工房の地下
「そういえば、お前は今客間を使っているんだね」
「え、ああ、ベッドがあるのあそこだけだったから」
トツカは顎に手を当てて少し考え込んだ。
「そうか、あとはあの子の寝室ぐらいしかないものな。流石にあそこでは眠れないか」
「そりゃ、ね。なんかあの工房、俺のこと歓迎してなさそうだったし……」
そこまで口にして、不意に思い出す。あの、消えてしまった地下室のことだ。バタバタしてすっかり忘れていたが、あの場所にいた遺物にもう一度話を聞くと言ったきりになっている。探さなければいけない。
「トツカ、あの工房に地下室があるはずなんだ。何か知らないか?」
「そんなものを見聞きした記憶はないが、流石に主じゃないから全てを知ってるわけじゃない。何か気になる物でもあるのか?」
「行ってから話す!」
そう言い残すと蘭は椅子から勢いよく立ち上がり、工房に足を向けた。後ろからトツカが少しばかり怪訝な気配をまとわせながら付いてくる。
あそこにいた遺物は蘭に立ち去れ、と言った。あの言葉が蘭への警告なのだとしたら、ギンレイが蘭から遠ざけるために隠した可能性は十分考えられる。ギンレイがいない今なら、探せば見つかるかもしれない。
廊下に出て角を曲がり、重い扉を開いて工房に足を踏み入れる。
工房は相変わらず静まりかえっていた。蝋燭の頼りない光が部屋の中をぼんやりと灯している。床を見るが、やはり以前見たあの扉の枠は存在しなかった。
「ここ、この床に地下室……倉庫? に続く扉があったんだ。俺は確かにそこに降りた。でも、一度そこから出て二度目にここに来たら、もうどこにもなかったんだ」
「一度目と二度目はどれぐらい日数が離れてた?」
しゃがみ込んだトツカが指先で床に触れながら尋ねてくる。
「その日のうちに来たんだけど……ほら、あの日だ。トツカがここの外を爆破しながら襲ってきた日」
「……人聞きの悪い」
「爆発音がしたのは本当だし。地下まですごい音が響いて、びっくりして飛び出して……トツカが帰った後に来てみたらもう何処にもなくなってたんだよ」
トツカは何か言いたげだったが、空気を読んだのかそれ以上の言及をやめて、真剣な眼差しで床を見つめ始める。
「倉庫か。何があったんだ?」
「確か……オイルランプ、かな。暗くてよく見えなかったけど。とにかく、ここに来るべきじゃなかった、あるべき場所に帰れ、継承が済む前に引き返せって言われたんだ。今考えると、あれは多分、俺に警告してくれてたんだと思う」
「オイルランプ……成程、そういうことか、銀の鈴め。そこまで周到に手を回したか」
トツカはそう言うと床に膝をつき、掌で床板を撫でた。暫くそうしていたが、小さく、見つけた、と呟くと腰のポーチからカッターのような小ぶりなナイフを取り出し、振り上げた。振り下ろすと同時に、刃渡り十㎝足らずのナイフが深々と床に突き刺さる。
「破棄せよ、破断せよ、お前の主は既になく、守るべき扉はそこにない」
短い詠唱の後、床全体が光を放つ。眩しくて思わず目を閉じた蘭が再び目を開けた時――。
そこには、なくなったはずのあの入り口が、出現していた。
「やっぱりあるんじゃん!!」
「銀の鈴が秘匿していたようだ。あいつめ、そんな魔術まで扱えるようになっているとは」
「ギンレイが隠した?」
「ああ。この下に、お前に見られたら、或いはお前と接触したら都合の悪いものを押し込めたんだろう。行くぞ」
トツカに先導され、蘭は再び石の階段を降りていく。ひんやりと冷たい空気の先からは、相変わらず蘭を拒絶するような気配が満ちていた。だが、理由が分かった今なら理解できる。ニーヒルの遺志を尊重するのなら、多分蘭はここに来るべきではなかったのだ。そして、ここに留まらず帰るべきなのだ。
「そうは言ってもさ。今更、はいそうですか、と帰れるわけないだろ」
そんな、言い訳じみた言葉を独りごちる。
「こちらの扉に仕掛けをする時間はなかったようだな」
扉の前まで階段を降りきると、トツカはそう言って扉に手をかけた。重い鉄の扉は、錆びた嫌な音を立てながらも抵抗なく開いていく。
「……魔女の気配がする。何をしている剣の魔女。お前がいながら、何故それがまだここにいる」
開くと同時に耳に飛び込んできたのは、あの時と同じ冷たい声色だった。声の主を探し、倉庫の中を見渡す。
埃っぽく薄暗い倉庫の中、一つのオイルランプが浮かんでいた。
根元が丸く膨らんだガラスは上に行くに従って細くなり、炎を包む煙突のような形になっている。真鍮の台座と持ち手は煤けた金色に鈍く光り、経過した年月の長さを物語っていた。
「銀の鈴の暴走を止められなかったのはお互い様だろう? だから人の身体を作ってやると言っただろうに。そこに拘るからあいつに出し抜かれるんだ」
トツカはそう言って、先程床に突き刺したのと同じ短剣を倉庫の床に投げた。石造りの床に短剣が抵抗なく刺さり、先程と同じように光を放つ。
「遺物のくせに魔術を使いこなすとはね。ほら、これで動けるはずだ」
「我らの願いはただ一つ。ニーヒルの遺志を継ぐこと。転生体を魔女にしないこと。ならばここから動く必要など」
「ヤット口ガ自由ニナッタナ! ハー窒息スルカト思ッタゼ! ナァ旦那、旦那ガ例ノ転生体ッテヤツカイ? アア俺ハ旦那ヲ造ルトキハ側ニイナクテナ。ハハァコレハコレハ。にーひるハ自分ノ好ミト見タ目カラ敢エテ離シタ造リニシタンダナァ。イヤ、悪クナイ、イイ顔ダヨ。スコーシバカリ地味ダガ、ヨク見レバ整ッテル。シカシボヤットシタ顔ダナ。イヤ顔ノ造形ジャナクテヨ、表情ノ話ダ。大抵魔女ッテモノハソノ年ノ頃ニハ継承ヲ済マセ、魔女ラシイ顔ニナルモノナンダガ」
一方的にまくし立てる甲高い声が倉庫中に響いた。蘭は目を見開き、声の出所を探って辺りを見回す。だが、それらしい存在が見つけられない。というか一体どんな物からこの声がしているのか見当も付かない。
やがて、がしゃん、と陶器かガラスの器が落ちて割れるような嫌な音がした。そのタイミングでまくし立てる声もピタリと止まった。割れた音と何か関係があるんだろうか、というのは、多分関係があるんだろうなぁと言う考えを否定したいためのお為ごかしだ。
「乳鉢は相変わらずやかましいな。薬草が乗ってないのか?」
「……そうだ。だから今、黙らせた」
黙らせたというのはつまり、物理的にしゃべれない状態に追いやった、ということだろう。遺物同士にも人間関係のようなものがあるらしい。
「割れても元に戻る乳鉢ってのはそそっかしいあの子にしてはよく考えたものだが、塞いだ口までついでに戻るんだから困ったものだよ」
「もしかしなくても今のも」
「遺物だよ。薬草乗せてる間は黙るんだが、そうじゃないときはずっとあの調子でね」
蘭の問いかけに、トツカは困った顔で肩をすくめた。
封印したままの方が良かったんじゃ、と喉まで出掛かったが、すんでの所で飲み込む。話をしに来たのだ。ここでそれを放棄するようなことを言うわけにはいかない。
中空に浮いていたランプは静かに机に着地した。乳鉢を叩き落としたことからも、ある程度自由に動き、明るさの調整ができるのが特性のようだ。ここにギンレイがいれば、明るさを自動で調整できるランプなどはございますか? などと顔を覗き込んで得意げに尋ねてきたことだろう。
そこまで考えてから、蘭は唇を噛みしめた。今この状況を招いたのがあいつだ、という怒りと、いないと物足りないような気分とが混ざってどうしようもなくなる。やはり、絆されてしまっていたのだろうか。
「……えっと、貴方はオイルランプ? 俺は蘭、花園蘭だ。ニーヒルは俺を魔女にしないよう努力したみたいだけど、結局俺はここにたどり着いてしまった。知ってしまったからには見て見ぬふりは出来ない。だから、教えて欲しいんだ。ニーヒルがここでどんな暮らしをしていたのか。ニーヒルはどんな魔女だったのか」
「それを知ってどうする。ニーヒルの遺志を無視して魔女にでもなるつもりか」
激しい拒絶の言葉だ。とりつく島もない。あまりの言い草に咄嗟に言い返せず、蘭は黙り込んでしまう。
「ランプ。お前も分かっているんだろう。蘭は転生体だ。蘭の意思はすなわちニーヒルの意思だ。知った上で選ぶというなら、お前らに口出しできることじゃない」
「そうならないために我らは眠った! そうならないために我らは閉ざされた! そうならないためにニーヒルは貴様を頼った! それを守れなかったものが何を偉そうに! 知らせず、気付かせず、見られず、目覚めず、眠り続けることを選んだというのに!」
取りなすようなトツカの言葉にも、ランプは激しく反論した。細長い筒の中で黄金にも見えるほど炎を滾らせ高く燃やしながら、中空に浮かび上がって震えている。
それに呼応するように倉庫の中が殺気立った。声は聞こえないが、他の遺物もランプと同意見のようだ。トツカへの怒りと蘭の言葉への反感が満ちていく。ここまでの悪意を、拒絶を、生まれて初めてその一身に受けたのだ。蘭は堪らず後ずさった。
「……お前らもそうやって俺の道を勝手に決めていいことしたつもりになるのか」
だが、だんだん腹が立ってきた。一方的に、お前は知らなくて良かったのに、と決めつけられ、あまつさえ何故ここに来たと責められる。半ば巻き込まれるようにここに来たというのにそんな敵意や殺気を向けられる謂れはないじゃないか。
「俺だって平凡な学生やってたかったよ! 何も知らないまま、親の顔も知らないまま生きていきたかったよ! でも巻き込まれたんだよ! 半端に知っちゃったらもう知らなかった頃には戻れないだろ!? それとも何か、俺のここ二ヶ月の記憶を綺麗さっぱり消し飛ばす薬でも作れるのか? 全部なかったことに出来るのか? 時間を巻き戻す魔法が使えるのかよ! 出来ないんだろ!? なら知りたいと思うのは仕方ないことだろうが!」
「ソウダソウダ旦那ァモット言ッテヤンナァ! ダイタイソコノらんぷハにーひるノお気ニ入リダカラッテ調子ニ乗ッテヤガルノサ。道具頭ヲ銀ノ鈴ニ取ラレタコトデ随分拗ネテイヤガッタシナァ。にーひるノ遺志ニ従ウッテノモ、銀ノ鈴ガ最後マデ反対シタカラ逆張リシタンダロウサ。ハッハーイイ気味ダ!」
姿は見えないが、おそらく先程の乳鉢、だろう声が蘭に賛同した。だが、そこまでまくし立てた直後、再び何か――おそらくランプだろう――に潰され砕けたようだ。再び陶器が割れる嫌な音が響いた。
混乱してくる。ギンレイの手でここに隔離されたと言うことはニーヒルの遺志を尊重し、蘭を魔女にしたくないと考えているはずだ。なのに今の言い分はまるで、蘭に味方するようではないか。
「えっと、もしかして乳鉢……は、ニーヒルの遺志に従ってたからじゃなく……?」
恐る恐る問いかけた蘭に、トツカは正解だと言いたげに肩をすくめた。
「単純に五月蠅いから押し込められたんだろうな」
嫌な予感が的中し、堪らず嘆息した。トツカも少しだけうんざりした顔をしている。まぁ、気持ちは分からなくもない。ニーヒルは何を思ってあんな口数の多い遺物を造ったのだろう。
「その子は口やかましいけれど、机から落として割るたびにだんだん口数が増えていったんだよ。ニーヒルのそそっかしさが原因という部分もある。どうか大目に見てくれ、転生体」
今度はおっとりした、老婆のような声が聞こえてきた。辺りを見回すが、どれが喋ってどれが喋らないのか、一見しただけではさっぱり分からない。
「どれが私か分からないだろう。いいさ、気にしないでおくれ。そこからでは多分見えやしない。一番奥の奥にある古い柱時計だ」
「時計かぁ」
手箒、ロッキングチェア、オイルランプ、乳鉢、ときて次は時計だ。アナログな生活と聞いて真っ先に想像するような物が次々と現れてあまりのオーソドックスさに、気が抜けてしまう。
改めて倉庫を見渡すと、細々とした道具が雑然と詰め込まれていた。計量用の天秤、粉末をふるうための篩、薬を煎ずるための土瓶、砂時計や温度計。そういった小物の奥には大型の家具も置かれていた。書見台、というのだろうか。立ったまま本を読むための台座らしきものがある。隣にあるのは薬草の棚だろうか。細かい引き出しに几帳面そうな文字でラベルが貼られている。
ニーヒルからは丁寧に扱われていたのだろう。長い時間を経てもなお、家具も道具も破損はなかった。それなのに今はこんな埃まみれの地下倉庫に押し込められている。
違和感があったのだ。一番長く時間を過ごすだろうあの工房に言葉を発する遺物がいなかったこと。部屋の広さに対して妙にがらんとした印象を受けたこと。最初は全てを片付けたからだと思っていた。だが違う。ここに押し込められていたからだ。
「トツカ。なんか魔法で重い物運ぶとかそう言うのって」
「まぁさほど長距離でなければ出来るが……」
「よし、これ全部、元は工房にあったんだよね。元の位置に戻そう」
蘭はそう言い切ると、トツカが投げつけ床に刺さったナイフを踏み越えて倉庫の奥へと足を踏み入れる。
「転生体、我らはここで眠ると定められ」
「その転生体ってのやめろよな。俺は花園蘭、そう言っただろ? あと、ここで、じゃないだろ。ここに運んだのはギンレイの筈だ」
工房には塵一つなく、空気も入れ換えられ、実験道具も丁寧に手入れされていた。愛着があったのだと一目見て分かった。
そんなニーヒルの道具が、遺物が、こんな埃まみれの黴臭い地下倉庫に押し込められたまま最期を迎えるなんて、あんまりじゃないか。
「そもそも、ニーヒルの遺志を尊重して俺を魔女にしたくないなら、俺を俺として認識するべきだと思わないか?」
とりあえず手近にあった小物をいくつか腕に抱えながらそう言い返すと、オイルランプは静かに机の上に降りた。そして、その火を小さく萎ませる。
「コリャ愉快ダナ! 言イクルメラレテショゲテヤガル! 旦那ァ、俺ハ旦那ノ味方デスゼ! ダカラチョックラ拾イ上ゲチャクレナイカイ? ココニイチャ他ノ連中ニモ潰サレチマウ。ソレソコノ無口ナ薬草入レナンカニ踏マレタラ、トウトウ粉ニナッチマウヨ」
「分かった。分かったから! ちょっと分かる位置まで出てきてくれないか。声は聞こえるけどお前がどんな姿なのか俺は知らないんだよ」
「ソウシタイノハ山々ナンダガにーひるハ俺ニ移動スルタメノ手足ヲ付ケ忘レチマッテナァ。動ケヤシナイノサ。マッタク困ッタモンダナ」
「……じゃあちょっと手前のものをどかすまでそこで待っててくれ。そのうちちゃんと探し出すから」
蘭の返答に答える代わりに三度、がしゃん、という割れる音がした。ランプは静かに机の上に佇んでいるので今度は他の要因らしい。気の毒だが正直助かった。
小物は抱えて、大型家具はトツカの魔術の手助けで、時間をかけて蘭は工房にあった家具達を元の位置へと戻しきった。最後の柱時計を工房に据え付けて、正面から眺めてみる。
精巧な時計は今も時間を正確に刻み続けているようだ。定刻になると鐘が鳴った。片付けている間にも控えめな音が二度鳴ったから、少なくとも二時間は経過しただろう。
「柱時計かぁ。自由業のくせに何で工房に時計なんか置いたんだろうな」
「ニーヒルは時間を気にしない個体だったから、口煩く言わなければ食べるのも眠るのも忘れてしまってねぇ。決まった時間に決まったことをしなくていいからこそ、誰かがそれを知らせなきゃいけなかった。元は玄関ロビーにいた私がここに運び込まれたのもそういう理由さ」
「成程」
ニーヒルは没頭すると時間を忘れて食事も睡眠も取らず研究に没頭するタイプだったのか。だから定期的に起こしたり食事を促したり寝かせたりする遺物が必要だったのだ。
そう言えばギンレイが持ち込んだ遺物の中に目覚ましの鐘があった。規則正しい社会生活を送ってないのに目覚ましなんか必要なのか、と疑問に思ったが、あれは多分、寝始めたらいつまでも寝るからどこかで起こさなければいけない、という切羽詰まった事情で造られたものだ。
改めて部屋を見渡す。整然としていたが生きた気配のなかった工房が、今や生き生きとした気配に満ちあふれている。居心地の悪さは依然として残っているが、それは多分ランプや、その他の遺物達が蘭を快く思っていないからだろう。けれど、それでよかった。全ての遺物が無条件に自分を受け入れてくれたとしたら、一も二もなく自分はこの場所を選んでしまっていた。今は少し冷静になる時間が必要なのだ。そういう意味でも、拒絶されたのはよかったのだろう。
「よし」
ニーヒルが何をしながら暮らしていたのか、何を思って生きていたのか。せめてそれを知ることぐらいは、蘭にだって許されているはずだった。




