剣の遺物
ぼんやりと、曇った空を見上げる。窓から入ってくる西日は鈍く、そろそろ日が落ちることを知らせていた。
「落ち着いたか」
トツカはそう言ってティーカップに入った紅茶を差し出してきた。
泣いてもわめいても状況は変わらないのだと悟った蘭に、トツカは館で休むよう進言してきた。そして、手慣れた様子で館へと入り、遺物達に挨拶をしながらまっすぐこのダイニングへとやってきたのだ。蘭を座らせ、勝手知ったる様子で紅茶を入れている後ろ姿を眺めながら蘭は、このトツカという魔女が本当にニーヒルと親しかったのだと知った。
机の上に置かれた、あの危険物が収められた木箱を視界の端に入れたまま、蘭はようやく口を開く。
「ニーヒルは紅茶派だったんでしょ」
「ああ。いや、まぁ、単に手に入りやすかったから、ではないかな。庭で育てていたハーブでハーブティもよく入れていたし。これも、私が置き場所を知っていたから煎れただけだ。嫌いだったかい?」
「嫌いでは、ないけど」
ギンレイはコーヒーを入れてくれたんだよ、と口に出かかった言葉を飲み込む。
鼻をくすぐる紅茶の香りを吸い込みながらカップに口をつける。味が分からないのは気分の問題か、それとも茶葉の方の問題か、蘭には分からなかった。
「緑茶がいいなら手に入れてこよう。今はそれで我慢してくれ」
「別に日本が恋しいとか日本食食べたいとか、そういうのないよ」
ぶっきらぼうに言い放つ。八つ当たりだと分かっていた。だが今はその気遣いすら癪に障る。何せ自分は作り物で、ルーツなんてものはあってないようなものだ。
「俺、別に日本人じゃないし。ニーヒルがどこの魔女だったか知らないけど、少なくとも日本ぽくない」
「ニーヒルはお前を安全な国に託すと決めてから、その国に根ざした形にお前を作った。だから、少なくとも今のお前のルーツは日本と言ってもいいだろうさ」
「この黒髪とか目とか? その国で浮かないように?」
「そうだな。まぁ姿形なんて些細なものだ。生まれ育った環境が造るものだろうさ。それに、一応私も日の本の国に祖を持つんだよ。同郷なんだからそう邪険にしないでくれないか」
トツカの言葉に目を見開く。その銀髪とその赤い目とその白い肌で? というより魔女にルーツがあるなんて思いもしなかった。トツカは蘭の驚愕を見て取って笑った。
「私の初代はね、日の本の国で異形を退治していた。十束剣、名前ぐらいは聞いたことがあるだろう? あれを握り異形を退治していたのが私の初代だ」
「十束剣!? あの、日本神話に出てくる……?」
「後年にどう伝わってるかは知らないし、私ももう詳しくは伝えられてない。何せ六代も前の話だからね。ただ、十束剣と呼ばれていた剣を揮っていた一人だった、というのは確かだ。とはいえ、最早それに意味はない。残されたのは屋号としてのトツカ、という名前だけだ」
「屋号?」
「そうだ転生体。魔女には魔女としての名前と、転生体としての名前があるものだ。私は魔女を継いだときに面倒だから転生体としての名前は捨てたがね」
トツカは何でもないようにそう言ってカップを呷った。
「その転生体っていうの、やめて欲しい。俺にはちゃんと花園蘭って名前がある」
「……そうだね、お前にも名前はあるだろう。すまなかった。しかし蘭……蘭か。そうか」
「俺が握ってたあのお守り……護符だっけ? あそこに蘭が書かれてたから、って言われたよ」
嬉しそうに微笑むトツカを睨む。この名前で随分と揶揄われたのだ。直接名付けたのはトツカでもニーヒルでもないが、だからこそ恨めしい。名前の一つも残してくれれば、と思わずにいられない。
「……伝わったのかもしれないな。ニーヒルはお前を蘭の仔、と呼んでいたから。だが名付けというのは強力な魔術だ。下手に縁を残せば悪影響が出ると考え、名付けなかった。それは汲んでやってくれ」
「結局俺はここに来ちゃったけどね」
「それはまぁそうなんだが。親というのはね、出来ることはやっておきたいし、懸念は排除しておきたいものなんだ」
八つ当たりじみた言葉も嫌みも躱されている。そんな気がする。カップの中の琥珀色を見つめながら溜息をつく。受け止めて欲しいのだろうか。慰めて欲しいのだろうか。分からない。ただ、方向性が欲しいのかもしれない。広い海の上に頼りない小舟一つで放置された気分だ。せめて、進むべき道が分かれば櫂を握る気力も湧くのに。
「……今の俺は魔女でも人間でもない。どっちの居場所からもはじき出された気分だ」
「この館はお前を受け入れているのにか?」
「それは、俺がいつか魔女になると思ってるからだろ」
本音では分かっている。魔女にならなくても受け入れてくれる遺物もいる。あの日当たりのいい談話室に置かれていたロッキングチェアも、今は姿を見せない手箒達も、蘭が魔女であるかどうかにかかわらず慕ってくれていた。魂がニーヒルだから、と、たったそれだけの理由で。だからこそ、魔女ではない今の自分への罪悪感、後ろめたさのようなものを感じてしまう。
「……ギンレイも、俺を魔女にするために親切にしたんだろ。俺は魔女でなきゃ意味がない存在なんだろ。なのにアンタは魔女になるなと言う。ニーヒルもならないで欲しいと思ったって言う。俺はどうすればいいんだよ」
「魔女にならなければ意味がない。そんなはずがないだろう」
トツカの声に怒気が混じる。驚いて顔を上げた蘭の目の前で、トツカはその眉をつり上げて蘭を睨み付けていた。
「お前を魔女にしないために、ニーヒルはどれだけの手を尽くしたと思っている。造った転生体をわざわざ遠い異国に運び、保護されるところを見届けてから何も言わずに立ち去った。 自分を末の魔女とするために全ての遺物を徐々に眠らせ、自分が死を迎えるタイミングで全ての遺物と動力源……魔力との接続を切った。お前に負の遺産を残さないために計算してな」
「そんなのニーヒルが勝手にやったことだろ! そのせいで俺がどんな気持ちだったと思ってるんだ!」
「お前こそ! ニーヒルがどんな思いでお前を手放したと思っている! 魂の大半をお前に明け渡し、血肉を削ってお前の身体を作ったあいつが! 何も思わず置き去りにしたとでも思っているのか!」
「そんなこと言われても知らないよ! 何も言われなかったんだから知るわけないだろう!」
勝手な言い分だ。勝手に作って、勝手に置き去りにして、勝手に道を決めたくせに。
トツカははっとしたように瞬きをして、視線を落とした。
「……そうだな。お前は何も知らない。知れなかったこともあるだろう」
顔を上げたトツカはまっすぐに蘭を見た。蘭もまごつきながらその瞳を見返す。
「知りたいというのなら教えてやるよ。だから、もう少しここに滞在したらどうだ」
「魔女にしたくないのに?」
「魔女になるのと魔女のことを知るのとは別の話だ。お前がニーヒルの存在を知ってしまった以上、それを隠すのは不誠実だろう。魔女とは何なのか、 ニーヒルがここでどんな暮らしをしていたのか、どんな魔女だったのか。多少は話してやれる」
口を引き結んで、考える。このまま帰ったところでこのモヤモヤは晴れないままだ。どうせ帰っても夏休みが明けるまで予定もない。それなら、もう少しここで過ごし、考えをまとめてもいいかもしれない。
「……明日帰るつもりにしてたから、入国審査で帰国予定日明日って言っちゃったけど」
「あぁ、別にそれは問題ない。日本国籍なら半年まで自由に滞在できる。日本を選んでおいて正解だっただろう?」
「そんな実務的な理由で日本を選んだのか!?」
「そういったことも込みで、だ。何しろ自分の手の届かないところにやるんだからな。自分の工房から遠い国で、かつ便利で安心できる国を選んだ、と言うわけだ」
それなりに根拠があるのが腹立たしかった。社会からの疎外感を覚えてはいたが、確かに暮らしにくいと思ったことはなかった。口さがないクラスメイトに裏で何か言われていたのは感じていたが、正直不便や不愉快なんてそんなものだ。そういう意味で、ニーヒルの目論見は正しかったのだろう。
「分かった。どうせ帰っても暇だし、もうちょっとここにいる。でも食事とかどうしたらいいんだ? 食材は……ギンレイが用意してくれていたから、どこで調達してたか知らないんだけど」
「心配はいらない。そう思ってベアトリスに頼んである」
「ベアトリス? それって、ニーヒルの懐刀っていう、魔剣?」
「ああ。人の形を持ったニーヒルの遺物はギンレイだけではないんだよ」
トツカが右手を挙げ、ぱちん、と指を鳴らした。
「紹介しよう。ニーヒルの遺物、あの子の懐刀、 もう一人の世話役、ベアトリスだ」
直後、トツカの座る椅子の背後が光った。空間を切り裂くように一本の光の柱が走り、それが消えたあと、そこには一人の少女が立っていた。
顎の少し上で切りそろえられた青鈍色の髪。つり上がった瞳も同じよう青みを帯びた灰色で、小さな唇は微笑んでいるように見える。幼げな面差しだが、身長は蘭とさほど変わらない。一般的な少女と考えれば高いぐらいかもしれない。
「貴方がニーヒルの転生体ね。お話は聞いているわ。銀の鈴が迷惑をかけたみたいで、ごめんなさいね」
ふわりとしたスカートの裾を持って、少女--ベアトリスはそう詫びた。
どこからどう見ても人間だ。いやまぁギンレイだってどこからどう見ても人間だったから騙されたわけだし、鈴の要素なんてあのベストの色ぐらいしか残っていなかった。そうは言ってもだ。剣という言葉から受ける印象とはあまりにもかけ離れている。少女にしては豊満な胸も、すらりと細い手足も、白い肌も、剣などという物騒なものとは結びつかない。
「……剣?」
「この姿が気になるのかしら? ニーヒルはこの姿を気に入っていたわ。鑑賞物としてね。見目麗しいものを周りに置きたがるのはあの子の悪癖だったのだけれど、寂しさの裏返しだったのかしらね」
ベアトリスは胸に手を当てて誇らしげに言った。ニーヒルの遺物ということはニーヒルが作ったのだろう。間違いなく。転生体である自分は地味な顔なのに、周りにはこんな美男美女を侍らせていた。ちょっと頭が痛くなってくる。
「……ベアトリスは今はトツカの遺物なのか?」
「そうだよ。元々半分は私が作ったものだ。管理権限を移譲するのはさほど難しくはなかった」
「半分は? ってことはその姿は」
「姿はニーヒルの趣味だ。私が手伝ったのは剣の修復と遺物として動くための仕組み作り、人の形を保つ魔法までだ」
「そっかぁ」
世の中甘くはない。
「父親……母親? どっちでもいいけど親のようなものの性癖をこんな形で知りたくなかったなぁ! 疑いようもなく面食いじゃん!」
「ニーヒルは貴方自身でしょう?」
「違うよ!! 俺はニーヒルかもしれないけどニーヒルじゃないから!!」
不思議そうに首をかしげるベアトリスの言葉を全力で否定する。それは魂がどうこうとか記憶がどうこうとか以前に尊厳の問題だ。尊厳と言えばちょっと大げさかもしれないが。少なくとも自分はこんな風に剣を美少女に仕立て上げる感性は持っていない。
「それはそうだ、今のは取り消してやれ、ベアトリス」
笑いながらそう言ったトツカに、少し不思議そうな顔で首をかしげたあと、ベアトリスは頷いた。
「トツカがそう言うならそうなのでしょう。取り消すわ」
「こんな工房を襲う物好きはいないだろうが、念のため警備にも当たらせよう。あとは食糧の確保だね。こうは見えてもベアトリスの本質は剣だ。狩りも出来る。適当に、獲物を狩ってきてくれ」
「御随意に」
胸に手を当て一礼すると、ベアトリスは一歩下がり、そのまま光の柱となって姿を消した。
「獲物って」
「言葉の通りだよ。大丈夫、捌いて血抜きした状態で持ってくる」
「そんなことまで出来るんだ……」
「元は護身用にしろと言って渡したんだがね。あの子はどうにも食に煩い。気がついたら包丁のような機能まで付け足していたよ」
トツカはそうやって困ったように、けれど懐かしむように笑った。




