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危険な遺物

 蘭は、暖かく、柔らかく、肌触りのいい何かに包まれたまま、心地よく微睡んでいた。何もかもがふわふわとしている。現実感のない触覚に囲まれた感触は、昔に夢見た雲の上のようだった。

「残念だけどここは雲の上ではないし、そろそろお目覚めの時間よ」

 高らかで涼やかな歌声がそう告げた。もう少し眠りたい、と無視を決め込んで寝返りを打ったが、一際高らかな歌声がそれを許さなかった。

「……もうちょっと寝たいんだけど」

 頭のてっぺんからつま先まですっぽり寝具にくるまった蘭は、身体を丸めて恨めしそうにそう口にする。

「朝になったら起こすようにと、そう命令されてるのよ。残念だけど起きて頂戴、魔女の卵」

 弾むような軽やかな声は蘭の不満を物ともせずに歌う。もう一度寝具に潜り込もうとした蘭の耳に、更に高音域の、最早声と言うより音波と言えるほどの歌声が刺さる。

「分かった、分かったよもう! 起きるってば……」

 諦めて顔を出した蘭の視線の先で、レースのカーテンが風もないのに揺れていた。

 声はこのカーテンから発せられていた。朝は目覚ましを、夜は子守歌を歌うこれもニーヒルの遺物だ。元は客人をもてなすためのものだったらしい。

「ニーヒルは目覚ましに鐘使ってたもんな」

 ギンレイが得意げに部屋に持ってきた遺物の中に、目覚まし代わりの鐘があった。そういえばこちらに戻ってからあれの姿を見ていない。もしかしたら、あの工房の奥の寝室に戻されたのかもしれない。とはいえ、それを確かめるために寝室に足を踏み入れる気には、なんとなくならなかった。

「食事はギンレイが用意しているわ。ほら、早く顔を洗ってしゃっきりなさいな」

 母のような、姉のような、高く柔らかく澄んだ声にそう催促され、蘭は渋々廊下に出た。一つ隣の扉が水回りに繋がっている。四日も暮らせば、このそう大きくない館の構造は大体頭に入っている。

「何か、馴染んでるみたいでまずいなー」

 そう言いながら自分用に誂えられた歯ブラシを手に取る。歯を磨き顔を洗って息を吐いたタイミングで、手元にはタオルが用意されている。洗面器から伸びたタオル掛けが差し出したものだ。

「……便利すぎる」

 確かにここは現代的な電子機器には乏しいが、不便を解消するために作られた遺物達がそれを補っている。はっきり言って孤独な一人暮らしよりよほど快適だ。

「でもそれとこれは別。別だからな」

 姿を見せないギンレイに言い訳のような言葉を零しながら食堂へと向かう。

「おはようございます、蘭」

「おはよう」

 食堂では既にギンレイが待機していた。手に持った皿の上には、軽く焼いたマフィンの上にポーチドエッグとベーコン。所謂エッグベネディクトが鎮座している。蘭が挨拶を返しながら腰掛けると、眼前にその朝食の載った皿が静かに並べられる。

「今日は、ご覧に入れたいものがございます」

「改まって何?」

 この四日でギンレイは蘭にここでの暮らしの快適さを必死にアピールしていた。蘭もその都度それは家電と科学技術で代用可能、と言い返してはいたが、確かに思ったより不便はないと感じ始めていた。

 だがそこまでだ。不便ではないが、めざましく便利なわけでも快適なわけでもない。画期的な改善も、目を見張るような進歩もない。あくまで家電の代わりができるという程度のものだ。今更何を見せられても、もう驚きも感心もしないだろう。

 そんな蘭の考えを見透かしたかのように、ギンレイは微笑んでいた。

「ニーヒルの遺物。その、暗部を」

 口に入れた卵のまろやかな味を噛みしめていた蘭は、思わず顔を上げた。

 暗部。ギンレイは確かにそう言った。そうして思い出す。

 そうだ、そもそも蘭は放置していては危険な遺物をどうにかしてほしい、と請われていたのだ。暢気な生活ですっかり 忘れていた。

「暗部、ね」

「はい。ニーヒルの遺物は生活のために造ったものが殆どです。ですが、依頼されて作ったもの、身を守るために作ったものがございます。そういったものは、ここにある遺物と違い、人々にとって危険になり得るでしょう。そういった遺物を、お目に入れたい」

 パンケーキをゆっくりと嚥下して、注がれた牛乳を飲む。目を閉じ息を吐いて気持ちを落ち着けてから、瞼を持ち上げる。ギンレイの表情はいつもと変わらない。それが不気味だった。

「……分かった」

「では、食事が終わりましたら表に。館の中で広げるのはいささか危険がございます故」

「ああ」

 ギンレイは言い残し、一礼して食堂を出て行った。その後ろ姿を見送ってから蘭は食べかけのエッグベネディクトを見つめる。

「せっかく美味しいのに、味わわないのは勿体ないよな」

 これから何を見せられるのかは恐ろしいし不安だが、それはそれとして食べるべき時に食べるのは大事なことだ。そう自分に言い聞かせた蘭は食事を再開する。

 たっぷりと時間をかけて朝食を堪能してから、蘭は館の外に出た。ギンレイは玄関から少し離れた場所に立っていた。隣には古ぼけた箱が置かれている。

 敷地の入り口から十五分の距離があるのはこういう時に便利だ。多少館から離れても、ここはまだ深い森の中だった。

「それで……どういうものなの?」

「こちらをご覧ください」

 ギンレイは恭しく手を差し出した。その掌の上に、サイコロのような、鈍く金色に光る立方体が乗っている。

「サイコロ?」

 どんな仰々しいものを見せられるかと思ったら、目のないサイコロじゃないか。あまりに小さく何の変哲もない立方体に思わず気が抜けてしまう。

「見た目はただの立方体です。しかし、制御を失えば周囲を無差別に焼き払います。そうですね……おそらくは、この国の半分を焦土にするのに十分な火力でしょう」

「この国の半分!? この小さいサイコロで!?」

 ギンレイの掌に乗った立方体はせいぜい二センチ角しかない。とてもじゃないが、そんな火力があるようには見えない。

「めちゃくちゃでかいロボットにでも変形するのか?」

 あまりの現実感のなさに、そんな冗談でも言って気を紛らわせたくなる。

「カタチにはさほど意味がありません。制御下にある間はこの形ですが、本来はおそらくもっと違った形状なのでしょう。私も見たことはありませんが。ニーヒルは生涯、一度もこれを使いませんでしたので」

「使わなかった? なら何で」

 そんな物騒な物を作ったんだ、という疑問に先回りするようにギンレイが続ける。

「ニーヒルは、当時身を寄せていた国の王から敵国を攻撃するための兵器を作るよう依頼され、これを作りました。しかし完成してみればその威力は過剰も過剰。人の手に余ると判断したニーヒルは完成品を渡すことなく国を出奔。そのままこの地に流れ着いたのです」

「ニーヒルは元々一人でここに住んでたんじゃないのか」

 その話は初耳だ。てっきり人と関わらないようここに引きこもっていたのかと思ったのに。

「ええ。時代によって、国に召し上げられたり、市井の人々の間で暮らしたり様々でした。ですが、この兵器を持ったまま出奔したため、これが敵国に渡ることを恐れた王から懸賞金をかけられ、それ以降は迫害されることになりました」

「迫害かぁ」

 現実的な危険がギンレイの口から放たれ、一気に現実に引き戻される。そりゃ魔女狩りなんて言葉もあるぐらいだし、あるかもしれないとは思っていたが、可能性を提示されると一気に肝が冷える。

「ニーヒルがその……迫害されたとき、ギンレイは」

「共におりました。ですから、逃げること自体は、さほど難しくは。ただ――」

「ただ?」

 蘭の安堵に反し、ギンレイが初めて、そう、蘭が見る限り初めて顔を陰らせた。

「ここに来てから、一人が辛い、と、時折そう漏らしておりました。それ以降、口のきける遺物が飛躍的に増えたように思います」

 息を呑む。

 ニーヒルは、好んで一人になったのではなかったのだ。

 蘭は、優しい声で起こしてきたカーテンを思う。足に纏わり付いてくる手箒を思う。古びたロッキングチェアを思う。静かにタオルを差し出す洗面所のタオル掛け、キッチンにあるケトル、館中にある自動で点灯する蝋燭達。それらの遺物達に思いを馳せる。

 優しく生活に寄り添う彼らは生活を便利に豊かにするためであっただろうが、同時に、ニーヒルの癒やしがたい孤独を慰めるために作られたのだ。人里から離れざるを得なくなったニーヒルの孤独を癒やすために。

 人恋しいのに、それを捨ててまで守ったのだ。矜持を、あるいは倫理を、人の世界を。そんな魔女を迫害するとは、随分な仕打ちじゃないか。蘭は知らず拳を握りしめる。

「そのサイコロって、誰が使っても国を消し飛ばせるようなものなの? 例えば、魔女が使わないと意味がない、とか」

「いえ、人でも扱える物を、というのがかの王の希望でした。封印を解き、必要な手順を踏めば魔女でなくても扱えましょう」

「……なら、やっぱり、誰かが制御か封印しなきゃいけないんだ」

「そうですね。正直に申し上げますと、私は人の世がどうなろうと知ったことではないのです。ただ、ニーヒルが全てを捨てて守った世界です。簡単に壊れては、それこそニーヒルの決意が無駄になりましょう」

「そうだな。俺もそう思う」

 初めてギンレイと意見が一致した気がする。微かに微笑んで、強ばっていた肩から力を抜く。肺いっぱいに空気を吸って吐いて、頷く。胸を満たす風は変わらず爽やかな松脂の香りを含み、ひんやりと心地よかった。

 ギンレイの掌の立方体を再び見つめる。どれだけ眺めても、やはりそんな威力のある兵器のようには見えない。指先ほどの大きさしかない 、何の変哲もない金色の塊だ。

「そういやうちに持ってきてたあれは?」

「あの玉ですか? これの試作品です。これよりは威力が低いですが、ええ、同等の機能を持っていますよ」

「そんな危ないもの持ち歩いてたのか!?」

「今は私がニーヒルより委譲された管理権限で制御しておりますので。無茶をしなければ危険はありませんよ」

 涼しい顔でギンレイはそう言い放った。いけしゃあしゃあ、という言葉がこれほどに合う顔もないだろう。呆れて物も言えない。顔も知らないとはいえ隣にも人は住んでいたんだぞ。暴発したらどうするつもりだったんだ。

「アンタが制御してるなら別に俺が管理しなくても」

「いえ。今はかろうじて安定していますが、私の権能ではそう長くは持たないでしょう。持って数ヶ月、と言ったところです。最も、長く管理した経験がありませんので、どの程度持つかは私にも」

 随分と都合のいい話だ。だが権能を委譲された、と言っていたし、本来の機能が完全には動いていないのかもしれない。なら不安定なのは事実と見てもいいだろう。 逃げ道を塞がれた気分だ。蘭はがっくりと肩を落とし、恨めしげにその立方体を見つめる。

「もしも……あくまでもしもの話だけど」

 そう前置きをして、蘭は問うた。

「俺が魔女を引き継いだとして、それは俺に簡単に制御できるか?」

「ええ、そうですね。遺物は全て魔女の意に従います。貴方がこれを眠らせると決めたなら、そう願う間これは起動しないでしょう。たとえ誰かに奪われたとしても、それが同等の力を持つ魔女でもない限り封印は破られない筈です」

「そっか」

 魔女になっても複雑な手順のせいで制御できないなら意味はない。だが魔女になりさえすれば押さえ込める。それが分かっただけでも十分だ。

「それなら俺は、魔女を」

「その必要はない、転生体」

 蘭の言葉を遮ったのは、涼やかな女の声だった。


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