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魔女の心臓

「蘭。魔女の心臓の在処に心当たりはないか?」

 館での暮らしが二週間を超えた頃――つまり、ギンレイが封印されて一週間が過ぎた朝、トツカが唐突にそんなことを尋ねてきた。

「いや、ないよ。そもそもどんなものか見たこともないし」

 朝食のパンにかじりつこうとしていた蘭は、その手を下ろして訝しげに眉を寄せて答えた。

 魔女の心臓。それが魔女になるために必要なものだ、ということはかろうじて把握している。だが、魔女を継承すると決めていない以上、積極的に探す必要もない。だからトツカの問いかけが随分唐突に感じられた。

「それもそうだな……悪かった」

「そんなに大事な物なの? 魔女の心臓って」

 深刻そうに俯いたトツカに不吉なものを感じてそう問いかける。魔女にならなければ遺物が暴走する、などという無茶な理由でここに連れてこられたせいで、そう深刻な顔をされると身構えてしまう。トツカが蘭を欺くことはないと一応は安心していてもだ。

 トツカは蘭の不安を感じ取ったのか、真面目な顔で蘭を真正面から見つめて口を開いた。

「ああ。魔女を継ぐにしろ継がないにしろ、在処が分からないのはまずい。誰かが持ち去ったら悪用されかねない。ニーヒルのことだから、そうそう見つかる場所に隠してはないだろうが」

 持ち去る、という言葉にぞくりと肌が総毛立つ。自分の物だ、と言いたいわけではないが、それでも自分の一部が持ち去られるような嫌悪感があった。

「それじゃあ、今日はそれを探そう!」

「……いいのか?」

「俺にとっても他人事じゃない、というかモロに俺に関係することだし」

 悪用されるかもしれない、というのが何処まで本当なのかは正直、怪しいとは思った。それに、自分が心臓探しの役に立つことはないだろうとも思った。それでも、放っておく気にはなれなかった。

「もし銀の鈴が見つけていたなら、既にお前に継承の儀式を強要していたはずだ。ならばおそらく奴は見つけられなかったのだろう」

 トツカの推理に蘭も頷く。一応は蘭の意思を尊重するそぶりを見せていたが、ギンレイの中では結論は決まっていた筈だ。既に確保していたならこれ見よがしに蘭に見せていたことだろう。

 そうなると、じゃあギンレイは心臓のありかも把握してない状態でどうやって魔女にするつもりだったのか、という疑問が浮かぶが、いない存在の思考を考えている場合じゃない。今はいったん棚置きだ。

「そう言えば」

 不意に、この館に来た日のことを思い出す。談話室に置かれたロッキングチェアが魔女の心臓について話していた気がする。必死に記憶をたぐり寄せる。

「確か、前にロッキングチェアも、この工房のどこかにあるけど場所は分からないって言ってた」

 耳の奥で優しく響くその声を思い返す。あの言葉が本当だとしたら、この館にあるのは間違いないのだろう。

「ならば奴の管理外のエリアか。そんな場所があれば、だが」

「工房って言ってたんだしあの書斎兼工房にあるんじゃ?」

「流石に分かりやすすぎる。それに、あそこにあったなら銀の鈴は見つけていたはずだ。何せ工房の床に隠匿の魔術を仕掛けられるんだぞ。あの部屋は完全に銀の鈴の管理下にあった」

 それもそうだ。でもだとしたら、ギンレイの手の及ばない場所なんてこの館の中にないのではないか。

「談話室の上に屋根裏部屋っぽいのがあるけど」

「あれはただの物置だ。私ですら出入り自由だったからね。不用心すぎる」

 物理的な高さなんて魔女にとって何の意味もない。トツカが中に浮いて自由に動いていたことを思い返しても当然だった。

「奴の目を欺ける場所、奴が立ち入れない場所……そんなものがあるのか? ここに」

 その言葉に蘭は引っかかりを覚え、顎に手を当てて考え込む。

「入れない、場所」

 蘭は二週間で把握した館の構造を順番に思い起こしていく。

 館の北からニーヒルの寝室、隣に工房。トツカの意見を考えればこの二カ所は除外。

 廊下の西にあるキッチンはアーチ型の開口部でそのままダイニングに繋がっている。食事の用意をしていたのだからギンレイはあの場所もよく知っていただろう。除外だ。

 廊下を挟んで反対側、つまり東側に水回りと風呂。その隣に、今蘭が使っている客間がある。客間の手入れは行き届いていたし、鍵もない。ギンレイが入れない道理はない。ここにもないと考えて良さそうだ。水回りも掃除が行き届いており、直接ではないにしろ手出しが出来たことがうかがえる。除外。

 脳内で廊下を南に進み、玄関ホールを通り過ぎる。本館の反対側に廊下で繋がっている円柱のような部屋は談話室と屋根裏部屋だ。だが、屋根裏も談話室もトツカがしょっちゅう出入りしていたと言う。外部の人間が出入りできるのだからそこにはないというのがトツカの意見だ。同業者がそう言うのだから除外していいだろう。

「……んー、ないなぁ。ここ、そんなに広くないし」

「一応、工房とあの子の寝室を見てくるよ。ないだろうが、手がかりが残っているかもしれないしね」

「うん。俺もちょっとぐるっとしてくるよ」

 トツカと別れた蘭は当て所なく館を一周した。足下では相変わらず手箒達が戯れてじゃれついている。時々現れてはじゃれついて、気がつけばいなくなっている。猫か何かのようだ。白状すると、蘭はこの箒達を自宅に連れて帰りたいなぁと思い始めていた。

「いや、そんなこと考えてる場合じゃないな」

 顔を引き締め、蘭は再び歩き出す。室内にないのなら室外にヒントがあるかもしれない。森の奥に隠されていたならお手上げだが、限りある室内よりまだ希望が持てそうだ。 

 玄関から外に出て、敷地の外に繋がる道を歩き始めた蘭は、不意にその足を止めた。どこからともなく鼻腔をくすぐる甘い香りが漂ってくる。その香りで何かを思い出せそうで――。

「ッ……温室!」

 蘭は即座に踵を返して館に駆け込んだ。

「トツカ!!」

「何だ、そんな息を切らせて」

 工房の探索を終えたのか、談話室から顔を覗かせたトツカは訝しげに眉を寄せていた。蘭は息を整えながら談話室に足を踏み入れると、再度口を開く。

「温室だ! ギンレイはあそこを管理していないと言っていた!」

 色々なことがありすぎてすっかり忘れていた。だが、この館に着いてすぐ、ギンレイはこう言っていた。

『あそこは私の管理外です。案内は出来かねます』

 つまり、あの場所はギンレイも触れられなかったのだ。魔女の心臓があそこに隠されているのなら、ギンレイには見つけられるはずがない。

「そうか、ニーヒルの薬草を育てていたあの温室か! ……だとすると、少々やっかいだな」

「場所が分かっただけでは駄目なのか?」

「そうだな。おそらくあそこはニーヒルの神秘の神髄だ。心臓を秘匿したなら、それなりに仕掛けをしただろう。せめて何らかの手がかりを得てから踏み込まなければ、最悪出口を見失う」

「出口を!? トツカでも?」

「剣に関しては私が上でもね、薬や植物に関してはあの子が数段上だったよ」

 トツカはそう言い残すと、踵を返す。

「工房を探る。流石に設計図もなしに構築しないだろう。手がかりがあるはずだ」

「俺は……?」

 恐る恐る問いかけた蘭に、振り返ったトツカは破顔した。

「お前が見ても読めやしないよ。食事の準備でもしておいてくれ」


 * * *


 工房に向かったトツカの背中を見送った蘭は、仕方なくキッチンに向かった。手も足も出ないかと思っていたが、思ったよりは役に立った。そう思う。実際に探索が始まればそれこそ役に立ちそうにないが、きっかけを見つけ出したのは大金星だ。後はトツカに任せるしかない。餅は餅屋、という奴だ。

 キッチンではベアトリスが食材の仕分けをしていた。調達した鶏肉の下処理が終わったらしく、手元には生肉が山のように積み上げられている。

 剣であり包丁でありナイフであるベアトリスは狩りが上手かった。そして、狩った獣の下処理までも完璧にこなしてくれた。トツカが呆れるのも無理はない。元は戦闘用の長剣だったはずのベアトリスは、ここではもっぱら包丁として使われていたのだ。

「あら? 心臓探しは休憩?」

 入ってきた蘭に気付いたベアトリスは首を傾げてそう尋ねてきた。気まずさから曖昧に笑って、蘭はベアトリスの前に歩み出る。

「あーうん、一応手がかりは見つかったけど、あとは俺は役に立たないから、食事の準備をしてこいってさ」

「そう。魔女のことは魔女がやるべきだものね」

 あっさり納得したベアトリスは、手元の切り分けた鶏肉を、時を止める箱――冷蔵庫代わりの遺物だ――に入れようとしていた。

「それ、今日捌いたやつ? ちょっと使っていい?」

「ええ勿論よ。そのために捕まえたのだから」

 ベアトリスに礼を言って胸肉の塊を一つ受け取ると、置いてあった小さなナイフで切れ目を入れていく。火が通りやすいように切れ込みを入れたら肉をプレートに載せる。後は自動で焼き上げてくれるだろう。

 遺物の箱から野菜とベーコンを取り出し、細かく刻む。肉を焼いている間に鍋を火にかけ、沸騰した湯の中にそれらを放り込む。キューブ状に加工された味付け調味料を一緒に入れておけば、こちらもあとは鍋が作ってくれる。

「自炊なんか殆どしたことなかったのに」

 いつの間にか随分と手慣れたものだ。ただ、全ては遺物あっての作業だから、それを全て取り上げられたら同じように出来る気がしない。家電で代用可能だとギンレイに言い返していたのに勝手なものだ。 

 ニーヒルは随分と食事に拘っていたのだろう。キッチンは広く、自宅にあるガスコンロとほぼ操作感の変わらない竈が据えられている。食材を長く保存するための遺物もあり、鍋の素のような調味料の塊まで作ってあった。

「魔女って言っても、食べるもの食べないと死ぬんだよな」

「命の形は人と同じだもの。私たちと違って」

 ベアトリスは淡々とした様子でそう言った。人の姿をしていても、やはり遺物と人間ではその有り様は全く違っているのだろう。では、魔女と人間は? 少なくとも、トツカの姿は人間と変わりない。空を飛び、魔法を使っているのを目撃しているから魔女だというのも信じたが、それがなければ魔女と言われても一笑に付していたかもしれない。

「魔女と人間って何が違うんだろうな」

 コトコトと音を立てる鍋の蓋をずらし、中を確かめながら呟く。改めて考えると、魔女が何なのか、人間と何が違うのか、魔女を継承したら何が変わるのか。そういう話をまだ全然聞いていない。魔女を知る、と言っても、この一週間は一緒に過ごす相手がギンレイからトツカとベアトリスに変わっただけで、何だかのんびりと暮らしてしまっていた。

 鍋からはふわりとブイヨンの香りが漂ってくる。いい調子だ。このまま放っておいて問題なさそうだった。

「……実は魔女と人間ってそう変わらないのか?」

「どうかしら? 人間に私を造ることは難しいと思うけれど」

 蘭の独り言に、ベアトリスは小さく首を傾げて答えた。蘭は思わず苦笑する。

「そうだなぁ。確かに同じ物を造るのは難しいだろうけど、逆に魔女に造れないものを造ったりもするから、人間も」

「例えばどんな?」

「うーん。すっごいでっかい建造物とか、すっごい細かい機械とか、めちゃくちゃ計算能力の高いコンピューターとか」

「でもそれは、一人の力ではないわよね?」

「そりゃそうだよ。人間は誰かと何かを作る生き物だから」

 そこまで言ってから蘭は滑稽さに自嘲した。人間の社会に馴染めず、誰かとわかり合うことも諦めて、一人で拗ねたように生きてきた自分が人間を語るなんて間抜けもいいところだ。

「……俺が言えた義理もないか。歩み寄らなかったのは俺の方なんだし」

 偉そうに誰かと何かを作るもの、なんて言ってみたが、蘭にそんな経験は皆無だったのだ。

 頭を振って、沈みかけた思考を振り切り話題を変える。

「魔女は集まったり協力したり、そういうことはしないんだな」

「魔女は一人で完結するものだから。誰かと(つがい)にもなれないし、(まぐわ)う必要もないのよ」

 誤魔化すように言った言葉に対するベアトリスの反応は、ひどく冷淡なものだった。いや、冷淡と言うよりは当然のことを淡々と述べている、と言った方がいいかもしれない。誰かと関わり合う必要のない生き物。魔女とはそういうものらしい。

「他の魔女と交流したりは?」

「しないわ。トツカとニーヒルが特例よ。トツカはお人好しだしニーヒルはぼんやりしていたから、二人でいても衝突しなかったのでしょうね」

 ベアトリスはニーヒルともトツカとも一定の距離を取った場所から接しているように見えた。ギンレイから感じる、あのニーヒルへの心酔とも思える忠誠心とは随分温度差がある気がする。それは、ニーヒルとトツカ、二人の魔女が共同で造った遺物という出生故だろうか。

「つまり魔女になると孤独になるってことか」

「昔は違っていたのよ。私が目覚める前のことだから詳しくはないのだけれど、かつては人々に交じり、知恵と力を授けて尊敬を集め、共同体の中で暮らしていたと言うわ。けれどいつのころか魔女は恐ろしいもの、災厄をもたらすものと見做されるようになって。決定的だったのは、そう、ニーヒルの迫害ね」

「迫害……?」

 ベアトリスはぱちり、と瞬きをすると蘭に向き直った。

「銀の鈴から聞いたはずでしょう? ニーヒルが兵器を持ったまま国を出たから、それを取り戻そうとした王国軍に追われたこと。それまでにニーヒルはあの国に多大な貢献をしたというのに。生まれてすぐに死にかけていたあの国の王子を救ったのはニーヒルだったのよ?」

「ああ、うん……酷い話だよな。恩を仇で返すようなもんじゃないか」

「ええ、そう。あの事件のあと、各地の魔女は悟ったの。人間と(かかずら)うと碌な目に遭わないって。だからみんな、人間の国から離れたの。自分たちの叡智と力の恩恵を人間から奪うために」

 青鈍色の髪を西日に煌めかせながら、ベアトリスは強い口調で言い切った。蘭はその言葉尻から、あのランプから受け取ったものと似た拒絶を感じ取る。

「……ベアトリス、もしかして人間が嫌いなの?」

「いいえ。ただ、つまらないし、くだらないし、愚かだし、救いようがないとは思っているわ」

「それを嫌いって言うんじゃないかなぁ」

 人形のように表情を変えないベアトリスだが、ニーヒルが受けた仕打ちを語る時だけは僅かに口調に熱が籠もっていた。それだけ許せなかったのだろう。

「よく我慢したなぁ。追ってきた兵士とか返り討ちしそうなのに」

「私がいたならそうしていたでしょうね。でも、そのときの私はまだ朽ちかけた剣の一本に過ぎなかった。まだ手入れもされていない、遺物としての力もない、ニーヒルの剣ではなかったから」

「え、そうなの!? 口ぶりからずっと一緒なのかと思ってたのに」

「ええ。私は、逃げた先で一人になったニーヒルを守るために造られた遺物。トツカによって鍛えられ、ニーヒルによって起動した、あの人のたった一つの剣なの」

 意外だった。随分長く時間を友にしているような口ぶりだったから、もっと早い段階で造られたのかと思っていた。

「そっか。何年ぐらい一緒に暮らしてた? それ、俺が生まれる……造られる前の話だよな。話を聞く限り十年以上は一緒だったっぽいけど……」

 蘭の素直な疑問に、ベアトリスは目を見開いた。それまで表情の変化が見えなかっただけに、その驚愕を浮かべた表情にこっちがまごついてしまう。そんなにおかしなことを言ったつもりはないんだが、年齢の話はタブーだっただろうか。

「貴方、今の話をそんな最近のことだと思っていたの? 少しは歴史の勉強をしたらどう?」

「え、藪から棒に馬鹿にされた」

「ニーヒルが国を追われこの館に隠棲したのは」

 鍋の火が小さくなる。グツグツと音を立てていたスープは静かに煮詰まっていく。キッチンに、刹那の沈黙が満ちていく。

 その沈黙を破るように、蘭の混乱と不機嫌を全く意に介さないベアトリスは言葉を続けた。

「三百年前なのよ」

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