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十二話 再訪

畿内(きない)の朝廷と、東国(あずまのくに)における幕府。この二つの政権が並立(へいりつ)をする時代より、ここ駿河国(するがのくに)要衝(ようしょう)とされていたそうです。

 また、天下人として今も語り継がれる名高き家康公はこの地を大御所(おおごしょ)とし、死後はこの地にある久能山(くのうざん)に埋葬されたとされる一説がございます。かつては多少なりとも栄えていた時代があったことは確かな場所なのです、この地は。」

 未だ目覚めない少女を背負いながら、少女が来たであろう方角へと()を進める。何を()うてすらいないというのに、唐突に己の知る知識をひけらしてみせるように口を開いた、相良という男に弥代は徐々に嫌気を差し始めていた。

 先程のやりとりを踏まえ、自分が発した失礼な物言いに多少なりとも申し訳なささを感じはしたが、直前に振った自分の提案に、相手が頷くことはないことを弥代は理解した。そして嫌々ながらも彼の案を呑むことにしたがこれはあくまで一時の話に過ぎない。

 彼が提示したその条件において、少女の置かれている実状を把握することが出来るのは弥代だけだけだ。

 救いたいのだと、今の場所から少女を連れ出したいとそれを望むのだという割に、相良は弥代にその決断を委ねた。少女と接触し何が彼女の為になるかを決めていいと、あろうことか相良はそれを弥代に託してきた。

 そんなものいくらでも嘘を並べて、何ともなかった、問題はなさそうだったと言えばそれで(しま)い。伽々里に頼まれた通り、相良を榊扇()に連れ帰ることだって出来てしまう。理由(わけ)が分からない。面倒事に首を突っ込む趣味はない。

 相良が弥代がそんなことを考えることを想像していないわけがない。だからこそ尚更に彼がそんな提案を、そんな条件を持ち掛けてきたのかが弥代には理解できない。彼に抱いていた不信感は募るばかり。

 あの場へ置いてきた春原に指摘をされたとの同様に、休める内は少女を寝かしてやりたいので黙ってほしいと頼むも、相良は少々声を絞るだけに留めるのみ。普段の声量と比べれば絞る前から十分に小さいだろうが(うるさ)いことになんら変わりない。彼が口を閉ざすことはなかった。

 学のない弥代からすれば一体何のことやら。聞き慣れない言葉の意味も当てられぬまま右から左へとすり抜けていく。この地に(まつ)わる話に違いはないのだろうが知ったこっちゃない。

 いつだったか芳賀(よしか)が、相良は祖父が知識人だった為に知らなくていいような事まで事細やかにやけに詳しいのだと零していたことがある。

 今の弥代同様に何を言っているのか初めの頃は全くと言っていいほど分からなかったが、分からないと(たず)ねれば一つ一つ丁寧に分かるまで教えてくれた。彼に及ばずとも随分と様々な事を知ることが出来たものだと、どこか胸を張って誇らしげに話していた。

 到底、弥代には関係のない話だ

 そんなもの知ったところで何の腹の足しにもなりはしない。知っていて役に立つのは直接身に関わるもの。

 かつてこの地では、などと。過ぎ去った昔の、既に亡くなっている時代の人物の話をされても興味が湧くはずがない。

 はっきり、と。

 その旨を言葉にして伝えれば、絞るのではなく彼は静かに口を閉じた。

「そうでしたか。それならそう、と。

 述べられるのであればしっかりと仰ってくださいな。それで十分なものを二度手間でしたでしょうに。」

 まるでこちらに非があるとでも言いたげな言い分に薄ら(おもて)に出る。癪に、障る。

 一旦はこちらが引き下がる、(もとい)、条件を呑む姿勢を示しはしたがそれは相手が梃子でも動こうとしない、(かたく)なな意思表明をされてお手上げだったからだ。釈然(しゃくぜん)としない。

 何よりも彼に対して抱いていた不信感がここにきて一気に膨れ上がった。(はな)からそんなものを抱いていなければあんな風には話も発展しなかったかもしれない。根っからの悪人(あくにん)というわけでもなければただのお人好し、善人とも言い切れない。何を考え、何を思いそのような行動を起こすのかがその本心が何一つ読めない、分からない(まま)だ。

(……けど、)

『それでも、私は彼女をここから連れ出したいと思うです。』

『それを見て見ぬ振りをしてやり過ごせるのですか?』

『何も違いません、同じことです。』

『見過ごすお考えがないのでしたら私が彼女を連れて行こうとも何も問題はないでしょう。』

 面と向かって言い放った、意志の強さに揺らいだのは弥代の方だった。

 声を荒げたのだって後めたい気持ちがあったから。

 初めにした少女の境遇について触れた時と同じように背を向ければそれきり。そこそこ酷い言葉を投げかけた自覚があったというのに彼はお咎めなしの上に、一切追求してくることはなかった。

 冗談半分とは違って、問い詰められたってなんらおかしくない空気だったというのに、だ。彼は普段通りの柔らかい口調で、弥代に閃いたという妙案を持ち掛け、それを呑ませた。

 先の場所に春原を置いてき少女を背負い、ここまでの道のりの沈黙はどうにも居心地が悪いものではあったが、たとえば彼が唐突に切り出したそれが、その沈黙の中で弥代に気を遣い、一時でも場の空気を払拭(ふっしょく)するためのものであったとした、なら。

「……。」

 そんなもの分かったところで何も変わらないことを知っていた弥代は、考えるのを止めた。






 鬼ノ目 六十二話






「……春原さん?」

「違う、相手は人間じゃなかった。」

「人間じゃなかった、ではありません。事情…詳しくは後々聞きますがどうすれば倒れるまで刀を振るうなど……。桜さん、彼女が何に襲われていたのか忘れましたか?まだ近くで息を潜めていたとして、気まで失っていたら貴方、自分がどうなるかぐらいそれぐらいの想像はつきますでしょう?」

「……食われる前に、退()せばいい。」

 そういうことを言いたいのではないのだと溜息混じりに呆れを(こぼ)せば相良は春原を見下ろすのを止め、起き上がらせるのではなくあくまで補助する形で、うつ伏せになって倒れる彼の体と地面の間に腕を滑り込ませた。

「誰も、どうするか等は聞いていませんよ。

 ほら、足腰に力を入れてください。……伽々里(かがり)がいないからとこんなに汚して。皺塗れになれば洗ったのが分かりますでしょうし、そんな状態で帰れば叱られるのは目に見えていますでしょうに。分かりませんでしたか?」

「……、分からなかった。」

「はい。だとしても分からなかったは理由になりませんから覚えておいてください。」

 言われた通り大人しく足腰に力を込めれば、刀を握るのとは反対の掌を地面に付け、グッと体を起こす。

 数年前はまだ背もそこまで大きくなかったため相良が勝手に倒れているのを起き上がらせることも出来たが、ここ一、二年で自分の(たけ)を少しでも越えてしまった春原を一人の力で持ち上げるのは多少の無理がある。

 しかし立ち上がりまでしてもらえば体を支えて歩くのはそこまで苦ではない。近くの太い木の根元へと背を預けるように座らせれると、いつまでも握ったままの刀を指を一本一本剥がし、空の鞘へと戻してやる。

 血は付いていない。

「酷い有様ですね。どれだけ長い間振るっていたのですか?」

「ここに…いるように言われて直ぐ。陽があの山の頂きに触れる迄。」

「夏の日暮れは長いものです。かれこれ三刻程でしょうかそれですと。ご自身の限界は、どうか把握していただきたいものですいい加減に。」

「倒れるだけに留めた。気は失っていない。

 だから何かあれば対処できた。問題ない。」

「大有りなんですねぇこれがっ!」

 昨晩の嵐によって出来た水溜まりをかなり跳ねたのだろう。袴の裾に羽織の内側だけに留まらず全身至る所についた泥を軽く拭ってやれば、相良は一旦春原をそこに置いたまま少しの距離を空けた。そして元々春原にいるようにと言付けていた辺りで、乱雑に開かれた大きめの葛籠を抱えて戻ってきた。

「動物の中には人よりも賢いものがいると教えましたでしょう。こと、食糧に関しては彼等は人以上に鼻も良ければ頭も働きます。ご覧なさいな中を。今朝いくらかあった筈の食糧が見当たりませんよ?

 ……いえ、持ってきていただいた立場である以上強く言いはしませんけども。食べるものはこの中にはありませんよ。」

「腹が減った。」

「ずっと振るい続けていたのだとしたらそうもなるでしょうね。

 まったく……、」

 と、冗談おふざけはここまでだ。

 反省の色は見えないものの申し訳ないという色は滲ませるその表情を尻目に相良は袂より折り畳んでいた風呂敷を取り出す。広げれば戻ってくる際、立ち寄った浜辺にいた漁師から買った干物(ひもの)が二枚。

「腹が膨れるほどは御座いませんが、こちらで夕餉(ゆうげ)にいたしましょうか。」


 昨晩の嵐で濡れてしまった服を乾かすのに()けた焚き火の元へと、春原に肩を貸しながら向かえば周囲に散らばる朝の内に見繕っていた木片(もくへん)を掻き集める。

 どっしりと根の張る木に凭れかかるように座らせれば後は体勢を整えるのは本人の仕事だ。二十三の大人相手にそこまで世話を焼いてやる必要はない。たとえ寝起きの着替えの手伝いなどを今になっても時折することがあっても断じてない。

 久しぶりに火を焚くのに朝は少々梃子摺りはしたが同じ日の内。二度目となれば(なに)も心配は()らない。多少湿気(しっけ)ていて()けづらさを感じるもそれは朝も感じたこと。

 そのまま枝木の上に干物を直置きするわけでもなく、なるべく頑丈な枝を二本見繕(みつくろ)い余計な細い部分を折ってから真ん中に突き立てる。そうして火の近くに、倒れないのを確認して傾ける。

「まだか?」

「今炙り始めたばかりですよ?まだまだ掛かります。もう(しば)しご辛抱を。」

「……そうか。」

 (なん)の準備もしていないのはいつものこと。食べられる頃合いを待つだけの春原は、表情は一見そのままに見えたが、視線を落とせば袴の裾から覗かせるその爪先(つまさき)が砂を()くような動きを見せる。草履の上で動く、足袋越しの動きが何とも妙で。久しぶりに目にするその仕草に相良は堪えるのに必死だ。

 意図して見たわけではなく、視線を偶々落とせば目に入っただけで。噴き出すのを我慢して体ごと捻っても二人しかいない場では(なん)の誤魔化しにもなりはしないが相手は春原だ。対する相手が何にそんなに肩を震わせているかなんて微塵も、全く関心が向くことはないのは分かっているが一応、形ばかりの態度を示す。

 せめて震える肩が収まるのを待った後、コホンと咳払いを一つ挟む。そうして改めて相良は春原に向かい合った。

「懐かしいですね。こうして春原さんと私の二人きりで野宿、というのは。いつ以来でしょうかはたして?」

「……覚えていない。」

「そんな甲斐性(かいしょう)のない返事ばかりしていては弥代さんにだって嫌われてしまいますよ。

 ……芳賀(よしか)さんを迎え入れたあの一件以来ありませんでしたので、四、五年振りですよ。忘れてしまったというのでしたら今ここで覚えて下さいね。私ばかりが覚えているというのはとても寂しいですから。」

「…………分かった。」

「……。」

 よく喋るようになった、と相良は感じる。

 これまでの春原の会話というものは、今と同じようにこちらから話しかけても恐らくは自分の中で話を勝手に完結へ向かい、相手の意図していない方へと次第に逸れていくものであった。表に出てくることのない言葉を読むのは非常に難しく、その思考を全て把握することなど当然出来るわけもなく。長年それに相良は頭を悩まされていた。

 が、それが最近はそうでもない。

 答えやすいよう、分かりやすいよう言葉を選んだところで自分の中の理屈を並べ相手を見ない、最悪そのまま殻の中に籠ってしまうようなことだってあった春原だったが、それも徐々に変わり始めた。兆しを見せたのは昨年の四月辺りだったか…。

 扇堂家の縁談騒動に成り行きで巻き込まれたあの時。(いな)、知人から薬を求める文が届いたという伽々里(かがり)に対し、自らの言葉でそれの同行を名乗り出た頃から春原()は少しずつその片鱗を見せ始めた。変化を顕著に相良が感じるようになったのがこの(ごろ)特に、という話に過ぎないだろうが。

 

 かれこれ八年程、改善は見込めないと思っていた、心のどこかで諦めかけていた望みが今になって芽生えたようで嬉しい反面、自分の見えない、気づいていないところで彼に、春原の身に何かが起きているのではないかという多少の懸念(けねん)を相良は(ぬぐ)えずにいた。

『まぁ、……おかしなもんでした。門を出て直ぐ、あんまりにも迷いなく歩み出すもんで。知ったような足取りで先を進むもんですから、こっちぁ着いていくのがやっとな事もありやして…。

 訊ねる暇もなく、七日…八日ぐらいで宛もないもんを追いつくなんてことぁ、いくら何でも変な話でしょうよ、ほんとに。』

 昨年の秋口の暮れ。扇堂雪那から直接承った依頼により弥代の捜索にあたった際。

 春原に同行した館林の話によれば、討伐屋を出て僅か七日ばかしで二人は先に里を出たいった弥代に追いついたというのだ。弥代が里を出たとされる日から数えて三日が経ってからの出立であったろうに、確かに何とも妙な話だ。

 それは丁度。下野国(しもつけのくに)に棲まうとされる土地神の遣いにあたる鴉が、弥代に接触をした時だったという。

 土地に明るいというだけでは理由にならない。不自然なまでに澱みない歩みに、館林は疑問を抱かずにはいられなかった。共に古峯の地に歩み寄り、弥代が目指すという津軽の地に関する情報を手に入れる事が出来、色々ともてなされたという。

 つい先日、伽々里に気を遣われ久しぶりに館林と外で呑む機会があり、その際に交わしたために記憶に新しい。

 出来ることならもう少しゆっくりと話を聞きたかったのだが、久しぶりの制限のない酒に早々に溺れ相良は普段通り館林相手に醜態を曝すだけとなった。

 もう少し聞いてから春原とは話をしたかった。

「相良、」

「はい?」

()けている。」

「あっ、……えぇ、本当ですね。」

 言われて、よく火が通ってそうな方を手に取り、相良はそれを春原に差し出した。

 常陸国(ひたちのくに)は水戸の生まれである春原は、十年程前に起きた火事によって生家と、親族を失っている。

 相良が春原を知ったのは、火事の(のち)

 偶々近くにいた藤原の遣いによってその身を引き取られた(あと)の、誰も味方と呼べない状況下に晒され続け、心を殺すことで自分を守ろうと必死に日々を、生きていた頃だ。

(今でも思います。)

 もしあの時もう少し手を差し伸べるのが早ければ、何か違った道を春原()は歩むことが出来たのではないか、と。

 今更どうにもならないことなど分かっている。だからこれらは償いとも呼べないただの自己満足に過ぎない。

 彼が懸命に、不器用ながらもどうにか生きようとするその姿を、見返りなど求めずに、ただ見届けたい。

 知らなかったとはいえ彼がそうなるに至った、原因を生み出してしまった結果への懺悔。

 今尚、そうして聞こえのいい言葉を選ぶ自分がいることに吐き気を覚える。でも仕方ない。その方が心が軽いのだから。


 自分の分は食べ終えたというのにどこか物()しげな目でこちらを見てくる春原に、二、三口程度しか手を付けていない分を、相良は微笑みながら差し出す。

 なんなら昨日の昼間にある程度腹を膨らませてから水ぐらいしか口にしていなかったが、そんなもの春原が腹を空かせている方が相良にとっては問題だった。これで討伐屋に帰って、この(かん)餓文字(ひもじ)い思いをしたなど彼女の耳には入っては、ほれ見たことかと呆れた視線を向けられかねないからだ。

 が元より一連の春原のおかしな変化の方が気掛かりな相良はそちらばかりに気を取られ、いくら腹が空いていても彼を前にしては食事は中々喉を通ることはない。

「食べながらで結構です。春原さんのお話の前に、先ずは私の話を聞いていただきたい。」

 頃合いを見計らい、相良は切り出した。

「数年前、ここ駿河へは依頼を受けて一度我々は訪れたことがあります。そちらも覚えられていませんか?」

「覚えていない。」

「構いません。それでしたら順に話をしていきましょう。」

 ここに至るまで、小田原宿でも得た話を踏まえて。

 弥代との対話の中で一切触れようとしなかった話を、

「どうやら彼女を救う、それだけでは話は収まらないやもしれません。」

 彼は、語り始めた。






「先ず初めに事が起きたとされるのは今から十年程前。

 この地に住まう商人と口約束をしていた、他所の店の方が、約束の日になっても店に訪れない相手を不思議に思い、ここ駿河に自ら赴いたというのが、知る限り一番古い話です。

 商人と店の(かた)の間に血の繋がりはありませんでしたが、幼き頃から父の店に奉公にやって来たいた為に顔を知った仲だという。商人の(ほう)は店側の彼が知る限り誰よりも生真面目で時間と約束に(うるさ)かった。雨だろうが嵐だろうが、はたまた雹が降ろうが約束があるならば必ず店に訪れる、そんな男だったそうだ。

 そんな男が何の連絡もなしに約束の日になっても姿を見せないなんて、何かあったに違いない、と。

「店の男は慌てて身支度をし、三日休む()もなく、商人が住まうこの地を目指し歩き続けたそうです。ところが……、」

『えれぇ?どうした兄弟?今回はおめぇの(ところ)で五日後って約束じゃなかったか?

 何でおめぇがここにいんだ?』

「本来約束をしていた日から五日後。駿河に辿り着いた店の方は耳を疑ったそうです。」

 始めの内は男の言葉がどうにも信用ならず。約束を守れない何らかの理由があってそんな適当な嘘をついたのかと思いはしたが、だとしても遥々会いにきた相手にそんな返しはないではないかと憤りを感じたという。

 しかし男の周りにいた他の者達に尋ねるも、返ってきた返事は、まるで口車を揃えたかのように皆一様に、五日前の日付を口にしていた。

 聞き間違えか、と。三日三晩飲まず食わずで小田原から駿河まで来たものだから疲れているのだと、商人は当時それ以上気にかけるのを止めたようです。

「次の話に移ります。」



 次に事が起きたとされるのは七年(しちねん)程前。

 年若い青年が隣の集落に誰もが寝静まっている夜半、裸足で助けを求めてやってきた、という話です。

 何でも駿河のこの地に化け物が出た、という。

 鋭く湾曲した大な(わし)のような(くちばし)に、宙に浮いた長く細い胴はまるで蛇のような。とても、奇怪な姿をしていたそうだ。

 夜半にいきなり戸を叩かれ起こされた集落の彼等からすればそんなものたまったものじゃない。

 陽が登ったら一緒に見に行ってやるからとあしらった翌朝。どうせ変な夢でも見て混乱したのだろうと冗談混じりに、もしそんな化け物が出たと言うのなら一目(ひとめ)見てやろうじゃないか、と。青年と面識のあった集落の若い連中が付き添う形で駿河へと足を運んだそうだが、そこには何も化け物に襲われたような痕跡はなく。

 寧ろ朝起きたら何処にもいやしない青年を、優しい彼等は探していたという。

 はたして彼は、何を見たというのでしょう。



「そして数年前。我々の元に辿りついた依頼に話は繋がります。」

 (ふみ)の差出人は七年(しちねん)前、隣の集落へと助けを求めた彼からでした。

 自らそれらの内容を、過去の経験を明かし。文を出したその二日前、数年前に見たのと同じ姿をした化け物を見た、と記されていました。

 たったそれだけの内容で依頼を受けることなど本来はないのだが、無視することが出来ない理由があった。

 文と共に、包みの中には金が包まれていたのだ。一端の港町の漁師が持つにしては多すぎるような額に、見なかったことにするというのか些か無理があった。

 怪我人がいるかと想定し、薬師の伽々里に同行を申し出。春原を含めた三人でこの地に討伐屋は訪れるも、

「おかしな話ですよ全く。よりにとって文を出した本人に、そんなもの出した覚えはないと突き返されてしまったのですから。」

 差出人は駿河に住まう漁師だった。

 三人が辿り着いた時、丁度男は海に出ており陽が暮れるまで時間を持て余した。その(かん)にも他の者に何度か声を掛け、そんなものを見ていないか?何か変わった事はなかったか?と二人して(たず)ねて回ったが、誰も何も知らないという。総じて彼等の目は、どこか朧げだった。

 そして相良の言った通り、海から戻ってきた差出人である彼には、文を書いた記憶すらなかったのだ。

「十年前の件に関してが、ここに至るまでに聞いた話。七年(しちねん)前と過去に届いた依頼の…、前者は当人からお聞きした話に、実際に文に記されていたものを合わせた内容になります。」

 一呼吸、聞いた内容を整理する時間を与える。

「そんなわけで一筋縄では片がつきそうにないと、私は考えます。ですのでお二人が私を追ってきてくださったことには感謝を」

「違う。」

 こちらの返しを跨ぐその一声(いっせい)は強く。

「それだけでは話は収まりそうにない、と相良はそう言った。」

「あぁ、そうでしたね。」

 決して春原は覚えが悪いほうではない。正面から向けられた言葉なら尚更によく覚えている。忘れたのなら覚えるようにと伝えれば素直に言われたことを復唱する。ただ言葉の意味をそのままにしか捉えられないというだけの話。

(ですから弥代さんとはどうにも話が成り立たないのでしょうね。)

 今は無理を言って、(くだん)の宿に置いてくることとなった“色持ち”の彼女を思い出す。

 初めて会った時からその言動の粗暴(そぼう)さは目についた。虚勢を張るのがすっかり板に付いているのだろう、遠回しな言い草とその強気な態度はこの頃は落ち着いたように見えたが、春原を相手に発揮されることはどうにもないらしい。難儀な話だ。

「……。」

 ともあれ、先ほどの話でも触れたように今は人手があることに感謝をしなくてはならない。

 現状どこまでこの地に古くから見られるという奇妙な現象と、例の少女・桜の関連性があるのか相良には分からないからだ。

 しかし、

『誰かがそういや言ってたなぁ。何の信憑性も無ぇ話だがな。妙な事が起きるようになったのは、あの宿に赤髪の餓鬼が住み着くようになってからだってよ……。』

 一概に、何の関係もないとこの段階で判断を(くだ)してしまうのはあまりにも時期尚早(じきしょうそう)。情報を得ようにも、必要以上にこの地の者と関わることは、宿の主人と既に顔を合わせている相良には難しいこと。今ある情報を元に動くには一旦周辺の、離れた集落を回るというのも考えられたがそれではいざ何かがあった時、ここまで戻ってくるのに時間が掛かってしまう。

 先刻同様に春原だけでもここに置いて自分が動くという手もあったかもしれないが、一人になった春原が対峙することとなった、人間ではない相手というのも気になる。

 何よりも誰よりも心強い薬師はいまこの場にはいない。

 数年前この地を訪れた直後、(たず)ねることは出来なかったが踏み入れてから立ち去るまでの(かん)、常に警戒心を(ほど)くことのなかった彼女に、相良は当時から気付いていたからだ。

「いえいえ、忘れてなどいませんよ。ですから、はい。そろそろ春原さんのお話をお聞きしましょうか。」

 指を組む。

 陽はとうの昔に沈んでしまっていた。






 夏を忘れそうになるほど冷え切った土の上。下に敷く茣蓙(ござ)一枚あったもんじゃない。毛羽立ったボロい麻布は、元は肥料を積めるのに使われていたのか鼻に付く匂いはたまったもんじゃない。それでもそれ以外に何もないのだから文句は言ってられないし、いつまでもここにいるわけではない。一時我慢をすればそれで済む話。

 寝返りを打つにしても肌に纏わりつく細かい砂が鬱陶しい。いっそ着ているものを脱いでそれを下敷き変わりにして寝ては駄目かと考えが過ぎるも、あくまで考えるだけに留めた。

 使い道があるかどうかも分からない用心棒として、男として一時的にこの宿の敷居を、不本意ながら跨いでいるだけに過ぎないというのに。もし仮に女とバレたとして待っているのは酷い扱いだけだろう。

 “色持ち”の身寄りのない子ども、というだけで弱い立場を。更に弱いものにしない為に(おの)ずと身についたであろう今の自分の言動を、弥代は何も気にしたことはなかった。

 今更女として扱われないことなど当たり前のこと。身を守る為には、何も仕方のないことだというのに。

 少女を野犬の群れから救ったその時。数年ぶりにその姿を見たからなのもそうだが、あの頃結果として桜を置いていかなかったら今もそのまま、自分も同じような状況から抜け出せずにいたかもしれないと考えた。

 弥代は少女と面識があった。

 恐らく、既に今日の内に向かい合うことの多かった相良は薄々その事に気付いていることだろう。分かりやすいまでに取り乱していた。どう振り返っても今日の自分は調子がおかしかった。

 連日言葉の通じない春原と二人きり過ごしていたからでは決してない。

「んぅ…、」

 慣れているのだろう。小さく寝返りを打つその少女を見遣る。

(髪、色がなくて良かった。)

 青髪なんてどうしたって目立つ。

 “色持ち”が多く受け入れられ、色を持たない者と大差ない生活を送る榊扇の里に暮らし始め一年が経つだろうか。留守にしていた間もあったがほぼほぼ一年と言って違いないだろう。

 その生活の中で、自分と同じように“青”を、東の恩恵とも呼べよう“色”を宿す者がいなかったわけではないが、やはり自分ほど目立つ“色”をする者に弥代は未だ会ったことがない。

(雪那は、違うもんな。)

 彼女のそれは“色持ち”の中でもかなり稀少な混色だ。扇堂の血筋に時折見られるという、東と南の色が混じり合った隠しようのない“色”。それは何も誤魔化しようがない、死ぬその時まで抱え続けなければならない“色”。

(そうだ、俺は…)

 逃げ出したんだ。

 ここにいたらいけないと思い、我が身可愛さに自分と同じように“色”を持つ、自分よりも幼い少女を一人、残して。

(俺は……)


『ねぇ、アンタの名前教えてよ?』

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