざわざ持ってこねぇって」

「ですが……」


 男に睨まれ、信じられないという面持ちで口をつぐむ受付嬢。

 何をそんなに揉めるのか、ちらりと視線を向ければなるほど、受付嬢が確認するのも頷けた。

 男が受けようとしている依頼には赤い星が複数、それも二重に押されている。印を二重に押すのは個人向けではなくパーティ向けの依頼であるという印だ。それも三つ星ともなればある程度実力のある、と注訳がつく。

 にも関わらず、男は連れがいるようにも見えず、所属レギオンを示す印をしていない。通常、よっぽどの弱小レギオンでもない限り同じレギオンに所属する者同士は識別がつくようにとメダルや揃いの装備などを持っている。男の軽装にはそんな印の一つもついてはいない。基本ギルドでは依頼を受ける側に干渉をしない事を建前としていたとしても、受付嬢が思わず確認するのも無理もない。

 ふてぶてしい調子裏腹に、男の立ち振る舞いには隙が見当たらない。相応の実力者であるのだろう。だがそれとこれとは話が別だ―― 一人の人間が出来る事はたかがしれている。慢心は隙を生み、隙は時として命を奪う。そうやって命を散らせた者を、俺もリュートも何人となく知っている。

 街に住む人間とは違い、ギルドで仕事を得る者は大抵が街から街への根無し草の生活だ。危険な目にあう確率はむしろ街人のそれより遙かに高い。俺達とて、いつそうなるか判ったものではない。

 今回の話しにしてもそうだ。たしかに|《五つ星》(ペンテ)まで上り詰める事が出来たのなら、集まる情報は増大するだろう。だが俺に、はたしてそれだけの力があるのだろうか? 今でさえ、受ける依頼の大半は星二つか三つばかりだというのに――

 力量を見誤る事、それがすなわち死に直結する事はギルドに携わる者ならば誰でも知っている。低難度の依頼ばかりをこなしていたにも関わらずこうして|《四つ星》(カトル)に位を上げたのも、そのあたりを見誤ることがなかったからだ。


 男と受付嬢のやり取りを聞き流しながら、ふと傍らのリュートに視線を落とす。リュートは何をするわけでもなく俯いたまま、どこか元気のない様子だった。もしや体調が優れないのかと思ったが、そうではないようで首を振って否定した。

 ……彼女とて馬鹿ではない。先の話がどういったモノか、利点とリスクは理解しているはずだ。けれどどこか寂しげに曇らせた表情が晴れることはない。

 事件の真相に近付く事は、リュートにとって最大のトラウマに踏み込むのと同じ。あの日両親を亡くし、親しい者達を無くし住む場を追われた。一時的に保護された村での扱いも、あまり良いものとは言えなかった。その上に、血縁からのあの仕打ち――本来なら、この旅に関わらせるべきではなかったのではないか? 後悔にも似た思いがわいてくる。


 だがあの時彼女に手を伸ばさずにはいられなかった……例えそれが俺の身勝手でしかないと判っていても。

 だからこそ、時折考えずにはいられない。本当にこの選択が正しかったのかどうか――を。


 やはり、断るべきか――そう思った時、急に腕を掴まれ、


「――んだよ、だったらこの兄ちゃんとコンビ組んで行くってのならどうだ?」

「……は?」


 先程まで受付嬢と何やら激しい交渉合戦を繰り広げていた茶髪の男が、こともあろうかそんな事をのたまう。

 あまりに突然の事態に呆気に取られる俺とリュート、そして受付嬢を余所に、茶髪の男はにんまりと、どこか悪戯を企むイタズラ小僧のような笑みを浮かべる。


「ようは一人じゃ無謀、なんだろう? だったら、こうして誰かを誘うっての。……つーか、そもそもギルドの依頼を受ける受けないを選択するのは個人の自由だろ? 細かい事いちいち目くじらたてなさんなって」

「それはそうですけど……」


 男の言う事は、確かに正論だ。ギルドはあくまで依頼を仲介するだけであり、それを受ける受けないを強制しているわけではない。もっとも――あまりにも失敗件数が多い支部はそれなりの罰則があるという噂も存在するが。

 ともあれ、それだけに受付嬢もすぐさま反論の言葉を向けることが出来ず――


「……おい、何を勝手に話を進めている? 人を巻き込むな」

「へ? なんか問題あるのか?」

「大有りだろう! 何を勝手な事を――無駄に命を捨てたいのなら、一人でやれ」


 断られるなど微塵も考えていなかったのか、茶髪の男はわけがわからないと言ったふうに首を傾げる。


「オイオイ、大袈裟だなぁ……自信がなきゃ、受けないのは常識だろ?」

「……尚悪い」


 ダメだ、言葉が通じていない。男の様子に頭痛を覚えるのは気のせいではないだろう。


「確かに……|《五つ星》(ペンテ)の戦力は下手な人数を揃えるよりは……それなら」

「待て」


 真顔で不吉なことを呟く受付嬢に待ったをかける。|《五つ星》(ペンテ)云々以前に昇格を断っている事をもう忘れているのか。

 思わずため息をついた俺を心配そうに見上げるリュートだったが、ふと男から視線が向けられている事に気付き、逃れるように身を隠した。相変わらず人見知りをするリュートに気を悪くする訳でもなく見ていた茶髪の男は、その姿に何やら眉をひそめ、


「あれ……お前、もしかしてユヴェリエん所の……?」


 男の口からこぼれた、聞き間違いようのない単語。

 久しく耳にしていない単語を聞いたとたんリュートはびくりと身を固くし、対して俺は怪訝そうに首を傾げる男を引きずり、気づけば足早に受付から離れていた。





「オイオイ、いきなり何――」

「――この子を知っているのか?」


 無礼にも見ず知らずの人間にいきなり引きずられ、あまつさえ詰め寄られているにも関わらず、おどけた調子を崩さない茶髪の男。


「知ってるかって言われてもな……昔、依頼を受けた時に丁度似た感じのちびっ子を見たってだけで……」

「……そう、か」


 男の返答に、心の中で安堵しながら襟首を掴んでいた手を放す。ほとんど締め上げるような勢いだったにも関わらず、男はたいして気にした様子もなく平然としている。……依頼の事といい、よっぽどの大物なのか危機意識が欠落しているのか。


 どちらでもいい。この様子であれば追っ手という可能性もないだろう。

 ユヴェリエというのは、かつてこの国の一地方を治めていた領主の――リュートの、本当の家名になる。

 廃れてしまったとはいえ、貴族は貴族。ましてや三年前に彼女を迎えに来た者からすれば、俺は彼女をさらったも同然だ。捜索願が出されている可能性は、十分に考えられた。連れ戻される事を避けるため、俺もリュートも偽りの名を使っている。

 加えて、事件から三年――俺もリュートも、当時と比べると多少見た目が変わっている。一目見て気付く者はいないだろうと高を括っていただけに、男が口に出した単語は俺を動揺させるには十分すぎた。

 安堵する俺の様子を訝しんだか、男はふと首を傾げる。


「でも待てよ? 確かあの家って三年前……ああ、なるほどな。それで仇を追いかけてる――ってコトか。物好きなこった」


 合点がいった、とでもいうように一人頷く。田舎とはいえ、一領主の死亡、領主の交代。あの事件は一時国中を騒がせていた。噂の集まるギルドに出入りする者なら、一度や二度は耳にしているのだろう。


 けれど――あの事件を「事件」と認識している人は、あまりにも少ない。

 表向きには、三年前の領主死亡は単なる火事であり、間違っても事件などという物騒な単語を使う事はないのだから――


「――何を知っているっ?!」


 気が付けば、再度男に詰め寄っていた。

 三年間、各地を回ったがあの日の事を事件と呼ぶのは俺かリュートしかおらず――他に呼ぶ者がいるとすれば、それはあの日の事を良く知る者で――


「ちょ、お前なぁ……これが人にものを尋ねる態度かよ?」

「……っ、すまない」


 邪気のない声に毒気を抜かれ、胸ぐらを掴んでいた手を放す。


「素直だなぁ。これで俺が犯人で、とんずらしちまったらどうするんだよ」

「………」

「冗談冗談。だからそう恐い顔で睨みなさんなって」


 手慣れた様子で場を和ませる。どうやら先の見立て通り、男も腕のたつ冒険者の類なのだろう。このような衝突日常茶飯事なのかもしれない。あまりのふてぶてしさに感心よりも呆れの方が勝ってしまう。


「……三年前、ユヴェリエ家で起きた事件について……知っている事があるのなら、教えて欲しい。もちろん、相応の対価は払う」


 ひとまずは胸中に渦巻く諸々の感情を抑え、問いを投げる。

 旅を続けて三年、当初は人々の関心を引いていた事件ではあるが、時間と共に当時の記憶は風化しつつある。もはや得られる情報はないのではないか――そんな不安を覚える中、この男が現れた。訪れた機会を逃すわけには行かない。


「知ってる事、つってもなぁ……俺もあの件に関しちゃ後から聞いたくらいで……そう詳しい事までは……」

「構わない」

「んー……」


 煮え切らない様子の男は、しばし考え込んだ後ふと良い事を思いついたとでもいうように顔を上げる


「なら丁度いい、さっきの話し、あれ受けてくれね?」

「……は?」

「やー、あのねーちゃん頭硬くてさー。人数いねえと受けさせねって言うんだわ。それに実力の解んねーのに下手なコト教えちまって、玉砕でもされちまったら流石に寝覚めも悪ぃからな」


 利害一致ってな、と一人勝手に納得した様子の男は、こちらが口を挟む暇もなく受付に向け声を投げる。


「ってことだ。おーい姉ちゃん、そういう訳だからさっきの依頼書、手続き続行で頼む」

「待てっ、まだ受けるとは何も」

「情報、いるんだろ?」


 こちらの反論を封じるよう、意地の悪い顔でにやりと笑う。

 解って聞いているのだろうか……だとしたら、この男なかなかにいい性格の持ち主だ。

 俺からの反論がない事を確認し、茶髪の男は受付嬢を促す。


「……でも、本当に大丈夫なんですか?」

「なんだよー、アンタもたいがい心配性だなー。|《五つ星》(ペンテ)がコンビ組むんだぜ? この程度の依頼で滅多があってたまるかよ」

「それは確か……え?」


 ともすれば聞き逃しそうなほどあっさりと出された言葉に、しかし受付嬢の動きはぴたりと止まり――


「|《五つ星》(ペンテ)……が、コンビ?」


 あり得ない――受付嬢の顔は、言葉よりも雄弁にそう語っていた。

 対して男は、にやりと意地の悪い笑みで迎え撃つ。


「そーいうこと。ああ、そういや紹介がまだだったな。オレはえい。――名前よりも|《狂獣》(モルデラウァ)って名乗った方が解りやすいか?」


 あっさりと、実にあっさりと名乗った二つ名に――

 間近で会話を聞いていた俺とリュートだけではなく、ギルド一階にいた全ての者が動きを止めた。




 |《狂獣》(モルデラウァ)――それはギルドに関わる者達の間で、最凶とされる|《死刑執行人》(ディアノーディル)に並び、関わるべきではないとされる|《五つ星》(つわのも)の名。

 正体を明かしたがらずギルドに顔を出す事すら希であるが故に、他者との接触が極端に少ない|《死刑執行人》(ディアノーディル)とは異なり、|《狂獣》(モルデラウァ)はそこそこ頻繁にギルドに顔を出している。討伐系の依頼を好んで受ける傾向にあるらしいが、めぼしい依頼がない時は護衛などの、とにかく戦いのありそうな依頼を好んで受けるという。

 かの人が護衛し、賊などを撃退するのを目撃してしまった依頼主は皆、口をを揃えて言う――あれはまさしく獣そのもの。まともな人間の所業ではない――と。

 相手の数がどれ程多かろうと、たった一人であっても護衛対象を守り抜く――否、襲撃を仕掛けた不届き者を殺し尽くす迷いの無さ。まるで天災のように振るわれる暴力の嵐に、いつしか人々は恐れを持って|《狂獣》(モルデラウァ)の名で呼ぶようになったという。


 と、そのようにギルド関係者達の間で、半ば伝説のように語られる逸話の数々――その本人を名乗る者が、突如として現れたのだ。この反応はむしろ静かな方で、よく恐慌状態にならなかったと言うべきだろうか。

 しかし|《狂獣》(モルデラウァ)にまつわる数々の噂と目の前にいる男とは、どうにも印象が一致しない。のらりくらりとした態度は確かに人をくったような印象を与えるものの、荒くれ者が多いギルドの中では特に珍しい事ではない。むしろ飄々とした態度で受け流すだけ、人間関係は円滑と言えるだろう。とてもではないが「狂った獣」の名が与えられた人間には見えない。

 見た目から判断するに、年もそう変わらないだろう。あれだけ多くの逸話を持つ者にしては、少々若すぎる。そのせいか、尚更|《狂獣》(モルデラウァ)の名に結びつかないのだろう。――まあ、年齢について人の事を言えた立場ではないのだが。


「も、|《狂獣》(モルデラウァ)って……あ、あの|《狂獣》(モルデラウァ)……?」


 ギルド内のざわめきを代表するうよう、受付嬢が信じられないといった面持ちで問う。そこに浮かぶのは実力者に対する敬意ではなく、驚きと確かな怯え。


「それ以外にそんな|《狂獣》(モルデラウァ)が居るっていうんだよ。にしても、傷つくなー。なにもそんなびびるこたぁねえだろ?」

「え、あう、すみませんっ」


 公平であるべきギルド職員としてあるまじき事をしてしまった。慌てて頭を下げた受付嬢は、勢い余って机に頭をぶつけた。……今、ものすごくいい音がしなかっただろうか? 額に痣を作り、涙目になる受付嬢に対し、|《狂獣》(モルデラウァ)はその名に似付かわしくなくからからと笑う。


「おもしれぇ嬢ちゃんだな。ま、とにかくそういうわけだ。心配してくれるのは結構だけどよ、こんなちゃちな連中に後れを取るほどヘマはしないって話し――なあ?」


 不遜な態度で言い放ち、何故かこちらを振り返る。……ここでこちらに話を振るか。


「無責任な事を言うな。……そもそも、先程から何度も言っているが俺は|《五つ星》(ペンテ)に名を連ねられるほど強くはない」

「んー、そうか? そうは見えねぇけど……せっかくなんだし受けとけよ。名誉だろ、自慢できるじゃんか」


 まるで拗ねた子供のように不満の声を上げる|《狂獣》(モルデラウァ)。


「名誉や栄誉が欲しくて、ギルドに登録している訳じゃない」


 きっぱりと否定を伝えると、あからさまに眉をしかめた|《狂獣》(モルデラウァ)は、ややあってぽんと手を叩き――


「なるほど、これが嫌よ嫌よも好きの内、ってヤツか」


 ――何故そうなるっ!?


 斜め上の解釈に思わず動きが止まる。その隙に|《狂獣》(モルデラウァ)は受付嬢になにやら指示を飛ばし、勝手に人のギルド証を更新させた。……待て、何故、いつの間に俺の登録証がそこに?!

 しまったはずの懐に手をやるも、あるはずの感触はそこになかった。制止の声をかける間すらなく、受付嬢は素晴らしい速度で踵を返し事務スペースに消える。

 戻ってきた時には、すでにその手にあるギルド証に押された星の数は俺の記憶にある物とは違っていて――


「お待たせしました! ギルド証の更新手続き、滞りなく終了しました!」


 やり遂げた顔でにこやかにギルド証を差し出す受付嬢に、じろりと無言の抗議を向けてしまったのは不可抗力という物だろう。非難がましい視線を受けて尚、受付嬢は素知らぬ顔だ。流石にこの程度では、数多の荒くれ者を相手にするギルド職員として怯むわけにはいかないのだろう。

 こうなってしまった以上、更新されたギルド証を受け取るしかないのだろう――もちろん|《千技》(タウゼント)がやったように引退や、多少面倒だが自己申告による降格手続きという物も存在する。そもそもギルドでは登録していない者でも、多めの仲介料を取られるとはいえ依頼を受ける事は可能なのだから、ギルド証を返してしまってもさし当たって大きな問題はない。


 しかしこれも何かの縁か――半ば諦めたようにため息をつき、更新されたばかりのギルド証を受け取った。


「これで|《五つ星》(ペンテ)の仲間入りだな。おめっとさん」

「……白々しい」


 自分でしておいて、と暗に訴えるも|《狂獣》(モルデラウァ)は柳に風。平然とした顔に全く堪えた様子はない。


「|《五つ星》(ペンテ)が協力して依頼に挑むなんて……ギルド私史上初めての事かもしれません」


 感慨深くそんな事を言うが、|《四つ星》(カトル)や|《五つ星》(ペンテ)の位は出来てまだ日が浅い。それにたった五人しかいない|《五つ星》(ペンテ)が広い世界の同じ場所に集まるなど滅多とある事ではないだろう。ましてや個々で動く|《五つ星》(ペンテ)が協力するなど、確かに初めての事なのかもしれない。


「確かに……言われてみればそうでしたね」

「そーでもないんだがねえ」


 指摘に受付嬢はなるほどと頷き、当の|《五つ星》(ペンテ)である|《狂獣》(モルデラウァ)は肩をすくめた。


「……類は友を呼ぶ、という奴か?」

「いやいや、誰があれと類友だ。あんな化け物と一緒くたにするな」

「では|《五つ星》(ペンテ)同士で定期的に集会でも開いているのか?」

「うっわ、それ面白い発想だなー。……さぞ大騒ぎになるだろうなぁ」


 いったい何が面白かったのか、|《狂獣》(モルデラウァ)は腹を抱えてくつくつと笑った。

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