「食事が不味くなる」と婚約破棄された令嬢は、王宮毒見役として公爵様の専属になりました
わたしの舌は、生まれつき少しおかしい。
五歳のとき、母のスープを一口飲んで「今日の塩、いつもと違う」と言った。塩商人が仕入れ先を変えた日だった。十二歳のとき、晩餐会のワインを「南のローサ谷、雨の多い年」と言い当てて、給仕長に化け物を見る目で見られた。
十九歳のとき、婚約者に連れられて行った王都の高級料理店で、看板の白身魚を一口食べて、言ってしまった。
「……この魚、昨日の子ですね」
悪気はなかった。本当に、なかったのだ。むしろ昨日の魚をここまで臭みなく仕上げた料理人の腕に感心して言ったのだ。けれど店は静まり返り、婚約者の顔は白磁のようになり、三日後、婚約破棄の書状が届いた。
『お前と食事をすると、何もかもが不味くなる』
その一文は、いまも胸のいちばん深いところに、小骨みたいに刺さっている。
◇
わたしを拾ってくれたのは、王宮の尚膳局だった。
「アメリ・コルネ嬢。例の、ローサ谷を当てた舌というのは本当か」
面接に出てきた局長は、わたしの悪評を全部知った上で、こう言った。
「毒見役をやる気はないか。誰もやりたがらん。地味で、危険で、そのくせ料理の異変に世界一敏感でなければ務まらん。……つまり、君のための仕事だ」
配属初日、わたしは知った。毒見役という仕事は、料理の粗を口に出すことが職務なのだ。
「本日の香草、いつもの畑と違います。乾きが強い。仕入れ記録の確認を」
「よく気づいた!」
「このソース、酸味の立ち方が変です。酢ではなく、果実の傷みかと」
「厨房に戻す。助かった!」
感謝される。あの舌が。二十年、食卓を白けさせてきたこの舌が。
わたしは配属一月で、生まれて初めて、食事の席で謝らずに一日を終えた。
◇
専属の辞令が下りたのは、勤めて一年目の春だった。
「ヴァレン公爵閣下の専属毒見役を命ずる。閣下はこの二年で三度、毒を盛られている。いずれも未遂だが、三度目は毒見役が倒れた。……引き受けてくれるか」
断る理由は、なかった。倒れた毒見役の先輩は回復したが職を退いた。誰かがやらねばならず、局でいちばん舌が利くのは、わたしだった。
エリアス・ヴァレン公爵閣下、二十八歳。宰相補佐として貴族の不正を三つ潰し、その三つ全部から恨まれているという人。初めて食事の席に侍った日、わたしは驚いた。
この方、食事に何の関心もない。
出されたものを、順番に、一定の速度で口に運ぶ。味わう間がない。書類を読みながら、燃料を炉にくべるように食べる。好物が分からない。嫌いなものも分からない。皿が空く。以上。
「……閣下は、お食事がお好きではないのですか」
三月目、つい聞いてしまった。閣下は書類から目を上げず、答えた。
「毒を三度盛られると、食事は作業になる。何を口に入れても、まず疑う。疑いながら味わえるほど、器用ではない」
ああ、と思った。
この方の食卓は、二年前から戦場のままなのだ。
その日から、わたしは毒見の口上を変えた。それまでは「異常ありません」とだけ告げていたのを、こう変えた。
「異常ありません。――本日の鶉は、脂がよくのっています。ソースは無花果。厨房の自信作です」
閣下は書類から、初めて顔を上げた。
「……毒見役の所見は『安全か否か』だけでいい」
「安全の中身をお伝えするのも所見のうちです。安心して味わっていただくまでが、わたしの職務ですので」
閣下は何か言いかけ、やめて、鶉を口に運んだ。そして、ほんの一拍、咀嚼が遅くなった。
味わった、のだと思う。二年ぶりに。
◇
それからのわたしは、少し、職務を逸脱した。
閣下の目の下に隈がある朝は、厨房に「胃にやさしいものを」と耳打ちした。議会で怒鳴り合いがあった日の夜は、香草茶の配合を変えさせた。冬の初め、閣下が乾いた咳をした日から、蜂蜜が食卓に上るようになったのは、わたしの差し金である。
「近ごろ、食事が妙に体に合う」と閣下が首をかしげていたが、黙っていた。毒見役は、皿の内側のことしか話さない決まりなので。
そして、わたしはもう一つ、誰にも言わずに続けていることがあった。
毎朝、閣下と同じ献立を、一口ずつ、味の記録として舌に刻むこと。同じ水、同じパン、同じスープ。毎日同じものを食べ続けると、舌に「基準」ができる。基準があれば、〇・一の狂いが分かる。
その〇・一が来たのは、雪の残る二月だった。
◇
「異常……ありません」
朝のスープを口に含んだ瞬間、わたしは言い淀んだ。異常は、ない。毒の味は、しない。ただ――苦味の底が、昨日より、髪の毛一本ぶんだけ、深い。
誤差かもしれない。体調かもしれない。けれど翌朝、また髪の毛一本、深くなった。三日目も。
四日目の朝、わたしはスープの皿を置いて、申し上げた。
「閣下。本日より当面、スープを止めていただきます」
「毒か」
「分かりません。毒の味はしません。ですが、四日かけて苦味が四段、深くなっています。単発では検出できない量を、少しずつ増やしている――蓄積毒の盛り方です。わたしの舌が正しければ」
閣下は書類を置いた。まっすぐ、わたしを見た。
「君の舌が正しくなかったことが、この一年で一度でもあったか」
「……ございません」
「では正しい。衛兵局に回す。スープの経路にいる人間を全員」
調べは、三日で着いた。厨房に半年前から入った下働きが、北の伯爵家の手の者だった。使われたのは、単回では検出も発症もせず、三月かけて心臓を蝕む鉱毒。医師の見立てでは、あと二月続いていたら、突然の病死として処理されるところだったという。
報告を聞いた夜、閣下は長いこと黙り、それから静かに聞いた。
「毒見役は皆、単回の検出訓練しか受けていないと局長に聞いた。四日間の苦味の推移など、どうやって分かった」
「……毎朝、閣下と同じものを食べておりましたので。同じものを食べ続けた舌にだけ、昨日との差が分かります」
「一年間か」
「一年間です」
「毎朝、毒かもしれない皿を、職務の範囲を超えて」
「範囲は超えておりません」わたしは慌てて言った。「毒見役ですので、毒見を」
「一日二度でいい毒見を、君は自主的に三度していた。私の皿の、私が知らない護衛を、一年」
閣下は立ち上がった。そして、この上なく真剣な顔で、この上なくおかしなことを仰った。
「アメリ・コルネ。君を毒見役から解任する」
心臓が、落ちた。やりすぎたのだ。職分を超えて、差し出がましく――
「命拾いをした人間として、君の舌を危険に晒し続ける配置に、もう耐えられない。だから配置を変える。――今後は毒見ではなく、私の隣で、同じ皿を分けてもらいたい」
「……は?」
「妻の席だ。そこなら毒見は要らない。私がまず食べて、君に取り分ける。二年間戦場だった食卓を、君は一年かけて食卓に戻してくれた。この先の生涯、その食卓の景色に君がいないことが、私にはもう、想像できない」
わたしは何か言おうとして、口を開けて、閉じた。二十年もの間、食卓でよけいなことばかり言い続けてきたこの口が、肝心のときに、何も出てこない。
代わりに、目から出た。ぽろぽろと、みっともないくらい。
「……閣下は」ようやく声になったのは、それだった。「わたしと食事をして、不味く、なりませんか。わたしの舌は、その、よけいなことばかり」
「不味くなる?」
閣下は、心底ふしぎそうな顔をした。
「君が所見を述べるようになってから、私は初めて、鶉の味を知ったのだが」
小骨が、抜けた音がした。二十年、刺さっていたやつが。
◇
後日談をひとつ。
公爵夫人となったわたしの初仕事は、東方使節との晩餐会だった。献杯のワインを一口含んで、わたしはにこやかに申し上げた。
「ローサ谷の、良い年ですわ。雨に恵まれた──確か、大使閣下が公使として初めて我が国にいらした年の」
大使は目を見開き、それから相好を崩し、その夜の交渉は近年になく円滑に進んだ、と後に夫は語る。
人の食卓を白けさせてきた舌は、いまは人の食卓を温めている。
舌は変わっていない。変わったのは、席だけだ。
その席を用意してくれた人は、今夜もわたしの皿に、先に手をつけてから取り分けてくれる。
世界でいちばん美味しい毒見である。
(了)
お読みいただきありがとうございました。
「短所と長所は同じもので、違うのは置き場所だけ」という話を書きたくて生まれた一篇です。アメリの舌は婚約者の食卓では欠点で、毒見の席では武器で、公爵の隣では祝福でした。あなたの「よけいな特技」にも、正しい席がありますように。
ヴァレン夫妻の食卓のその後(夫が少しずつ好き嫌いを言うようになる話)も、ご要望があれば書くかもしれません。
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