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黒き獣と赤の少女  作者: 竜胆 梓
二章 《流れ星》
23/35

間章 -ありし日の情景-

 きしんだ音と共に、扉が開く。暗闇に包まれていた室内に、わずかながら明かりが差し込む。


 そこは小さな部屋だった。いや、辺境の農村と言うことを考えれば小さな棚やガラス窓、立派とは言いがたいがそれなりの大きさの寝台がある事から、この家の持ち主が村の中で相応の地位にあるものだと物語っていた。

 ただ――今、この部屋を使っている者からすれば、本来使っている部屋よりも幾分狭く、また質素でもあった。

 もうとうに太陽は高く昇り、その光で短い秋の訪れた大地を照らしている。というのに、この部屋は今だ薄闇に包まれてる。

 せっかく日の光を存分に取り込む事のできるガラス窓があるというのに、分厚いカーテンによって日の光は遮られ、室内に進入する事を拒まれているからだ。


 少女がこの部屋に来て、すでに一週間近くが経過いている――変わらない様子にため息をつきながら、青年はさして広くない部屋の中に視線を走らせた。

 探し回る必要もないほどの室内、すぐにそれを見つける。

 寝台の横。固い床の上にある、毛布の固まり。青年の気配に気づいたのか、それとも別の理由か――小さくふるえる様子は、追いつめられた小動物を連想させるには十分だった。

 怖がらせないよう注意しながら、小さく声をかけるが返答はない。寝台脇の小さな机に置かれたままになっている冷めたスープと固くなったパンを見る限り、少女が食事に手を付けていない事は明白だった。


 ため息のよう少女の身を案じる言葉を口にしながら、新しく持ってきたパンを毛布の固まりに向け差し出す。まだ熱を持ったそれは、美味しそうな香りで食欲を刺激する。

 しかし少女からの返答はなく、体を隠す毛布はまるでクルミの殻のよう、一向に開く気配はなかった。


 あんな事があった以上、無理強いなどできない。

 結局青年は、いつものように小机に新しいバンとスープを残し、部屋を後にするしかなかった。




 古くなったパンとスープを持ったまま台所に戻った青年は、そこにいた男に声をかけられる。

 彼はこの村の村長だった。まだ年若く、よく日に焼けた肌も、程良くついた筋肉も見る者に働き盛りの印象を与える。辺境の村には珍しく読み書きに不自由しないという事から、村を訪れる商人とのやりとりの仲立ち、様々な雑事などを取り仕切る事になり、なし崩しに村長という名目を与えられているにすぎないのだが、その仕事ぶりは周囲の人間からも認められている。

 少女の様子を聞かれ、青年は変わらないといつものように答を返す。息子の言葉に、村長は「そうか」と一言返すだけだった。


 肩をすくめ、何でもない風を装いながらも青年の表情は優れない。事件からもう一週間近く、ほとんど何も口にしていない少女の事を心配するなという方が無理な話だろう。

 そんな息子の内心を見通しているのか、村長は何も言わず、ただ頷くのみ。

 その後も雑談に交え、事件のその後――他の生存者や犯人の足取りを聞く青年であったが、村長からの答は相変わらず芳しくないものだった。


 今の季節は、人も集まりにくいからと村長は肩をすくめる。来るべき冬の到来に向け、実りの秋はどこも猫の手すら借りたい状況で、いつもは奔放に遊び回る事が許された子供たちですらかり出されている状況だ。

 そうでもしなければ、雪に閉ざされ作物の育たない冬を乗り切ることはできないし、子供たちにとっても徐々に仕事を覚えるため、絶好の機会となる。

 わかってはいたが、思うように進まない調査の状況に歯がゆい思いを隠す事ができない。きつく拳を握る青年に、村長が何か声をかけようとした、まさにその時だった。



 がたりと、何か堅いモノが落下する音。



 音が聞こえてきたのは、家の中ーー少女がいる部屋。

 父である村長と一瞬顔を見合わせた青年は、何事かと部屋に向け駆け出す。

 制止の声が背に向けられるが、青年が足を止めることはなかった。




 薄暗い部屋の扉を開けた青年がまず目にしたのは――赤。床の上に、毛布の上に散らばるいく筋もの赤いもの。

 扉を開けた事により発生したわずかな風にふわりと舞い上がる様は、いやがおうにもあの光景を連想させる。


 が、それは血液などではなかった。


 一瞬フラッシュパックしたあの日の光景を振り払い、青年は意識を現実へと引き戻す。



 室内に散乱しているのは血液ではなく――髪。



 散り散りに切られた髪が、無惨に散らばっていたのだ。

 突然開かれた扉に驚いたのだろう、床の上に座り込んだ少女が、困惑と恐怖をない交ぜにした顔を向ける。手に、どこから見つけ出したのか布切り用の大きな鋏を持ち、長かった髪は見るも無惨に切り落とされていた。

 その瞳は揺らぎ、まともにモノをとらえていない事は明白で――


 いったい何をしているんだと、呆然とこぼれた声に少女は可哀想なくらい身を震わせる。そして手にしていた鋏を降り上げると、自らに向かい降り下ろし――


 制止の声が、薄暗い室内に響く。


 自らを突き刺す、その寸前で制止が間に合う。少女の大きな瞳に突き刺さるはずだった鋏は青年の手の甲に突き刺さり、生まれた傷口から生温い液体が流れ落ちる。

 呆然と目を見開く少女に、苛立ちを隠せないまま言葉をぶつける。


 驚愕に揺れていた瞳が、次第に焦点を取り戻す。目の前にある手のひらと苛立ちを露わにした青年に怯えたのか、それとも己がしてしまった事に気がついたのか、かわいらしい顔を今にも泣きそうに歪ませた。


 少女の喉からこぼれ落ちる、掠れた音。

 小さな小さな――耳を澄ましていなければ聞き逃してしまうほど、かすかな声で吐露する。



 ――赤い色を、見たくない……と。



 血を吐くような、叫び。


 ため込んでいた感情を告白され、青年は今更ながら己の配慮のなさを思い知る。あの日、あのとき少女がいったい何を見、どのように生き残ったのかを青年は知らない。

 だが、あの惨劇の中生き残ったという事は、逃げまとっていたという事は、青年も目にした地獄のような光景を目にしたのは疑うまでもない。


 炎の赤、血の赤――燃え盛る緋色はあの事件の象徴でもあり、少女からすべてを奪った色。

 青年ですら事件後数日は暖炉や落ち葉焚きの火に近づくこ事さえ戸惑ってしまった。青年でそうなのだ、まだ幼い少女にとって、あの事件は幼い心を痛めつけるには、十分すぎた。



 何より――少女の髪の色は、赤。



 意識的に赤色を避ける事ができる青年とは異なり、少女は己からすべてを奪った色を身に纏っているが故、逃げる事ができない。

 だから、少女は部屋を暗闇に閉ざした。暗闇の中なら、己が身に纏う赤を目にせずすむから。すべてを奪った色を見ずにすむから――


 けれど、それでも身に纏う色に耐える事はできなくて、このような暴挙に出たのだと、そうするしかなかったのだと思い知らされる。

 涙すら流さず、まるでそうする事を忘れてしまったかのように、ただただ見たくないと小さな体を震わせる少女。何一つかける言葉を見つける事のできない青年に、少女は懇願した。

 ともすれば、このまま消えてしまうのではないかとすら思える幼い叫び。青年は己の配慮のなさを思い知る。扉を開けて明かりを入れてしまう事も、不用意に血を流してしまった事も――少女のトラウマを抉る行為に他ならないのだから。




 薄暗い室内に、鋏の音が細く響く。

 あの後――事件以降ため込んでいた心の内を吐露したおかげか、ある程度落ち着きを取り戻した少女は、あろう事か髪を切ってほしいと懇願したのだ。


 この地方において、女性は髪を伸ばしているのが一般的だ。特に、位の高い貴族であるのなら殊更に。

 一般の者であっても、大抵の女性は髪を伸ばし、仕事の邪魔にならないよう紐で纏めたり、三つ編みにしているのが一般的である。

 にもかかわらず、少女は髪を切ってほしいと懇願した――それだけ、赤という色が少女を苦しめているのだと、否応なしにあの日の記憶を呼び起こしてしまうのだと思い知る青年。


 本当に、それでいいのか。投げかけた問いに、少女はこくりと頷いた。

 ろくに鏡を見る事もなく鋏を入れたせいだろう、長さが揃わず、見るも無惨になった髪は、しかしそこまで短くせずとも、肩の下あたりまでで見られる程度には揃えられるだろう。

 けれど、少女はそれを望まなかった。


 少女の意志をくみ、青年は長い赤毛に鋏を入れる。しばらくは薄暗い部屋の中に鋏を動かす軽快な音と、切り落とされた髪が床に落ちるかすかな音だけが聞こえる。

 小さな村の例に漏れず、青年が暮らす村には散髪を生業とする者が存在しない。では普段どうしているのかといえば、村の者の中で手の空いている者が他の者の髪を整えるのだ。

 まだ独立も成人もしておらず、かつなにかと子供達の面倒を見る機会の多い青年は、そのついでとばかりに様々な雑務を仕込まれていた。散髪も、そんな雑務の中の一つであった。


 やがて鋏の音は止み、青年は空いた手で少女の体に付いた髪を丁寧に払う。

 軽くなった頭に戸惑うよう手を当て、少女は本当にそこにあったものが無くなっているのだと実感する。

 耳が見えるほどに短く切られた髪といい、まだ女性らしい丸みも帯びていない体つきといい、事情を知らなければ愛らしい顔立ちの男の子と見間違えるほどに髪は短く切られていた。

 散らばった髪を丁寧に片づけた後、固く絞ったタオルで少女の頭を拭う。本当は水浴びをさせるなり風呂に入れるなりをした方がいいのだろうが、少女の体調を思うに、それは難しいだろうと判断しての処置だ。


 青年の大きな手にされるがままに身を任せていた少女はふと、その手が放れた事に気づく。

 布越しに伝わる暖かさ――炎の、身を焦がすような熱とも、流れ出た血の、身を冷やす生ぬるさとも異なるそれに安堵していた少女は温もりを追うように顔を上げ、目の前に突きつけられたきつね色の固まりに視線を遮られる。


 ちょうど少女の鼻先に、先ほど持ってきてあったパンを差し出していたのだ。

 パンと青年を交互に見上げ、少女はおずおずと手を伸ばす。ちらりと青年を見上げるが、何も言わず少女を見守っている。まだほんのりと熱を持つそれを小さくちぎり、少女はおそるおそる口に運ぶ。

 素朴な味が口の中に広がる。末端とはいえ一応は貴族の一員であった少女が普段口にしていたものと比べれば数段見劣りする固めのパンであったが、ほぼ一週間の間なにも口にしていない少女には、何物にも代え難いご馳走であった。


 不意に、頬になにかが伝う。涙がこぼれているのだと、少女は心配そうな青年の様子から己の状態を認識する。

 数日間もの間ろくに物を食べていなかった体に、素朴な味わいの食べ物がまるでしみていくようで、ささくれた心を落ち着けてくれるようで――同時に、まだ自分は生きているのだと、もう家族はいなくなってしまったのだと、思い知らされて。


 様々な感情が混ざりあい、一気に溢れてくる。

 それらを押し止めるすべも制御するすべも持ち得ない少女は、ただただ金色の瞳から大粒の涙を流し続けた。





 少女が落ち着きを取り戻してから数日、少女の姿は相変わらず部屋の中にあり、外に出ようとはしなかった。

 それでも運んだ食事にはきちんと手をつけ、今までのように残すという事もしなかった。

 青年はそんな少女の側になるべく居るようにしたが、いかんせん日の光の元に出てくる事を怖がっている以上、常に近くにいるという事はできない。

 それでもなるべく近くにいようと、普段はもう少し離れたところで行っている子供達への読み聞かせなどを少女が居る部屋の前で行っていた。


 普段とは違う場所での読み聞かせに、子供達は戸惑う者もいれば、新しい遊び場にはしゃぐ者もいて、反応は様々だった。そんな子供達の様子に苦笑しながら、青年はこの国の歴史を子供向けに脚色した物語を読み聞かせる。

 相変わらず、部屋の窓には分厚いカーテンが掛かったままだ。けれど少女は壁越しに聞こえてくる青年の声に耳を傾け、壁から伝わる暖かさを感じていた。


 声変わりを終えた青年の低い声は耳に心地よく、子守歌のように優しく少女の心に響く。

 この声を、もっと聞いていたい。

 いつの間にか、少女の心にそんな思いが芽生えていた。




 事件から一月近くが経過した頃、少女の姿は薄暗い部屋の中ではなく、青年のすぐ側にあった。

 落ち着きを取り戻し、今でこそ親鳥の後を追う雛鳥のように青年の後ろを付いて回る用になった少女だったが、初めは部屋から一歩足を踏み出す事さえ躊躇っていた。けれど親の後を追う雛鳥の如く、青年から離れたくない一心で彼の後を追った。

 家族も、住む場所も一夜にして失ってしまった少女にとって、己を助けた青年の存在は拠り所だった。だからこそ一時も離れていたくなくて、ただそれだけの思いで青年の後を付いて回った。


 初めは物珍しそうな視線を向けていた村の住人達だったが、事情を知っているのだろう、話しかければすぐ青年の後ろに隠れてしまう内気な少女に苦笑しながら、無理強いをする事はなかった。

 子供達は正直なもので、青年と共に青空教室に顔を出した見慣れぬ少女の、短くなったとはいえ見事な緋色の髪を見てお姫様だとはやし立て、青年に赤い髪を持つ者なら村にもいるだろうと諭されていた。




 ゆっくりと流れてゆく、穏やかな日々――その中で、何もかもを失った少女は少しずつ日常を取り戻していく。

 そのまま何事もなく、こんな日々が続けばいいという願いは、一台の馬車が村を訪れた事で終わりを告げた。






 穏やかな日々が続く中、冬の到来を目前に控えたある日、村に一台の馬車がやってきた。

 二頭の馬に引かれた、過剰な装飾は無いながら、一目で腕の立つ職人の手による作品だと分かるこしらえ。辺境の田舎町には場違いともいえる馬車の登場に、冬支度に追われる村人達もしばし手を止め、いったい何事だと視線を向ける。


 村人達の怪訝そうな視線を物ともせず、荷馬車は村のある一角で止まる。他の家家より一回りほど大きな屋敷だっしゅ村長の家だ。

 馬車からまず姿を現したのは若い男で、簡素ながら動きやすそうな装いをしている。召使いが恭しく待ちかまえる中、もう一人の男が馬車から姿を現す。馬車と同じよう、過剰な装飾こそ無い物の一目でそれとわかる立派なこしらえ―― 一目でそれとわかるそれらは彼の身分を雄弁に語る。

 つまり、この男は未だ王制の敷かれるこの国における権力者階級――貴族なのである。


 避暑地でもあるまいに、このような辺境の村を訪れる貴族は希だ。――亡くなった領主一族は領民に対し歩み寄る者達であったが、他の地方の者達は見下し、搾取する者である場合が多いというのは、たまに訪れる行商人達との会話で周知の事実だ。余計な事に巻き込まれるのは御免だと、下手な火の粉が降り懸かる前に村人達は各々の仕事に戻る。

 村の様子に一別だにくれず、貴族は召使いを引き連れ村長宅に向かう。召使いがノッカーを叩き来訪を告げるより先に扉が開き、遠いところわざわざご足労いただき誠に有り難うございますと頭を下げる村長が出迎える。

 家畜や土の臭いがする室外から一刻も早く離れたいと言わんばかりに足早に屋敷に入ってゆく貴族と召使い。珍しい来客を庭木の陰から伺っていた青年と少女は、程なく父親である村長から呼び出される。


 少女と共に何故呼ばれたのかもわからず、来客者用の客間へゆくと父親である村長と共に、先ほどやってきた貴族と召使いが出迎える。何故こんな場に呼ばれたのだろうと訝しみながらも、慌てて頭を下げる青年。真似るよう小さく会釈する少女。そんな二人の様子を一別し、貴族は一瞬眉を寄せる。

 何か気に障る事をしてしまったのだろうか、不安を覚えた青年に、答えは別の場所から帰ってきた。あれだけの火災だったが故、少女の髪は無惨な事になっていたと、そのため整えようとしたものの、何分貴族お抱えの床結いではなく農村の馴れない人間が手を入れてしまったため、少々不格好な事になってしまったと、しかし幸いにも体には火傷を負った様子はない事などを村長は貴族達に説明する。

 少女が髪を切ったのは燃えてしまったからではなく、少女がそれを望んだから。いったい何故嘘偽りを述べるのか。貴族相手にそんな事をして偽りが見抜かれればどう言った目に遭うか――何故、どうしてと疑問の視線を向ける青年に、村長は答えない。


 貴族は村長の言葉を信じたのか、よくぞあんな事故の中君だけでも生き残ったと、少女に優しい言葉を向ける。内容は少女を気遣うそれだが、それに伴う感情は感じられない。形ばかりの言葉に不安を感じたのだろうか、少女は怯えるように青年の背に隠れてしまう。

 お嬢様は相変わらず人見知りが激しいのですね、と使用人が苦笑を浮かべる。彼らはいったい誰なのか、警戒も露わに視線で問えば、使用人は申し送れましたと恭しく頭を下げる。


 曰く、貴族は少女の血縁の者――少女の母の弟なのだと。この度の事故で両親を失った少女を引き取るために来たのだと口にした。


 寝耳に水の言葉に、しばし呆然となる青年と少女。そのような話は全く聞かされておらず、住む場所を失った少女はこの家で暮らすものだと、少女も青年も一切の疑いを抱く事なく信じていた。

 戸惑いを隠せない少女と青年。状況の整理が追いつかない青年に対し、村長はお客様にお茶をお出しするよう言い、それに習おうとするも一人大人の中に取り残されることを心細く思ったのか、少女は青年の服をきゅっと掴む。


 離そうとしない少女の様子に村長はため息を付き、貴族等に断りを入れ飲み物を取るため一度部屋を出る。残されたのは青年と不安げな少女、そして貴族と召使いの四人。

 一向に青年から離れる様子のない少女に、貴族はずいぶん懐かれているようだと唇に乗せる。黙り込み、じっと警戒の眼差しを向ける青年に対し、貴族は気にした風もなく続ける。

 君が彼女の世話をしてくれたのかと向けられた言葉に、青年は一応は頷くものの、貴族の言葉に何か奇妙な違和感を感じ警戒心をますます高める。張りつめた空気の中、動いたのは召使い。青年の側まで歩み寄ると、その手に小袋を握らせる。見た目の割にずしりと重いそれには、村ではまず見かけることのない貨幣が数枚、きらびやかな輝きで自己主張していた。


 あれだけの事故の中、よくお嬢様を助けてくださいましたと、これはその謝礼ですと言う召使い。戸惑う感情を隠せないまま貴族に視線を向ければ、貴族もまたそう思っているのか当然のようにしていた。

 だが次の瞬間、青年の心に生まれたのは感謝ではなく憤り――そんな物が欲しくてあの日少女を助けた訳ではなく、ここで金銭を受け取ってしまうのは何かが違うと、青年の心を酷く逆撫でる。

 要らないと突っ返す青年委、使用人は初めて戸惑いらしき感情を見せ、貴族は淡々とした目に、まるで信じられない物を見たとばかりの感情を浮かべる。


 その反応が余計に青年の感情を刺激し、まさに一緒即発と言うとき、部屋の空気を変えたのは飲み物を持って戻ってきた村長。張りつめた空気に首を傾げつつも、何事もなかったよう飲み物を配る。

 説明を求めるよう視線を向ける青年を遠ざけるよう、村長は明日の迎えに間に合うよう、少女の荷物を纏めるよう青年に指示する。ふざけるなと言い返したかった青年だが、いつにも増して強い口調の父親に逆らう事ができず、またこの場に少女を長居させたくないと言う思いもあり、従うより他無かった。




 村には宿泊施設がないため、貴族達は一度宿を取った近隣の町に戻り、明日少女を迎えるため再び村にやってくると言う。貴族達がいなくなったのを見計らい、青年は一人、父親である村長の元に向かう。何故このような重大な事を自分達に黙っていたのか、当事者である少女の意思を確認しなかったのかを問うためだ。

 苛立ちを隠そうともしない青年の様子に、村長は臆する事なくともかく落ち着くよう宥める。しかしいつもなら聞き入れられる言葉も、今ばかりは逆効果だった。今にも掴みかからんばかりの勢いの青年に、村長はため息を付く。


 落ち着いてなどいられるはずがなかった。貴族達が少女に向ける目に、慈愛のそれはなかった。少しでも少女の身を案じているのであれば、そもそも事件があった直後に何らかの連絡があるはずだ――大きな事件などは、遠話の力がある|《魔道具》(アーティファクト)によって瞬く間に伝えられる。一般の者が気軽に使えるほど普及してはいないものの、支配者である貴族があれほどの事件を耳にしていないなど、考えがたい事だった。

 手紙をよこすなり、伝令を使うなり、取れる手段はいくらでもあったはずだ。それを全く無しに一月もの間放置し、今更引き取りたいなどと――虫がいいにも程がある、というのが青年の言い分であり、怒りの理由。

 加えて少女はようやく落ち着きを見せたばかりである。今でこそ青年の後を付いて回るようになったが、事件直後は恐ろしい火事の記憶が蘇ったためだろう、明かりどころか温かい食事にすら手をつけられなかった有様だ。

 再び環境が変われば、今の状態からどう転ぶか、誰にも予測できない――もしそうなった時、貴族達が根気よく少女と向き合えるのか。あの様子からはとてもではないが少女の心にまで気を配る事はなさそうだと、貴族の冷めた眼差しを思い出す。


 青年の抗議に、しかし村長は少女の引き渡しはすでに決まった事だと、青年が今更どれだけ騒ごうと覆ることはないと諭す。

 なおも食い下がろうとする青年に、では少女を村で養うというのかと問いを投げる。

 辺境の村の生活は、けして楽なものではない。特に少女は貴族――それまで何不自由無く生活してきた幼い少女が庇護者無しに生きて行くには、あまりに過酷な環境。

 また、村自体もそこまで余裕があるわけではない。働き手として数えられない子供を養う事など、現実的に考えて不可能だ。

 村長の言葉は、あくまでも正論だった。その正しさがわかるだけに、青年は反論できない。だが感情は納得しておらず、だとしても何故一言、せめて当事者である少女に何も伝えなかったのかと言う疑問は拭えない。


 加えて何故、貴族も村長もあの日の出来事を「事件」ではなく「事故」と呼ぶのか――あの日、燃え落ちる屋敷で目にしたものについて、貴族はともかく青年は己の父親である村長には伝えている。火に焼かれる以前に、何者かの手によって絶命していた屋敷の者達――事故と呼ぶには、あまりにも不可解な状況。

 射殺さんばかりに睨みつける青年に対し、村長は表情を変えることなく返す。あの日の事は事故だった――調査していた者達もそう結論を出した。そうでなければならないのだ、と。


 いったいどういう意味なのか。取り付く島のない村長を問いつめようと、ともすれば掴み掛かるような勢いで詰め寄る。しかし伸ばされた腕は村長に触れる事なく、逆に捕まれ、勢いを利用され床に投げ飛ばされる。

 身体能力的にも体格的にも、青年のそれはもはや大人のそれと遜色ない。だがそこにある経験の差は、積み重ねてきた年月はそうそう覆す事はできない。

 まんまと投げ飛ばされた青年は、突然の事にろくな受け身をとる事もできず、そのまま堅い床板に打ちつけられる。


 痛みに目をしばたかせながら立ち上がろうとする青年の腕を、村長は容赦なくねじ上げる。その動きには迷いがなく、あまりにもあっさりと動きを封じられ、身動きのとれない青年。

 振り払おうと殺気すら向ける青年に、何故ここまで少女に固執すると、村長は問いを投げる。

 あの場から、少女を助け出したのは青年だ――消えるはずだった命を、つなぎ止めたのは青年の意志。だからこそ中途半端に投げ出すなどと言うまねができるものか。噛みつくように言葉を向ける。

 おまえは、あの子に死んでしまった弟の姿を重ね合わせているだけにすぎない。淡々と向けられた村長の言葉に言い返さなければならないはずにも関わらず、青年は何一つ言い返す事ができない。


 違う――絞り出した声は弱々しく、先ほどまでの威勢は皆無。

 青年もまた、理解していたのかもしれない。けれどそれを素直に認める事など、できるはずもなくて――


 なおも食い下がろうとする青年を、村長は容赦なく納屋に放り込んだ。あまりにも軽々と投げ飛ばされたため、青年には一瞬己の身に何が起こったのかわからなかった。

 しばらくそこで頭を冷やせ――重い閂を下ろす音と共に、村長の声がそう告げる。明かり取りの窓すらなく、暗い室内で青年は違うと、そんなつもりなど毛頭ないと口にするも、分厚い扉に阻まれたその言葉が他者に届く事はなかった。




 明けて翌朝、予告通り貴族が村にやってきたのはもう日もずいぶん高くなった頃で、朝と言うよりは昼といった方がよい時間帯であった。

 冬を目前に控えたこの時期、村では当然冬支度に追われているため、中途半端な時間の来訪は仕事の妨げになるのだが、貴族達を出迎えた村長はそんな様子などおくびにも出さず、貴族に対し深々と頭を下げる。

 一方で貴族は、昨日と同じよう物珍しげな視線を向ける村人達に一別もくれず、農村特有の土と家畜の臭いに一瞬だけ不快そうに眉をしかめた。

 村長の妻に付き添われる形で屋敷から出てきた少女の姿を目にし、召使いは少女に付き添うのが昨日顔を合わせた青年ではない事に不思議そうに首を傾げる。見送りもなしとは、意外だと言わんばかりの召使いに、あれには少し野良仕事を頼みましてな、と村長は返す。


 その言葉を村長の妻の側で聞いていた少女は、今にも泣きそうな顔で村長達に視線を向ける。昨日、貴族が帰ってすぐ事情を聞いてくると言ったきり、青年の姿は一度も目にしていない。この屋敷に来て一ヶ月近く――これほど青年と離れた事はなかった。

 心細さと不安がごちゃ混ぜになって、うまく頭が回らない。周りにいる大人達の声がすべて耳障りな不快音となって押し寄せているようで、理解する事を拒む。


 呆然と立ち尽くす少女に、召使いは馬車に乗るよう促す。見れば昨日村長の妻に手伝ってもらい纏めた僅かばかりの身の回りの物も、とっくに馬車に積まれていた。

 このままどうなってしまうのか。召使いの手を取る事もなく、青年の姿を探し不安げに視線をさ迷わせる少女の姿に、召使いは呆れたような、貴族は憤慨したような素振りを見せる。

 いずれ淑女たるもの、何を無様な姿を晒しているのですか。おまえの両親は、最低限の躾もしなかったのか――無言のはずの視線が、聞こえないはずの言葉と共に突き刺さる。

 ますます顔を青く、怯えてしまう少女に業を煮やしたのだろう。召使いは少女の腕を一見優雅に――しかし簡単には逆らえない強引さで引きずるように馬車へと誘う。


 大人の力に逆らえるはずもなく、少女には為すすべもない。

 嫌だと言いたいのに――ひりついた喉は言葉を紡ぐ事はなく、かすれた音がこぼれるのみ。

 己の思い一つ口にする事すらできない自分自身が情けなく、金色の瞳に涙がにじむ。そんな自分がますますふがいなく思え、さらに情けなくなる。どうする事もできない負の連鎖。


 そんなときだった――



 一頭の馬が、その場に飛び込んできた。



 突然の事態に、その場にいた者すべてが動きを止める。貴族と召使いは呆然と、村長とその妻は馬の背に跨る人物を見て蒼然と、そして少女は何が起こったのか解らず、ぽかんと馬上の人を見上げ、あ、と小さく言葉をこぼす。

 馬上にいたのは、黒髪の青年だった。半日ぶりに見る姿に安堵する少女とは反対に、その場にいる他の者達は明らかに戸惑いと、突然の乱入者に不快感を示す。


 この国は封建制を敷いている。身分的に絶対的上位者である貴族の前に突然乱入するなど、不遜罪に問われてもおかしくない。証拠に、憤然たる勢いで声を上げる召使い。それを後押しするよう鋭い眼差しを向ける貴族。


 それらを無視し、青年は馬上から声を上げる。

 曰く――あの事件を事故として扱う大人達は信用できないと。自分はこれから屋敷を襲撃した者を探しに行くと宣言した。


 憤りも露わな青年。あまりの発言にその場にいる者達は呆然とするしかない。

 そんな反応を無視し、青年は続ける――おまえはどうすると、少女に向けた問い。このまま貴族に引き取られていいのかと、それでおまえは納得できるのかと。


 青年の低く険しい、けれど心の底では少女を心配している事を感じさせる、優しい声。

 ようやく会えた安心感が、心細さに凍っていた少女の心をじんわりと溶かしてゆく。

 たたみ掛けるよう向けられる、低い声。このまま貴族と共に行くか、それとも己の手で真相を探すか。己の意志で選べと青年は少女に選択肢を突きつける。


 青年の言葉に背を押されたかのよう、少女は駆け出す。それまでまるで人形のようにされるがままだった少女が、まさかそんな事をするとは誰一人予想だにしていなかったのだろう。制止の手を伸ばす間もなく、手を伸ばしたとき、少女はすでに馬上の人。

 暖かな手に引き上げられ、抱き抱えられるよう胸の前に座らせられた。背中越しに伝わる暖かさに、少女はくすぐったい気持ちになる。

 そんな少女の思いなどつゆ知らず、ついに硬直していた貴族等が動き始める。何という無礼、何という不躾。憤慨露わな貴族達に、しかし青年は一切気に止めず、乗り付けた馬に鞭を入れた。


 混迷する場から立ち去ろうとしたまさにその時、村長が青年の名を呼ぶ。引き留めるような声音のそれに青年は一瞬だけ彼の父である村長に視線を向けたが、思い止まる事なく馬を走らせた。




 二人を乗せたまま、馬は村を横切りあっと言う間に畑を通り過ぎる。農作業に明け暮れていた人々は猛スピードで駆けてゆく馬にある者は何事かと怪訝そうに視線を向け、ある者は気にも止めず自らの仕事に没頭する。


 牧歌的な風景を置き去りに、二人を乗せた馬は足を止める事なく駆け続けた――

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