3 -少女の選択-
人の通らない獣道を、ラーが引く馬車で進む。
御者席から見える景色は緑ばっかりで、人の気配は全くない。大きな樹と、その間から見える切り立った岩肌。切り立った岩肌があちこちでむき出しになっている。
大きな街から離れているせいもあるけれど、この辺りに人の気配が少ないのは、ここがまだ盗賊たちが縄張りにしていた範囲の中だから。
この辺りを中心に通行人や近くの村に襲撃を仕掛けていた盗賊たちは、数日前に壊滅している。だけどまだそのことが知られていないのか、もしくは猟師さんたちも半信半疑なんだと思う――三年間という時間は、それだけ長いから。
後ろに流れていく風景を見ながら、そんな思考が頭に浮かぶ。盗賊のせいで人の気配がないのはもちろんだけれど、普通ならこれだけ緑が深ければ聞こえてくるはずの鳥の声や獣の気配も感じない。狼や熊みたいに、人を襲う獣の姿だって見かけない。馬車は何にも邪魔されることなく順調に進む。
そうこうしている内に、目的日辿り着いた。むき出しの岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟目。ちょっと見ただけだと熊が冬眠するのに使う洞窟にも見えるけれど、入り口の地面には熊らしい大型動物の足跡はない。
代わりにあるのは――人間の、足跡。
「……ラー、ここで待っててね」
洞窟の入口から少し離れたところに止めた馬車まで戻って、ここまで一緒に来てくれたラーに声をかける。心配そうな不安がるような顔をするラー。いつもは一緒にいるジークの姿をこの数日見ることがなかったから、きっとラーもジークのことを心配しているんだと思う。
他にも理由があるとすれば、それはさっきからしている、鼻をさすような変な匂いもそうさせている理由の一つなのかもしれない。
「絶対……ジークと一緒に、戻ってくるから」
まるでわたし自身に言い聞かせるみたいに、祈るように言葉にする。むずがるラーを落ち着かせるよう一撫でして、わたしは洞窟に足を踏み入れた。
洞窟の中に入ると、外で感じた嫌な匂いがますます濃くなる。
盗賊たちがねぐらにしていた洞窟とは違って、空気があんまり動いていない。この洞窟は行き止まりになっているんだとわかる。じっとりと湿った空気に混じって、すえたような匂いがする。
言葉に出来無い不安が這い上がってくるのを振り払うように、カンテラの明かりを頼りに分かれ道もない洞窟をしばらく進むと――前の方に明かりが見えた。
太陽の光じゃない。カンテラか松明のものだとわかる炎の揺らめき。
炎が照らし出している空間は、それまで通ってきた細い洞窟とは違って、何十人も人が入れそうなくらい広くなった場所。
そんな空間の真ん中に、一人立っているのは見覚えのある人――
「お、ようやく来たか」
記憶の中にあるのとまったく変わらない砕けた口調。おどけるようにそんな言葉を向けてきたのは、茶色い髪と茶色い瞳の冒険者――|《狂獣》(モルデラウァ)榮。
「へぇ……お嬢が来た、か……。ま、いい。オレが言ったこと、ちゃんと覚えてるよな?」
「……ジークは、どこ」
榮の言葉を遮って、問いを投げる。
「おいおい、オレは無視なワケ? つれないねぇ」
「………」
「んな恐い顔しなさんなって。ほれ、あそこ、ちゃんといるだろ」
榮が指差す方向に視線を向ける。
頼りなく闇を払う松明の明かりの中、そんな闇に紛れるようにして榮の後ろには見慣れた姿が横たわっていて――
「ジーク!」
「おっと、そう慌てなさんな」
「ジークに、なにしたのっ?!」
手足を縛られているわけでもない、怪我をしている様子もない――だけどジークは手足を力なく投げ出したまま、ぴくりとも動かない。最後に見た時となにも変わっていない姿、なのにどうしようもなく不安な気持ちが沸き上がる。
「なぁに、ちょっと静かにしてもらってるだけってヤツさ。ともあれ、まずは先に取引としようや。見たところ手ぶらってワケじゃないようだが……」
駆け寄ろうとしたわたしの行く手を遮るように立ち塞がった榮は、ほとんど手ぶら同然のわたしを見てそう言った。
確かに今、わたしはリュックや背嚢みたいな物を持っていないから――替わりに持ってきたのは、杖。飾り気のない銀色の杖は、先端の部分に水晶の球がはめ込まれ、赤い飾り布が括り付けてある。
この杖が誰の物か、榮は知っているはずだ――わたしよりもずっと多く、見てきたはずなんだから。
「討伐証明は首だって、伝わってなかったか?」
からかうような、楽しんでいるような、そんな言葉。叫び出したくなる衝動を必死で抑えながら、わたしは杖を持っていないの方の手をポーチに突っ込む。
取り出すのは紙。縦長に切られた紙には、見慣れない文字がびっしりと刻まれている。
「お? それ召喚符か? へぇ、随分と珍しいの持ってるじゃねぇか。……あいつ等から奪ったのか?」
感心したような、呆れたような声。榮が言うように、わたしが持っているのは符。魔力を込めた道具で、一度だけ込められた術を発動させることが出来るものだ。
この符は遠く離れた場所にあるものを呼び出すための符。少し見ただけでは単なる紙切れにしか見えない符の、それも効力まで見抜かれた事に驚きながら、それでも封じられた力を起動させるための言葉を紡ぐ。
「“来たれ”」
瞬間、符の中に蓄えられていた力が解放される。辺境の村を襲った盗賊たちが獣を操っていた時、あるいはアルフが魔術を使った時と同じように、淡い光が視界に踊る。――ううん、それはもう淡い光なんて言うささやかなものじゃなくて、まるで太陽を見上げたみたいな――それ以上の爆発的な光。
薄暗かった洞窟を真昼みたいに照らし――は、しなかった。
だって、それはわたしの目に見えているけれど、本当の光じゃないから――だからそれは何処までも透明で、綺麗で――でもこの世の物じゃなくて――
暗い洞窟の中を、実態のない魔力の蛍火が舞う。
力を解放した符が、役目を終えて燃え尽きる。それとほぼ同時に淡い光が寄り集まって――やがてそれは形を作り、実態を持つ。
「――それが、お嬢の答ってか」
二枚の符からあふれ出た魔力が形作ったものを一目見て、榮は嘲笑うようそう言った。
じっと向けられた眼差しから目を反らさずに、わたしはその瞳を正面から睨み返した。
・ ・ ・
「――ジークは……今……っ、榮は……なんであんなことをっ」
ようやく絞り出した言葉は、震えて途切れ途切れになっていた。
お父さんとお母さんのことを、あの日のことを忘れたれたわけじゃない。
でも、でも――今はなによりもジークがいないことが不安で、いつもは側に感じられる気配がないことが恐くて、もしかしたらこのままもう会えなくなってしまうんじゃないかって、そう思うとそれだけで目の前が真っ暗になってしまって、他のことなんて考えられなくなってしまう。
「……結論から言うと、彼は生きている。――今は、だけどね」
「どういう……こと?」
「そのままの意味よ。そもそも、生きている人間はそれがどういう状態であれ、生きているなりに手間がかかる。よっぽどの物好きでもなきゃ、理由もなく生け捕りにする奴はいないと考えるのが妥当よ。
ともかく、んな手間のかかるのを承知でわざわざ入手や製造、挙げ句取り扱いが困難な毒薬を用意してばらまく手間までかけて生け捕りにした以上、目的あってのこと。せっかく生かしたまま捕まえた者を、そう簡単に殺しはしなって想像は容易でしょ? 単に排除したいとかいう理由なら、初めからさくっと死体にしておいた方が、思わぬ事で反撃をくらうこともなくなるからね」
あっさりと言い切るアルフ。
どうしてそこまで確信して言えるのか、どうしてそんなことをなんの躊躇いもなく言葉に出来るのか――ジークがもし、という最悪の予想が頭を掠める度、慌てて追い払う。
「――とはいえ、あんまりのんびりとしていられることでもないんだけどね」
「?」
ため息のようにこぼれた言葉に、どういうこと? と首を傾げた。
「………。《御霊喰らい》って知ってる?」
アルフから向けられた、聞き慣れない言葉。当然そんな言葉が何を示しているか解るはずもなくて、でも何か言葉に出来ない、嫌なものを感じながら首を振った。
「ま、知らなくて当然か……。あ、別に馬鹿にしてる訳じゃないわよ? こんなの、知ってる方がむしろ大問題なんだから」
むっと眉を寄せていたのに気付いたんだろう、アルフは茶化すようにそう言った。
「対象の肉体を魂ごと、喰らうことによって体内に取り込み、己の力とする――それが《御霊喰らい》。|《獣島》(けもののしま)に伝わる禁呪の一つよ」
「それ……って……」
アルフの言った言葉に、理解が追いつかない。
違う。それが何を意味しているのか、解りたくなくて。
でも否定すればするほど、それが意味していることが解ってしまって――
「昔々その昔、彼の地に住まう神の力を我が者にしようと考えた人間がいた。――考える、だけなら良い、人は誰しも己に無い何かに憧れを抱くものだ。けど、彼等はそこに止まらなかった。様々な方法で神の力を人の手に下ろす術を探った。
祈祷、洗脳、あるいはこちら側に受肉した神をいかに支配するかを、ね。
――そんな中で生み出された手法の一つが《御霊喰らい》。月の力が安定する満月の夜か新月の夜に施行される事の多い秘術。神そのものを喰らうという、侵しがたい大罪。
そしてその手法は、当初の目的である神のみに通じるものではなかった」
「嘘――じゃあ……そんな……っ」
「そう。……あたしがあの時あいつのことを、何て呼んだか覚えている? |《人喰らい》(マン・イーター)、そう呼んだ。あの二つ名はあいつの有り様がそのまま名になったもの……あいつは力ある人間を喰らうことで己の力を増している。禁忌の術に手を染めた者よ」
淡々と、告げる。
「でも――でも! 榮は十分強いのに! |《五つ星》(ペンテ)で、ジークより強いのにっ。なのに……なんで、そんな……っ」
「だからこそ――よ。もう大抵の人間じゃあいつの糧にはならない。《御霊喰らい》によってこれ以上力をつけようとするのなら、相応の力量を持つ存在を求めなくちゃならない。
だけど|《五つ星》(ペンテ)の中に今まで手頃なのは居なかった――
|《魔導具収集家》(アイテムコレクター)は己の強さではなく収拾した|《魔道具》(アーティファクト)の力と、それを生かす知識と技量によるものだから、《御霊喰らい》の対象外。
|《気紛れな戦女神》(アスタトメートン)はその名の通り行動が読めない上に神出鬼没で足取りを掴む事は出来ても行動を予測するのは至難の業。
|《千技》(タウゼント)はその名の通り肉体的な強さだけではなく蓄積された経験と技量によるもので、これもまた《御霊喰らい》で喰うことが出来るものじゃない。
そして勿論、|《死刑執行人》(ディアノーディル)はこのあたしだもん、こんなの食べたら腹壊すからね。当然のように対象外――ってね」
次々に名を上げられた|《五つ星》(ペンテ)の冒険者は、確かにアルフが言った《御霊喰らい》の条件には当てはまっていないか、会うことすら難しい人たちばかりだ。
「その点、新顔とはいえ|《黒き獣》(プレトヴォスタ)とその連れは東大陸の一定地域でばかり仕事をしているからね、現在地の特定もそう難しいものではない……そういう事よ。
ああ、集団に所属している人にも勿論実力者は居る。けど、考えても見て。あいつは単独行動。確かにちょっとやそっとの人数なんかへでもないけれど、それでも獲物クラスの人間が束になってかかってこられちゃたまらない。それに集団同士って横の繋がりも結構あってね、下手に手を出そうものならいかにあいつといえど、無傷じゃすまない。
だから今回、同じくどこの集団にも所属していないジークに白羽の矢が立った……そういう訳」
わたしが抱いた疑問に答えるように、アルフはそう付け加えた。
次々に明かされることはすぐには信じられなくて、でも否定したい気持ちとは正反対に、頭の中の冷静な部分が榮の行動を、口にした言葉の端々に感じた違和感を思い出させてアルフの言葉が嘘ではないと教える。
榮の行動は変なところが多かった。仇の情報を教えてくれるって言った時も、実力を見極めるためだって言ってわざと手を出さなかったりけしかけたり。それに時々探るような、何か嫌な視線をジークに向けていた。いったい何故そんなことをしているのか解らなかったけれど、わたしはその視線をなんとなく恐いって感じていた。
その視線が、獲物を見定めるための観察だったとしたら? ジークの癖や実力を計っていたと考えれば、あまりにもしっくりときて逆に恐くなる。
「理解してくれた? ……まあ、にわかには信じがたい話しだろうけどね。何せ親の仇の言っていることだし。
ともあれ――これを知って、これからどうする?」
「え……?」
「あたしが言った事が事実だと信じるのなら、例え貴女があいつの出した条件に従ってあたしたちの首を差し出したところで彼が解放される可能性は限りなく低い。そして何より初めからそれが目的であった以上、争いは避けられない。
それとも、馬鹿正直にあいつの出した条件を信じる? まあ、貴女にとっては仇の戯言の方が信じられないでしょうけどね」
氷色の瞳が、射抜くようにわたしを見つめる。大陸ではまず見かけない薄い色をした瞳は綺麗で、まるで宝石みたいだと場違いな感想を抱いてしまう。
「それ、は――」
宝石のような瞳に見つめられて、何て答えたらいいのか解らなくなる。
アルフの言うことが本当なら、榮は初めからジークを返す気なんて無かったっていうこと。どうにかして助ける方法を考えても、わたしだけじゃどうしようもないってことくらいわかってしまう。そもそもジークがいったい何処に連れて行かれたのか、それすらもわたしには解らない。
そんな状態で、いったい何が出来るっていうんだろうか? 改めて思い知らされた現実に打ちのめされて、体のあちこちから力が抜けていく気がした。
でも――
「……たい」
解っている。これがどれだけ愚かな願いなのか。
戦う力も何も無いわたしが、そんな事を願うなんてきっとまともじゃない。
――でも、このままなんて絶対に嫌。
「ジークを、助けたい――っ!」
「その思いに偽りはない? どれだけ困難なことか、解った上で言っているの?」
「わかってる、わかってるよ――無茶だって、そんなのは! でも、だけど!」
改めて向けられた言葉が胸に突き刺さる。なけなしの勇気で叫んだ言葉は、鋭い声にあっさりと迎え撃たれる。
気が付いた時には、目の端から涙がこぼれていた。悔しさと無力感と、どうにも出来無い自分への苛立ちとが混じり合った涙。出来ないことをねだる。泣きわめく姿は、まるで我が儘を言う子供そのものだ。
みっともない姿だって、自分でも解っていた。情け無い姿だって言うことは。
でも、他に何が出来るって言うんだろうか――
「――そっか」
どんどん悪い方向にばかり考えてしまう意識を引き戻したのは、アルフの声。
今まで話していた氷みたいな無機質な感じじゃなくて、始めて会った時のような声音。驚いて顔を上げると、アルフはさっきまでわたしのことを探るように見つめていた氷色の瞳に、思いもかけない優しげな感情を浮かべていた。
「なら、さ――手を組まない?」
「え――」
予想なんてまったくしていなかった言葉を向けられて、何て答えたらいいのか解らなくなる。耳と目を疑うけれど、そこにあるものは変わらない。
「なんでそんな意外そうな顔するかなぁ。……ま、保護者に似るものか。
こんなの、別に不思議な事でもなんでもないでしょう? あの時も言ったはずよ、お互い目的が似通っているのなら、バラバラに動くよりも協力した方が得策だ――って」
「協力って……」
「そりゃま、貴女にとってあたしは親の仇。感情的なものから言って、簡単に手を組むなんて出来無いとは思ってるわ。
――でも、さ。だったら利用すればいい。本当に彼を助けたいのなら、何をおいても彼の生還を願うのなら、少しでも可能性を上げた方がいいとは思わない?
それが例え他者の力に縋ることでも、他人から見ればみっともないことでも、叶えたい願いがあるのならそのためにあたしを利用すればいい」
ね? というその顔には、口調とは正反対に茶化すような空気は全然無くて、本気なんだとわかった。
「なんで――」
「言ってるでしょ、目的が似てる、って。つまりは、そういう事よ」
「……ジークを、助けてくれるの?」
「違う。でも似てる。あたしはね、|《人喰らい》(マン・イーター)の馬鹿野郎をぶん殴りたいのよ。《御霊喰らい》なんて馬鹿げた真似を繰り返す、あのクソ野郎をね」
きっぱりと、迷うことなく言いきる。
どうしてだろう? 仇で到底信じられる言葉じゃないはずなのに、その言葉にすがりついてしまいたくなる。こんな提案都合よすぎるって、そう思うのに――
「ジークを、助けたい――! わたしに、力を貸して……っ!」
「……でも、わたしはそんなに強くない……よ?」
ジークを助けるためには、榮と戦うことになるのは避けられない。――だけどアルフと京子の二人ならともかく、わたしはどう考えても足手まといにしかならない。
戦うって言ったけど、それだけの力があるのかって聞かれたら首を振るしかない。完全に他人任せで後ろめたさから俯いてしまう。
「何も戦う事ばっかりが強さじゃないってね。――ま、こんな事はあたしが言っても説得力は欠片もないけど――とにかく、そうと決まればやるべき事は山積みよ」
悪戯っぽく笑いながらそんなことを言って、アルフはわたしの手に二枚の紙を渡す。
「これは……?」
渡されたのは細長い紙。少し厚くてでもごわごわとはしていなくて、表面には見たこともない細かい文字がびっしりと書き込まれている。
「呪符よ。聞いたことはあるかな? ー|《獣島》(けもののしま)に古くから伝わる符術って秘術に使用するもので、仕組みからある種|《魔道具》(アーティファクト)の一種とも言える。
それは二枚一組で《転位の符》って呼ばれてる物だけど……ああ、渡したのは両方とも対象を呼び出す効果がある起動符の方よ。で、こっちが転位対象を特定するための符」
そういうアルフの手には、確かに渡されたものとよく似た符がある。視線を横に向ければ、ー京子も同じものを持っている。
「……どういうこと?」
「あなたにはそれを持ってあいつのところまで行ってもらいたい。所謂運び屋? みたいなものになるかな」
疑問の視線に、アルフは肩をすくめながらそう答えた。
「ジークがどこにいるのか、知ってるのっ?! だったら、なんで――」
「あー、や。たぶん麓だのなんだのに伝言でも預けてるだろうってね? 近くの街に荷物とか、置いてきたりしてるんでしょ? ……悔しいことにあいつ、鼻が利くからね。臭いであたしの気配を察知される。下手に近付こうものなら逃げられる――それも、今度こそ余計な荷物を次の満月を待たずに腹に収めて、ね」
だから、あたしたちが下手に近付くわけにはいかない――そう口にするアルフの顔は、口調とは裏腹に悔しさを滲ませていた。
「だから……わたしに?」
「そ。ああ言った以上、あいつはあなたからの接触は拒まないでしょうからね。あいつのところへ行ったら符に込められた魔力を解放……あとは|《人喰らい》(マン・イーター)の相手はあたしがする。だからあなたはその隙にジークを連れて逃げる……ってね」
「………」
確かに、それなら戦う力の無いわたしにだってできるかもしれない。
でもすぐに頷くことが出来ないのは、やっぱりお父さんとお母さんのことがしこりになっているからなんだろうか。
「どっちにしろ、その符はあなたに預ける。……あたしの事を殺したいなら、起動させてすぐ火山なりなんなりに投げ込めばいい。流石にそんなコトされたら、ただじゃぁすまないでしょうしね」
「っ! 誰が、そんな」
「じゃ、決まりね」
反射的に睨み返すと、アルフはにこりと悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「タイムリミットは次の満月まで――それまでに、貴女にはあいつが隠れているところまで行ってもらうわ」
・ ・ ・
「いーのかよ? そいつが仇なんだろ、親御さんの」
「許した訳じゃない……許してなんかいないっ。でも、決めただけ――いきなり化け物をけしかけてくるような人、信用出来ない。だからジークを助けるって、そう決めただけっ!」
からかうような口ぶりに、そんな言葉を叩きつけた。
《転位の符》によってこの場所に召喚されたアルフと京子の二人は、わたしと榮がそんな会話をしている間に走り出している。召喚のための目印になる符が召喚の前兆を教えてくれるらしいけれど、いきなり居場所が変わったりしたら普通戸惑うと思うけれど、そんな素振りは全くない。
むしろすでに戦闘態勢。アルフは氷の槍を無数に生み出して栄を威嚇しているし、京子は体を半獣化させていて、金色の髪の間から白地に縞模様の入った三角耳、金の瞳は瞳孔が縦に割れ衣服の下から覗く手足にも耳と同じように白地に縞模様のある毛皮を纏っている。――|《獣人》(けもののひと)たちはこの状態のことを|《変化》(へんげ)と呼んでいるらしい。二人とも、戦う準備は万端だ。
と、言うよりももうとっくに二人とも榮の足止めを始めている。あっという間に距離を詰めると、二人は前後から挟み込むように氷の槍を、拳の一撃を繰り出して榮の動きを封じようとする。
「化け物――ね。オイオイ、いくら何でも親御さんの研究結果に、そりゃ酷いんでねーの?」
「……どういう、こと?」
ジークのところに向かおうとしていた足が、止まる。視線を向ければ猛攻の中、榮は薄い笑みを浮かべてわたしを見ていた。
「――ほんっとうに、お嬢は何にも知らねぇんだな。つか、この期に及んで自分がそんなこと言える立場だって思ってる辺りが、いよいよ救いようもねぇ」
「わかってるよそんなこと! わたしは、わたしは戦う力なんて無い――けどっ」
「止まるな――走れっ!」
「で、でも――!」
「あなたが今、すべき事は何っ!? 迷うのも惑うのも当然、けど時と場合をっ、優先すべき事柄を見失うな! 何をおいても、彼を助けたいんでしょうっ!」
「――っ!」
アルフの叱咤に背中を押されて、ともすれば振り返りたくなる気持ちを振り払って駆け出した。




