1 -青年と少女の日常-
訪れつつある冬の気配に合わせるよう、昇る時刻が遅くなりつつある朝日が街を照らす。朝の日差しに促され、目を覚ました小鳥達が騒ぎ初め、人々も日の出と共に活動を始める。
ここは東大陸北東部に位置するヴォラオドス国にある街の一つ。迫り来る厳しい冬を越えるため、人々は短い秋の間に食料を、衣服を、住処を整え次の春を待ちわびる。
日中はまだまだ夏の名残を感じる事もあるが、流石にそろそろ朝夕寒さが厳しくなり始めている。木を打ち付けただけの床や壁、簡素なベッドと小さな机、荷物を置くための棚などささやかな家具が置かれているだけの小さな部屋。ギルドの二階に設けられた簡易宿泊施設は駆け出しの冒険者に格安の価格で宿を提供するためか、その室内は簡素で最低限身体を休められる程度のものであり、あまり防寒対策などはされていない。
まだこの時期であればマシだが、冬期になれば備え付けの布団の上に手持ちの外套などを重ねないと寒さで起こされる事もしばしあると評判の宿泊施設は、先に言ったよう駆け出し冒険者に向けたものであり、本来俺のようにある程度経験を積んだ冒険者は利用出来ない。
今回この施設を利用した理由はいくつかある。
一つは、現在の季節が関係している。収穫期と冬に向けた備えをする時期に入り、街々を渡り歩く行商人の量が増えている。そのため荷馬車を預かる施設を備えた宿屋のほとんどが埋まってしまっていた事。
多くの冒険者がそうであるように徒歩、あるいは乗合馬車などを利用した旅であれば全く問題にならないのだが、生憎俺達は冒険者としては珍しい事に移動のために馬車を所持している。季節柄宿が混雑する時期とはいえ、部屋を取れないほどではないだろうと思っていただけに、この事は誤算だった。
そのため、ギルド間の連絡に利用するためや乗馬訓練などのため、馬を常駐させていてかつある程度の施設を備えているギルドを利用する事は出来ないか掛け合った。幸いにも今現在施設を利用している者は少なく部屋に余裕があった事も手伝い、そういった事情があるのなら致し方がないと利用する事が出来た。
ただ、本来駆け出し向けの施設をその規程を越えて利用すことになる。ギルドの方としても建前が必要らしく、交換条件として滞っていた依頼のいくつかを処理する事を提示された。
滞っていた物だと渡された依頼書はどれも達成難度は低い物であり、特に手に余るような物もなかった事、かつ休養も兼ねてしばらく滞在するのもたまにはいいだろうとギルドから示された条件を呑んだ。
昨夜、遅くまで出かけていたのもそのためだ。夜光草と呼ばれる植物を採取するためには、どうしても夜間に向かわなければならない。夜光草とはその名の通り夜間うっすらと光を纏う植物で、その葉や花に薬効成分が含まれている。日の光の下では他の植物と見分けがつきにくい事、また薬効成分が酷く弱まる事から夜間採取しなければならない。
ただ、他の者が手につけずにいた事が示すように、この採取には他にも面倒も多い。採取時刻が限られる事もそうだが、夜光草の効力を知っているのは人間だけではないという事。要は、夜光草の自生地には夜間薬草目当ての獣なども多数出没し、中には採取に向かった者が獣達によって殺されるという事例もあるほどだ。
腕に覚えのある者なら対処出来るので小遣い稼ぎ程度にはなる依頼なのだが、駆け出し冒険者にとっては危険が多く、中堅所になると手間の割にはうま味の少ない依頼となり、引き受け手の少ない依頼となっている。他の依頼も、内容に違いはあれどやり方を知らなければ手こずる物や利の少ない物など、引き受け手の少ない物ばかりだった。
かく言う俺も、夜間部屋を開ける事は出来れば避けたかったのだが――せっかく街に着いたというのに宿にも泊まれないというのは本末転倒であり、たまにはしっかりと屋根のある場所で休まなければ疲れも取れないという事でギルドからの提案を引き受けたのだった。
……が、その判断もあまり良い方向には働かなかったのかもしれない。自嘲的な事を考えながらベッドに目を向ける。
そこに眠っているのは一人の少女。布団の上からでもわかるほどの小さな身体は華奢で、布団の端から覗く短く刈られた髪は鮮やかな赤く、日の光を浴びていっそう色を増す。今は眠っているため瞼が閉じられているが、その瞳は大陸でも珍しい麦穂のような黄金色。あどけない顔つきが示すようまだ幼く、到底旅などという過酷な状況に身を置く者には見えない。
「ん……」
朝日に促されるように、丸くなって眠っていた少女は身じろぎした。休めるのならゆっくり休んでいて欲しい、そんな思いから起こしてしまわないようなるべく音を殺すが、努力も虚しく少女はややあって目を開ける。だがまだ完全には起ききっていないらしく、ぼんやりとした顔で視線をさ迷わせた。
「よく眠れたか?」
「え……ジーク……?」
まだ半分以上寝ぼけているのだろう。黄金色の瞳が声に反応して眠そうにこちらを見上げる。そのまま可愛らしくきょとんと首を傾げ――しばしの沈黙の後、その顔に罪悪感が浮かぶ。どうやら昨晩の事を思い出したらしい。
「あまり気に病むな」
「……でも」
ふさぎ込むリュートの頭にぽんと手を置き、気にしていないと暗に伝える。……彼女がああなのは、今に始まった事ではない。まったく気にならない、と言う事は間違っても出来ないが、今更とやかく言う事ではない。
「そろそろ食堂も開く頃だ。……食欲はあるだろう?」
「うん……」
「なら、まずはしっかり食べろ。……腹が減っていては、気持ちもふさぎがちになりやすい」
そう言うと、リュートはこくりと頷く。身支度もあるだろう、邪魔にならないよう外に出ようとした俺を、しかし小さな声が引き留める。
「あの……ジーク」
「何だ?」
「えっと……その、この街にはあとどのくらいいるのかな……って」
年の割には身体の小さいリュートの視線は、俺のそれより遙かに低い。自然と見上げる形になる瞳の中にあるのは、隠しきれない不安の色。
「そう、だな……頼まれた仕事も大方片付いた。それらしい話しも聞かない……手頃な護衛の依頼があれば、そろそろ次の街に行くつもりだ」
「……そっか」
伏せがちの顔に浮かぶ不安の色に気づかないふりをして、引き止めてごめんねとか細い声で謝罪するリュートの頭にぽんと手を置く。
「気にするな」
安全な街を離れ、数多の危険が存在する旅路に戻る事は身を守る術をほとんど持たない彼女にとって不安でしかないのだろう。馬車での移動は徒歩での旅に比べればまだ楽な部類に入るとはいえ、幼いリュートにかかる負担は計り知れない。なるべくそんな事をさせたくはないのだが――目的がある以上、止める事も出来ない。
なんとも矛盾した自身の在り方に内心憤りを感じながら、一足先に部屋を出た。
……また、やっちゃった。
見慣れた黒い背中が扉の向こうに行くのを見上げたまま、そんなため息がこぼれる。
どうしてあんなことを聞いちゃったんだろう……自分でも、すごく不用意だってわかってしまう。
街中とは違って、街の外には人を襲う野生動物や街には入れない犯罪者がどこにいるかわからない状況で、いつどんなふうに襲われるかわからない。だから街と街とを渡り歩く行商人はギルドで護衛を雇ったり自分で切り抜けられるよう腕を磨くし、護衛で生計を立てる人だっている。
街の外は、そういう場所。そんなことは子供だって知っていることで、身を守る方法も力もない人は街から離れることになれば、普通は不安になる。
なのにわたしはもうすぐ安全な街の中から危険な旅路に戻ると聞いて、不安になるよりもむしろほっとしてしまっている。
わかっていた――本当はわたしが、早く街から離れたいんだって。
ジークがギルドの仕事をしている間、わたしは街で一人ジークたちの帰りを待っていることがほとんどだ。そんな時、心配したギルドの職員さんが声を掛けてきてくれたり、するとすごく申し訳ない気持ちになる。
他にも買い物のために街に出たときに、親子連れを見かけたりするともうどうしようもないくらいに、胸の奥に自分でも抑えることが出来無い感情がわいてくる。
無い物ねだりだってわかっている。失ったモノは戻らないってわかっている――でも、それでも街で両親と一緒に歩く子供を見た時、どうしてあそこにいるのがわたしじゃないんだろう、どうしてわたしのお父さんとお母さんはいなくなっちゃったんだろうって――そんな気持ちが、抑えられなくて。つい目をそらしてしまう。
最低だって、そんな事はわかっていた――でも、止めることのできない羨ましがるとも妬みとも取れる感情。
持てあます感情をどうすればいいのかわからないまま、わたしはのろのろと着替えを済ませるとジークの後を追った。
どの街のギルドも、多少の違いはあれど基本的な設備は変わらない。
一階に依頼提出や受理、ギルドへの登録手続きなどを受け付ける窓口が設けられ、大抵の場合その横に酒場兼大衆食堂のような食事を取れる空間が併設されている。依頼を見る合間に休むも良し、仲間を募って打ち合わせに使うも良し、依頼を終えた者が疲れを取るため飲めや歌えと盛り上がっている光景も日常だ。
場所によっては面積の都合からか、酒場は地下に作られている場合もあるが、この街のギルドは受付と共に一階に位置しているようだ。
二階は宿泊施設や一部資料の保管場所となっていることがほとんどで、大都市など規模が大きなギルドの場合、宿泊施設や資料庫などは別棟として併設されている事もある。
この他にも少しであれば旅に必要な消耗品や携帯食料などを扱う店が入っている場合もあるが、どうやらここにはそういった類の出店は無いようだ。
酒場には俺達の他にも先客の姿があり、まばらではあるがそれなりの賑わいを見せている。ギルドで経営している施設ではあるが、一般に向け解放しているので明らかに冒険者と判る者に混じって一般人の姿も見かける事も珍しくはない。流石にリュートのような幼い子供は珍しいらしく、時折視線を向ける者もいるが、声を掛けてくるような者はいなかった。
酒場よりも盛況なのは受付の方だ。朝も早い時間であるにも関わらず依頼を登録しに来た依頼者、これから請け負う依頼を選んでいる者、手続きを行おうとしている者、あの中には新たに冒険者として登録しに来た者もいるかもしれない――そんな事を考えながら、テーブルの間を忙しく動き回っているウエイトレスに注文を伝え、銅貨を数枚渡し料理が運ばれてくるまでの間、特に何というわけでもなく受付を待つ様々な人に視線を向ける。
ギルド――正式名称「傭兵、冒険者相互援助ギルド」。その役目は主に依頼者と依頼を請け負う傭兵や冒険者との橋渡しにある。
主要都市間は乗合馬車なども定期的に運行しているものの、それ以外の移動手段はさほど多くなく、また危険も多い。それでも商談で、仕事を求め、様々な理由で人は移動する。
その際身を守るためには己で切り抜けられるよう腕を磨くか、護衛を雇い身の安全を得るかになる。戦う力を持たない者の多くは、後者を選択する。素人が多少動き方を学んだからといって、盗賊や人を襲う獣とすぐに渡り合えるわけではないので、ある種これは当然の流れだ。
この他にも人を襲う獣が街の周辺に姿を現した場合の駆除や盗賊などの討伐から、果ては薬草や毛皮などの採取から短期的な労働や犬の世話まで多種にわたる依頼が、日々ギルドには持ち寄られる。そうした依頼を分別し、各々得意とする者が探しやすいよう情報を整理・斡旋する事がギルドの役目の大半であると言えるだろう。
勿論、危険を伴う仕事が多い分、その稼ぎは普通に街中で暮らす者と比べると多くなるのだが――その分、命を落とす者もまた多い。だが一攫千金を夢見てギルドに登録する者は後を絶たない。
……まあ、駆け出しの者はまず薬草採取や街中での雑事などから斡旋されるので、早々に夢破れる者も少なくはないのだが……俗に「何でも屋」と揶揄されることもあるギルドの在り方は、夢見がちな者には少々酷な現実のようだ。
ともあれ、そのような事からギルドに登録する人間の多くは荒事を得意とする者で構成されているといってもいい。当然、そういった者が多く集まれば衝突も発生しやすくなるのだが――多少の騒動ならともかく、下手な流血沙汰などギルド内で起こそうものなら出入り禁止をくらい仕事を受ける事ができなくなる。その上場合によっては実力者に鉄拳制裁される事もあるため、ギルド内で騒ぎを起こすものは希だ。外ではその限りではないが。
そんな事を考えていた間に、頼んでいた料理が準備できたらしくウエイトレスが運んでくる。山と盛られた温野菜のサラダ、厚めに切られたハムステーキと目玉焼き。鶏ガラと根菜類を煮込んだスープと固めの黒パン。こういったギルド直営店では珍しくない、いかにも質よりも量を体現した食事だ。
小柄な身体が示すよう、小食のリュートには少々量が多いがギルドで頼む食事はどれも同じような量なので、今更眉をひそめるような事はしない。二枚あったハムステーキの一枚を申し訳なさそうにこちらの皿に入れてはいるが、これもまたいつもの事だ。
硬いパンを小さく千切ってスープに浸し、ゆっくりと口に運ぶ。そんなリュートのこの場に似付かわしくない――どことなく教養を感じさせる手つきに、周囲にいた同業者はおやと不思議そうな顔をするもそれは一瞬の事。ギルドに登録する者はその在り方から依頼をこなせるのであれば素性などを特に問う事がないため、じつに様々であり個々の事情を詮索するような真似はしない。
好奇心は猫をも殺す。余計な詮索は己の身を滅ぼす事を玄人ほどよく知っている。よっぽどの事がない限り、必要以上の干渉をしないという事はある種、荒くれ者が集うギルドにおいて暗黙のルールとして存在しているのだった。
ゆっくりと食事を取るリュートが一通り食べ終える頃には、受付に列ぶ人の列も随分短くなっていた。
大規模なギルドであればそれぞれ専用の窓口が作られてい場合もあり、手続きも滞りにくいが、ここのようにさほど大きくないギルドではそれも難しいのだろう。
ともあれ窓口が開くのを待つ間、めぼしい依頼がないかと窓口近くの壁に張り出された依頼書に目を通す。
ギルドに持ち込まれた依頼は、依頼書という形にまとめられた後、こうして張り出される。依頼を受ける側は張り出された依頼書の中から自分の力量に見合ったものを探し受付に持って行く事で依頼受理となる。
張り出された依頼書は、その内容によって大まかにだが難易度や傾向などが分類されている。見分ける材料は依頼書に押された星の数と、その色だ。
例えば赤い星が三つ押されているのならそれは「討伐系」の「ランク3」となる。一目見ただけで大まかな傾向が判るようにという配慮は、古くまだ個々の街に存在するギルドの間で統一基準が存在していなかったため混乱が生じてしまったのを教訓に、他にもギルドが今の形に統一された時、文字を読む事が出来無い者でも簡単に判別がつくようにという配慮から始まったのだという。この区別によって身の丈以上の依頼を受け、死亡ないし再起不能の怪我を負うといった事故が激減したらしい。
話しは戻る。星の色はその依頼の系統を、星の数がおおよその難易度を示しているという訳だ。
先にも言ったが赤は獣や野党の討伐といった直接戦闘を主とする討伐系、緑は薬草採取や特定物品の入手などの納品系、青は行商人の護衛や警護などの護衛系、黄は未開拓地域や獣の生態などの情報収集を行う調査系、そして黒色で押されているものは先に上げた四つに当てはまらないもの――所謂雑事でありお使いであり、ギルド登録者が「何でも屋」と呼ばれる最大の原因でもある雑事系となる。
星の数は一つから五つまであるが、大抵の場合三つ押してあるものまでが張り出されている程度で、それ以上の物は下手に力量のない者が手を出さないようにと窓口の中で管理されている。また壁に張り出す際には横軸で色別に、縦軸では星の数別にと大まかに分けられているため、依頼を探す際には自分に合った物を探す手間が省けると評判だった。これもまた小遣い稼ぎに雑事系依頼を受ける子供が、間違っても困難な依頼を受けてしまわないようにという処置だった。ギルドの登録条件自体が緩く、また登録をしていなくても余計な事務手数料を取られるものの依頼を受理する事ができるが故の処置だろう。
依頼書にはこの他にも大まかな依頼内容、活動地域、報酬、期間、依頼者、そして依頼書の下半分には詳しい内容が書き込まれている。これは多数の依頼が張り出された場合、少々重なっていても大まかな依頼内容が把握できる用にするもので、そうする事で依頼の処理速度を上げようという試みだ。
実際、今現在張り出されている依頼はそれほどの量でもないがやはり一部重なり合っているものもある。酷い場所では掲示用の壁一面を埋め尽くして尚有り余る依頼が舞い込み、壁だけでは間に合わず別の掲示板を用意しなければならないというのだから、その量や推して知るべしだ。
張り出されている依頼の中にめぼしいものがないか探すが、今の時期商人の移動は活発になるものの、決まった護衛を確保している者が多いようでギルドに依頼を出す者は少ないようだ。めぼしい依頼を見つける事はできなかった。
商談は時間との戦いとも言う、護衛が見付かるまで移動できないではこの時期だ、下手をすれば雪によって足止めされかねないので各々調達しているのだろうが……
様々な商品を運ぶ行商人の護衛依頼は、ギルドに持ち込まれる依頼の中で特に数が多い。また仕事と同時に移動もできるため、街から街へ移動する際には重宝される。そのため、多少はあっただろう依頼は先に見つけた者が受けたのだろう。
とはいえ、ここ数日の間はギルドに溜まった依頼をこなしていた事もあり、懐事情はそう逼迫した状態ではない。無理に護衛依頼を見つけなくとも次の街へ行くまでの軍資金程度なら問題なくまかなえるだろう。
ただ、やはり移動する際地図だけではなくその道や土地の事を知る者と同行できるというのは大きい。この街へ来たのも護衛依頼によるものだが、道中自生している野草や狩りのため罠を仕掛ける場所、あるいは賊や危険な生き物が潜みやすい場所など一目でそれと判別しがたいものもあった。
明確な目的地のある旅とは違い、そう仕事を選んでいるつもりはないのだが。
そんな事をちらりと考えていると、ふと服の裾が引かれた。
「どうした?」
「ん……依頼、無いね……って」
同じように掲示板を見上げていたリュートが、沈んだ様子で呟く。
「そうだな」
依頼をこなしながら移動できればそれに越したことはないが、依頼がなければ無いで利点もある。気にするなと沈んだリュートの頭を軽く撫でた。
決まった目的地のない旅ではあるが、目的のない旅ではない。頼まれた依頼を片付ける合間いつものように情報収集をしたのだが、やはりというべきかいつものようにめぼしい情報を得る事は出来なかった。この三年間の間というもの、情報が得られないのはいつもの事であるので特に落胆することもないのだが……やはり噂話の一つも聞かない状況に焦りは募る。
あの出来事からすでに三年近くが経過している。直後であればともかく、それだけの時間が経った今、ますます情報を得る事は困難となっている。
いや――元よりあの出来事に関する情報は、ほとんど得る事は出来なかったのだが。
もし手掛かりを得る事が容易かったのならば、俺はこうして当てのない旅に出る事も、そんな旅に彼女を同行させる事もしなかっただろう。
「足はある。いつものように薬草あたりを採取しながら移動すれば……多少は足しにもなるだろう」
「……うん。そうだね」
焦る自身を押し留めるような言葉に、リュートはこくりと頷くと、それ以上は何も言わなかった。
「お待たせしました。ようこそギルドへ。……あら、リュートちゃん? じゃあ、この人が保護者さんなのね?」
依頼完了の手続きをするジークについて受付に行くと、書類を受け取った受付のお姉さんはわたしを見るなりそう言った。
ジークがギルドからの依頼で出かけている間、わたしだってずっと部屋の中にいたわけじゃない。ラーが使った馬小屋のお掃除や、旅に必要な物……日持ちのする食料を準備したり、野営で使うナイフとかのお手入れをしたりしていた。
わたしくらいの年の人がギルドに来る事は珍しいけど、それでも全くいない訳じゃない。でもわたしは背も低いし顔も子供っぽいから、どうしても目についてしまうんだって。だから、ミーナお姉さんみたいに声を掛けてくる人もいて……何度かお話ししたときに、ジークのことや旅のこと、ちょっと話したんだ。
「知り合いなのか?」
「えっと……少し、お話ししてたの」
「休憩時間におしゃべりしていたんですよ。こんな小さな子に一人でお留守番させるだなんて、お兄さん寂しい思いさせちゃダメですよ?」
「……そう思うのなら、面倒な依頼を回さないで欲しいものだ」
ミーナお姉さんの言葉に、ジークは呆れたため息と共に応える。気まずそうに咳払いを一つ、お姉さんは何事も無かったかのように営業スマイルで続けた。
「それはそれ、これはこれです。……こほん。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「達成報告だ。確認を頼む」
「畏まりました。それではギルド証と依頼書を提示してください」
ギルドで請け負った依頼を達成したと報告するとき、きちんと達成を証明できる物を用意しないといけない。依頼主から依頼書にサインをしてもらったり、採取系の依頼の場合はギルドに納品する品物がそのまま依頼達成の証拠になるし、討伐系だと討伐した証として相手の一部を持ち帰ってその証にする。
ジークが受付に置いたのは、ジークのギルド証と何枚かの依頼書、それと薬草や獣の牙なんかが入ったいくつかの袋だ。
「……えっと、もしかしてもう全部終わらせたんですか……?」
「そうだが、何か問題でも?」
あんまりにもたくさんの依頼書を一度に提出されたせいかな、お姉さんは目を丸くしていた。
「いえ……問題はありません。確認をしますので、少々お待ちください」
でもすぐに切り替えて、袋の中に入っている物がたりているかどうか、サインはちゃんとされているかを確認している。そうしてジークのギルド証に目を向けて――それまで流れるように動いていたお姉さんの手が、ぴたりと止まる。
「……|《四つ星》(カトル)、ジーク・レシス……って、ええっ?!」
戸惑いの声を上げると、そのままジークとジークのギルド証との間を見比べるみたいに何度も視線を行き来させて、
「もしかして、リュートちゃんの言っていたジークさんって……|《四つ星》(カトル)なの?」
「うん」
「ほ、本物の|《四つ星》(カトル)の|《黒き獣》(プレトヴォスタ)……?」
「……そうだが」
呆然とした様子のお姉さんに、ジークはそんなに驚くこともないだろうといいたそうに頷いた。
ギルドに登録している人たちは、ギルドに持ち込まれた依頼に星がつけられるみたいにその実績に合わせて星がつけられる。初めは星のない|《星無し》(ナーダ)から始まって|《一つ星》(アインス)|《二つ星》(ツヴァイ)……といったふうに。こっちも依頼と同じで、一番星の多いのは星が五つなんだって。
そうやってランク付けされる以外にも、他の人たちから二つ名で呼ばれることもある。中には自分で二つ名を名乗る人もいるみたいだけど、大抵はほかの人からだったりギルド内の通称だったりがそのまま二つ名になるんだって。
ジークの二つ名は|《黒き獣》(プレトヴォスタ)。この国――東大陸では一部の地域でしか見られない黒い髪。黒い服を好んで着ていることと、身を守る鎧や武器も黒一色で統一された姿の中、ただ目の色だけがほんの少し青みを帯びた藍色をしている。普通ならあんまり気に止められない些細な違いも、他が黒で統一されているせいか違和感として感じて印象に残ってしまうんだって。
黒で統一された出で立ちと、整った顔立ちの中射抜くように向けられる鋭い眼差し――その目をまるで獲物を狙って闇に身を潜める獣のようだと言ったのは、いったい誰だっただろう? その言葉がそのまま今のジークの二つ名になった。
補足しておくと、そういう二つ名はギルド証には書かれている場合と書かれていない場合がある。あ、でももしかしたら見えないところには全部書かれているのかもしれない。けれど、普段見えるように書かれているのは登録者の名前と、星の数で示したギルドランク。他には所属や出身地なんかも書かれているんだけど、わたしもジークもそこには何も書かれていない。
これは別に珍しいことじゃなくて、ギルドに登録している人のだいたい半分くらいは決まった拠点を持っていないし、何か事情があって出身地を登録していない人だって多い。
噂では他にももっとたくさんのこと、例えばその人がいつギルドに登録したかとか、最後にいつギルドに来たかとか、今受けている依頼はあるかとか、今までどれだけ依頼を受けてどれだけ達成できたとかそんな情報が書かれているんじゃないかって言われているけれど、そういうのは特別な|《魔道具》(アーティファクト)が無いと読み取れないから本人でも確認はできないらしい。
ジークの今のギルドランクは上から二番目の|《四つ星》(カトル)。でもこれはほとんど最高ランクと同じ意味を持っている。一番上の|《五つ星》(ペンテ)は星の数と同じだけ、つまり世界に五人しかいないんだって。
なんでそんなに少ないのかというと、実力のある人がそれだけ少ないから……っていうのもあるけれど、ギルドの方で名誉職みたいな形で、丁度星の数までしか登録しないようにしようって決めたんだって。
わたしたちが旅をするようになって三年、ギルドに登録してからもうそんなに経つけれど、たった三年で|《四つ星》(カトル)になる人はほとんど居ない。おまけにわたしみたいな小さな子供を連れているから足手まといになって普通もっと依頼をこなすペースが遅くなるはずなのに――って、よく言われる。
だから物珍しそうに見られることには馴れちゃってるんだけど……その分、わたしもジークもそんな視線には少しうんざりしていた。
「ほんとに本物の……あ――すみません。すぐ手続きを再開しますね!」
お姉さんはしばらくわたわたと取り乱していたけれど、手が止まっていたことに気づいて慌てて手続きを再開する。そんな様子にジークは肩をすくめていて、お姉さんはなんだか少し居心地が悪そうに見えた。
「大変お待たせしました。こちらが今回の報酬と、素材買い取り分の代金となります。お確かめください」
一度受付の奥に行った後、依頼達成の報酬と、討伐の証になった獣の牙や蹄、それからいっしょに剥ぎ取った毛皮なんかの素材の買い取り代金が入った袋を持って戻ってきたお姉さんは机の上にそれを置いて、こう続ける。
「そしておめでとうございます! 今回の依頼達成により|《黒き獣》(プレトヴォスタ)ジーク・レシス様、貴方の|《五つ星》(ペンテ)への昇格が決定しました」
満面の笑顔で言われて、わたしもジークもお姉さんがいったい何を言ったのか、すぐには判らなかった。