8 -ケモノ-
ラーの背に乗り、秋も深まりつつある森を駆け抜ける。
整備された街道や獣達が道をつけた獣道ばかりを走るのとは違い、道無き道を走る事になる。当然思うような速度を出す事は出来ないが、それは相手も同じ事。むしろ多少図体が大きいとはいえ、障害を押しのけものともしないラーは追跡者として頼もしい限りだ。
対して逃亡者達の方はと言えば、何故かは知らないが時折動きを止める事があり、動きが鈍い。まるで時折足を取られているかのような――まさか追われる事になるとは思っていなかったのだろうか? そのため焦りがあるのか、それとも時折獣達に指示するためか――ともかく、人の足と馬の足である事も相まって、両者の距離は縮まる一方だ。
ただし――
「――また、か」
森の中を疾走する中、自分達以外の存在が出す音を捕らえる。前方の茂みから現れたのは数頭の黒狼。《獣使い》が使役する獣であり、時折こちらの進路を妨害するように攻撃を仕掛けてくる。
もう何度目になるのか、数える事すらそこそこに速度を上げる。
本来大人しく草食動物である馬が肉食動物である自分達を見てなんの躊躇いもなく突っ込んでくるなど予想した事がないのか、色めきだつ黒狼。好機を逃す理由もなく、怯んだ横を駆け抜ける。黒狼達が我に返った時には、すでにその場に俺とラーの姿はない。
やがて森が途切れ、目に入ってきたのはむき出しの岩壁。どうやら崖下、と言ったところだろうか? むき出しの岩壁を背に荒い息を整えようとしている男と、男を守るように円陣を組む黒狼が六頭、驚愕の目でこちらを見る。
「な、なんでここが……っ?!」
戸惑い、怯え、驚き、敵意――おおよそそんな感情を宿した目が、俺とラーの姿を捕らえる。あの場で襲撃を仕掛けてきた他の|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)と変わらず、やはり粗末な印象を拭う事の出来ない所謂あり合わせの武装に身を包んでいる。
「クソ――っ! あいつ等失敗しやがったのか使えねぇ! なんでこんな短時間で追いつかれちまうんだよっ」
「そんな音をさせながらでは、居場所を知らせているようなモノだろう?」
苛立つ《獣使い》の言葉に、ついそう返してしまう。
「音ぉ?」
しかし《獣使い》は何故か、怪訝そうな顔でこちらを見上げただけだった。
……そう言えば、榮も似たような事を言っていたな。
馬車を離れる際のやり取りを思い出す。榮もリュートも黒狼に合図する音が聞こえない、そう言っていた。リュートは非常時に冗談をいうような性格ではないし、榮も……人をからかうような所はあるが、こんな状況で嘘をいう理由も無い。
なら、二人にはあの音が聞こえなかったという事なのか? あれほどにも、はっきりと――それこそ視界の効かない森の中で、相手の居場所を識別出来るほどに響いていたというのに。
音が響いていた理由は、《獣使い》の姿を見てすぐ判明した。いや、姿と言うよりはその手に持つも物を、と言った方が正しいか。
《獣使い》が手にしているのは簡素な笛――所謂遠笛と呼ばれる笛で、主な使用目的は遠くにいる相手との意思疎通、お互いの位置確認などだ。そのため遠くまで音が通るが、故郷で使われていた物には横笛のように音階を調整するための穴など開けられていない。
だが《獣使い》の手にある笛にはいくつかの穴が開いている。これによって音色を変え、黒狼達に指示を出していたのだろうと推測できる。
おそらく、あの笛が村長達が言っていた|《魔道具》(アーティファクト)なのだろう。怪訝そうな眼差しを向けた《獣使い》はそれも僅かの間、森のあちこちに散った黒狼を呼び寄せようと首から下げた|《魔道具》(アーティファクト)に手を伸ばす。
――させるかっ!
牽制に拾っておいた小石を投擲。弓などの遠距離武器を持っていないため、まさかこの距離で仕掛けてくるとは思っていなかったのだろう、怯んだ間にラーに乗ったまま距離を詰める。そもそも《獣使い》を追跡する事を優先していたため、森の中で出くわした黒狼達は全て無視した。今ここにあの数を呼び集められてしまっては、手こずることは必須。長引かせれば長引かせるだけ不利になる。
なら――短期決戦を狙うは必然。
黒狼の群と接触する寸前、ラーは地を蹴る足に力を込める。加速のためではなく、跳ぶために込められた力は見事な跳躍となり呆然と見上げる黒狼達の頭上を飛び越え、《獣使い》の目の前に着地、勢いもそのままに突撃する。
「ぐっ?!」
体の大きい軍用馬と比べると、ラーは一回りも二回りも小さな農耕馬ではあるが、その体重は人と比べるまでもない。速度も乗っていたため、《獣使い》を呆気なく弾き飛ばす。
「このまま蹴散らす」
ラーの背から飛び降り、主を失ったことで明らかに動揺している黒狼に剣を振るう。背中を切りつけられ思わず悲鳴を上げるモノ、仲間の悲鳴に怒りを露わにするモノ、逆に怖じ気づくモノ――反応は様々ながら、どうやら《獣使い》を失って尚こちらを的と認識しているようだ。
まあ、これは斬りつけたせいかもしれないが――相手の出方を伺っていたのでは背中から襲われていた可能性もある。非情と言われるかも知れないが、先手必勝は常識――少人数での行動を俺達の場合は、特に。
六頭いた黒狼は、統率者が倒れた事とラーの奮闘もあって瞬く間に殲滅、あるいは逃走しその場から姿を消した。
森の方を確認するも、増援が来る気配はない。《獣使い》が倒れた事で指示系統が乱れたのか、支配が解けたのか。どちらかは解らないが、囲まれる事態は回避できたようだ。ほっと安堵する。
だが、安堵も束の間――重鈍な音が森の静寂を破る。
「何だ……?」
異常な音に、否応なしに警戒心は引き上げられる。ざっと周囲を一瞥すれば、黒狼達の死骸に混じってあったはずの《獣使い》の姿が、いつの間にか無くなっていた。
死骸に混じって遠笛の欠片が落ちている事から、《獣使い》はすでに獣を操る術を失っていると見て良いだろう。そもそもこんな重低音を上げながら移動する獣など、存在するのか。居たとしてもそんなモノが、はたして人の手に負えるモノなのか――
不穏な気配に身構える前で、それはいよいよ姿を現す。
まず目に入ったのは、まるで岩肌のようにごつごつとした太く短い足。続いてその上に乗った、これもまた足と同じく岩のような体、腕――見るからに頑丈そうな手足に比べて頭部は小さく、まるで飾りのように乗っているといった風体だ。全体的にずんぐりとした体型はどことなく噂に聞くドワーフを彷彿させるが、体を造る岩と同じく、無機質な目は愛嬌があるとは言い難い。むしろ硬質な光を宿すそれは見る者に嫌悪感を抱かせる。
そして岩人形の背後には《獣使い》の姿があった。
「行けぇっ! あの野郎を薙ぎ倒せッ!!」
《獣使い》の言葉に呼応するよう、岩人形が太く短い腕を振り上げる。
「っ!」
幸いにも岩人形の動きはさほど速いモノではなかった。攻撃の動作も解りやすい。だが――如何せん岩のような外見が示すとおり、そこに秘められた破壊力は計り知れない。攻撃範囲から逃れた俺の目に映ったのは、陥没した地面と衝撃で原型を無くした黒狼の無残な亡骸だった。
「は、ははは――! なんて威力だよオイ! 採掘用とか言ってたが、実戦にも十分使えるじゃねぇかこれ!」
凄惨な光景の中、場違いな笑い声。《獣使い》があげる高笑に後押しされるよう、岩人形は再びその腕を振り上げ凶悪な破壊力を秘めた一撃を繰り出す。
速度自体はさほどではないため、避ける事はそこまで難しくない。だが、圧倒的な質量さから、止める事は出来無い。
岩のように硬いモノを相手にする事は、何も今回が初めてではない。人を襲う獣の中には硬い鱗や甲羅などを持ち、大抵の攻撃を無効化してしまうものも存在する。また盗賊などは規模によっては十分な防具を装備している場合もあり、剣によるダメージを与えるのが難しい場合もある。
そのような状況に置ける定石は、例えば関節であったり繋ぎ目であったり、強固な鎧に守られていない部分を攻撃する事だ。
だがそれは中に生身の存在がいるという前提の話し。今回のように相手の全てが岩その物であるなど、いったいどう対処しろと言うのか。
少なくとも、剣による攻撃は効果が薄い事は先程、一度攻撃を加えてみた時に返ってきた手応えからも明らかだろう。岩人形を相手に、ただの剣ではいくら打ち付けてもこちらの手が痺れるばかりだ。いや、それ以前に武器の方が先に限界に達するかも知れないが。
このような手合いには切る攻撃よりも打撃など衝撃による攻撃の方がまだ有効だろう。だが生憎、そのような武器を持ち合わせてもいなければここは崖の下。これが上であれば、上手く誘導をして崖下に叩き落とす、と言った方法も取れたかも知れないが、それも出来ない。
かといって、このまま引き返す訳にもいかない。リュート達の状況は解らないが、一度横転してしまった馬車は、そう簡単に起こせない。特にあの常態では身動きの取れるような状況ではあるまい。速度的にすぐ追いつかれるような事がないとはいえ、動かない馬車など岩人形に的を与えるようなものだ。
「オイオイ逃げてばっかりかよっ! 大口叩いてた割にはたいしたことないなぁ!」
嘲笑う《獣使い》。常に岩人形に守られた常態で、詰まるところ虎の威を借る狐の如くなのだが、本人的にはそれも己の力という事だろうか。
岩人形から知性らしいものを感じる事が出来ないため、司令塔である《獣使い》を潰せれば連鎖的に岩人形の動きも止められる、とは思うのだが本人からの反撃もあってなかなかに近付く事が出来ない。
何か打開策はないか、何度目かの拳を避けた目に、ある物が映る。
それは人間で言うなら後頭部に当たる場所に存在していた。不自然な膨らみ、否日光を反射しているそれは、岩人形の他の部分とは明らかに異なる雰囲気を持っていた。
強いて似ているものを上げるのなら、場所的にも女性が髪を飾る髪飾りか――だがこの時俺の脳裏に浮かんだのはそういった装飾品ではなく、先程まで《獣使い》が首から提げていた遠笛。
確証があるわけでもない。単なる直感に過ぎない。
だがこの状況で、打てる策が他にあるわけでもない。再度繰り出された拳を最小限の動作で躱し、無防備となった岩人形に向かい駆け出す。《獣使い》も、自分を狙ってくる可能性は考慮して警戒していたが、まさか岩人形の方を狙い危険な至近距離に入り込むとは考えていなかったのか、反応が遅れる。
その間に、岩人形の後頭部へ――後頭部で光る結晶に向け、剣を叩きつける。
響いたのは――呆気ないほど乾いた破砕音。
「な――っ?!」
結晶が砕けた瞬間、岩人形の動きが停止する。それだけに留まらず、自重を支えることすらできず崩れるように倒れ伏す。その様はまるで糸の切れた操り人形のようだ、と胸中で呟く。
はたしてそれも、僅かの間。岩人形を形作っていた岩は見る間に結合を失い、大小様々な石ころに変わり果てる。すでにそこには石の小山が形成されており、事情を知らない者が見れば場所が場所であるだけに崖崩れがあったのかとしか思えないだろう。
「な、何で……こんな……」
呆然と岩人形であった石の山を見上げる《獣使い》。彼が気配に振り返った時その目に映ったのは、はたして自らを襲う剣か、それとも別のものか――
後頭部を柄の部分で殴りつけられ、《獣使い》はあっさりと意識を失う。先程のように逃げられる事がないよう、ラーの背にくくりつけておいたロープで手足を縛り、意識のない体を押し上げた。
本来、盗賊などの犯罪者は生け捕る義務はない。当然だ、相手は賊――よほど重要な情報などを持っている可能性がない限り、人を襲う獣同様、殺してしまっても誰も咎めはしない。生け捕る事の方が難しいのは少しでも武術をかじった者であれば、誰でも知っている。
それでもあえてそうしなかったのは――あの日、あの時の光景が今なお脳裏に焼き付いているせいだろうか。そのため、己の手で同じような光景を生み出す事に抵抗があるのか……
いまだ消えない忌避感。旅などという環境にあって、すでにこの手は多くの血に濡れている。現に、黒狼達は容赦なく殺したではないか。だというのに今更何をと失笑すら浮かぶ。
結局俺は、あの時から何一つ変われていない。その事に内心自嘲を禁じ得ない。
そのままラーの背に飛び乗り、急ぎ馬車の元へと引き返した。
これは後で聞いた話しだが、《獣使い》が用意していた岩人形は、所謂ゴーレムと呼ばれる魔法生物であり、その用途は戦闘用から力仕事の代行まで、多岐にわたる。
その中でも《獣使い》が用意していたのは、採掘や運搬などの力仕事を行う作業用のモノだったのだろう――と。
どうやら俺が破壊した結晶体はゴーレムの存在を維持し、命令を受け付けるための中核であったらしい。戦闘用ゴーレムというモノは本来、敵の手によって破壊されないようゴーレムの心臓部は守りの強固な体内にあり、むき出しなどという無防備は有り得ない、との事だ。
しかし戦闘用ゴーレムはその兵器としての有用性から、あまり数が作られておらずそもそも作成者が他人の手に渡したがらないために入手は困難。そのため、目を付けたのが作業用ゴーレム――と言うよりも、元々魔鉱石を採掘するためにそういった手段を用意していたのだろう。という見立てだった。
作業用ゴーレムは作成者の手を離れ取引される事を想定し作られたものなので、万が一誤作動を起こした場合や悪用防止のため、緊急停止措置として弱点部分がむき出しになっているのだという事からの判断だ。
ともかく、《獣使い》による伏兵部隊は壊滅させる事が出来た。
焦る気持ちを抑え、馬車が襲撃された場所に戻った俺の目に飛び込んできたのは――
襲撃を受けた地点へ急ぎ引き返した俺とラーを出迎えたモノは、主に三つ。
一つ、清浄な空気に取って代わった噎せ返るような腐臭。
二つ、紅葉した木々よりもなお赤く染まった木と地面。
そして、三つ目――
それは一頭の歪な狼だった。
いや――はたしてそれは狼と呼んでいいのか。黒狼と比べると一回りも二回りも大きい大人の背丈ほどはあるであろう体高、四つ足の獣にしては違和感を覚える歪な背、不自然に太い四肢、それらを覆う血のように赤い毛皮。頭部は狼のそれと近いようにも思えるが、石榴のように裂けた赤い口内にぞろりと覗く牙は、どれも異様に鋭く数も多い。
そして獣の口は今も上下し、そこにある何かを貪っていた。
周囲に広がる血溜まりの中にはいくつもの肉片が浮かび、この場所でどのような事があったかを物語る。人の死骸、黒狼の死骸、いまだ息のあるもの、すでに無いもの、それら全てを蹂躙する、歪な獣。
地獄のような光景、とはまさに目の前の光景を指すのではないだろうか。
地面を塗らす赤が、常緑のはずの木々を紅葉よりもなお赤く染め上げる雫が、ぶちまけられた臓物とそこにあった消化されかけの内容物が放つ耐え難い臭気が、記憶の奥底に埋めたはずの光景を呼び起こす。
――紅く染まった空を、
――人気の失せた屋敷を、
その中で目にした朱と、物言わぬ亡骸と惨劇の痕跡を――
吐き気と共に込み上げてくる、過去の記憶。かつて目にした緋色の光景が、目の前の惨状とな重なる。
紅く染まった景色が――
そこに浮かぶ、かつて人だったものの――
押し寄せる腐臭には濃密な死の匂いが凝縮され、ただ一つかつてと異なる点があるとすれば、それはあの日あの時あの光景においてついぞ遭遇する事の無かったモノ――この惨状を生み出したであろう存在が、目の前に存在していると言う事実――!
「ぎ、がぁぁぁぁぁああああぁぁっ?!」
耳障りな悲鳴が森の中に木霊する。獣の牙に捕らえられた者が上げる悲鳴――その声が、かつての記憶に奪われていた意識を現在へと引き戻す。
断末魔の声はしかし、その者がまだ――それまでは――生きている事を示す。この地獄のような光景において、それは僅かな希望。よく見れば血溜まりに転がる者の中は息のある者もいる、という事にこの時ようやく気付いた。
生きている、者がいる。
ただそれだけ――例えそれが瀕死であったとしても、もはや風前の灯火であったとしても、まだ、今は、生きている。その事実が、凄惨な光景に硬直していた体を突き動かす。
抜き身の剣を片手に、緋の領域に足を踏み入れる。一歩足を踏み出す度に、血と肉と油によってぬかるんだ地面がいっそう生々しい音を立てた。
その音に気付いたのだろう、獣の耳がぴくりとはねる。咥えていた男を投げ捨てるよう解放し、血に濡れた頭部をこちらへ向ける。緋色の毛皮の中で輝く、濁った色調の瞳。新たな獲物を見つけた事を喜ぶでもなく、強襲しようとするこちらになんの感情を示すでもなく、まるで落ち着いた様子に違和感を拭えない。そんな瞳が俺の姿を捕らえる。
来るか、身構えた瞬間、しかし緋色の獣は予想外の行動に出た。
くるりと身を翻し、跳躍――その先にあるのは、血溜まりの中横転したままの荷馬車。
「な――っ、そこから、離れろっ!」
こちらの声に反応したのか、それとも単に足がかりにしただけなのか、ともあれ緋色の獣は横転した荷馬車を足蹴に、森の中へとその姿を消した。
「リュートっ!」
緋色の獣の再来を警戒しながら、荷馬車に駆け寄り声をかける。周囲の惨状にも関わらず、荷馬車はこの場を離れる前とほとんど変わらない様子のようだ。それが希望的観測に過ぎないと知っていても、どうか惨劇を逃れていてくれという願いを抱かずにはいられない。
はたしてその願いが通じたのか、荷馬車の中に見慣れた赤い髪を見つける事が出来た。
金色の瞳がこちらを見上げる。不安げな顔をしているものの、多少ぶつけたのか打ち身を負ってはいるようだが、それ以外に特にこれといった怪我を負った様子もない。
乗っていた荷馬車は横転し、さらに外はこの惨状である事を考えれば、五体満足である事を確認出来た事、ただそれだけで途方もない安堵を覚える。
「無事、だったのか……」
ほっとこぼれた言葉に、リュートはこくこくと頷いて答えた。
それとは別に、荷馬車の中でひっと息を呑む気配。
「村長達も、どうやら無事のようだな」
だが俺の言葉に、リュートと同じように馬車の中で縮こまっていたいた村長、及び鉱山の責任者と取り押さえられた内通者はただでさえ悪かった顔色が見る見る青ざめ、顔を引きつらせる。
「く、く――来るな化け物っ!」
取り乱した様子で叫ぶ言葉には、明確な恐怖が見て取れる。その顔色は一様に悪く、おおよそ錯乱状態とも取れる状況ではマトモな返答は期待できそうにない。
もっとも、この惨状では無理もない事か――凄惨たる周囲の光景を思い出し、こんな中で荷馬車の立て直しなどをしなければならないのか、と思うと少々鬱々とした気分になってしまう。
しかしそこではたと疑問が浮かぶ。
荷馬車に乗っていたものは、今は姿を見せていない栄を除いて全員生存が確認出来た――つまり、緋色の獣が喰らっていたのはここにいる以外の人物になる、という至極単純な事実。
端的に言ってしまえば、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)に属する者達。
だが、何故? 緋色の獣は黒狼と同じように《獣使い》の所業によって呼び出されたか、あるいは傲慢な人の行いに怒った山の主が騒ぎに引き寄せられでもしたかと思ったのだが――
改めて、周囲の惨状に目を向ける。風が吹いても一向に薄れる気配のない死臭と赤一色に染め上げられた凄惨な光景。そして幸か不幸か辛うじて息のあった者が血溜まりの中でか細い呻き声を上げている。
男達には一応、見覚えがある。荷馬車を――キラザ村を苦しめていた無法者集団|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の構成員達だ。荷馬車を襲った直後の嘲るような、嗜虐心たっぷりの様子は何処へやら。今はどの男達も苦悶の顔を、あるいは死相を浮かべ地べたに転がっている。
そう、壊滅といっても差し支えのない常態。とてもではないが一味であるはずの《獣使い》がやらせたとは思えない。
つまりあの緋色の獣は|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)とは無関係の所から来るものであり――だとすれば、何故キラザ村の一行やリュートが無事であったのか。
怒れる主にとって、人間など区別する必要も無いだろうに。それとも、単に横転している馬車が遮蔽物となり、身を守ったのか。
「……どういう事だ?」
疑問に対する答を見つけられないまま、周囲を警戒する耳に不意に、がさりと木の葉がこすれる音が届く。周囲に漂う血の匂いが、いっそう濃くなったような気がした。
「っ!」
「オイオイ、いきなりそんな物騒なモン向けるなっての」
「……栄?」
振り返った先にいたのは、おどけた調子で肩をすくめる栄その人。
「おうよ。つーかお前、なに鳩が豆鉄砲喰らったような顔してんだ?」
平然と、いつもと変わらないまるで人をくったような笑みで応えた。所々、赤く固まった血がこびりついているようだが平然としている様子を見るに、それらは返り血なのだろう。
「生きて……いたのか」
姿が見えなかったため、てっきり|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の構成員と同じようにあの緋色の獣に襲われ食われてしまったかと思っていたのだが、どうやら無事だったらしい。流石|《五つ星》(ペンテ)の名は伊達ではないという事か――そんな事を考えていると、こちらの表情からそれを読みとったのだろう、榮はむっと顔をしかめる。
「ったく、人を勝手に殺してくれるなっての」
「あ、ああ……すまない」
「ン、素直でよろしい」
相変わらずの横柄な態度。間違いなく、ここ数日行動を共にしている冒険者|《狂獣》(モルデラウァ)だ。
「……何か今、すっごく失礼なこと考えてね?」
「気のせいだ。それよりも栄、今まで何処に……いや、よく無事だったな」
「あ? どういうこった、それ」
首を傾げる榮に、ともあれ今し方――《獣使い》を追撃した後の事をかいつまんで話す。すると榮は一瞬眉をひそめ、それから何か得心がいった、とばかりに一つ頷き、
「ああ、あれオレ」
と、一言。
「……は?」
「いや、そんな顔されてもなー。だからおめーの言う緋色の獣とやらが、まんまオレだつってんだよ」
見てわかんなかったか? とさも当然のように返されても、いったいどう反応すればいいのやら。理解しろという方が無理があるだろう。
それほどまでに、目の前でへらりと何処の街にでもいる不良よろしく笑う榮と、禍々しい緋色の毛皮を持つ獣の姿は重ならない。いっそ対極であると言った方がしっくり来るほどに。
いや、そもそも人が獣に姿を変えるなどと――西大陸の一部に住むらしい亜人種でもあるまいに……。獣人族の特徴とも言える獣の耳も尾も、それどころか毛皮すらも無い。そんな栄とあの獣を、いったい何処でどう結びつけろと言うのか。
返す言葉が見付からない俺を尻目に、榮はひらりと横転した荷馬車の上に飛び乗ると、そこから内部を覗き込む。
「おーい、オッサンら無事かー?」
「ひ――」
気さく、とも取れる口調で語りかけられたにも関わらず、村長及びキラザ村の一行が返したのは恐怖の眼差し。
「ば、《蛮族》……っ。あ、あんた|《蛮族》(バケモノ)だったのか――っ!」
「あー、ま、そうとも呼ばれるなァ」
榮の返答に、それまでとは明らかに異なる、恐怖――嫌悪と忌避が生まれる。
《蛮族》――それはこのヴォラオドス国の存在する東大陸や西大陸ではなく、両大陸から遠く離れた島、内海に浮かぶ|《獣島》(けものののしま)に住まう一族を示す言葉。
かの地の者達は自らの肉体に獣の力を宿し、我がものとする――大陸に住まい常日頃から獣の身体的特徴路を持つ獣人族とは異なり、彼等は普段大陸人とさして変わらぬ姿をしているという。
人と同じ姿をしながら、しかしその一方で人が持ち得ない強力無比な力を有する一族。そのため、かつての戦乱――約百年ほど前に勃発した、世界全土を巻き込み、混乱の坩堝に叩き込んだと伝えられる戦乱――の時代において、人と《蛮族》、そして《魔族》は何度もぶつかり合い、激戦の末にお互いの領土を定めた。
当時も今も、数において勝っていたのは明らかに大陸人だ。が、それでも対《蛮族》、そして対《魔族》戦は苦しいものになった、と今に伝えられている。
彼等が持つ、強大な力が故に――
過去に大規模な戦を行った経緯から、大陸において《蛮族》や《魔族》を目にする事は希である。特に田舎の方では亜人種を目にする機会すらない。何しろ人が訪れる事すら希なのだから。かく言う俺とリュートも、あの事件がなければこうして各地を回る事も、各方面の情報を集める事もなかっただろう。とはいえ、実際に彼等を見たことはほんの数回、片手で数えるほどもないが。
キラザ村の者達の見せた反応はある種、当然のものでもある。――《蛮族》に対する差別意識もあるが、それ以上に榮は彼等の目の前で、この光景を作り出したのだから。
明らかに怯えるキラザ村の面々に、慣れているのだろうか? 榮は特別機にした風もなく、しかしわざとらしく肩をすくめるとくるりと背を向け、
「わりぃ、あとの交渉事その他頼むわ」
「あ、おい……」
あとの事を丸投げする榮に、しかし無理に止める事も出来無い、依頼主を怯えさせるようでは、マトモな交渉など出来るはずもない。下手をすればギルドからの注意勧告では済まないだろう。
「……やり過ぎだろう、これは」
「んだよ、先に手を出してきたのは向こうさんだぜ。しかも|《魔道具》(アーティファクト)を二つも準備して、な。そんな奴ら相手に、手を抜いてとかできねーよ」
どうやら《獣使い》が持っていた物以外にも|《魔道具》(アーティファクト)を所持していたらしい。植物を操っていたものがそうなのだろうか、と視線で問うも返答はない。
ともかくいつまでもこんな所に留まっているわけにはいかない。いつ何時、血の匂いを嗅ぎ付けた獣が来るとも限らないのだから。――借りに戦力的には問題ないとしても、こんな場所に長居したいなどと、誰が思うものか。
噎せ返るような血の匂いから、一刻も早く逃れたい――それは、おそらくこの場にいる誰もが持っている共通認識だった。




