剣の魔女
地下にいても分かるほどの振動と、何かが爆発したかのような大きな音。それが蘭の言葉を中断させた。
「な、何だ!?」
どこからの音かは判然としない。だが少なくとも上だ。ひとまず音の原因と出所を確かめなければ。踵を返した蘭は一瞬立ち止まり、倉庫の中を振り返って叫ぶ。
「あっ、さっきの話はまた聞きに来るから!」
それだけ言い残すと、蘭は石畳の階段を駆け上がった。床板の扉は降りたときと同じく蘭が近付くと開き、離れると静かに閉じた。
地上に出た瞬間、再び爆発音が響き渡る。
「また!?」
叫びながら音の発生源を探る。館の外のようだ。廊下を走り抜け、玄関の外へと転がるように飛び出す。
「何が起こって――」
爆風、金属音、花火のような、火薬の匂い。それが扉から出た蘭に一斉に襲いかかった。あたりには大きな力が衝突したような突風が吹き荒れ、生じた衝撃波と巻き起こった爆煙で視界が塞がれている。
「ご心配には及びませんよ、蘭。ですが、館の中にいた方がよろしいかと」
煙で姿は見えないが、ギンレイが冷静にそう告げた。落ち着き払ったその声とは裏腹に、煙の向こうからは金属のような何かが激しくぶつかり合う音が断続的に響いている。只事ではない。
「いや、だって爆発してるだろ!?」
かと言ってこの煙の中に無闇に飛び込めば足手まといになることは、流石の蘭にも察しが付いた。何も出来ない歯がゆさと事情の把握できないもどかしさだけが募っていく。
やがて、爆煙が薄れ、視界が晴れていく。
「ギンレ――」
蘭は見慣れた背中に声をかけようとして、喉を詰まらせる。
晴れた視界の先、どんよりと重たく垂れ込める灰色の雲を背に、一人の女が浮いていた。
そう、宙に浮いていたのだ。蘭は思わず目を瞬かせる。
短く切られた髪は銀髪で、肌も透き通るように白い。その華奢な身体を深紅の外套で包んだ女は、真っ直ぐに蘭を見下ろしていた。
「お前がニーヒルの転生体か」
女が口を開いた。涼やかで、起伏の少ない、冷然な声音だった。
「工房に襲撃を仕掛けるとはどういった了見ですか、トツカ」
ギンレイの問いかけを、女は完全に無視している。
「転生体?」
「そんなことも知らずにここに来たのか、お前」
「これから知るのですよ」
女は目を眇めると何気ない様子で右手を左右に振った。直後、その軌道上に短剣が浮かび上がる。遠目で見ても十本は下らない。それが一斉にギンレイに降り注いだ。
ギンレイはその場で腰を落とすと、短剣が地面に到着する寸前に跳躍した。短剣はギンレイがいた地面を縫い止めるかのように突き刺さって、やがて消滅した。
「これ、魔法……?」
それは、蘭が初めて目にする攻撃的な魔法だった。先程のロッキングチェアや館で出迎えてくれた手箒、家で見せられたあの家電に代用できるような遺物とは比べものにならない。間違いなく兵器だ。それが、殺意を持ってギンレイに襲いかかってる。その事実に息を呑む。
少し、暢気に考えていたのかもしれない。危険はないのだと思い込んでいたのかもしれない。考えればギンレイは最初から遺物が暴走すれば国の半分が吹き飛ぶと言っていた。冗談だと笑い飛ばしていたし、ここに来てからもそんな危険なものは目にしなかったから忘れていた。けれど、本当に。
……本当に世界を滅ぼすようなものが館に放置されているのだとしたら?
魔女になったとして、それを自分は本当に管理、制御できるのだろうか。
悩んでいるうちにも上空では激しい戦闘が続いていた。銀髪の女が放つ剣の雨を、ギンレイは何かの力ではじき返し、避け続けている。けれど防戦一方では勝負が付かない。ギンレイ自身もそれを悟ったのか、巨大な剣を間一髪で交わしたところで身を翻し、女の上へと飛び上がる。
ギンレイが懐から何かを取り出し、それを魔女に向かって投げた。少なくとも蘭にはそうとしか見えなかった。だが、その一撃で攻撃が止まる。断続的にギンレイを追い立てていた短剣の雨も、巨大な剣も、動きを止めて霧散する。
「……が魔女を上回るつもりか? ――お前は、一体、何処に行こうとしている?」
「何処にも。私は、魔女ニーヒルの遺志を継……ですので」
断片的に振ってくる言葉の意味を、蘭は理解できない。そんな蘭を置き去りにして、二人の戦闘は唐突に終わりを迎えていた。
「今日は引く。また近いうちに会おう、転生体」
言い捨てた女は、中空で踵を返すと、そのままどこかへと飛び去っていった。
「……何だったんだ」
呆然とそう呟いた蘭の隣に、何事もなかったかのようにギンレイが舞い降りた。ぱんぱんとベストについた埃を払いながら、ギンレイは表情を変えずに答える。
「彼女はトツカ。ニーヒルと同じ魔女です。ニーヒルの遺物を、狙いに来たようです」
「遺物を!? でも何か、俺に話しかけてきてたけど」
「貴方が魔女を継承すると遺物を奪いづらくなる。牽制のつもりでしょう」
ギンレイの言葉に微かな違和感を覚え、蘭は黙り込む。あの女性からは、敵意を感じなかった、ように思う。同時にギンレイに対し殺意を向けていたのも確かだ。
「ひとまず今日は引きました。今のうちに、食事を済ませましょう。支度は済んでおります」
「あ、うん」
喉の奥に何かが引っかかっている。けれどその正体を探ることも出来ないまま、蘭は流されるように扉を潜り、促されるまま部屋に戻っていくのだった。
室内では遺物達が心配そうに出迎えてくる。
「ニーヒルさま! ご無事?」
「怪我、ない?」
ぱたぱたと纏わり付く手箒達に平気だと返しながら、ギンレイに続いてダイニングへ向かう。
あんなことがあったというのに、室内が荒れた様子はなかった。あの戦闘は館に影響を与えなかったらしい。壁に掛かった絵画がほんの少し傾いていたが、蘭が手を伸ばそうとすると自動でその傾きを修正した。
「至近距離で爆発したのに頑丈だなぁ」
派手に爆発していたように見えたが、そう言えばギンレイにも傷は見当たらない。それどころか衣服が綻びた様子もない。
「トツカも、遺物への誘爆を危惧してか少しばかり火力を抑えていたようでしたからね。さ、その椅子へどうぞ」
ギンレイに指し示されたダイニングチェアに腰掛けると、目の前に次々と料理が運ばれてくる。焼いた肉、サラダ、パン。葡萄ジュースの入った金属製のグラスは年代物らしく黒く変色している。
ロッキングチェアもカーテンもランプも手箒も喋るからゴブレットも喋ったっておかしくないだろう。そう身構えて恐る恐る手を伸ばし、触れる。
「って、喋らないのかよ!」
「どれもこれも喋り出したらやかましいでしょう?」
「……いやまぁそうだけどさ」
軽口を交わしたおかげなのか、あの非日常的な戦闘で強ばった肩からようやく力が抜けていくのを感じた。蘭は|日常が帰ってきたような安心感から嘆息を漏らし、注がれた葡萄ジュースに口をつける。ほどよく甘く、酸味があり、腹立たしいことに美味しかった。
「この肉って」
「えぇ、蘭の家に持って行ったあの石板で焼いたものです。便利でしょう?」
そういえばこの家には電気もガスも通っている気配はない。こういう場所で引きこもって暮らすのに、確かにああいう遺物達は便利だろう。
「……美味しい」
一切れ口に運び、思わず蘭はそう漏らしていた。
「貴方の暮らしていたあの家と、そう遜色のない暮らしが出来ます。それをお分かりいただけたかと」
「いやまだ来たばっかりだからそこまでは言わない」
即座にそう言って釘を刺す。けれど、思ったより原始的ではない生活をしていたことは、徐々に思い知っていた。
「……ところで、気になってたんだけど」
「何でしょう?」
一瞬、唇を噛みしめる。あの工房の静けさの原因を、どうしても確かめたかった。
「喋る遺物と喋らない遺物って何が違うんだ?」
「あぁ、まぁ、そうですね。概ねニーヒルの好み、でしょうか。魔女と道具達は口頭でなくても意思の疎通は可能です。それでも、あえて声と言葉を与えたのは、やはりニーヒルが誰かと話したかったからでしょう」
「そっか。じゃあ人格があるものとないものはどう違うんだ?」
「人格、と呼べるものかは分かりかねますが、遺物……魔女の道具となった時点で全てのものは自律的に行動を開始します。それを人格と呼ぶのであれば、ええ、全ての道具に」
ということは、あの家に持ち込まれた石板や古いベルにも人格はあったのだ。目の前で代用できる、などと言ったのは悪かったかもしれない。今更そんなことをじわりと後悔する。
「あの、さっきの魔女だけど。遺物を狙いに来た、って言ったよな?」
「正確なところは何とも。ですが、ええ、おそらくはこの工房に残った遺物を狙ったのでしょう。魔剣ベアトリスだけでは飽き足らず、他の道具も奪うつもりかと」
「ベアトリス?」
ギンレイは一瞬、唇を歪めた。しまった、と言いたげな珍しい表情を浮かべたが、すぐにいつもの微笑に戻る。
「ニーヒルの遺物の一つ。懐刀です。護衛のために側に置いていた魔剣でした」
「……それだけ奪ったの?」
「トツカは剣の魔女と呼ばれております。剣を蒐集し、修復し、自らの眷属とする。ニーヒルの死後、担い手のいなくなった魔剣を、あの魔女は真っ先に奪い取りました」
「他にここに剣は?」
「ありません。少なくとも、私の知る限りでは」
パンの最後のひとかけらを口に放り込みながら、蘭は考え込む。最初に唯一の魔剣を奪ったという剣の魔女。 そんな魔女が欲しがるものが、ここにあるのだろうか?
「……何を狙いに来たんだろう、あの人」
「剣の魔女と言っても剣しか扱わぬわけでもないでしょう。ここには武具に転用可能なものもございますから。そういった物を求めていたのやも」
パンを葡萄ジュースで流し込んで、蘭は頭を振った。分からないことをこれ以上考えても仕方ない。一旦危機は去った。なら、今はこの館の中のことを知るのが先決だ。
「ごちそうさま。美味しかったよ、ギンレイ。遺物達も」
キッチンに顔を向けてそう言うと、蘭は立ち上がった。
「もう少し館の中を見て回っていいか?」
「ええ、どうぞ。お休みになるのなら、工房の奥にニーヒルの寝室がございます」
「工房って、この奥の書棚がぎっしりある部屋だよな? その奥かぁ」
「はい。手入れはしてあります」
あの工房は他と違って居心地が悪い。その先の寝室ならもっと居心地が悪そうだ。それに――。
ニーヒルの眠っていた寝具に眠ってしまえば、目覚めたときに自分が自分でいられなくなるような気がした。
「もう一つベッドがある部屋あったよな……そこで寝るよ。あそこも手入れされてたし」
「そうですか」
僅かに残念そうな表情を浮かべたギンレイを見て、やっぱりあの部屋で寝なくて正解だったかも、と、密かに蘭は思った。
ともあれ、先程のあの地下室にまた行かなければ。そう思った蘭は再び工房に足を踏み入れた。窓のない工房は薄暗く、室内は壁に掛けられた照明が頼りなく照らすばかりだ。
徐々に暗さに慣れた目で床を探す。
「確かこのあたりに……あれ?」
さっきは近付けば自動ドアのようにすんなり開いた入り口は、いくら探しても見当たらない。それどころか、あの目に付く枠のようなものすらなくなっている。
「え、いやいやいやいや、さっきはあったよな、ここだったはず。え、似た部屋が他にあるのか?」
何しろ魔女の館だ、ならば館が見た目よりずっと広くて似た部屋がいくつもあるとか、さっきの扉と違う場所に繋がっていたとか、時空がずれているとか、そういう奇想天外なことはなくもないのかもしれない。だが、蘭が見る限りこの部屋は先程と何も変わらない。
床に這いつくばり、板を叩いて、爪を立ててみる。
「ニーヒル、床掃除?」
「掃除なら、する、する。ぼくたちがするよ?」
「いや掃除じゃなくてさ……」
手箒達が床を駆け回るので、堪らず身を起こした蘭は途方に暮れて天井を見上げた。
「おや、蘭。何か落とし物でも?」
「あ……ギンレイ。なぁここって似た部屋がいくつもあったりする? 扉の先が変わってたり、時空を飛び越えてたり」
騒いでいた声を聞きつけたらしいギンレイにそう問いかける。答えがイエスならお手上げだ。
「? いえ、そんな頓珍漢なことが起こるはずがないでしょう?」
「え、アンタがそれ言うの?」
頓珍漢の極みだろうがこの状況が既に。だがギンレイは困ったように首を傾げるばかりだ。
「何故そのようなことを?」
「いやさ、さっきここに地下室に通じる扉があったはずなんだけど……今見たらないんだよ。影も形も。何でかなぁ」
「地下室? そのようなものは、ございませんよ」
「――は?」
ギンレイは困惑したような顔を浮かべる。
「館の管理権限をニーヒルから委譲されておりますが……ええ、そのようなものはここには」
「いや、いやいや、さっき俺はここを確かに降りて」
「……随分お疲れのようですね。今晩はもう休まれては?」
「えぇー……」
つまりギンレイはこう言いたいわけだ。そんなものはない。それは疲れから見た幻覚だ、と。
だが考えてみればあの地下室に降りたのは自分一人だ。館の中でついて回っていた手箒達はあの時に限って側にいなかった。ギンレイも食事の準備をすると言ってキッチンにいた。
「あのランプは……」
この館から立ち去れ。強い口調でそう言ったあのオイルランプの言葉を反芻する。あれが夢や幻だったとはどうしても思えない。とはいえ、それを強く否定する材料を蘭は持ち合わせていなかった。
「さ、蘭」
促されるまま部屋を後にする。
地面の下から、あの冷たく蘭を拒絶する声が、聞こえているような気がした。




