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ここのを  作者: 中條真行
1/1

大山鷹一郎の不思議捜査第1作

源頼朝と政子の現代転生ストーリーです。生前に彼らが遭遇した事件の解決という意味合いが込められています。本作品は九尾の狐ですが、あえて登場させたのには意味があり、シリーズを読み進めるとわかってきます。

大山鷹一郎・・・九州のとある県警川北署刑事。連続猟奇殺人事件を追う内に、様々な神秘体験をする。

汐田・・・九州のとある県県警川北署鑑識。

山内・・・川北警察署長。

白水かおる・・・大山のパートナー。私立探偵。北条政子転生 

羽間賢信・・・九州のとある県県警川北署刑事。大山の部下。剣道3段、柔道4段

空手2段の猛者。

小野道子・・・『ラ・クア・クチーナ』ママ

緑川小百合・・・緑川工業秘書 

緑川太郎・・・緑川工業社長

天原剛助・・・最初の被害者

堀田精一・・・二番目の被害者

川村和夫・・・三番目の被害者

斑鳩ルイ・・・天原剛助の元女

上大和多伊三・・・子九村警察署長

木佐貫田十郎・・・郷土史家




1 


 九州のとある県にある川北市。霧が濃い朝だった。川を有する地域においては、霧がよく発生する。そして霧が濃いほど、やがて到来する暖かな季節を感じることができるのだ。草々はしっとりと濡れ、大地にも霧の柔らかな湿り気が移っている。

 ここ川北市の中央部を流れる川北川流域は、濃霧が発生する場所として知られていた。河川敷はよく整備されており、毎年おこなわれる川北水祭では盛大な花火大会が開催され、人口数万人の町に数十万人もの観光客が訪れる。

 しかし普段は静かな町であり、変化の少ない地方都市だった。特に平成の世になってからは不景気の波に飲まれ、かつては夜通し飲み歩く酔っ払いが闊歩していた夜の町もめっきり人通りが少なくなっていた。早朝6時くらいの川北市は、虫の動く音さえ聞こえるかのような静けさだった。

 静けさの中、濃霧の中に人影が見えた。青いパーカーを着込んでおり、河川敷をジョギングしていた。軽い足音が、静かな濃霧の中に響いていた。

 初老の男のようだった。痩せていたが、ベテランランナーとみえ、軽やかな足どりだった。丘の方面から走ってきており、川北大橋で引き返すパターンだった。河川敷横の遊歩道は快適であり、彼のほかにも何名かそれぞれのペースで走ったり歩いたりしているのだが、その日は彼だけだった。

 河川敷の中でもとりわけ整備された広い地域を通った。ここは川北川公園となっており、休日ともなると家族連れで賑やかになる場所だった。川北川公園を横目で見て、男はその先にある皆根公園までさしかかった。

「ん?」

 近所の子供たちの遊び場である公園内には、アスレチックも見える。男にとってはよく知っている光景だったが、アスレチックの横に黒いものが見えた。犬のようでもあり、ごみ袋のようでもあった。

 気になった。いずれにせよ、これは撤去せねばならないのではないか。

 男は遊歩道から離れ、公園へ降りた。雑草を踏みしめて、ゆっくりと近づいていった。時折聞こえる新聞配達バイクの音以外は、何も聞こえない。男は途中に落ちていた木の枝を手に取り、黒いものに近づいていった。

 近くまで来てみると、それは犬でもなければごみ袋でもなかった。近づくにつれ、妙な匂いが漂ってきていた。

「これは・・・?」

 それは血の匂いだった。恐る恐る、木の枝で触ってみた。それほど硬くない感触が伝わってきた。明らかに人間だった。

 見ると、シューズのようなものが見えた。男はアスレチック周囲を右回りに動き、頭を見ようと覗き込んだ。

 そしてへたり込んだ。


「う、うわわわわわわ!」

 そこに見えたのは、血まみれの頭部だった。喉元を大きくえぐられ、血が溢れ出していた。血溜りからは湯気が立ち上っており、まだかすかに痙攣していてたった今絶命したことは明らかだった。見たところ50~60代くらいの男性のようだった。天然パーマの巻き毛はところどころ食いちぎられ、血の中で頭皮も見えた。

 ランニングの男はしばし呆然とし、そして携帯を出して警察に通報した。

「も、もしもし!もしもし!」

「落ち着いてください!事件ですか?事故ですか?」

「あ・・・さ・・・殺人です!は、早く来てください!」

「そこはどこですか?」

「か、皆根公園です!」

 相変わらず霧はシチューのように濃く、冷たかった。そしてまもなく、捜査が始まった。猟奇的殺人事件ということで、管轄の川北署だけではなく、県警本部からも参加してきていた。捜査員たちが現場を調査している間、野太い声が聞こえてきた。

「身元は所持の免許証から判明。名は天原剛助57歳。元アイドルユニットGATHERのメンバーでしたが、今では数名の風俗女のヒモとして生活し、全国を転々としていたようです。」

 鑑識が辺りを調査している間、羽間賢信は所持していた運転免許証から身元を割り出して報告していた。どの署員よりもひときわでかく、頭ひとつ抜きん出ている。

 格闘技マニアであり、剣道3段、柔道4段、空手2段の猛者でもあった。しかしその羽間が報告している相手は、体躯こそ劣るものの存在感では圧倒していた。浅黒く焼けた顔は精悍であり、眼光は鋭かった。

 低価格ブランドの廉価な服に身をまとっており、見た目だけではごく普通のサラリーマン風だった。

 しかし胸板は厚く、短く揃えた髪と佇まいは機械のようなクールさを感じさせていた。

「ヒモ・・・?前からこちらに?」

 低くてよく通る声だった。

「いえ、先々月まで他所にいたようです。ここ一月ほどの動向は現在不明」

「元アイドルがねえ・・・。」

 大山鷹一郎部長刑事は軽く首を振ると、天原剛助の遺体から少し離れたところに腰を下ろした。


 すでにしっかりと鑑識が調査してある。次々と報告が大山の耳に飛び込んできた。耳を傾けながら、大山は天原剛助の傷跡を見ていた。

 顔面には鋭く切り裂かれた跡があり、天然パーマの髪も鼻髭もズタズタに引き裂かれていて血にまみれていた。首に残された傷は、鋭利で相当な破壊力でやられたようなもので、見事に切り裂かれていた。

 大山は古株の鑑識に声をかけた。

「汐さん、足跡は?」

 大山より一回り年上の鑑識員汐田は、近くの地面を指し示した。

「大さん、これ見てよ。」

 大山は汐田の示した地面を見た。そこには凹みがあった。

「これは・・・犬か何かの?」

「たぶん・・・しかし・・・。」

 汐田の眉間には皺ができていた。

「どうしたと?」

「いや・・・俺の思い過ごしかもしれん。」

 汐田は足跡の先を目で追った。

「でもなあ・・・こりゃどうなっとる?」

 汐田は足跡の先を見てつぶやいた。


 大山が汐田の視線を追うと、3mほど先まで獣の足跡があった。

 そしてその先を見た時、大山は固まった。

「汐さん、ありゃ・・・?」

「ああ・・・あれは間違いなく、人間の足跡たい・・・。」

 狐の足跡の流れの先にあったものは、確かに人間の足跡だった。ごくごく自然に、獣の足跡が人間のものに変化していた。


2  


「争った形跡がない?」

 川北署の所長室には、山内署長と大山と羽間がいた。大山は紙コップに出されたコーヒーを一口飲んで顔をしかめた。彼には苦すぎたようだ。羽間が追加説明した。

「そうなんですよ。普通ここまで咬み千切られたなら、ガイシャがあたり一帯をのたうち回るか、獣の足跡がつきまくるかしなければおかしかです。」

 

大山は持って来たノートパソコン画面を拡大して山内に見せた。被害者天原剛助の遺体、皆根公園内部、アスレチック周辺と次々に表示していった。

「・・・そりゃ説明がつかんだろ!」

「しかし、そうとしか思えんのです。」

 大山はソファに座り、腕組をして深くため息をついた。

「残された足跡は、男のものではありませんでした。それは目下調査中ですが・・・問題は男の足元です。」

 羽間は天原剛助の足元を拡大した。山内は画面を凝視した。

「足跡が・・・あるな。」

「そうです。妙なんですよ。」

「なんでだ?ない方が不自然だろう。」

「いや、問題は、この深さなんですよ。」

「深さ?」

 羽間は自分の右足を抱えて、山内に見せた。

「自分のサイズは、28センチあります。自分だと・・・くるぶしまでの厚みがほぼ10センチくらいあります。」

「それが、どげんした?」

「普通こうした地面に長時間立っていたとしても、よほどぬかるんでなければせいぜい1センチくらいの深さにしかならんでしょう。これは・・・4センチほどの深さがあるんです。」

「4センチだと?それはつまり?」

 大山は飲みかけのコーヒーを飲み干した。

「男は上からの傷や圧はないようです。膝や足首の損傷はありませんでした。となれば、可能性は3つしかない・・・一日中突っ立って地面を踏みつけているか、いきなりその位置に上から落ちてきたか、あるいはいきなりすごく重いものが乗ってきたか・・・。」

 全く考えられないことだった。地方の平和な環境においては、殺人そのものが20年に一度あるかないかの大事件。人口3万人程度の地域では、政治家から極道、一般市民までがほとんど知り合いである。どこかで誰かが繋がっており、全てが事なかれ主義で粛々と行われてゆく。

 その地域内で生活してゆくのであれば、この流れに逆らうことなどできはしない。そういう事件は、あってはならないことなのだ。あってはならないこと、しかも原因不明の猟奇殺人というありえない事態に、山内の頭はパンク寸前だった。腕組したり、薄くなった頭髪を触ったりと落ち着きがなくなっていた。

 やがて山内はため息をついて立ち上がった。

「大山、すまんが、もう少し情報を集めてくれ。」

 所長室を出て歩きながら、羽間はボロボロのシステム手帳をチェックしていた。先ほどから頻繁に携帯も鳴っていた。

「先輩、天原の女なんですけど、こりゃあかなりクロですねえ。」

「どれくらいだ?」

「ええと・・・今はキャバクラ『オパール』にいます。斑鳩ルイという名ですが、本名見矢田幸江、22歳。横浜出身で、シャブで1回、暴行で2回入ってます。中卒からもう風俗だったようです。」

 風俗に行くにも、それなりの理由があるものだ。しかし中卒で行くということは、相当な環境下で育ったのだろう。

「それから天原の家族なんですが、親戚がいる以外は身内らしき者はいないようです。すでに何年も音信不通らしく、伝えたらまだ生きていたのかと聞き返されたくらいですよ。遺体の引き取りさえ拒否してました。」

「そうか・・・。では家族より、その女が先だな。」

「この女です。」

 羽間が見せたスマホには、髪を盛りに盛ったアゲハ嬢の顔があった。右指を口に当てており、どこの繁華街にでもある顔だった。



3 


 川北市にある繁華街は、九州ではかなり人気の街である。規模的にはごく普通に存在する街なのだが、質が高いと評判なため、県内外からの観光客で賑わっている。大都会ではないため、比較的狭い場所に百貨店から風俗店までが集まっている。家族連れが歩く商店街のすぐ裏手に風俗があるのだ。都会ほど大量にモノや情報があるわけではないが、困ることはない。

 そんな町の一角にある雑居ビル『第3森光ビル』の2階に、『オパール』はあった。すぐ近所には花屋やケーキショップがあり、酔った土産に購入していくようだ。

 大山と羽間は、第3森光ビル前のカフェにいた。無論、天原剛助の女である斑鳩ルイこと見矢田幸江に事情を聴くためだ。

 時刻は夜8時。そろそろ出勤してくる頃のはずだ。天原と住んでいるはずのアパートには、誰もいなかった。

「先輩、この店は確か・・・。」

 コーヒーを飲みながら、羽間は例の手帳を開けてメモを見た。

 仕事柄、かなりの裏情報が記されている。

もっとも、略式や隠語で書かれているため、羽間以外の人間が読んでもほとんど意味不明だろう。

「ああ・・・兵頭会だな。」

 兵頭会とは、最近台頭しはじめている組織のことである。暴力団ではなく、形式上は警備会社となっているが、実態は限りなくその筋である。

 いわゆる半グレである。きちんと書類を取り交わしての業務協定を結んでおり、いわゆるボッタクリ店の用心棒的な目立つ行動は取っていない。しかしわざわざ県外からの観光客の意見であるかのように他店への嫌がらせや中傷メールをばらまいたり、SNSで叩いたりして自分たちの傘下店へ客足が来るように仕向けている。

 さらには、スペシャルオーナー制度というものを採用しており、高額の年会費を納めれば好みのコンパニオン嬢を同伴出勤と称して自由に連れ出すことも可能としている。つまりは、体のいい風俗である。

 しかしながら、このスペシャルオーナー制度にはもちろん普通に領収証が発生しており、ケチつけようがない状況なので、トラブルが発生した場合でも文句つけようがなく、ほとんどが泣き寝入りしなければならない。指定暴力団ではないため、現在ではかなりグレーゾーンである。

「ということは、天原も?」

「ああ、たぶんな。奴さんの移動した先は、間違いなく兵頭会のシマのはず・・・おい、来たぞ!」

 真っ白いコートに身を包んだ女が、歩いてきていた。横には小太りの初老の男がおり、腕を組んでいる。間違いなく、同伴だ。大山の声を聞いてすぐに、羽間はカフェを飛び出していた。いきなり目の前に現れた巨漢の姿に、男女2人は驚いて固まった。

「な・・・なんだ?」

「斑鳩ルイさん、だね。県警の者だ。」

 女よりも同伴の男の方が動揺していた。

「県警だって?お・・・俺はなにもやってないぞ!」

「すみません、ちょっといいですか?」

 大山は同伴の男を離し、簡単に説明して身元調査を行ったあと開放した。残された斑鳩ルイは、状況を把握できずにいた。羽間に身元を確保させている間に、大山は「オパール」に入店してチーフに話をつけた。

「斑鳩ルイ、いや見矢田幸江さん。天原剛助を知っているな?」

「・・・それがどうかしたの?」

「署までご同行願います。店には話をつけてあります。」

「嫌よ!あたしが何したってんだよ!」

 大山と羽間は嫌がる見矢田幸江を車に押し込め、熊本県警本部まで連行した。取調室に入ると、幸江はふてくされてタバコを吸い出した。

 メンソールのハッカ臭漂う中、大山は一冊のA4版封筒を幸江の目の前に置いた。

「・・・なによ、これ・・・。」

「まず・・・天原剛助のことです。最後に会ったのは、いつですか?」

「あの人がどうかした?」

「答えてください。最後に、いつ、会いましたか?」

 幸恵が無言でいると、羽間が封筒を開けて数枚の写真を取り出した。まだ裏のままで見せてはいない。

「これが、現在の天原剛助です。」

 羽間は写真の表を上にした。今朝川北川河川敷で発見されたときの、天原剛助の姿が写っていた。

「ぎゃあっ!」

 幸江は持っていたタバコを放り投げ、立ち上がって写真を食い入るように見つめた。羽間は幸江が捨てたタバコを拾い、もみ消した。大山は幸江が座るまで、無言で見つめていた。数分後、幸江は全身の力が抜けたように座り込んだ。

 幸江の顔から力が抜けてゆくのを確認すると、大山はゆっくりと語り始めた。

「わかったね?彼がこんな状態で今朝発見された。天原の彼女なんだろ、きみは。」

 突然幸江は大山の顔を睨み付けて叫んだ。

「あたしが・・・あいつの・・・オンナだって?冗談じゃないよ!」

「・・・違うのかい?」

 幸江は2本目のタバコを口に咥え、火をつけた。心なしか震えていた。

「あんな糞野郎のせいで、あたしがどんだけの目に逢ってたか、あんたたち知らんとよ!」

 それからしばらくの間、幸江は自分と天原の関係について赤裸々に語った。絵に描いたような転落人生だった。

「あいつはね、あたしだけでも数百万円も貢がせ、他にも数人は天原が『貢がせ屋』と呼んでいた女たちがいたんだ!あの娘たちはクスリ漬けにされ、セックスとクスリで意のままに操られていたんだ。それだけじゃないよ!あの娘たちの家族も毒牙にかかってたんだ。あいつのストライクゾーンは広くてね、小学生から高齢者までセックスで落とせない奴はいないと豪語していた。あいつは警察の弱みも握り、数々の操作網を潜り抜けてきてた。そんな奴だったんだ!」。

 どうやら天原という男は、とんでもない下衆だったようだ。獲物はとことんまでしゃぶりつくすタイプで小心者。こうした男に目をつけられた幸江は、確かに不幸でもあった。

「あいつさえいなかったら・・・あいつに骨の髄まで喰われちまった。あんな死に方しやがって・・・いいザマ!」

 大山と羽間は、幸江の話が一段落ついたことを確認して目を合わせた。

「話はわかった。大変だったな。我々は、きみのことを捜査したい訳じゃない。だから、色々尋ねるけど、悪いようには絶対にしない。いいね?」

 幸江はこっくりと頷いた。

 

4  


「その、幸江って女、色々喋ったの?」

「ああ。あんな奴に若い頃捕まっちまったら、そりゃ転落するだろうよ。」

大山は川北市内にある白水かおるの部屋で夕食をとっていた。

 白水かおるは大山のプライベートパートナーであり、探偵でもあった。


 ボブヘアーでスタイルもよく、モデルをしていたときもあった。

 叔父が経営する私設探偵事務所で働いており、大山に情報を提供することもあった。

「そんなにひどい奴だった?その、天原って。」

 大山はビールを一口飲んで首を振った。

「正式には渡世じゃないけど、汚れの風上にも置けない野郎だったね。てめえの手は絶対に汚さないって奴だよ。斑鳩ルイも、危うくシャブ患になるとこだった。あんな糞野郎に限って生き残りやがる。まあ・・・天罰だな。」

「で、結局犬に襲われたことになったの?」

「犬もしくは何らかの猛獣・・・とか。」

「変よねえ。」

 大山はトンカツを咥えながら、窓の外を眺めた。ここからは湖畔公園が少し見える。夕日がまだ少し残った公園は、綺麗だった。

「全くだ。地方だから何かしらの獣だろうな。」

 確かに事件のあった川北市は地方中核都市であり、周囲は山と川、水田に囲まれた農村地域である。山に行けば、今でも猪や野うさぎがいる。こうした野生の獣出没のニュースは、地方にいけば頻繁にあることなのだ。

「そりゃそうだけど、何が人間を襲う?」

「わからん。汐さんからはまだ連絡ない。」

「おまけにその獣の足跡が人間の足跡に変わったって・・・どゆことよ。」

「俺に聞くなよ。」

 大山は口の中にあったトンカツを、ビールで流し込んだ。

「はあー・・・だけど、そりゃ偶然だろうな。誰かの足跡の先に、獣が歩いたか、あるいはその逆かもな。」

 かおるはヌカ漬けしたキュウリを口に入れ、米を持ち上げて止まった。

「まさかね・・・。」

「ん?」

「人間が獣に変わって襲った・・・もしくはその逆?」

「何を言っとるんよ。んなわきゃなかろうもん。」

「ま、そうよね。」

 かおるは面倒な考えを振り払うように白米を頬張った。少し窓を開けており、3月の外気が入ってきた。もうすぐ春なのだが、まだ少し寒い。外気に混じって、猫の鳴き声が聞こえてきた。

 大山はつぶやいた。

「さかり・・・か。」

 野良かどうかはわからないが、猫の発情期独特の鳴き声だった。

「ねえ・・・。」

 かおるが眉間に皺を寄せて大山を見ていた。

「どうした?」

「さっきね、その・・・遺体発見者もそうだし、付近の人たちも何にも異常を感じなかったって、そう言ってたよね。」

「ああ。ごくごく普通の朝だったようやね。新聞配達の兄ちゃんにも聞いたけど。」

「現場の周りは荒れてた?」

「いや、雑草がやたら生えてたからよくはわからない。」

「おかしくない?」

「ああ・・・叫び声あげる間もなく殺られたんやろうね。」

「違うよ。」

 かおるは窓の外を見て言った。

「喉を一撃で咬み裂かれたにしても、動物なら激しく動かなきゃ無理でしょう?あたし、動画で見たことあるけど、首を激しく振って、倒れた獲物の周りは乱れてたよ。そして、どこから襲ったにしても、唸り声ひとつ出ないはずないよ。人にしても、動物にしても。」

 大山は飲みかけの味噌汁を持ったまま固まった。

「そういや・・・そうだな。ちょっと待て。」

 大山はシステム手帳を取り出して、絵を描き始めた。

「確かに、ガイシャは暴れた形跡もない。血溜りは、倒れた辺りにだけ、できていた・・・こんな風に。」

 被害者天原剛助の絵を描くうちに、大山は気がついた。

「そうや・・・草が全然折れてなかった。いきなり倒れたということがない限りあんなに荒れないはずはない。ということは・・・?」

 大山は立位の人間を描き、その首に犬の顔を描いた。

「つまり・・・こういうことか?」

「しかも、突然現れた・・・?どこから?」

 かおるは絵を見て、そして大山の顔をじっと見た。大山もかおるも、事件の背景にある異常な状況を想像していた。


5 


「狐?・・・狐だって?」

 県警本部の自分のデスクで、大山署は鑑識の汐田から報告を受けていた。机には、分厚い資料が置かれていた。

「ああ、詳しくはそこに書いてあるけどね。」

 汐田は手近な椅子を引き寄せ、座った。顔には疲れが見えていた。あまり寝ていないことは間違いないようだった。

「そう言えば汐さん、妙な事言ってたよね。」

 獣の足跡を見たとき。汐田は確かにこう呟いていた。たぶん、と。

「ああ、あんときね。いや、あの足跡見たときに、どこかで見たような気がしたんよ。」

「どこで?」

「俺は山の生まれやけん、見たことがあった。狐だとすぐに思ったけど、狐が人間の喉をあんなに食いちぎるなんて聞いたことがない。だから迷ったんよ。しかもね・・・。」

 汐田は資料の中ほどを開いてみせた。そこには例の足跡があった。

「これが、あの足跡の実寸。で、これが、標準的な狐のもの・・・比べてみてよ。」

 大山は汐田から手渡された資料を見て、そして驚いた。

「汐さん、なんね、こりゃ?」

「そう。標準サイズの倍以上のでかさがある。大型犬並みの狐なんざ、見たことも聞いたこともない。そしてね・・・。」

 汐田が次のページをめくるように指を動かしたので、大山はめくった。そこには人間の足跡と思われる写真があった。

「これは、大さんも見たよね。」

「ああ、見た。急に出てきたやつでしょ。」

「そう・・・で、その足跡に、少しだけ踵の皮が残ってた。」

「ほう・・・よく見つけたね。」

 汐田はしかめっ面をして、首を振った。

「見つけたのはよかとばってん・・・それがどうも、狐の皮・・・。」

「なに?」

 人間のものと思われる足跡から、狐の皮膚が見つかったというのか?汐田がげっそりしている理由が、ようやく理解できた。

 何度も何度も確認したに違いない。大山は可能な限り冷静になろうとした。

「えと・・・ちょっと整理するよ。突然現れた天原の死体、それにあった獣の噛み傷、巨大な狐と思われるものの足跡、そして狐の皮膚を持つ人間の足跡があった・・・これ、どういうこと?」

 汐田は胸ポケットからタバコを出して、火をつけようとしたが、なかなかつかなかった。少しだけ指先が震えていた。

「大さん、俺は単なる鑑識だけん、もうちょっと調べてみる。ただ、発表は慎重にやってくれ。訳がわからんよ、全く・・・。」

 大山にとっても、それは同じだった。いわゆる猟奇事件の、それも怨恨として解決の方向へと考えていたのだが、どうやら根本的な見直しが必要らしかった。

「ああ、署長には一応殺人ということで発表しといてもらう。お疲れだけど、頑張ってよ。」

 汐田はタバコを揉み消すと、席を立っていった。考えれば考えただけ、調べれば調べただけわからなくなる。こんな事件はこの仕事についてから初めてのことだった。いわゆる圧力で屈したこともあったし、複雑に絡み合って解決に時間を要したことも当然あった。しかし、こんな訳がわからないことなどありえなかった。

 大山は大きくため息をついて背伸びした。海老反りするくらいに、椅子の背もたれに体重をかけてのけぞった。視線が次第に後方まで移動した。

「ん?」

 逆さまに見えた背景の中に、一枚の額の絵が目に入った。気になった。起き上がり、その絵を見た。そこには、日本画の美女が描かれていた。

大山は、この絵がどうして気になるのか、不思議だった。絵の中の、十二単を着昔の女性は神秘的な笑みを浮かべていた。大山はしばらく絵を見て、そして肩をすくめてトイレに向かった。何で気になったのか、もうどうでもよくなっていたのだった。

 用を済ませ、廊下を歩いていると携帯が鳴った。羽間からだった。

「おう、どうした?」

「先輩!また・・・やられました!。」

「また・・・って、おい、どういうことだ?」

「とにかく来てください!青野町の堀田歯科医院です!」

 大山は県警を飛び出し、現場に向かった。



 


6 


 すでに現場にはロープが張られ、立ち入り禁止状態となっていた。そこは2階立てビルであり、1階が歯科医院、2階が住居となっていた。多少汚れた看板があり、「堀田歯科医院 インプラント、訪問可」と書かれていた。

 かけつけた大山は、すぐに羽間に中に通された。

「ここは、古いな。」

「はい。2代続いた歯科医院で、ガイシャは現院長の堀田精一です。あ・・・現在は停職中です。」

「停職?」

「はい。3ヶ月ほど前に、不正請求が発覚して、現在保険診療を停止されています。」

 建設された当時は立派だったようだが、メンテナンスができていないためか、全体的に劣化しているように見えた。やたら広い玄関があり、左手には受付があった。昔は繁盛していたんだろうなと思えるような広さだった。

 待合室にあるソファには、40代と思われる女性が泣きながら座っていた。傍らには婦人警官がついて背中をさすりながら、何やら話しかけていた。

「彼女は?」

「ここの歯科衛生士です。第一発見者です。」

 大山は羽間に案内され、診察室の扉を開けた。

「うっ!」

 むせかえるような、血の臭いが充満していた。中は、いわゆる診察用の椅子が3台置かれ、様々な歯科治療の機器も見えた。壁には歯科医師会のものと思われるポスターが張ってあり、インプラントを推奨するような内容が書かれていた。

 大山は一歩入った。

「先輩、そこです。」

 後方から羽間の声が聞こえた。大山は止まり、足元に目を向けた。思わず声が出た。

「うわっ!」


 そこに転がっていたのは、切断された手首だった。血にまみれ、まるでさっきまで動いていたかのように何かを掴んだようにも見えた。あまりの血の臭いのため、さすがの大山も気分が悪くなった。マスクを借り、装着して再び診察室内を調べてみた。

「こりゃ・・・ひどいな。」

 診察室のあちこちに血が飛び散っており、まるで赤い色で塗りまくったような感じがした。先ほどの手首や腕、足首、大腿部なども見えた。すべてバラバラに切断されていた

 3台ある診察台の中央部に、誰かが座っているようにも見えた。

 そこを見たとき、大山の血の気が失せた。そこにあったのは、見事に手足のない、首と胴体だけの死体だった。恰幅がいい、小太りの男性のようだった。しかし表情には苦しんだような形跡は見られず、眠っている間に自然に切断されたかのようにも見えた。

 大山は一旦診察室を出て、羽間に確認した。

「いつだ?」

「はい、1時間ほど前に、この方が書類整理のために来られたときだそうです。」

「施錠は?」

「されていたようです。」

「最後に確認したのは?」

「一昨日だそうです。」

「発見者の名前は?」

「百田恵子さんです。」

 大山は一通りの確認を終えると、待合室に向かった。そこには発見者の歯科衛生士がまだ座っていた。大山は横の女性警官に目配せをして立たせ、自分が横に座った。

「すみません。お辛いでしょうが、少しだけお話できますか?」

 百田衛生士はまだ泣いていたが、大山の声で少しだけ顔を上げた。メイクも涙でボロボロになっていた。大山は警察手帳を百田に見せた。

「百田さん。県警の大山と申します。こんなときに申し訳ございません。この場でしかお伺いできないことだけ、お聞かせください。」

 百田は泣きながらも、小さく頷いた。

「何でも構いません。あなたがここへいらしたときのことだけを、教えてください。」

「はい・・・。」

 百田はハンカチで口元を押さえながら、少しずつ語り始めた。一昨日、カルテの整理のために診療室を訪れたこと。その際、電話で堀田精一歯科医師に確認していたこと。そのとき、院長は自宅マンションで会話していたこと。今朝患者から電話があり、確認のために病院を訪れたということ、などを語った。

「患者から電話があった?」

「はい・・・以前にインプラント治療を行って、そのまま放置されておられた方がいらっしゃいまして・・・治療継続したいというお申し入れがありました。」

「その方の名前は?」

「緑川太郎さんと仰います。」

「おいくつくらいの方?」

「還暦くらいで・・・たしかご自身の会社の社長です。」

「カルテは、ありますか?」

 大山は婦人警官に指示し、カルテ棚から緑川太郎のカルテを持ってこさせた。そこには、株式会社緑川工業と社名が記載されていた。

「先輩、これ、あの緑川ですね。」

「ああ、そうだな。」

 緑川工業は、ここ10年くらいで急成長を遂げた、県での新興会社である。工業と名乗っているが建設業ではなく、オリジナル調合による画期的な腐葉土によって売り上げが飛躍的に伸びていた。しかし積極的に献金を行い、政治家を利用しているとの噂も絶えない会社でもあった。社長である太郎は家業を継ぐことをよしとせず、絶縁しているとも言われていた。

 大山はこれ以上百田に尋ねることはないと判断し、病院に搬送させた。悲惨な現場には慣れているつもりだったがやはり長時間滞在できる環境ではなく、後のことは羽間に任せて、百田が口にした緑川工業に向かった。


7 


 緑川工業は、川北市の北部に位置する花岡町にあった。元々独立行政区だったのだが、近年川北市に併合されて川北政令都市誕生の一因ともなっていた。スイカやメロンなどを主とする農業地域でもある。会社のすぐ近くには、戦国時代の古戦場跡がある。

「・・・そうでしたか。まさか堀田が・・・あ、いえ、彼とは同級生同士なものですから、以前からいい付き合いでした。」

 緑川太郎と大山は、社長室で対面していた。緑川太郎は身長も190センチくらいある巨漢で、羽間と同じくらいの体格だった。元々はヤンチャだったらしい。身一つで成り上がった者独特の迫力を持った男だった。黒い作業服をビシッと着こなしている。

 よく手入れされた鼻髯と相まって、ラテン系に近い風貌でもあった。

「社長は今朝、百田衛生士に連絡されたそうですね?」

 大山は出されたコーヒーの飲みながら尋ねた。

「はい。ちょうどここのあたりにインプラントを入れたんですが、なにせ忙しくて1年くらい放置してしまったんです。ようやく時間取れそうになりましたので・・・。」

 緑川太郎は、自らの右頬を指で押さえた。インプラントは、喪失した歯茎に人工の歯根を植え込み、新たに被せてかみ合わせる手法で保険外診療であるため、コストも時間も必要とする。緑川のように、比較的裕福な立場にある者がよく行っている。

 大山は保険診療で作った義歯が合わないと愚痴っていた母親のことを思い出した。大山は緑川から薦められたアロマ系の葉巻に火をつけて煙を吐き出した。

「ああ、いい香りですね。・・・インプラントですか。わたしらにゃ縁遠いものです。ところで、最近堀田先生に関して何かお気づきのことはありませんか?」

「いいえ。先ほどお話したように、もう1年くらい通っておりません。」

「支払いについては?」

「ああ、あそこはまずインプラント手術の分だけ支払い、あとは被せたときに残りを清算するシステムになっています。問題はありません。」

「そうでしたか。他になにか?」

「・・・いいえ、残念ですが、もうこれ以上は何も・・・。」

「そうでしたか。わかりました。何かありましたら、ぜひご連絡ください。」

 大山は挨拶し携帯番号が記入された名刺を渡して、立ち上がって社長室を出ようとした。

 取手の形がちょっと変わっていたので、それを見ていると扉をノックする音が聞こえた。

「社長、失礼します。」

 入ってきたのは20代後半くらいの女性だった。

 よく手入れされた黒髪のきれいな女性で、白いスーツで決めてはいたが、清楚な感じを漂わせていた。

「ああ、大山刑事。私の娘です。小百合、こちら県警の大山さんだ。」

 小百合と紹介された女性は、書類を胸に抱えて頭を下げた。

「お疲れ様です。緑川小百合と申します。」

「私の秘書をさせておるところです。」

 大山は会釈して、社長室を出た。


 大山は羽間に連絡して、現場が落ち着き次第堀田歯科医師の身辺を洗うよう指示した。羽間からは、堀田医師の家族が県警に来ているとの連絡があった。県警に戻り、落胆する堀田医師の妻にひと通りの質問をしたが、何も思い当たることはないとの返事だった。

「堀田は・・・たしかに我侭で傍若無人で、礼に欠ける部分はございました。敵も多かったように聞いております。ですがまさか・・・あのような無残な殺され方をされるほどは・・・。」

 堀田医師が近所では評判が悪く、所属していた広域活動団体を通して集患していたことはすでに調査済みだった。しつこく高額な保険外診療を薦め、拒否されるととたんにゾンザイな対応をすると言われており、何回か厚労省から保険指導もされていたようだった。

 保険診療停止を命じられていても、たぶん本人にとってはさほど痛くもなかったことだろう。確かに、これだけの恨みを買うほどのことではなさそうだ。

 大山は手元の記録用紙にペンを走らせた。

「ご主人はおいくつでしたか?」

「はい・・・58歳になったばかりでした。」

「そうですか。まだお若いのに・・・。堀田さん、何でも構いませんので、何かしらご主人のことで気になられたことはありませんか?」

 堀田の妻は少しの間考え、何かに気づいたように顔を上げた。

「そう言えば・・・行政処分を受ける何日か前のことでしたけど・・・。」

「なにかありましたか?」

「はい・・・帰宅してテレビを見ておりましたときのことです。あれは・・・歴史を扱った番組だったと思いますが、見ていた堀田が突然大声をあげて、チャンネルを変えろと・・・。」

「歴史?・・・お寺とかですか?」

「いえ・・・そこまでは・・・。」

 大山は質問を続けたが、それ以上の有力情報を得ることはできなかった。大山は白水かおるに連絡して説明した。

「・・・という訳なんだ。すまんけど、その時間帯の番組調べてくれる?」

『わかった。また知らせるね。』

 白水かおるとの会話を終えるとすぐに、携帯に見知らぬ番号から着信が入ってきた。

「はい、大山ですが?」

『あの・・・私、緑川小百合と申します。』

「ああ、先ほどは失礼いたしました。娘さんでしたね。」

『はい。父からお話を聞きまして、刑事さんにお伝えしておいた方がいいかもと思いまして。』

「よければ大山とお呼びください。はい、なにかありましたか?」

『あの・・・どこかでお会いできればと思いますが・・・。』

「県警ではだめですか?」

 沈黙があったので、小百合は警察ではない場所を希望しているのだろうと判断した。

「わかりました。ではホテルガルーダのロビーにあるカフェではいかがですか?あそこは個室もありますから。」

『はい、大丈夫です。』

「では、30分後では?」

『はい、ではのちほど。』

 電話を切り、待ち合わせ場所であるホテルガルーダへと向かった。

 途中、白水かおるから連絡があった。

『えっと、その時間帯だとあちこちの紅葉名所を扱っていた番組しかないよ。あとはバラエティばっかりだし。』

「よし、わかった。ありがとう。」

 大山は羽間に連絡して、その番組の情報をチェックしておくよう伝えた。そしてホテルガルーダに向かった。

 4年ほど前に完成したこのホテルは、広々としたロビーが売りだった。大山がロビーに入ると、すでに緑川小百合は到着していた。先ほどの事務服ではなく、花柄のスカートに白いブラウス、ピンク色のカーディガンという普段着だった。事務所で会ったときには気がつかなかったが、良い香りが周囲に漂っていた。

「ああ、すみません。お待たせしましたね。」

 大山は軽くスーツを持ち上げて、何気ないふりをして匂いを嗅いだ。外回りの毎日なので、汗臭くはなかろうかと思ったのだ。

「いえいえ、私もたった今来たばかりです。」

 大山はカフェに入って個室を確認し、小百合にコーヒーでいいかと尋ね、2杯注文した。

「で、なにかありましたか?署内以外でお話とは・・・?」

 カフェにはリラックスムージックが流され、いい雰囲気だ。小百合は少しの間うつむき、そして顔をあげた。

「はい。今からお話することは・・・あまりにもとんでもないことですので、信じていただけるかどうかわかりません。でも、どうしてもお耳に入れたかったのです。」

「はい、何でもどうぞ。」

「・・・実は、堀田先生と、もうお1人、ひどい状況でお亡くなりになられたとか・・・。」

 大山はコーヒーを飲みながら、頷いた。

「はい、そうです。ニュースでご覧になりましたか。」

「ええ。で、お話したいことは、このお2人のことです・・・それと、私の母とのことです。」

「え?お母様?あなたのお母様と被害者との間に、なにかあったんですか?」

 小百合は窓の外を見ていた。綺麗に手入れされた中庭には、芝生と多くの樹が植えてあった。

「天原さんと堀田先生・・・ひょっとしたら、この方々のどなたかが、私の・・・。」

「あなたの・・・なんですか?」

 小百合は首を軽く振った。告げたくないかのように見えた。

「ひょっとしたら・・・私の実の父親かもしれないのです。」


8 


「え?それはどういうことなんですか?」

大山は持っていたコーヒーを一気に飲み干した。かなりむせながらではあったが。小百合は本当に苦しそうに胸を押さえていた。少しの間があったが、小百合は意を決したように大山に語り始めた。

「私・・・まだ乳飲み子のときに実の両親に捨てられたんです。」

「え?」

大山は意外な告白に驚いた。だがこういうことは、地方では今でも普通のことだった。親戚に子供がいないから、あんたのとこを1人くれんか、おおいいよ・・・などという会話は、つい最近まで普通に聞かれていたことではあった。

ところが小百合の場合はそうではなかった。

「捨てられたということは、親戚の方が育児放棄されたとか・・・ですか?」

「いえ、違います!私は・・・私は・・・。」

小百合は窓の向こうを見た。

「私は本当に捨てられていたんです。雪積る山中だったそうです。」

小百合は感情がこみあげてきたのか、小さく泣き出した。大山は止めることなく黙って待っていた。こういうケースは最近ではあまり聞かない。社会が充実してきたためではある。

小百合は何回か小さく頷いて話し始めた。

「これは父に直に聴いたわけではありません。献血したときに、両親がO型なのに私はA型だったので、色々調べてみたんです。ご存じの通り、父はかなり強引な性格なものですから、そのようなことを聴いたら怒って何も教えてくれないでしょう。ですから博打好きなために父が縁を切った実の弟・・・叔父の次郎を探し出して事の顛末を聞き出すことができました。叔父は千葉におりましたが、何とか探せました。」

「千葉までお探しに行かれたんですか!それはまたどうして?」

「はい。父のかつての仕事場は千葉でした。南房総で、林業に従事していたようです。父が山で木の様子を見ていたときに、雪の中で毛皮にくるまれて泣いていた私を救出したそうです。ちょうど姉が幼くして他界した後でしたので、父はすぐに養父になると決めたようです。」

 大山はソファに深々と身を埋めた。今回の猟奇事件と言い、緑川小百合の突然のカミングアウトと言い・・・地方で比較的のんびりと仕事していた身には少々こたえる話だった。

「それは辛いお話です。よく話されましたね。・・・しかし、そのことと、今回の被害者天原剛助と堀田精一のどちらかが小百合さんの本当のお父さんかもしれないというのは・・・どういうことなんですか?」

小百合は唾を何回か飲み込んだ。

「大山さん・・・これからお話することを、どう解釈されても構いません。私自身がまだ受け入れていないからです。それでも聴いてくださいますか?」

大山は大きく頷いた。何らかのヒントがあればいい。それに今回のあまりにも異常で奇妙な事件なのだから、何があっても不思議ではないという気になってきていたのだ。

「先ほど父のかつての仕事場が千葉だと申し上げましたが、この天原さんの出身は千葉出身なんです。血液型はA型でした。」

「なんですって?」

「しかも、天原さんは父の会社で働いていましたし、堀田先生は父の同級生で、故郷は同じです。やはりA型で。この事件を知って、父は黙り込んでいました。」

小百合はエルメスバッグの中から、一冊の日記帳を取り出した。かなりボロボロで一見して古そうに見えた。そして日記帳の前半あたりをめくり、そこを手で押さえた。

「これは・・・父の部屋を片付けていたときに見つけたものです。父は若い頃から細かく日記をつけていました。・・・大山さん、これを・・・。」

小百合が開いたページを、大山は目を通した。

『〇月〇日 嘘かと思うことがあった。三栄子よ、お前はまた俺のところに来てくれたのか?まさかあの雪の中で泣いていたなんて。お前はすぐに天国に行き、そして恋しくなったのだろうな。俺はそう思う。だがあの天原の野郎、もう勘弁ならねえ。あいつは、許さねえ!明日にでも追い出してやる。』

ここを読んだ大山は、眉間にしわを寄せて差売りを見た。

「色々お伺いすることがたくさんありますね。まず三栄子さんというのは、お亡くなりになったお姉さんのことでしょうか?」

「はい、そうです。生後まもなくのことだそうです。」

「はい。で・・・天原のことを許さない、とありますね。追い出すとも。何があったんですか?」

小百合はハンカチを握りしめていた。自分で望んで告白しているのだが、やはり辛いのだ。

「大山さん・・・これからお話することは本当に、大山さんの胸の中に収めてくださると、少なくとも絶対に公にはしないと、お約束いただけますか?」

「はい、それはもちろん、事件に直接関係ないことでしたらそうします。」

「・・・事件に関係あるかどうかは・・・私にはわかりません。ですからお願いしているのです。でなければ、お話できません。」

大山はこれまでの経験から、小百合なりに秘密にしたかったことで、おそらくは事件に関係ないと判断されるようなものなのだろうと思った。ここで杓子定規になっていては操作が進まない。

「わかりました。僕の胸の中にしまっておきます。」

 小百合は少しだけ安心した表情を見せた。

「ありがとうございます。これは叔父から聴いたことです。今の緑川工業や堀田歯科医院があるのも・・・おそらくはこのことが関係しているのだとわたしは思いました。」

小百合は大きくため息をついた。

「林業をしながら、叔父や父、天原、堀田らは猟も行っていました。ほとんどが熊や鹿でしたが、ある日、たまたま父が鹿を狙った弾が、別のものに当たってしまったそうです。」

「別のもの?生き物ですか?」

「はい。それは大型犬並みの大きさを持ち、尾が九本に分かれている黄金の狐だったそうです。」

「え?・・・ちょっと待ってください・・・それ、まるで妖怪じゃないですか!じゃ、じゃああなたは、天原らを襲ったのがその狐の霊で、仕返しにきたとでも仰るのですか?」

小百合は目に涙を浮かべながら大山の顔をキッと睨んだ。

「だからこうして、恥を忍んで申し上げているのです!こんな話がデタラメだって思われても仕方ありませんよね!だけど・・・天原さんや堀田先生の最後を知ると・・・私にはとても無関係だとは思えないんです!それに、あの狐のおかげで会社を設立でき、歯科医院も建てられたと二人で話しているのを、私、聴いているんです。天原さんも、それに関わっていると思います。絶対に何かあります!」

大山は黙るしかなかった。

「つまりそれは・・・伝説にある?」

「ええ。九尾の狐です。」


9 九尾の狐伝説


「はあ?何それ?」

白水かおるは夕食を作りながら素っ頓狂な声を上げた。

「だから、九尾の狐だよ。」

「それが今回の犯人だっての?馬鹿じゃない?そんな話真に受けちゃって。相手が美人で若いとそうなるわけ?マジ信じらんないんだけど?」

どうやら、かおるの地雷踏んじゃったようだと大山は思った。女性ってどこに地雷あるか、男には本当にわからない。

「いやいや、そうとは言ってない。ただ、そこに何かのヒントがあるかもしれないだろ?調べていて損はないと思ってさ。」

「じゃあ自分で調べれば?」

「俺は他にも忙しいんだよ。」

かおるもかなりの美形なのだが、最近ちょっとばかり年齢と腕周りを気にしていた。それがかおるなりに少なからずショックだったのかもしれない。しかしそんなことは男にはわからないことだ。

「でもまあ、そこまでの美人じゃあないな。どうでもいいけど。」

「どうでもいいってのも失礼よ。まじめに捜査してあげなくちゃ。」

かおるの機嫌が多少よくなったことを確認してから、大山は再びこの話題に戻った。

「つまりだ、よくあることなんだけど、捜査で困るのはこんな話を相手が信じているってときなんだよ。無下に否定したら何も情報を引き出せなくなる。だからある程度相手に会わせていくのも手なんだよな。」

感情的になってしまったことを多少とも恥ずかしく思っているのか、かおるは素直に返してきた。

かおるはタブレットを持ってきて検索しだした。

「九尾の狐・・・っと。中国由来の怪物で、ていうか神獣ね。日本では妖怪扱いだけど、本来は神の代理みたいな存在ね。鳥羽上皇の愛人だった玉藻前とか、殷の紂王妃だった妲己とかの正体がそうだったみたいに言われてたけど。」

鳥羽上皇はその子崇徳を排して弟後白河を愛したために、かの保元の乱が起こったとされる院政の実践者だし、紂王は傍若無人さで国を滅ぼし、周にとって代わられた悪王として知られている。

「そうか・・・まあ、いいイメージじゃあないな。」

大山はビールを飲みながら、つまみの唐揚げをかじった。

すると、それまで不通にタブレットを見ていたかおるの顔色が変わった。

「ねえ・・・緑川小百合の証言だと、かつて緑川太郎と弟の次郎、天原剛助、堀田精一の4人は、千葉の南房総にいたのよね?」

「ああ、そうだけど。」

「別にこれがどうって訳じゃないんだろうけど・・・曲亭馬琴って江戸時代の小説家がこれについて書いてる。それがさ・・・『南総里見八犬伝』。つまり、このあたりの話だよ?」

「それがどうした?」

「この南総里見八犬伝には、政木狐という狐は登場するの。一説によると、この政木狐の正体が玉藻前だって話もあるのね。そして、これらのモデルになった妖狐は、人の喉を食いちぎるというわ。」


大山はビールを吹き出しそうになった。

「な、なんだって?」

大山はこの話を全く知らなかった。元々が体育会系なので、読書などとは無縁だったのだ。まさかこんなバカげた話のウラが取れるなどと夢にも思わなかったのだ。

「ちょっと・・・冗談じゃないかもよ、この話。面白そうじゃない。あたし、探すよ。」

元々こうした話が嫌いな訳ではなく、むしろ好きなくらいのかおるだった。

このあたりのことは任せておいて大丈夫だろう。大山は色んな意味でホッとした。

「という訳で、ちょいと千葉まで行ってきて調べるんで、お金ちょうだい。」

大山はまたビールを吹き出しそうになった。


10 南総里見八犬伝


「九本も尾がある狐ですか?ほえ~・・・。」

 羽間賢信もまた大山同様に、九尾の狐などという話は全く知らなかった。

「そんなのって、生まれますかね?」

「バカ。作り話だよ。こんなんいるか?」

「いるかもしれんじゃないですか!」

「もういいよ。」

羽間は大山以上に筋肉頭だったので、どうでもいいことでムキになってくるクセがあった。2人はとりあえず羽間が堀田、大山が緑川関連の調査をしていたので、その擦り合わせのために署の会議室に来ていた。

「緑川太郎の嫁さんは睦子で、もう数年前から精神疾患で隔離されてる。隔離病棟ということは、結構重度だろう。こちらはこれくらいで、太郎の親父さんは重蔵。この人は・・・ずっとこっちにいたのか。小百合さんの証言によれば、この人は息子たちと縁切りしてるそうだ。今は離れたところで施設に入っている。肝心の太郎さんだけど、学生時代には親に反抗して林業でメジャーになるとか言ってたそうだ。林業は子九村に事務所がある。弟の次郎さんも一緒についてった訳で。それで縁切りされたってことだ。」

「子九村ですか?えらく遠いですねえ。」

子九村は県南にあって、山奥の20軒ほどしかない集落があるところだ。あまりに辺鄙なので、どこの村とも合併できないでいる。

「俺も行ったことはないけど、遠いだろうなあ。あ、そうだ。俺の家系ってさ、どうも大昔は皇族だったらしいぞ。小っちゃいときに祖母ちゃんから聴いたことある。」

「ええええええ?じゃあ、貴族さんでどえらいお金持ちなんすか、先輩!」

「バカ。だったら刑事なんかやってるかよ。」

この短い時間内にバカ二連発だ。そもそもどんなイメージ持って日々を生きているんだろうと、大山は真剣に思った。

だが大昔皇族だったらしいというのは、祖母から聞かされた話だ。皇族の血を引いていようがいまいが、そんなもん一銭にもならんもんだと思っていた。そもそも4代も朝廷から離れたら普通の民と同じである。おそらくは思い込み癖のある祖母の妄想だろうと思っていた。

「緑川はこんなとこだ。堀田はどうだ?」

羽間はいつものシステム手帳を取り出して開いた。

「はい・・・先輩もご存じの通り・・・まあ評判悪いです。同業からも相手にされてなくて、同じ大学の歯医者に聴いてみてもボロクソでした。大した勉強もしないくせに、やってることだけは一人前なので、幾つか訴訟もされてます。」

「それがインプラントか・・・で、どこの大学?」

「はい、東京の東日本大学の歯学部で、県には数人しか出身者いません。学生時代は千葉に住んでいたようです。」

「そうか・・・とりあえず、共通点は千葉くらいしか今のところは情報なし、か。」

 羽間は手帳を閉じて、眉間に皺を寄せて話し始めた。

「ところで先輩。さっきの・・・えと、南蛮犬伝説ですけど。」

「バカ。南総里見八犬伝だ!」

「ああ、それそれ。その話って、俺今さっき思い出したんですけど、小学校のときに読まされましたよ。そのときに友だちの間ではやったのがありまして。」

「なんだそれ?」

「あれって、里見家に8人の侍が集まってくるって話だったでしょ?その侍ってのが全員身体のどこかに牡丹のアザがあって、しかも全員犬の字がつく名前で、全員が違った玉を持ってるんですよ。犬塚とか犬山とかの名前で。その持ってる玉には文字があって、それをみんなで暗唱したりしました。いやあ、懐かしいなあ。たまずさ、って妖怪が出てくるんですよ。」

 大山は今たぶん関係ないと思ったが、とりあえず情報は何でも収集しなければならなかったので訊ねた。

「なんだ、それ?」

「えっと・・・じんぎれいちちゅうしんこうてい、って言います。」

「どんな字だ?」

「えっとそこまでは・・・。」

 やはり時間の無駄だったようだ。大山は、羽間とのすり合わせはここまでにして、羽間には引き続いて堀田関係を調べるよう命じようとしたが、夕べかおるが言っていたことを思い出した。

「おい、ちょっと待て。」

 大山は部屋にあるパソコンで検索をかけた。

「そうだ、玉藻前だ。」

「ちがいますよ、たまずさ、ですよ。」

「そんなことじゃない。この玉梓ってのは、作者の馬琴が、鳥羽上皇の愛人だった玉藻前をいいやつに替えたんだ。この玉藻前のが、九本の尾を持っていたそうだ。」

「そ、そうなんすか?」

「しかもだ、この話は千葉の話なんだぞ。」

「えええ?そりゃすごい偶然じゃないですか。」

 偶然かなあ・・・と、大山はぼんやりと考えていた。


11 


 かおるから連絡が入ったのは、2日後の夜だった。

『あ、タカちゃん?あたし、今千葉の南房総市のホテルにいるんだ。』

「もう行ってるの?早いな。」

『うん、お金は後でちょうだいね。立て替えておくから。』

 きっちりと徴収する気は変わっていなかった。捜査費用で出るのかなと考えながら、大山は返事した。

「それはいいとして、何かわかった?」

『うん、色々調べたけど、あんまりね。』

 かおるの話によれば、基本的にはネットの情報以外はあまりなかったとのことだった。

『だけどね、一個だけ引っ掛かることもあったよ。』

「何?」

『えっとね、堀田さんの若い頃付き合ってたって人が、このホテルの仲居さんだったの。』

「へえ、何でわかったの?」

『川北市から来たって言ったら、堀田さんのこと聴いてこられたの。ほら、ニュースで全国に流れたから。』

 確かに連続猟奇殺人事件だったし、かなり流されていたから知っていてもおかしくない。

「うん、それで?」

『で、その人が言うには、堀田さんは東日本大学のような私立大に進学したんだけど、勉強もしないで散々遊んでたみたい。でも地方の子九村のような過疎村の人に、そんなお金出せるのかなあって思ってたって。自分はいい思いさせてもらったからいいけど、相当遊んでたみたい。』

「遊び人か。全然変わってなかったってことだな。」

『うん。でね、ここが引っ掛かるところなんだけど、堀田さんの部屋には、なぜか九尾の狐の絵が飾られてたんだって。』

「え?」

『聴いたことがあるんだって。なんでこんな絵があるのかって尋ねたら、今の自分があるのは狐様のおかげなんだって言ってたそうよ。それだけなんだけど、なんか気味が悪いくらい繋がってるんだよ。タカちゃん・・・聴いてる?』

「あ、ああ・・・聴いてるよ。ありがとうな。なるべく早く帰って来いよ。」

 大山はこの件の調査を進めるうちに、本当に気味が悪くなってきていた。いくら何でも、偶然が続きすぎる。ひとつだけ間違いないことは、千葉と狐・・・これが解決のキーワードだということだ。これを抑えながら進めていけば、何かに到着できるだろう。

大山はここでまだやることができていた。『子九村』だ。確実にヒントがある。緑川のことはとりあえず置いておいて、さっそく県南にでかけていった。県北にある川北市から県南の子九村までは、高速を使っても3時間は必要だ。最寄りの高速インターからそこまで2時間は運転しなくてはならない。山間の細くて険しく、車がようやくすれ違える道を2時間も走らせるのは本当に疲れる。しかしこの村に出入りする者は本当に少ないため、バスも隣町まで行かなければならない。

現代の日本でこのような村があること自体、奇跡なのかもしれない。細い道だったが、対面からの車は皆無だった。これだけでも不安になってくる。

「・・・ったく、もうちょっと県も整備しろよな。」

この愚痴を何回か言った後、景色は急に変わった。山しかなかった景色が開け、視界が広くなった。道も広くなり、大山は車が余裕で止められる場所に停めて、そこから下を見た。子九村がそこにあった。小さな盆地なのだが、近くに川があるのか、かなり広い水田が広がり、棚田になっているところにはミカンの木が大量に植えられていた。子九村はミカンの名産地だったようだ。


大山は村唯一の警察、子九村署に向かった。今日行くことはすでに伝えてある。

「おお、ようおいでなさった。ささ、どうぞ、どうぞ。」

署長の上大和多伊三が出迎えた。定年間近くらいかもと大山は思った。

ここは人数も本当に少ない。こうした過疎地域の場合、昔ながらの肝煎らが仕切ることが多いため、警察などはほとんど形式的なものであることが多い。

当然ながらわざわざ赴任したがる者はいないし、赴任したとしてもすぐに帰りたがるために、地元出身か近場出身者が赴任することが多かった。上大和もそのようだった。

「ええと・・・上大和でございます。」

 型通りの名刺交換を行ったあと、署長自ら茶を入れてきてくれた。

「ここの茶です。量が少ないもんですけん、ほとんど出回っとりません。ばってん、旨かです。ささ、どうぞ。」

 確かに旨い茶だった。上大和は、大山が茶を飲んでいる間に、ドサドサと書類をテーブルに積み上げた。

「えーっと・・・堀田家と緑川家のことでしたな。」

「はい、特に堀田のことです。」

 上大和はメガネを斜めにして大山を見た。

「ニュースで知りました。なにやらえらい事件だったそうで。村の者たちも少なからず動揺しております。」

「そうなんですよ・・・悲惨な死に方でした。何がこうなったのかを調べているうちに、ここが里だと知りましてね。」

「まあ・・・里っちゃあ里ですがね・・・。」

 大山は気になった。

「どうかしました?」

「つまりその・・・堀田家本家はもうここにはおらんのです。」

「え?そうなんですか?」

「はい。分家が一軒残っておりますが、ここも後継ぎはおりません。老いた婆さんがおるだけです。」

大山は驚いたが、考えてみたらこんな人口が少ない村の話だ。ここまで過疎になると、こういうことも当然ありうるのだろう。

「そうでしたか・・・ほかになにか情報などは?」

 上大和は書類をがさごそといじくり、そのたびに埃が舞った。

「あった。これだ。」

「なんです?」

「実は、この村の者らは平家の落武者が先祖と言われておりましてな。本当かどうかはわかりませんが、みなそう思っております。ばってん、堀田と緑川はもっと後に入ってきた家でした。記録によると・・・応仁の乱以降のようですな。元々は・・・えーっと・・・康正元年・・・1458年に、千葉介胤直の家臣だった堀田某が、流れ流れてここまで辿り着いたと、なっとりますな。」

「ちょ・・・ちょっと今、なんて仰いました?千葉介ですって?」

「はいそうです。それからですかねえ、この村が子九村と呼ばれるようになったのは。それまでは別の呼び名だったようです。」

「それはこの、九尾の狐の力を持つ子孫という意味なんでしょうか?」

「わかりません。あ、そうそう、わからんと言えば、緑川と堀田の倅がいなくなってから、村にある寺が荒らされておりましてな。九尾狐の絵と、玉藻前肖像絵がなくなっておるそうです。あいつらが持って逃げたと、里の者は言っております。」

「お寺があるんですか?檀家も少ないでしょうけど。何というお寺なんですか?」

「はい、白面稲荷さんです。我々は『ここのを』さんと呼んでおりますが。一度行ってみるとよかですよ。」

「え?何かあります?」

 上大和は自慢げに語った。

「あそこには、黄金の狐様が祀られておったとばってん、今は模造が置いてあります。それもようできとりますよ。」

「何かあったんですか?」

「あれも盗まれたんですよ、本物は。罰当たりですばい、太郎と精一は。」

「あ、あの二人が盗んだんですか?」

「それが残念なことに、何の証拠もないんです。警察もあいつらを探したんですが、とうとう何も見つからなかった。きっと処分したに違いなかとばってん。」


12 


大山は上大和の紹介で、最も近隣の南里市にいた。ここはもう他県になるのだが、近隣の市といったらここくらいだ。子九村からさらに山道を10分くらい走らせたところにある南里市は、事実上子九村の人々が生活用品などを調達する場所だった。いわゆる境界地域にありがちな、県単位では片付けられない現状がここにもあった。大山が来ていたのは、ここで郷土史を研究している木佐貫田十郎の家だった。

もうおそらくは80歳に手が届こうかという年齢だったが、腰も曲がっておらず、頭の切れもあった。

「子九村の名の由来ですかな?警察の方がなぜにこのような田舎の町を調べなさるのですかな?」

丁寧で腰の低い、上品な語り方だった。


「何とも奇妙な事件を追っておりまして。色々調べていくうちに、ここに来てしまったということになりますね。」

 大山は慎重に言葉を選んで話した。必要以上のことを言ってしまっては、何も出てこなくなる恐れがありそうだったからだ。

「はあ。まあよろしいでしょう。こちらにどうぞ。」

大山が案内されたのは、個人で所有するには膨大すぎる書物がきちんと整理された部屋だった。スライド式の本棚が完備されており、まるで図書館に来たような感覚になった。木佐貫はその中から、真空状態で保存されている本を持ってきた。

本当に古い本のようだった。

「これは・・・古い本ですね。」

「さようにございます。これは結城氏朝の家臣で、記録係を担当しておった諸田某という者が記したもので、世に出てはおりません。研究家が調べに来られましたが、とにかくあちこち紛失しておって参考にはならんのです。だが私は、ちょっと気になることがありましたので、これを保存しておったのです。」

「結城?」

「はい。結城氏朝とは、足利時代に関東で起こったいくさの主です。関東公方配下の武将でしてな。通常結城合戦と言われておりますが、京都政権と関東武士らの対立ですな。これがのちの戦国時代への、直接のきっかけとなったいくさです。」

「それが子九村と何か関係あるんですか?」

 木佐貫はコーヒーを入れて、大山にも勧めた。うまいコーヒーだった。

「私はコーヒー党でしてね。紅茶もありますが・・・?」

「あ、いえ、全然構いません。」

「で・・・なぜに関東のことが子九村に関わりあるのか、でしたな。つまりは、そこが私も気にかかるところなのですよ。この村は、以前は小谷と呼ばれておりました。名の通り、小さい谷にあるというだけのことですが。元々は平家の落武者が作ったとも言われておりますが、確固たる証拠は残っておりません。ですが、子九村のいたるところに『盛』の字があります。これがおそらくは、何かの縁があったのかもしれませんなあ。」

 平家落武者伝説はいたるところに残ってはいた。ここも例外ではないのだろう。

「あそこは長い間、本当に隔離された世界でした。誰にも知られずに、ひっそりと過ごしておったようです。これも村の衆が信じておることなのですが、それは平泉より伝えられた秘法によって、それはおそらくは九尾の狐の力であったのでしょうが、義経公が超人的な力を得たために平家が滅ぼされたと、そう信じておるからです。」

「義経・・・ですか?」

 そこまで話がいくのかと、大山は思った。

「はい。それは大変な秘法で、それに恐怖した頼朝公が封じるために、その秘法もろとも平泉ともども義経公を滅したのではないかと。そして次は自分たちだと信じてきたがために、どことも交流を持たなかったのです。子孫繁栄のために、外部の女性に子供を産ませては里に連れ帰ったようですがね。しかし先ほどの京都と関東のいくさのときに、多くの守護大名が滅していきました。結城氏朝、千葉胤直・・・他にもです。」

ここでも千葉が出てきた。大山は本当に不思議としか思えない話を聴きいっていた。

「彼らの家臣の多くは関東に残っておったようですが、この本を記した諸田某のような密命を持っておった者らはあちこちに散らばっていったケースもあったようです。そして彼は流れ流れて、あそこにたどり着き、不思議なことに外界と接しておらなかった村の者たちは彼を受け入れたのです。おそらくは清盛公の遺言などがあったのでしょう。それからです。この村が子九村と呼ばれるようになっていったのは。」

木佐貫は、真空ケースに入れられた本の横にあるファイルを開いた。

「申し訳ありませんが、この本はこうしておかねばボロボロになってしまいます。なのでこれはこの本のコピーです。これでご勘弁ください。」

「あ、いえいえ、僕はその方がありがたいです。」

「ここにありますが、翻訳いたしますと『乞い者の如き諸田、肝煎家に在す』とあります。つまり、今で言うホームレスだった諸田が、村の長老宅に居候した、となっております。さらにこうあります。『美福の衣、諸田が捧ぐ』と。」

「・・・すみません、それ、どういうことでしょう?」

「これ以外には何もありません。なので、これは私の推測以外なにものでもございませんが、お話しても参考にはならないかと思いますが・・・。」

「大丈夫です。訊かせてください。」

「美福とは、おそらくは美福門院のことではないでしょうかの。鳥羽上皇の妃で、保元の乱を起こさせたとか言われておりますが。平清盛は美福門院を崇拝しておったということですし、また美福門院は玉藻前のモデルともいわれております。」

「玉藻前って・・・。」

「はい、九尾の狐、です。」

大山は目眩を感じてきた。現実主義者ではあったのだが、こうも色々なことが重なってくると、これまでの自分を全く信用できなくなってくる。

木佐貫は続けた。

「よそ者を入れないはずの村の衆がなぜすんなりと受け入れたのか?それは美福院を慕っていた清盛が、常々九尾の狐を信奉していたからではないでしょうか。諸田某は、それをなぜ持っていたのか?そして諸田が死んでから以降、この村は自然と子九村と呼ばれるようになっていったのです。」

 そして木佐貫は、大山をじっと見て言った。

「村の者たちは、いまだに自分たちが平家の落武者の子孫でもあり、なおかつ九尾の狐の子孫であると言っています。だから子九村だと。」


13 


「なんですって?それは本当ですか?」

大山は南里市のホテルで寝ていたところを、山内所長から電話があって起こされたのだ。

「ああ本当だ。今度は元指定暴力団の男だ。名前は川村和夫58歳。今度は股から裂かれていて、荒瀬荒神の神木に吊るされてたんだよ!」

「そ、そしてまた何か残してました?」

「今度はモノじゃない。声だ。」

「こ、声?」

「近所の者たちが、やたらでかい犬の鳴き声を聴いておるんだ。すぐに戻ってくれ!」

大山の頭の混乱は益々大きくなっていた。昨日の調査でもいい加減おかしくなりそうだったのだが、おまけに今度はこれだ。通常の捜査とは別の思考で臨んでいかなければならないだろう。

大山はまだ暗いうちにチェックアウトを済ませると、急ぎ川北市に戻った。署に戻るよりも先に、荒瀬荒神に向かった。荒瀬荒神は小さいところだが、地元の人たちは熱心に参拝していた。地元の神を鎮めていると言われ、特定の神を祀っているわけではない。

神社はすでに立ち入り禁止になっていた。

「あ、先輩、お疲れ様です!」

 羽間が声をかけてきた。すでに死体は運び出されていたが、まだ調査が続いていた。

「挨拶は抜きだ。どうなってる?」

「はい、今朝午前3時。近所町内の住人たちが、犬の声を聞いています。あまりに大きかったので何人かが声が聴こえた場所を探してみたところ、この木に吊るされた被害者を発見し、通報した次第です。」

大山は羽間が指さした木を見た。幹にも枝にもおびただしい血がついていた。吊るされていた枝には袋が被せられていた。

「その、住人が聞いたってのは間違いなく犬、だったんだな?」

「そのようです。ただ何人かは甲高い声だったとも証言しています。」

大山は、甲高い犬の鳴き声というのが気になった。今までのことからの直観だった。

「ケン、住人を何人か集められるか?」

「はあ・・・そりゃできるとはおもいますが、なんでです?」

「いいから急いでくれ。俺は署に戻って調べておく。」

 大山が川北署に戻って、まず遺体の確認を行った。安置所に向かうと、すでにそこには汐田と検視官がいた。

「大さん、俺はこんなの見たこともない。ひどいし、ありえない。」

汐田は心なしか頬がこけていた。

「・・・飯が喉通らないんよ。」

汐田は検視官に言って、カバーをめくらせた。

「うわあ!」

大山は声を上げて後ろに下がった。川村の遺体は、観たこともない酷さだった。頭は血まみれだったが傷はない。しかし股から胸のあたりまで、見事に『裂かれて』いた。

「し・・・汐さん、こりゃあ一体・・・?」

「タカちゃん、ここ見てよ。」

汐田は指差したところは、両足首だった。どちらも赤黒く変色していた。

「これは・・・?」

「わからんが・・・もし、もしもだよ?なにかがここを握って思いっきり裂いたとしたらこうなりゃせんかね?・・・いかん、いまは冷静な判断できないわ。」

「で、でも・・・指の形では、ないですよね、これは。」

「わからん。火傷のようにも見えるが、こう何というか・・・包んだようにも見える。全く意味がわからん。」

大山はしばらく調べた後、署長に呼び出されて会議室で話し合った。

「すまんな、疲れているところを。」

「いえ、大丈夫です。で、どこから話しましょうか・・・。」

大山は子九村で得たことを署長に話した。

「・・・全く、意味がわからんな。警察やめたくなってきたよ、全く。」

山内は茶を一気に飲み干した。

「本当は酒ってところだな。で、お前はどう思う?」

「署長・・・まだ結論は出せません。正直なところ、ここまで調べてきて、紙一重のところで九尾の狐の存在を信じるところでした。でもそうじゃない。状況から見たら絶対にそう思えますが、絶対にそんなはずはないんだ!」

山内は立ち上がって、大山の両肩に手を置いた。

「落ち着け。」

大山は必死に、自分の中にあることを信じないようにしていたのだが、無理すぎた。山内はそれを見抜いた。

「いいか。信じようが信じまいが、そんなことはどうだっていい。肝心なことは、お前がどんなイメージを持ったのかってことだ。それがどうであれ、俺はそれを否定しない。捜査に何の関りもないのかもしれんが、何かしらあるのかもしれん。・・・話して見ろ。」

大山は大きく息を吐いた。とりあえず、自分の胸の中に閉まっておくことはどう考えても不可能だった。誰かに話さないと、おかしくなりそうだった。

「わかりました。俺のイメージを話します。」


14 

 

『応仁の乱より遡ること30年、1438年(永享10年)に関東で 嘉吉の乱が始まった。

足利政権鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立が起こっていた。室町幕府6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた戦いである。狂乱の悪将軍と言われた義政が、播磨の大名赤松満祐に暗殺された嘉吉の乱はその後のことであり、ここから足利政権は不安定になっていった。

この時代、呪術で人が殺せたり、幽霊や妖怪の存在がごく当たり前に信じられていた。

権力者はより狙われやすく、呪術などを求めた。足利持氏が将軍義教と相対するために、永享の乱の前あたりに何らかの呪法を探し当てたという噂もあるほどだ。

それは関東に眠る秘法で、源義経が平泉で授けられたものと同じ属性だったのかもしれない。さらにそれは頼朝によって滅せられたと思われていたのが、幕府との抗争のためにどこからか掘り出してきたものだったものの可能性もある。南房総にはその秘法が眠っており、同時に封じる法も同様だ。

だがしかし、それは義経のような突然変異的な存在でなければ使いこなせるものではなかった。むしろそれは常人が持てば、自らを滅するほどのものだった。

嘉吉の乱が足利持氏らの自害で終了した後、その後の結城決戦を経て秘法は関東を離れ、諸田によって小谷にたどりついた。ここの民は平家落武者の里でもあり、義経の脅威をよく知らされていたのでこの秘法の力をよく知っていた。

さらに、この秘法は九尾の狐の力を持つ玉藻前とも通じており、かねてよりこれを神と信じていた平清盛の遺言で、玉藻前の力を持つものは身内であると言い伝えられていたので、村人は諸田と秘法を受け入れた。そしてこの力はここに封じられ、玉藻前が九尾の狐と言われていることから、子九村と呼ぶようになっていった。

しかし時は経て、この力を信じる村人も少なくなってきた。次第に世代の差が激しくなり、しきたりに反発する若者も出てきた。そしてついに緑川太郎と堀田精一がこの地を離れることになったのだが、その際に九尾の狐の絵と、玉藻前肖像絵を盗み出した。この絵の力によって、緑川太郎と堀田精一は大成功を収めた。しかし彼らには力の反作用が及ぼされ、何らかの力で、死をもって償うことになった。』

大山の持っているイメージはこういうものだった。語り終えると、大山は肩を落として机に伏せた。大山の気力が回復するのを待って、山内は声をかけた。

「いい推理だ。」

「は?信じるんですか、こんな戯言を。」

「勘違いするな。こういうイメージを植え付けることが目的だったんじゃないのか?今回の犯人は。」

「・・・と申されますと?」

「つまり今回の一連の猟奇事件の本質はこういうことだってことさ。犯人はお前が言ったようなストーリーが発生することを狙って、殺人を犯してきた・・・俺はそう思う。」

 大山は気持ちが急速に回復していくのがわかった。

「署長、ありがとうございます!これで迷うことなく捜査できます。」

「そうか。こういうことも俺の責任だからな。俺もそれなりのキャリアは持っている。そうは思われんだろうが。」

「では、今度は川村和夫の捜査に入ります。」

「ああ、他の奴らのことも忘れるなよ。」

大山は一礼すると、会議室を出て行った。山内は見送ると、吸っていたタバコをもみ消して署長室に戻っていった。大山が署を出ようとすると、羽間からの電話が鳴った。

「あ、先輩。近所の住人を集めておきました。稲荷の自治会でやってもらって、今は公民館にいます。」

「おうすまん!すぐ行く。」

大山は警察内にあるノートPCとスピーカーを抱えて、川北稲荷自治会公民会に出かけた。

すでに20名ほどの町人たちが集まって座っていた。

「皆さん、本日はお忙しいところ、今回の悲惨な事件の捜査にご協力いただき、感謝します。今回の捜査主任大山部長刑事より説明があります。」

羽間の挨拶が終わると、大山はノートPCとスピーカーを机の上に置いた。

「さて、皆さん、皆さんは今回、大きな犬の声を聞かれてお稲荷さんに来られて遺体を発見されましたね。今から鳴き声を2パターン聴いていただきます。それでどちらがその声に近かったのかを、教えてください。」

 説明が終わると、大山は動画をタッチした。2パターンの動画をタッチした後に、大山は町人に訊ねた。

「最初の声だったと思う方はいらっしゃいますか?」

 誰も挙手しなかった。

「では二番目の声でしたか?」

今度は全員が挙手した。大山は軽く頷いた。

「皆さん、ご協力ありがとうございました。どちらも、狐の鳴き声でした。ご協力ありがとうございました。」

全員が何のことだったんだと頭を傾げながら解散して去った後に、羽間は大山に詰め寄った。

「どっちも狐って・・・どういうことです?」

「最初のはネットで拾ってきたもの。後のはあの夜のもの。」

「え?ということは、同じ狐でも違って聴こえるってことなんですか?」

「そういうこと。」

「ってことは・・・あれ?」

大山は軽く笑った。

「実はな、この声を拾っていた奴がいたんだよ。音マニアってのが世の中にはいるもんだ。この人が言うには、狐の声はそんなに大きくないけど、こんなアプリを使えば相当にでかく聴こえるらしいぜ。」

「え?じゃあそれって?」

「ああ、人為的な犯罪として、改めて捜査始める。狐の声をわざわざ落として拡声した奴を、まず洗おう。」


15 


「川村だあ?あいつがどげんかしたつや。田舎のデカさんよ。」

大山がいたのは、隣県にある指定暴力団『早良漢道会』の本部だった。帯同しているのは、県警の組織暴力対策室の職員、つまりマル暴の田宮だった。

「うるさか。さっさと必要なこつだけ言わんや。俺も早う終わろごたっちゃけん。」

田宮は羽間よりもごつい男で、本部内にいるどの「自称会社員」よりも強面だった。なにせこういう輩を相手にしなければならない職業だ。

「知らん!あいつは極道の道を守らんかった奴やろもん。破門して、それっきりっちゃが。」

「大山さん、本当ですよ、こりゃ。」

田宮はこの場で堂々と大山に言った。さすがマル暴である。

「当たり前やが!これでよかな!早よいね!」

「まだ、終わってない。」

大山は制しようとする田宮を押し切って、一歩前に出た。彼らにとっては、立派な挑発行為に見える。

「なんや、こん田舎デカが!」

案の定いきり立ってきた。しかし大山は屈せずに、懐から写真を出して、彼らに放り投げた。そこには、川村の最後の姿があった。

「な・・・なんやこりゃ・・・。」

若頭の工藤が拾い、絶句した。そしてそれを、組長の後藤に手渡した。後藤はこの写真を見て、重々しく口を開いた。


「大山さん・・・だったのう。すると何か?漢道会が川村をやったと、そう言いたかとや?」

「いや、そうじゃない。だったらとっとと令状取っている。あんたらが仁義に厚い漢だってことは知っている。俺は情報が欲しいだけだ。」

後藤は大山の顔をじっと見て、ニヤと笑った。

「仕方なか。こんままじゃあ、俺らが殺ったことにされちまう。あんたの度胸にも結構参ったしな。おう工藤。」

「へい!」

「お前が話せ。任せたぞ。」

後藤は言い放つと田宮を一瞥してさっさと引き上げた。

田宮と大山は、事務所内にあるソファに座り、工藤と対面した。

「で、何が聴きたい?」

 工藤も自分の組を持つ自称経営者なので、とても社会人には見えない社員がぴったり横についていた。

「川村が極道の道を守らなかった・・・そういったね。」

「ああ。」

「それをまず、知りたい。」

「あん外道はのう、自分だけのシノギを隠しよったっちゃ。親ぶ・・・会長に知らせんでな。そげんのが通るとでも思うとったんじゃろ、あのアホは。」

それまで黙っていた田宮がのっそりと動いた。

「それがわかって、あいつを始末したとじゃなかろうな。」

「・・・あれでもな、会長のタマを何度も助けたことがある奴じゃ。会長が、何があってもタマだけは取るなと言われとるけんのう。」

田宮は大山に向かって軽く頷いた。間違いないという合図である。だが大山が聴き出したいことは他の事だった。

「で、そのほかのシノギってのは?」

「それをあんたに言う必要があるとや?」

「もう一度聴く。それは何だ。」

 田宮が立ち上がって窓の外を見始めた。自分は聞こえないぞというメッセージを送った形になっているようだ。それを見て、工藤は身を軽く乗り出して話し始めた。

「まあはっきり言って・・・俺らにも意味がわからんのよ。あいつが上がってきたんは上納が良かったってことも大きかったんやが・・・それにしてもかなり羽振り良かった。噂はあったさ。アフリカのイスラム原理主義と付き合いあっただとか、そういった噂はあった。だがあくまで噂ばかりでな。裏も何にも取れんかった。そんなときに、本当にいきなり支那の青幣から通達があって、川村を差し出せと。でかいルートをひとつやるから出せと。ばってん、そがんこつ言われてもなあ。」

「青幣?まだあるのか、そんなものが。」

青幣とは中国の巨大秘密結社である。一応壊滅したとは言われている。

「あるさ。まだな・・・。そいつらが言うには、川村が、やたら尾が多い狐の黄金像を盗んだと。いくらのものかって聞いても、全く答えない。俺らが川村を呼び出そうとしたときにゃ、もう奴はいなかった・・・いずれにしてもシノギの件もあるし、青幣とやりあいたくもなか。それで、破門したと、そいうわけたい。俺らは知らんことだ。」

 大山は再びショックを受けた。また狐だ。川村はどう狐と繋がっているのだろう。大山はこれ以上の情報は得られないと判断し、ここを後にすることにした。すると帰り際、工藤が口を開いた。

「大山さん・・・あんた、田舎デカで終わるには勿体なか。いつでんうちに来いよ。なあ、田宮さん。」

「ふざくんな!」

「田宮さん・・・ふ・・・ありがとうよ。狐につままれたような話だよ、全く。」


16 


ホテルガルーダはまだ新しいホテルなので、ひっきりなしに客がやってくる。

川北市にしてみれば初のリゾート式ホテルで、しかも天然かけ流し温泉で入浴だけでもオッケー、食事も吟味して無名だが確かな腕のシェフや板前を用意しているので、開業4年目にして予約の取れないホテルとなっている。

大山は例のカフェにきていた。もうすぐ緑川小百合が来ることになっていた。

隣県の極道事務所から戻った大山は、三日かけて徹底的に九尾の狐に関する資料を読み漁った。さらには鑑識汐田と徹底的に遺体のチェックを行った。今回小百合から聞き取りを行わなければならないことは、この調査から導き出される結果の裏付けだったのだ。

大山は小百合の姿を思い出していた。よく手入れされた長髪はビロードのように美しく、透き通るように肌は白く、そのまま女優になってもいいくらいの華奢で美貌だった。もうすでに羽間などもメロメロになっていた。様々な妄想もしたりしたが、妄想くらいはいいだろうと、心の中でかおるに謝った。

「大山さん、お待たせいたしました・」

妄想の中にいた大山は、小百合の声に驚いて立ち上がった。そのついでに頭を柱にぶつけてしまった。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。すみません。どうぞお座りください。

小百合は白いブラウスに赤いスカートを履いていた。まるで花が咲いたように華やかな雰囲気になった。コーヒーを注文し、大山はこれまでの調査結果について簡単に説明した。

「つまり、共通しているのは狐ってことです。」

コーヒーがきて、一旦説明を中断した大山は一口飲んでから続けた。

「さらには、白面稲荷から盗まれた九尾狐の絵と、玉藻前肖像絵、そして黄金の狐の行方です。九尾狐の絵は堀田が所有しておりました。家宅捜索した際に発見しました。」

「堀田さんが、盗んだんですか?」

 小百合にとっては幼いころからの知り合いなだけに、こういう話はショックなのだろう。

「まず、間違いないでしょう。それから玉藻前肖像絵はまだ見つかっていません。懸命に調べてはしますが、少なくとも川村と堀田は持っていません。それでお聞きしたいのですが、緑川家にはありませんか?」

「え?・・・それは、父が盗んだってことを言いたいわけですか?」

「・・・残念ながら、我々はそう思っていました。あなたは見たことありませんか?」

「ありません。」

小百合の口調には怒りが込められていた。

「おそらくそうでしょうね。」

「・・・おそらく?どういうことですか?」

「小百合さん、これは大事なことなんです。正直にお答えください。見たことはなかったんですね?」

「ちゃんと説明してください!」

 大山は立ち上がった小百合を座らせた。

「最後まで聞いてください。我々もそう思っていました。ですが今日、天原の貸金庫から、その絵が発見されたんです。」

「天原さん・・・が、ですって?」

「そうです。しかもそれを長い間持っていました。この金庫には1つのみ入っていて、しかもそれが25年も借りたままなんです。1回も開いていません。」

「ということは・・・?」

「あなたはお父さんの日記で、お父さんは天原に対して怒っていて、追い出すと書いてあった・・・そう仰いましたね?」

「・・・はい。」

「これは何の証拠もないことですので、お父さんには嫌疑がかかっても逮捕されることはないでしょう。ですからあなたに確認を取っているのです。小百合さんの証言はとても大切なことなんですよ。」

 小百合は黙って頷いた。

「では改めてお聞きします。玉藻前肖像絵・・・ご自宅では見たことはなかった・・・間違いないですね?」

「はい。」

「これはこれまでの捜査の中で、我々が推測したことを立証する証拠です。いつでも求めますので、そのときには証言されてくださいね。」


17 


「そう・・・とうとう中国とも捜査協力するってことになっちゃったわけ。大変なことになったねえ。」

 かおるは紅茶をテーブルに置いた。昨日千葉から戻ったばかりだ。

大山らの捜査の結果、主犯は中国の上海青幣によるものと断定され、捜査の主軸は警視庁に移行されることになった。地方県警の手には負えない。

「ああ、本当に参ったよ。翻弄されたよ、全く。」

大山らが掴んだことはこういうものだった。

今から27年前、子九村にいた緑川太郎と堀田精一は村の風習に反発して、白面稲荷から宝物を盗み出して村を出て千葉で勤務。カネになる黄金の狐像を中国青幣マフィアに売りさばき、それを元手に大成功を収めた。

九尾狐の絵は堀田が所有し、玉藻前肖像絵は緑川が持っていたが、緑川工業に勤務していた天原が緑川を脅迫。怒った緑川は知り合いの川村和夫がいた早良漢道会に依頼して天原を逆に脅して追放。天原は放浪し、大手暴力団に入って芸能界活動を開始。

年月が経て、中国から黄金の狐像が紛失したことが判明。それに天原と暴力団が絡んでいると知った青幣は逆襲。天原が堀田に話を持ち掛けていたことを探り出し、天原と堀田を斬殺。獣の仕業のようにみせかける手法で、大山ら県警を翻弄した・・・というのが警視庁の見解だった。

「そうだったの!でも、あの事件を獣の仕業のように仕向けるなんて・・・。」

「俺も知らなかったけどさ、中国とか他のアジアの国も九尾の狐ってのは神獣でね。ものすごく大切にされていて、ましてや黄金の像ときたら極上の幸せになれるんだそうな。それを盗まれたもんだから連中怒りまくってさ。身の軽い雑技団のような殺し屋を育ていてさ、いかにも神の怒りのように見せかけるんだとか。」



「天原のときに、急に体が重くなったように見えたのは?」

「身軽な奴らだ。上から二人くらい飛び降りてきたんだろうって。そして竹馬みたいな道具の先に狐の足跡つけれるような何かをつけて地面に足跡をつける。ついでに毛や川も落としておくという周到さ。恐れ入ったよ。」

「で、最後に殺された川村の犯人は?」

「警視庁では中国青幣の仕業だろうってことになってるらしい。あんな殺し方は普通やらないもんね。たぶんだけど、眠らせた状態で引き裂いたんだろう。」

「・・・気持ち悪いし、怖い。川北みたいな田舎じゃ考えられない話よね。この街、静かすぎて好きじゃなかったけど、こんな事件が起こった後じゃ・・・平和っていいなって思うわね。」

大山は紅茶をすすった。紅茶にこだわるかおるが買ってきたもので、セット2千円もする高価なものだったが、そのぶん美味い。静かな時間を過ごしていた大山だったが、スマホが鳴った。羽間からだった。

「おう、どうした?」

「先輩、とんでもないことが起こりました!」

「何だ?今度は窃盗か?」

 これがいつもの川北の犯罪レベルだった。それも本当にセコいものばかり盗まれるので、誰も驚かないレベルの街だった。

「冗談じゃないっすよ!電話じゃアレなんで、署まで来てもらえますか?」

「わかったよ!」

 せっかくの紅茶だったのになとブツブツ言いながら、大山は着替えて川北署まで出向いていった。

「あ、先輩、申し訳ないです。こっちこっち!」

 羽間が連れてきたのは取り調べ室だった。そしてそこにいたのは見覚えある顔の男だった。

「え?上大和さん?」

 そこにいたのは子九村警察署の上大和多伊三だった。

「上大和さん・・・、どうしたんだ?」

 大山は部屋に入った。

「おい、説明してくれ。」

「はい・・・自主してきたんです。自分が川村和夫殺害犯人だと。」

「な・・・なんだと!」

大山は上大和の前に座った。

「上大和さん、どういうことです?それに、紛れもなくあなたは警察の人間なんですよ?こんな茶番やめましょうよ。」

大山の言葉で、上大和の温厚で小市民的な顔が、突然変わった。

「茶番?茶番だと?お前に何がわかる!」

上大和はテーブルを激しく叩き、羽間に抑えられた。

「何がわかるって・・・何がなんです?」

 上大和の顔は、大山が会った時の顔ではなくなっていた。目は怒りに燃え、口から火でも吐きそうな表情だった。

「お前がやったことで『ここのをさん』が返ってこなくなったやないか!あれは我らのもんや!返せ!」

 上大和の激しい言葉に押されていた大山だったが、徐々に冷静さを取り戻してきた。

「どういうことです?僕には全くわかりません。そもそも我々って誰なんです?子九村の方々全員ってことなんですか?そしてあの像を取り戻すために、川村を殺したって言うんですか?」

上山門の怒りは少しだけ収まった。大山は羽間に手を離すよう命じた。

「我々・・・というのはな、玉藻前を封じた那須野様と三将の子孫のことよ!」

「何ですか?」

 羽間も信じられない様子で動揺を隠せなかった。

「何です、その三将とか言うのは?」

「お前たちはそれも知らんのか。須藤定信、三浦義明、千葉常胤、上総広常・・・玉藻前を滅した将軍たちよ。わしらは代々子九村で、あの方を・・・玉藻前様をを封じてきたのだ!」



18 


「こういうことだったのか・・・。」

 大山と羽間は、川北市立図書館にいた。目の前には、高井伴寛作の「絵本三国妖婦伝」の翻訳本が開いてあった。上大和の証言から、おそらく参考になるのは「南総里見八犬伝」よりもこちらだと判断したためだ。

「つまりこの本によると、悪事をはたらいていた玉藻前を討伐しろと命じたのが須藤定信で、三浦義明、千葉常胤、上総広常が将軍だったというわけか。」

「だけど先輩、この話って創作なんでしょ?どういうことなんですかね、これ。まさか作り話を子九村の住人が信じちゃってるってことなんですかね?」

「それはわからんが・・・。」

大山は以前、知人の小説家から話を聴いたことがあった。

「俺は物書きじゃないからアレだけど、中には何かが降りてきて勝手に話を書いてしまうってこともあるらしい。まさかとは思うが、話どおりじゃなくても、これを書いた何かしらの関連性があったかもしれんな。」

小説というものは人にもよるが、かなりの確率で『書かされている』と感じている人は多いものだと、大山の知人は語ってくれていた。大山は上大和の変貌ぶりを見ていて、このことを思い出したのだ。ひょっとしたら知名度の高い曲亭馬琴ではなく、降りてきやすかった高井伴寛が書かされたのかもと、思った。

「あの人は須藤定信の子孫だって言ってた。堀田精一が三浦義明の子孫で、川村和夫が上総広常の子孫だってな。天原剛助が千葉胤直の子孫・・・。つまりは、この三将軍は全て虐殺されたってことになるな。この本でも、三将が玉藻前を滅ぼし、成敗せぬよう懇願してきた玉藻前を上総広常が切り捨てた、とある。この本をそのまま解釈したとすれば・・・玉藻前の怨念が、時を経て敵を討った・・・ということになるな。」

大山はどうにもわからんと首を振って机に伏した。ちゃんと根拠ある操作方法で謎は解け、解決に向かって動き出しているはずだった。これまでも散々心を動かされてきたが、そんなことはないと否定しながらやってきた。そしてそれが正しいということで動いてきたし、上海の青幣のこともあった。現実的に操作が進んできていたはずだったのに、ここに来てこうだ。

「でもさあ・・・川村を一人でやったってことになるの?それもおかしいだろ。全く・・・何が本当なんだよ・・・。」

「でも先輩、ちょっとおかしくないですか?」

 大山は伏して本に目を通しながら答えた。

「何がなんだよ。」

「緑川さんもここの出身なんでしょ?天原はここの元従業員だし・・・あの人の言うことが本当だとしたらですよ?緑川さんも何かの子孫だとか、何だとかあってもおかしくないはず。何で名前が出てこないんでしょうかね?」

大山はゆっくりと顔を上げた。

「おい、その続きはないか?」

「続き?あ、え~っと、この本だと玉藻前って、鳥羽上皇の妃なんでしょ?先輩確か以前に、自分は天皇の子孫みたいだって仰ってたじゃないですか。そのことと関係あるのかも・・・なーんて、へへへ・・・。」

 羽間の笑いは、突然に手を握ってきた大山の行動でかき消された。

「羽間・・・。」

「は、はい。」

「お前・・・お手柄かもしれんぞ!」

大山は呆気に取られている羽間を残し、急ぎ実家に車を走らせた。大山の実家は川北市の南にある小さな町だった。特に何があるというわけでもない、娯楽すらない住宅地にあった。

「祖母ちゃん、いる?」

「何だよ、いきなり・・・。」

 大山の両親はまだ仕事をしていたので、家には普段祖母しかいなかった。

「ちょっと、祖母ちゃん、あの本見せて!」

 大山は以前祖母から聴いていた、この家がかつて皇族だったということを記述している本を探していた。

「これかい?」

祖母が出してくれたのは、家系図だった。大山は幼い頃に何回か聞かされたことがあったのだ。

「・・・やっぱり・・・。」

大山は祖母にこれをしばらく預かるからと言い残して、家を出て行った。


19 


「千年後?」

山内は大山が持ってきた本を何度も見た。

「はい、今年がそうです。」

「この・・・『千年奇譚』っていう本・・・鑑定結果はどうなんだ?」

「国立大の教授に鑑定してもらいました。少なくとも年代的には間違いなく平安時代のものだとわかりました。作者はここに書いてあります。」

「うーん・・・。」

 山内は腕を組んで苦虫顔をした。

「この本によると、作者は宮中に仕えた小式部内侍。で、これは誰だ?」

「教授によりますと、藤原道長と同世代の歌人で、えーっと・・・藤原彰子、紫式部あたりたちと女流作家グループを作っていたそうです。非常に奔放な女性で、多くの貴族と浮名を流したとか。」

「ふぅーむ。ではこの本の、少なくとも年代的には間違いないものなんだな。」

「そうなります。そこで問題なのが、今読んでいただいた、ここですね。」

 そこには要約すると、藤原摂関家の頂点を極めた藤原道長が三女威子を後一条天皇に入内させたとき、実は同じ年に自分が天皇の子を産んでいたが、生まれた子が白顔だったため、九尾の狐であるとして忌みられ、都に置くこともできずに、女中の一人に命じて密かに下野させた、ということだった。さらにその子は女中の子とし、都からできるだけ遠方に置き、千年後に神として復活させるように命じた、とも書かれていた。

「それがお前の家にあったということは、お前が狐ってことか?」

「違います。これがなぜうちにあったのかを祖母に訊ねたんですよ。そうしたら幕末に、南の山奥にある小村の男が行商でやってきて、そのときに親切にした曽祖父に手渡したそうなんです。」

「・・・その小村というのは?」

「祖母によりますと、黄金の狐が祀ってあるところから来た男だと、そう言っていました。そしてその男の里は、村の小川が流れるほとりにあって、緑川というところだと言っていたということでした。」

「なんだと!小谷のことか?」

 大山は思い出すように署長室をうろつきながら話した。

「自分が緑川太郎に最初に会ったときには見逃していたんですけど、あそこの社長室の取手が妙だったんですよ。」

 大山はそのときのことを覚えていた。

「あれは・・・間違いなく狐の頭部をデザインしたものでした。それも黄金色にメッキされたものでした。」

 大山は山内のテーブルに両手をついて、ゆっくりと話した。

「上大和は、我々は玉藻前を封じた那須野と三将の子孫だと言っていました。それに代々玉藻前を封じてきたと。これはつまり、本当は玉藻前を守ってきたと考えられます。歴史的には真実は、玉藻前が実を隠すために連中に負けたように見せかけてきたのであって、実は玉藻前に従う者だということなんじゃないでしょうか。真のボスはすでに村の外に出てきていて、外部で指示を出している奴ってことになりませんか?」

「すると、お前が最初にイメージしたことというのは、間違いではなかった・・・ということになるのか・・・?あの上大和が名乗り出てきたということは・・・主犯を隠すためのことだとするならば・・・それは・・・?」

 もはや残されているのは一人しか考えられなかった。

「はい、少なくとも、緑川太郎は何かしら関わっているはずです。あまりにも出来すぎています。人がこのような逸話に見せかけて犯罪を起こすってことは、ありえないことではないでしょう。」

山内はタバコを勢いよくもみ消した。

「よし、行け。羽間は他の仕事でおらん。一人で確認してこい。容疑が固まったら手柄だぞ。」

「わかりました!」


20 


「・・・どうなってるんだ?」

大山は緑川工業に来ていた。もう夜なので警備以外誰もいないはずだった。しかし静まり返っている。警備室の照明も消えていた。

「すみません!」

声を出してコールボタンを押しても、返答がない。大山は会社の玄関に手をおいてみた。

「開いている・・・?」

大山は玄関を開けてみた。真っ暗で何も見えない。大山はスマホの照明アプリを起動させ、中を照らした。

誰もいなさそうだった。玄関からすぐ正面が事務所になっているので、大山は脇を通って社長室までゆっくりと歩いていった。社長室の前まで来ると、大山は異変に気がついた。嗅ぎたくない匂いが漂ってきている。最近にも嗅いだことのある匂いだった。

「血・・・?」

社長室の扉の取手は、やはり狐の形をしていた。大山は取手を握り、右手は拳銃を持ってゆっくりと開いた。

「うお!」

室内は強烈な光で満たされていた。大山は一瞬視界が白い闇で遮られたように感じたが、すぐに見えるようになった。しかしすぐに、見えなければ良かったと思った。社長室内は、凄惨な状態だった。床は血の海で、正面の社長テーブルには緑川太郎の首が乗っていた。床には胴体がテーブルに対して真っすぐに倒されており、両手両足はテーブルの四方に置かれていた。

大山は持っていたマスクをつけたが、それでも激しく匂ってきた。部屋を照らす光は、どうやらテーブルの先から出ているようだった。少しずつ目が慣れてきた大山は、信じられないものを見た。

首の向こうにある社長椅子には、あの小百合が座っていたのだ。

「さ・・・小百合・・・さん?」

 小百合は目を閉じており、金ラメが入った白いスーツに身を包んでいた。口元は微笑んでいるように口角が少し上がっており、相変わらずの美白だった。大山が知っている小百合よりもはるかに白く見えた。

「小百合さん!どうされたんですか!」

大山の叫びに反応するかのように、小百合の両目はゆっくりと開いた。そして大山を見て、小首を傾げてにっこりと笑った。血の海の部屋の中にあってさえ、その清楚な美しさは際立っていた。

「ここは危険です!すぐに出・・・。」

大山は黙った・・・いや、口が開かなくなった。

「大山さん・・・やっぱり来られましたね。」 

大山は次第に身体全体が動かせなくなってきていた。小百合は静かに微笑みながら、魅力的な声で話し続けた。

「あなたが来ることは予想できていました。すべては必然なのですよ。」

小百合は椅子から立ち上がった。いや、浮いた。そして浮いたまま太郎の横を通り過ぎ、大山の前にすっと降りた。

「あなたの家にあの本を置いていったのは、わたしが復活する日のために、あなたが必要だったからです。だってあなたは、崇徳さまの末裔・・・いや、転生なのですからね。」

「君が、小式部内侍?まさか・・・君の生きた時代って・・・。」


 大山は動けないまま、そんな馬鹿なことを信じられるか、と思った。

「そう、馬鹿げているかもしれません。ですが、これも必然・・・。あなたの内にある声に耳を貸してごらんなさい。何が聴こえます?」

小百合は大山の心の内が見えるように言った。小百合の言葉が終わる前から、大山の心の奥の、さらに奥底から滲み出るように、考えられない感情が沸き起こってくることがわかった。それは深い愛だった。どんなに大山が抵抗しても、それは変わらぬ愛の感情だった。

「そうです。わたしの名は得子・・・さらには小式部内侍でもあったわ。そしてあなたに恋した女・・・あなたも愛してくれた。思い出しましたか、崇徳様?」

大山の心の半分以上を、崇徳院の若い頃の感情が占めるようになっていた。年上の得子が入内したとき、若き15歳の崇徳天皇は5歳年年配の得子に恋をした。得子も崇徳に恋をし、2人はときどき歌で会話するようになった。

『瀬を早み(叶わぬ恋と知りながら) 岩にせかるる滝川の(どのような障害があろうとも) われても末に あはむとぞ思ふ(いつかは結ばれたいと願う)』

有名な歌は、実はこの恋を詠んだものだった。だが、障害は大きすぎた。

父の鳥羽上皇は得子を寵愛し、なおかつ得子と我が子崇徳が恋に落ちていると知り激怒。

ゆえに絶対院政を敷いていた鳥羽上皇は皇位を後白河に譲らせた。そしてこのことが、後白河院派と崇徳院派に分かれて対立し、平家源家をも巻き込んでの大乱、保元の乱となった。破れた崇徳院は隠岐に流刑となり、憤死したと言われている。

得子は悲しみ、目をかけていた千葉介平常将に、千年の後まで崇徳の魂を守るよう命じた。得子の血統はすぐに絶えたのだが、その魂は密かに下野していた姉の子に宿り、現在まで誰にも知れることなく存続することになった。

「平常将の子孫は千葉、下総の祖。同族の三浦も交えた三同族で我が魂を守護させた。それからちょうど千年・・・あなたが生まれ変わり、そして私と巡り合うタイミングで本をあなたの曽祖父に手渡しました。そしてあなたが私に近づくために、三将の子供たちは最後の奉公をしてくれました。」

そのためにあんなむごい殺し方をしたのかと、大山の心は怒りに燃えていた。大山の心の中にある崇徳院はぐいと得子に寄り添っていたが、わずかに残った大山の心は激しく逆らっていた。

「あなた方が推理したように仕向けたのですが。ちゃんとご理解いただいたのに。ただ、彼らは我が依代の狐霊たちにやらせました。依代たちは普段は普通の人間です。でも彼らにやらせるわけにはいきませんでした。この男だけは我が手にかけました。」

(なぜなんだ!)

 大山の心は叫んだ。

「なぜ?簡単です。あの男は夫だった鳥羽の転生・・・愛しいあなたを皇位につけなかった、心狭い男だったからです。私の復活の生贄となってもらったのです。これで、私の夫への恨みは消えました。」

大山の身体の縛りは、急に取れた。しかしやはり体は意のままにはならなかった。大山の身体の中にある崇徳が動かしていたのだ。ほぼ崇徳と化した大山が手を伸ばすと、小百合も手を伸ばし、そしてそっと手を取り合った。小百合の周囲には十二単ができ、大山の周囲にも束帯が見え始めた。

「千年の時を越え、やっと我らの恋は成就となる。めでたきこと・・・。」

大山と小百合の身体が白く光りはじめ、ゆるやかに合体し始めた。残っている大山の心は激しく反発していたが、次第にその気持ちも消えかけていた。やがて静寂が社長室を占めるようになっていった。そして2つの白い姿は徐々にひとつの球となっていった。

「やめなさい!」

鋭い声が響き渡った。合体しかけていた崇徳と得子の姿は再び別れ、大山は縛りが一気に解けて気を失い、床に倒れこんだ。得子の姿から小百合の姿に戻った得子は、鋭い視線で声の主を見た。そこには白水かおるが立っていた。

「いつまで恋ごっこやっているつもりなの?」

小百合は徐々に姿が変形していった。

顔は鋭く細くなり、耳は頭の先まで伸び、爪はぐぐっと伸びた。

全身が黄金色に輝き、背後には尾のような光の束が見えた。

「お前は・・・!」

 かおるの身体も徐々に変形していった。

それは尼姿だった。


「お前の勘違いは1000年も続いたわけね。この人はすでに崇徳院の心から離れている。ここに見えるのは、崇徳院が残した心の残像よ。」

 異形の姿となった小百合は甲高い犬のような声で唸り、そして叫んだ。

「まさかすでに、入れ替わらせておったと申すか!政子!」

政子と呼ばれた白水かおるは頷いた。

「違うわ。お前は気づかなかったようね。崇徳院の魂はわが夫頼朝が自ら入れ替えました。崇徳院の魂はすでに成仏されています。転生する直前にね。なぜなら、お前を滅せねばならなかったからよ。」

かおるは柔らかい笑みを浮かべていた。

「だが己惚れるな。お前にはさほどの価値はない。お前は知らぬのであろうが、我が北条家は俵藤太様の血を継いでおる。藤太様は毘沙門天の化身。お前のような化け物を退治する役目を負うています。そしてこの私は、藤太様の魂を継いでおります。」

俵藤太、つまり平家源家と並ぶ武家の棟梁であった藤原秀郷のことである。

「鎌倉の世は、あなたを復活させないために毘沙門天様が作らせたのよ。そなたの怨霊は、滅する定め。ここにおるのは、頼朝公の魂。そなたには渡しません。」

小百合は倒れた大山を見て、目じりがきりきり、と吊り上がっていった。

「北条政子・・・おのれえ!」

怨念の塊となった小百合はかおるに飛びかかった。その腕が振れる寸前に、かおるの後方に光の球が現れた。その光を見た小百合の姿は、徐々に貴族の姿に戻っていった。

「おお・・・これは・・・このお光は・・・。」

光の玉は変形し、人の姿になっていった。きちんとした烏帽子を被り、高貴な姿だった。その姿を、九尾の狐、いや得子は決して忘れた音はなかった。

「そこにおられましたのか・・・崇徳様・・・。」

「そなたはこれと添い遂げたかったのであろう?成就するがよい。」

小百合の身体から白い光が抜け出し、黄金の球となって、政子の後方にある球も小百合の球めがけて飛んで行った。北条政子の転生であるかおるには、この次元では一瞬のことでも長いストーリーとして完結していくのが見えた。

父鳥羽帝と、兄弟後白河帝に翻弄された崇徳帝の魂は政子によって再構築され、得子と結ばれた世界にいた。彼らの情熱はその世界で激しく燃え、そして我々の感覚で言えば永遠に近い時間を共に過ごすことになる。我々の次元では為せなかったことも、あの世界では可能なのだ。

得子は若い姿になり、崇徳帝と夫婦になり、政子に笑みを浮かべて、そして消えていった。得子の魂が抜け去った小百合はスーツ姿のまま、大山の横に倒れこんだ。

2つの球は合体し、巨大になり、激しく光り輝いた瞬間に消え去った。大山は意識が戻りはじめ、激しく聴こえるパトカーのサイレンの音に気がついた。

「さ、小百合さん?小百合さん!小百合さん!どうしたんですか?小百合さん!」

 大山は小百合を激しく揺さぶったが、反応はなかった。小百合を起こそうとしたが、全く立ち上がれなかった。全く脳が機能していないのだ。

(くそ・・・。)

 意識が遠のく大山だったが、意識がなくなる寸前に見たことがない姿のシルエットを見たような気がしていた。


21 


大山と羽間は、高野山に来ていた。美福門院陵に参拝しにきていたのだ。あの後、緑川太郎や従業員が姿を消していて、緑川小百合の取り調べが行われた。緑川小百合は、緑川と自分の出生のことだけは完全に忘れていた。記憶障害の治療のために、いまだに病院にいる。

大山は緑川工業の中で昏睡状態にあるところを発見され、軽度の酸素不足症と診断された。だが、緑川小百合が犯人ではないことだけは覚えていて、その旨を伝えた。

猟奇殺人の件はいまだ調査中であるらしい。国際問題は時間が必要である。

「先輩、本当に何も覚えてないんですか?」

「ああ。」

断片的に連続性がない記憶の他は、本当に何も覚えていなかった。だがあまりにも不思議な事件であったため、小谷や崇徳院などの墓などを巡っていて、ここが最終だった。

「九尾の狐・・・玉藻前・・・一体、あれって、実在したのかな。」

「上大和さんも精神疾患と診断されましたしね。今となっては何が何やら・・・。」

「でもなあ・・・子九村はそのままでいいと思うぜ。」

「え、どういうことです?」

「あの伝説のままで・・・彼らの言伝えはそのままでいいってことさ。もう伝説に踊らされることはない。単なる言伝えとして、村の財産になればいい。俺は・・・そう思うな。」

「先輩・・・先輩らしくないですよ。何でか・・・同情ですか?」

「バカ。そんなんじゃねえよ。ただ、何となく、そう思うんだ。必然的というか・・・俺にもよくわからんよ。」

 大山は深くため息をついた。

「なあ羽間。」

「なんすか?」

「歴史ってものはな、勝った者が自由に作り変えるものらしいぜ。」

「へえ、勝手なもんですよねえ。」

「だから・・・まあいいや。もう帰ろう。いい加減に帰らないと、署長から大目玉喰らっちまう。」

「そうですよね。あーやっぱし。故郷の飯と酒が一番です。」

 歩いている大山のスマホが振動し、メッセが入った。かおるからだった。

『いつ帰るの?明後日にはあたしが鎌倉の実家に帰るんよ。さっさと帰って色々片付けしててよね』

 大山はメッセを見て、フッと笑った。いつか鎌倉にも行かなくちゃ。今度行くときには、ご両親に正式に結婚のお願いだろう。かおるは強い女だから、両親がどんなに反対しても押し通すだろう。

「ん?」

羽間が立ち止まって辺りを見渡した。

「どした?」

「いやあ・・・まさかねえ。」

「だからどうしたんだよ。」

「狐の声がしたような気がしたんすけど・・・。」

「俺には聞こえなかったぞ。気のせいなんじゃないか?」

しかし大山にもそれは聞こえていた。どこか嬉しそうで、楽しささえ感じさせる声だった。

「あ、先輩、待ってくださいよ!」

まだ回りをキョロキョロしていた羽間は大山に置いて行かれ、慌てて走ってきた。空には二つの大きな雲が浮いており、横には小さな雲も見えた。大山はそれを見てなぜか幸せな気持ちになり、手を上げて挨拶した。





著者2番目のシリーズものです。まだまだ設定構成には難がありますが、そこそこ面白くできたような気はしています。

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