4 -救出-
「ひでえなぁ、この期に及んで当事者に教えない。お得意の秘密主義ってか?」
「……今は、余計なことで足を止めてもらうわけにはいかないのよ」
氷の槍と剣――互いに武器を合わせながら、口から出るのは変わることのない軽口の応酬。
なりふり構わない全力投球をしていない――出来無い――とはいえ、二対一の状態でここまで余裕を見せられると流石に自信を無くしそうだ。
ま――もっともあたしは接近戦闘に関しては精々並程度。身体能力化け物級の|《人喰らい》(マン・イーター)と比較することが、そもそも間違いな訳だけれど、ね。
ちらりと浮かんだ思考と同時に、胸の内に沸き上がる確かな怒り。
いったいどれだけの人を喰らえば、これだけの力を貯め込むことになるのか――このあたしが他人のことをとやかく言えた義理ではない、それくらい重々承知だけれど、その所業に恐ろしさを通り越しておぞましさを禁じ得ない。
「余計なこと、ね……知らせねえ方が酷だろ」
せせら笑いを浮かべる|《人喰らい》(マン・イーター)。
ああ、そうだ隠していたことを彼女は恨むだろう。何故教えなかったと怒るだろう。
あたしなんかと違って根は純真な女の子だ、知ってしまえばどれだけ心を痛めることか――でもっ、
恨む気持ちも戸惑いも、今はいらない。足枷にしかならない。
だから例え後でどれだけ責められようと――今、この場で伝えるつもりはないっ!
「それはあの子が決める事よ――あんたみたいなのが軽々しく、他人の気持ちを代弁するんじゃないわ!」
怒声と共に打ち出した氷槍は、人の姿をしたままの|《人喰らい》(マン・イーター)が振るった何の変哲もない剣によって、なんともあっけなく叩き落とされた。
戦いながら交わされる アルフと榮との舌戦。
二人が何を話しているのか、どういうことなのか、聞きたいことは山ほどあった。だけどそんな気持ちを振り払って、ジークの元へ急ぐ。
走っている間も、頭の中ではたくさんの疑問が渦巻いていた。
榮もアルフもお父さんとお母さんが何をしていたのか、知っているの?
なら、どうしてアルフは教えてくれなかったんだろう?
それに榮の言葉――|《魔石獣》(ユウェルディール)が研究結果って、いったいどういうこと?
お父さんとお母さんは、なにをしていたの?
答のでない疑問はぐるぐると渦巻いて、いっそ二人に答を求めたくなる。でもそれをしなかったのは今、しなくちゃならないことがあるから――
床に倒れたまま、怪我をしている様子も手足を縛られてもいないのに、ジークは全然動かない。アルフから《御霊喰らい》の都合から殺されることはないと事前に聞いていても、最悪を想像するには十分すぎる光景。
アルフと京子が予定通り榮の足止めと誘導をしてくれているおかげで、ジークが倒れている場所まで障害になるものは何も無い。それでもいつ暗闇の中から|《魔石獣》(ユウェルディール)が現れるか解らないから、警戒だけは忘れちゃいけないというのはアルフの言葉。
でも、今は見えない相手を警戒する時間すら惜しくて――
「――ジークっ!」
どれくらいそうしているのか、ここはどこなのか――己の置かれた状況すら解らないまま、いったいどれ程の時が過ぎたのだろうか?
それすらも、知る術はない。
今はこうして、辛うじて多少の思考をすることが出来てはいるが、それもまたやがて霞がかかったように意識が薄れ、思考すらままならなくなることを知っていた。手足を動かそうにも、まるで己のものではないかのように重く、意志に応えることはない。
何故このような状況になっているのか――どうすればいいのか。手掛かりを得るためにも記憶の糸を手繰ろうとするが、そう考える思考は端からぼやけ、意味のある答を導き出す前に霞と消える。
ただ胸の内にあるは漠然とした不安と焦燥。
早く、早くと訳もなく急かす何かに応えようとするも、焦る気持ちに反し何一つ行動を取ることが出来ない。
その事実が苛立ちと更なる焦りを呼び、ますます不安をかき立てる負の連鎖。
それを助長するよう頭の中に響くは、何かの声――誘うような、嘆くような、喚くような、歌うような、狂ったような、無数の声。
悲壮と怨嗟の声を子守歌に、もう幾度意識を闇に沈ませたか。
羨むような、逃げろと警告するような無数の声はいったい誰のものであるのだろうか? 聞き覚えがあるのか、それすらも定かではない。得体の知れない声に不安は募るばかりであるのに、妙に懐かしいと、あるいは聞き覚えがあると感じてしまうのは何故か――解らない。
終わりのない悪夢に苛まれる中、時折脳裏に浮かぶのは一人の少女の姿。
燃えるような赤い髪をまるで少年のように短く刈り、金色の瞳からは今にも涙がこぼれんとする姿に誰だと問えば、少女の姿はまるで陽炎のようにかき消えてしまう。
泣き出しそうな瞳を目にする度、なぜだか胸の奥がちくりと痛む。その涙をすぐにでも止めたいという衝動に反し、やはり手足は言うことを聞かず、その事実に苛立ちを深める。
誓ったはずだったのに――
――何を?
不意に浮かんだ思考に、戸惑いを禁じ得ない。だがそれは意識をかき乱している幻聴などではないと、直感が告げる。
泣かせはしないと? 守ると? ――誰、を?
そう、彼女を守ると誓っていたはず――しかしそんな思考も、当たり前のように忍び寄る霞の中に沈んでゆく。
今もまた、薄闇の中に少女の姿が映る。今まで幾度となく見てきたように、その瞳に今にもこぼれ落ちそうなほどの涙をためて。
「――ジークっ!」
耳に届く懐かしい声と共に、唇に暖かなものが触れるのを感じた。
鼓膜に届いた音に、唇に触れた温もりに戸惑うのも束の間、意識を貫くくは形容しがたい刺激。
「――っ?!」
泥水のような、生臭い血のような、あるいは生のまま煎じた草の苦みと青臭さ、えぐみ、それら全てを混ぜ合わせた上でさらに濃く凝縮させたような言葉にしがたい味。不快極まりないそれを反射的に吐き出そうとするも、上手く動かない体でそれは叶わない。
逆に鼻をつままれ、強引に嚥下させられる。咽に張り付くようなどろりとした感触。想像以上の不快感に、体は拒否反応を露わにする。
「ぐ……っ、か……けほ……ぅ」
どうにか拘束を振りほどき、体を曲げ、盛大に咳き込むも時すでに遅く、無理矢理嚥下させられた何かはすでに胃の中。
いったい、何を飲まされた――? 混乱とあまりのまずさに悶える中目を開けると、目の前には見慣れた金色の瞳が、今にも泣き出しそうなほどに涙を溜めてこちらを見下ろしていた。
「……リュー……ト?」
「――っ! ジーク……ジークっ! よか、よかったぁ……まにあっ、て……っ!」
「お、おいリュート? どうして泣いて……? ほら、泣くな……」
「だって、だってだって――っ!」
まるで幼子のように縋り泣くリュート。あの時以来久しく目にすることの無かった涙に戸惑いながらも、いつかのようにその涙を止めようとあやす。
触れ合う体から伝わる温もりが、何故だろう今はどうしようもなく愛おしく――
「――感動の再会のところ悪いんだけど、そういうのは後にして。あんまり悠長な事してる時間がないの、忘れないでよ」
唐突に耳に届く、第三者の声。
「お前は――っ!」
あたかも冷水を浴びせられたかのような感覚。
薄暗い中でも尚鮮やかに弧をかく氷色の髪、同じ色の瞳。一見踊り子のそれのようでありながら、一分の隙もなく肌を隠す異国の民族衣装を纏う少女――
見間違うはずもない、そんな風貌の人間を、俺は一人しか知らない。
少女の姿を目にした瞬間、それまで霞がかったように不明瞭だった記憶が蘇る。
仇を捜し、このスディラ領まで足を運んだ事。
盗賊のねぐらに乗り込むため協力した事。
件の盗賊は三年前の事件とは無関係だった事。
栄との再会、そして彼の口から告げられた、仇の名は――
沸き上がる激情に突き動かされるまま、表髪の少女に殴りかかろうとした。しかしその腕にしがみついて引き留めたのは、思いもよらない人物で――
「だ、だめっ!」
「何故、止めるっ?!」
「違うの、アルフは、そうじゃなくって――」
「あいつを庇うのかっ?! お前も聞いていただろう! あいつは否定しなかった。弟の――お前の両親の仇だろうっ!」
「わかってる! わかってるよ。だけど、だけど――」
いまだ体に力が戻らない影響か、しがみつくリュートを無得に振りほどく事も出来ず、この状況にただやり場のない苛立ちが募るばかりだ。
あいつが仇である事は、あの時本人が否定しなかった事からも明白だ。ならば、何故リュートはこんな事をする? 疑問は、胸の内に渦巻く苛立ちをかき混ぜますます神経を逆撫でする。
「……おーおー、随分な嫌われようじゃんお前。ああ、当然っちゃ当然だな。何しろお前が殺したんだからな。……あんな言われて、わざわざお前がここまでする意味あるのかい?」
「生憎と、あっちはあたしの管轄外でね。彼に関しちゃ彼女に一任してるのよ」
「へえ、管轄外ね……だったら尚のこと、オレのことは放っといて欲しいんだけど?」
「馬鹿ね――あたしがあんたをぶちのめすのに、今更これ以上の理由、必要ないわ!」
氷髪の少女と退治するのは茶髪の男――榮。二人の間にあるのは今にも弾けそうな険悪な空気。互いに武器を撃ち合わせながら、交わされる言葉の一つ一つが刃のように容赦なく飛び交う。
「ははっ、そりゃそうだ!」
「自覚があるのなら――観念しなさいっ!」
「やなこった。ほら、憎まれっ子は世に幅かるっつぅだろ?」
「自分で言うか――っ!」
もし二人の会話だけを文字に起こして、事情を知らない第三者に見せた場合、まるで仲のよい兄妹喧嘩と評するかもしれない。それほどまでに二人のやり取りはじゃれ合っているようにも見えて――
しかしそこにあるのは悪友がじゃれ合う光景ではなく、互いに武器と武器を、あるいは魔術を交えての殺し合い。
飛び交う一撃一撃に容赦は欠片もなく、すでに両者傷を負っている。だが、傷の量と、そして激しい動きにも関わらず流れる血は少ない。榮もアルも多少の傷を負う事など気にも止めず、逆にそこからの反撃を見舞ってやるとばかりに互いが互いの懐に潜り込む。
その光景はまるで、人と人との決闘ではなく、あたかも狂犬同士が喰らい合う光景のような――
「何、ぼーっとしてるのっ?! 逃げなさい! 早く!」
「で、でも――」
ジークにしがみついて引き留めていたわたしに、アルフの声が向けられる。
まだ榮との戦いのが聞こえている。いくら事前にそうするようにって撃ち合わせていても、このまま二人を残して逃げることに抵抗を感じないはずがない。
「あなたはあなたの、あたしはあたしのやることがあるでしょ! ――あなたのすべき事を、今すべき事を見失うな!」
「――っ」
反論を許さない、強い口調。その言葉に背を押されるようにしてまだ体調の戻らないジークの腕を引いて立ち上がらせると、その腕の下に入って身体を支えになるようにして出口に向けて歩き出す。
「リュート……?」
「ごめん、ね。後で、ちゃんと説明、するから」
「………。――っ! 前!」
「え……?」
ジークの声につられて視線を前に向ければ、そこにいたのは血のように赤い毛皮と暗闇の中でもはっきりと解る濁った瞳を持つ獣――|《魔石獣》(ユウェルディール)の姿。
あの時見たのと同じ、馬車くらいの大きさはある獣。紅い毛並みに被われていると思っていた体は、所々毛が無くて肌がむき出しになっていて――ううん、肌じゃない。場所によっては肌すらなくて酷い臭いのする血を滴らせている。よくよく見ると|《魔石獣》(ユウェルディール)は体中あちこちが継ぎ接ぎされているような……。
|《魔石獣》(ユウェルディール)を初めて見たとき感じた違和感。根拠もなくただただ気持ち悪いって思った理由。
それが、今この場所で間近に見上げてようやくわかった――狼みたいな恐い顔、虎みたいな後ろ足、猪みたいな鋭い牙、熊みたいな太い前足、トカゲみたいな尻尾……|《魔石獣》(ユウェルディール)は、動物を模しているんじゃない……いろんな動物の特徴を、継ぎ接ぎにしている?
本当は同じじゃないものを、無理矢理つなぎ合わせているみたいな姿だから――だから気持ち悪いって、本能的にそんな気持ちが沸き上がってしまうんだ。
暗い輝きを宿す形の違う二つの瞳に射抜かれて、体が固まる。
「なんで――」
「――あぶなぁーいっ!!」
いつの間に、こんな近くに。逃げることも思いつかずただ呆然と見上げるしかなかったわたしとジークを助けたのは、横から飛び出してきた白い影。|《変化》(へんげ)して半人半獣の姿になった京子の蹴りは|《魔石獣》(ユウェルディール)の胴体に見事決まり、きりもみしながら転がってゆく。
当の本人はといえば、|《魔石獣》(ユウェルディール)とは正反対に猫みたいにしなやかに着地。
わたしと同じくらいの体格のはずなのに、いったいその体の何処にそんな力があるんだろうか? やっぱり体の能力が高い|《獣人》(けもののひと)だからそんなことが出来るんだろうか、と悔しさとも羨ましさともつかないどうしようもない気持ちがわいてくる。
「この子はみやが止めるから、りゅーははやく逃げて!」
そう言うなり、京子は返事も待たずに起き上がりかけの|《魔石獣》(ユウェルディール)に飛び掛かる。
|《魔石獣》(ユウェルディール)の牙に、体に容赦なく振り下ろされる白地に黒い縞模様の毛皮を纏う腕。もがく|《魔石獣》(ユウェルディール)の反撃はひょいと何でもないふうにかわし、かすりもしない。
有利なのは京子の方。それはわたしから見ても明らかなのに――どうして、そんな悲しい顔をしているんだろうか?
――なんだ、あの化け物は。
闇の中から姿を現した異形の獣に、混乱収まるどころかむしろ増すばかりだ。
リュートとの会話からアルと白、二人とは現在共闘関係にあるとでもいうのだろうか? そんな思いが脳裏を掠め、しかしあり得ないと否定する。
俺もリュートも、この三年の間というものただひたすらにあの事件の犯人を追う日々だった――両親を、肉親を殺した罪人を、そう易々と許す事など出来るはずがない。
だが一方で、この状況を説明するにはそれがもっとも可能性が高いと告げているのも、また事実。
動けなかった時間が長かったせいか、いまだ混乱した思考は現状を把握しきれてはいない。だが、朧気にだが思い出す――動く事の出来ない間、途切れ途切れの記憶の中、幾度となく疑問に思っていた――何故、榮はあの時あのような事をしたのか。
あの時の行動は、理由は解らないが攻撃の意志は明らかだ。
だが、何故?
榮と俺達は以前にも顔を合わせているが、その時は敵対の意志など感じる事は出来なかった。別れる時もそんな素振りなど微塵もなく、攻撃される覚えはない。
だがあの時の榮には欠片の迷いもなく――その事が、尚更理解できない。
俺とリュートをこの場所に来るよう仕向けたのは、ある意味では榮だ。――この状況を作り上げたのはあいつだと行っても過言ではないのだろう。……だが、いったい何のために?
初めから危害を加えるつもりであったのなら、そんな機会など共に依頼をこなしている間にも山ほどあったはずだ。それこそ正面からの戦いですら地力の差は歴然なのだ。不意を突かれれば勝敗など聞かれるまでもない。そうなっていれば、リュートを避難させる事すら出来なかっただろう。
だが、榮はそんな好機を無視し、あえて敵対関係にあるらしきアルと白が存在する場で行動を起こした。妨害者の存在を織り込み済みで、いったい何の益があるというのだろう?
次から次へと沸き上がる疑問。しかしそのどれにも明確な答を出す事が出来ず、困惑はますます深まるばかり。
そのような思考に埋没している間にもリュートは二人の指示に従っていたのだろう。いつの間にか外に繋がる通路まで辿り着いていたようで、風に緑の匂いが混じる。左腕の下に入り込む形になっているリュートが、ほっと安堵の息をついたのがわかる。
二人の様子が気になるのだろう。リュートは心配そうに視線を向ける。洞窟の中ではいまだ三人と一頭の乱戦が続いているようで、鉄と鉄が撃ち合わせられる音に混じって時折鈍い破壊音が響く。
「バカ――止まるな!!」
切迫したアルの声に押されるよう視線を上げれば、それを目の当たりにする事となる。
いつの間にか前方に、禍々しい爪を今にも振り下ろさんとする異形の獣の姿があった。




