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真実

「……蘭、私の後ろへ」

 聞き覚えのある声に振り返った蘭を庇うように、ギンレイが前に出る。ギンレイが手にしていたあの立方体は、いつの間にか箱に仕舞いこまれ、蘭の背後に置かれていた。

 背中越しに見上げた先で、深紅の外套が風にはためいていた。短く切られた左右非対称の銀髪も風に巻き上げられている。逆光で表情は見えないのに、赤く光る双眸だけが爛々と輝いているようだった。

「何の用でしょうか。アポもなしに訪問するなど、礼節が足りておられないのでは」

「道具に用はない」

 短く言い捨てて、その小柄な影は地上に降りた。

「……ギンレイ、この人が」

「えぇ、剣の魔女、トツカです。これを持ち出したタイミングを狙ったのかもしれません」

「私はそんなオモチャに興味はない。銀の鈴、お前はそんな物まで持ち出して、一体何のつもりだ」

「銀の鈴?」

 文脈からしてギンレイのことを言っているのだろうと察しは付いた。けれどどうにも耳慣れない言葉に思わず復唱する。それに気付いたらしいトツカが、まっすぐ蘭を見た。深紅の瞳に見つめられると、反論も身動きも出来なくなる。

「お前はこいつを無条件に信用してしまっているようだな」

 トツカは腰には焦茶色の革と褪せた金細工で縁取られた剣を下げていた。その剣を抜き、その切っ先を真っ直ぐにギンレイの首元へと突きつける。初めて至近距離で見る抜き身の剣に、ぞくりと肌が粟立つ。それは本能的な恐怖だった。

 蘭の怯えとは裏腹に、首元に切っ先を突きつけられてもギンレイは焦りを見せなかった。無意味だと言いたげに両手を挙げて悠然と言葉を続けている。

「そのような脅しが無意味だと、誰よりも貴方がよく知っているでしょうに」

「そうだな。だがそのやかましい口を一時塞ぐことは出来るだろうさ」

「それはどうでしょうね?」

 ギンレイの声にはどこか勝ち誇ったような響きがあった。蘭に向けることのない類いの声音だ。その声音のままギンレイは懐から何かを取り出そうとし――。

そのままの体勢で動きを止めてしまった。

「同じ手が通用すると思ったか?」

 ギンレイは身動きも取れず、声も出ないようだった。その異様さに思わず後ずさろうとした蘭の足先に、何かが当たる。

「短剣……いつのまに」

 足下に、ギンレイの影を縫い止めるかのように小さな短剣が刺さっていた。いつからそこにあったのか全く分からない。ギンレイも同じようだ。背後から見上げる顔は珍しく焦りを浮かべている。そんなギンレイに歩み寄る魔女は、一方的に言葉を続ける。

「ギンレイ、という名は自分で名乗ったか? だろうな、ニーヒルは道具に名前をつけたがらなかった。成程、銀の鈴だから”銀鈴”か。考えたものだ。なぁ、召使いを呼び寄せる銀の鈴。――ニーヒルの、最後の遺物よ」

「ギンレイが、魔女の遺物!?」

 堪らずに素っ頓狂な声を上げてしまう。

 冷静になって考えてみれば思い当たる節はあった。蘭の家で姿と気配を消しながら暮らしていたこと、蘭に先んじてこの国に移動し、空港を出たところで出迎えたこと、食事を取っているところを見たことがないこと。けれどどれもこれもそういうものだろう、と無意識に思い込んでいたのだ。

「本当ならこんな手は使いたくなかったよ。だが、お前のやり方は看過できん。そういうわけで、暫く大人しくしていてもらおう」

 ギンレイの首元に突きつけていた剣はいつのまにか納刀されている。代わりに、トツカの右手が大きく開かれ、ギンレイの顔の前に掲げられていた。

「……巡り周りて閉じよ、閉じよ。虹の根元を閉ざせ、閉ざせ」

「その呪文、は」

 かろうじて絞り出したようなギンレイの声に構うことなく、魔女は詠唱を続ける。

「戻れ、戻れ、思い出せ。あるべき姿、あるべき(かたち)、満たす器の始まりに」

 旋律に乗っているわけでもないのに、その言葉は歌のようだった。耳に馴染む音はまるでカーテンの歌う子守歌のように心地よい。

 だから、蘭はその言葉を、歌を、ギンレイの背後でただ聞いていることしか出来なかった。それが引き起こす結果を想像もしなかった。綺麗な歌だと聞き惚れてすらいた。

「眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、四度の言葉のその先に。いずれの目覚め、いつかの呼び声、その暁の来る日まで」

「何故、貴方が」

 驚愕から目を見開いたギンレイの形が、足先から徐々に崩れていく。風に流される砂のようにサラサラ、サラサラと音を立てて消えていく。そんなギンレイの身体を見つめながら、トツカは微かに微笑んでいた。

「何故も何も」

 やがて崩壊は頭まで至る。

 蘭の目の前で、ギンレイの肉体は銀色の砂の粒となって霧散した。

「人の形を与える魔法をあの子に教えたのは、私なんだよ」

「え、あ……」

 呆然と、ただ間抜けにそんな音を吐き出す。

 ギンレイが、消えた。跡形もなく。ギンレイがいたはずの場所には、銀色の小さな一粒の鈴だけが残されていた。それが何を意味するのか、蘭には理解できない。

 鈴を一瞥して、魔女が歩み寄ってくる。逃げることも出来ず蘭はそこに立ち尽くしていた。

「さぁ、話をしようか、転生体」

「待って、ちょっと待ってくれギンレイは!? あいつはどうなったんだ!?」

「何を慌てている?」

「逆に何でそんな落ち着いてるんだよ! 何も、殺さなくても……」

 歩み寄ろうとしていた魔女がぴたり、と足を止めた。怪訝そうに眉を寄せ、それから、あぁ、と言った。何でもなさそうな顔で。

「そうか、そのカタチを見たことがなかったのか。安心しろ、眠っているだけだ。流石に持ち主でもない私には道具を殺すことなど出来やしないよ」

「でも、身体が砂になって、消えて」

「死んだわけじゃない。ただ、人の形を維持するための魔力を絶ったからね、保てなくなったから崩壊したんだ」

「じゃあ、ギンレイは、本当に」

「遺物だよ。ニーヒルが他の遺物の管理を任せるために造った、ね」

 魔女はそう言って銀の鈴を拾い上げ、外套のポケットに無造作に放り込んだ。

 じわり、と背中に汗がにじむ。この魔女は剣を持っている。魔女が遺物を奪うつもりなら、ただの人間である自分が対抗できる筈もない。それでも何かする時間を稼ぎたくて口を開く。

「……アンタは、なんでそんなことを知ってるんだ」

「ニーヒルは私の友人だった」

 それなのに、目の前の魔女が吐露した言葉は、ひどく切実な響きをしていた。

「友人?」

「そうだ」

「ニーヒルは、孤独だったって」

「私ではあいつの孤独を癒やしてやることは出来なかった。あいつは人が好きだったからね」

 魔女は懐かしむような声音で言った。仲の良かった友人の思い出を語るような声だった。

 魔女の目的が分からない。蘭は混乱したまま、とにかく目の前の疑問を一つずつ解決することにする。

「アンタが、遺物を奪うつもりだって、ギンレイが」

「お前を魔女にするためにそう言ったんだろう。危機感を煽り、決断を早めるために」

「でも魔剣を奪ったのは事実なんだろう? 魔剣ベアトリス、だったか。ニーヒルの剣を奪ったって」

「主を失って不安定だったから保護したんだ。信じないのなら返すよ。だがお前は魔女じゃない。お前は持ち主じゃない。お前に返すのは筋違いだろう?」

 拳を握りしめて、考える。嘘はなさそうに思える。今この瞬間、無力な蘭を無視して遺物を奪うことは簡単なはずだ。だがトツカは話をしよう、と言った。今も剣を向けることなく、ただ会話を続けている。

 魔剣の話は分からない。ただ、ギンレイは制御しなければ不安定になると言っていた。それが嘘ではないのなら、魔剣も暴走しかかっていたのかもしれない。剣の魔女、と呼ばれていたし、ギンレイよりうまく扱えるから持って行ったと言うことかもしれない。

 友人だったという話は……分からない。だが、もし友人だったのなら遺物達はトツカを知っているかもしれない。古い付き合いのロッキングチェアはトツカと会ったことがあるかもしれない。彼らが知っているのなら、本当に友人だったと言えるだろう。

「……ギンレイを、その、眠らせたのは」

 分からないのはそれだ。遺物を奪うつもりもなく、ニーヒルの友だったというのなら、その遺物だったギンレイをわざわざ排除する理由が分からない。壊すでもなく眠らせるという行動も謎だ。

「お前を魔女にしようとしたからだ、転生体」

「俺を?」

「そうだ。ニーヒルは、お前を魔女にしたくなかった。それなのに銀の鈴め、めざとくお前を見つけ出し魔女に仕立て上げようとした。だから止めたんだ」

「それは、アンタが遺物を奪いにくくなるから?」

 トツカは静かに頭を振った。

「ニーヒルが死ぬ直前にね、私に言ったんだよ。次代は魔女と関わりのない暮らしをさせてやりたい。孤独に生きる魔女ではなく、人の世で生きる人間として生きて欲しい、って」

「……え?」

 それは蘭が初めて聞くニーヒルの言葉だった。 思ってもみなかった言葉に、蘭は警戒も忘れて立ち尽くす。

「本来なら、魔女は転生体を成熟するまで育て上げ、完成した身体に心臓を移植して次代の魔女にする。だがニーヒルはそれを選ばなかった。お前を手放し、自分とは全くゆかりのない場所に置き、人に育てさせた。それなのにあの鈴はお前をここに連れてきて、魔女になるよう誘導した。せっかく全ての痕跡を絶って、断腸の思いで縁を切ったというのに、台無しじゃないか」

 トツカは怒りを隠そうともせずに吐き捨てるように言った。けれど蘭にとってはそんなことはどうでもいい。

「ちょっと、ちょっと待ってくれ、じゃあニーヒルは俺を捨てたんじゃなく……」

「そうだ。魔女と関わりなく生きられるよう、そう願って手放したのさ」

 目眩がする。文字通り、天地がひっくり返るような思いだった。親に捨てられた、見捨てられた、愛されなかった、その思いがずっと腹の底にくすぶっていたのに、今更そんなことを言われても飲み込めるわけがない。

「護符があるだろう?」

 蘭の混乱を見て取ったトツカが突然そんなことを言う。蘭は思わず右手をズボンのポケットに入れた。指先に、赤子の頃から持っていた、親に繋がる唯一の手がかりと言われていたお守りが触れる。

「なんでアンタがそのことを」

「あれは、ニーヒルがお前を手放すときに、加護の祈りを込めて持たせたものだ。描かれているのは蘭の花だが、それは古くから縁起のいい花だと言われていてね。幸福が訪れるように、と祈りを込めてその護符を持たせたんだ」

 幸福だったかは分からないが幸運はあったかもしれない。修学旅行で全員が食あたりになっても自分だけ無事だったり、歩道に車が突っ込んできても自分だけかすり傷一つ負わなかったり、勘で勉強した箇所がテストにドンピシャで出題されたり、そういうことは何度かあった。だからこそ同級生に遠巻きにされた部分もあるから幸運とも言い切れないのだが。

「だったら」

「何だ?」

「説明!! してほしかったなぁ!!」

 ヤケクソ気味に叫ぶ。誰に向かっての言葉かなんて自分でも分からない。ただやり場のない怒りと遣る瀬なさが迸って仕方がなかった。

「だから今話しているんだろう?」

「だってそんな、今更言われてもさぁ」

 情けないことに、声に涙が混じっていく。受け止めきれない事実がいきなり大量に降りかかってきて処理しきれない。根底が覆されたようだ。もう何を信じていいのやら分からない。瞬きしたら天地が逆転していたって今なら受け入れられる気がする。

「書き置きぐらい残せよぉ」

 両手で顔を覆って天を仰ぐ。

 そうだ。結局、それが本音だ。

 いくら自分を思ってのことでも、何も言わずに置いて行かれたならそれは捨てられたも同じことだ。見捨てられたと思って生きることになる。今更、お前を思ってなどと言われても、胸に生まれた空洞が埋まることはない。

 蘭の取り乱しようが予想外だったのか、目に見えてトツカがうろたえていた。視界の端で何かを言おうと口を開きかけ、やめて、また開くという行為を繰り返している。

「……ニーヒルは、何かを残すことでお前があいつを見つけてしまうことを恐れたんだ。ただそれはその、悪かったと、私から謝るから」

「結局ギンレイが見つけ出したじゃん! 書いても書かなくても見つかったんじゃん! ならせめてさぁ!」

「それはだから誤算だったのだ! 気付いていたら止めていたさ! あいつがお前を探していると気付いたのはあいつがお前に接触した後だった」

「じゃあ、じゃあ、俺はずっと一人で、いるかどうかも分からない親を捜し回ることになってたかもしれないってことか!? 探しても探しても見つからない何かを一生探し回ってたかもしれないってことか!?」

「……人生には見つからないものだってある。そういうものだろう」

 トツカは少しばかりバツが悪そうに視線を落としてそう言った。残していった当人ではないのだから八つ当たりかもしれないとは思ったが、口ぶりから共謀していたのは多分間違いない。ならこの憤りを受け止める義務ぐらいはあるはずだ。そう自分を納得させ、蘭は思ったままを次々とぶつけていく。

「遺物はどうするつもりだったんだよ。放っておいたら暴走するんだろ!?」

「それも銀の鈴のマッチポンプだ! ニーヒルは自分が死ぬとき、銀の鈴以外の遺物を全て眠らせた。最後に、銀の鈴に他の遺物が目覚めないよう見守ってほしいと言い残して――まさかあいつが、管理権限を使って遺物を目覚めさせるなんて考えもしなかった」

「何だよそれ……」

 それじゃあ一体自分は何のために。

 役目と居場所と仲間が手に入ったと思っていたのに、それが全部謀られていたことだった。踊らされていた。  

 ギンレイに言われるままここに来て、遺物達に慕われていい気になって、居場所があったのかもしれないと思い上がって、おだてられて魔女を継ぐ気になっていたのに、とんだ間抜けじゃないか。

「馬鹿みたいだ、俺」

 その一言が引き金だった。自覚してしまった間抜けさと馬鹿馬鹿しさと寂しさと悲しさと空しさとが一斉に襲ってきて、立っていられない。その場にうずくまり、頭を抱える。喉の奥から堪えようのない嗚咽が溢れ出る。

「居場所がっ……見つかったって、思ったのに――っ」

 うずくまったまま、蘭はただひたすらに嗚咽を漏らし続けた。


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