第8話 悲痛、リタの過去②
屋敷に戻ると父が晩酌をしていい感じに仕上がっていた。
「アニエスカちゃん、おかえり。父……独り飲み」
「いい気なものですわね、お父様。領地経営はすべて私がやってるのに」
「あう……父……忸怩」
忸怩――一応、恥を感じているのか。最近、二字熟語の語彙が増えたな。
私が軽く肩でため息を押し出しワイングラスを手に取ると、父は朗らかな表情を浮かべワインボトルを手に取った。
「時にお父様、先の戦争には参加なされましたか?」
「ああ、忘れもしない。私が二十一歳の時だった。わが領地から五十人が徴兵されてな」
「そのころからロベルトの事は知っていたの?」
「ああ。鬼のロベルトと呼ばれてな、戦場の英雄だったよ……」
若き日のロベルトは剣術や格闘術に優れており、その手の大会では常に優勝するほどの猛者であったらしい。戦場でもその猛者っぷりで常勝の部隊だった。同じ部隊で戦った父は剣や槍の扱いが、てんでダメだったらしく、生き残れたのもロベルトが何度も命を救ってくれたからだと言う。
「鬼のロベルト? あんなに優しいのに?」
「ロベルトの親友のダミアンが死んでからか。あの性格になったのは……」
ダミアン、戦死したリタの夫だ。
彼もロベルトほどに手練れで、彼の戦死には誰もが耳を疑った。
「リタさんが絹を作らなくなったのは、どうしてなのかしら?」
「どうだろうな、確か一人娘がいてな。後を継ぐ継がないで一悶着あったと聞いたが」
父からこれ以上、情報が出てこないことを悟った私は、父を放置して自室へと戻ろうと背を向ける。
「アニエスカ、もう寝るのかい? もうちょっと父に付き合っておくれよ、あと一杯」
「暇人に付き合ってる場合じゃないのですわ」
「暇人って……父……忸怩」
「それ、二回目! 暇なんだから、もっとボキャブラリーを増やしなさい」
明日は予定もないし、リタの家を訪れてみよう。
久しぶりにお酒を飲んだのは、昼に見た清流から日本酒を連想してしまったからだろう。少し熱を持つ体でベッドへ転がると、心地のよい布団の冷たさが眠りへと誘った。
完全なオフの日に限って、目覚めが良ことには勿体なさを感じる。普段、忙しさにかまけて睡眠をおざなりにしている。ならば、贅沢に寝坊を決め込みたいものだが。
ガンガンガン――ドアノッカーの音が、ちょうど洗面所帰りだった私の耳を叩く。
ドアを開くと二つ並ぶ亜麻色のふんわりショートボブ。
「……なぜ今日も来るのかしら? 双子ちゃんたち」
「職探しです。ロザリアとナタリアは病気の父の為にお金を稼がないといけないのです」
「いけないのですー」
この双子、断られた次の日に物怖じもせずに雇ってくれとは、どんな神経をしているのだろう。
「双子ちゃんたち。朝食はもうお食べになった?」
「私達、朝ご飯は食費の節約のために食べないのです」
「腹ペコ我慢ですー」
「……そう。ならば一緒に食べましょう」
「うれしい! ありがとうお嬢様」
「タダ飯ですー」
ダイニングテーブルに座るのは、グレゴリアス男爵、男爵夫人、男爵令嬢。そしてメイド服のを着た双子の平民。彼女たちは自分の暮らす領の領主とその家族を目の前にしているのに、何を気にする様子も見せずに朝食にがっつく。
「随分と、なんだ。わんぱくなお客さんたちだねぇ」
「とっても美味しいです。領主様たちも食べたほうがいいです」
「おいひぃれふー」
グレゴリアス男爵家がこんなに大赤字を掘って、領民の負担を少なくしようとしていたにも関わらず、職にあぶれ食に困っている子どもたちがいるとは。早急に手立てを講じなければならない。
そのためにも。
「今日もリタがさんの家に行くけど、あなたたちも来る? 双子ちゃん、お小遣いくらいなら出すわよ」
「お金くれるですか? それならもちろん行くです」
「仕事ですー」
立ち上がり互いの両手を繋ぎくるくると回るロザリアとナタリア。
彼女たちを見た時、リタの表情が一瞬柔らかくなった。双子を連れていけば、私一人で行くよりも取り入りやすいはずだ。
「アニー様、馬車の準備が出来ております」
「今日はこの子達と三人で歩いていくわ。ロベルトは書類関係の整理をおねがい」
「承知しました」
今日は連れて行かないのが正解だ。ロベルトにとっては、リタと顔を合わせるのは敷居が高いだろし、リタも亡き夫の事を思い出してしまうであろう。
それにいい運動になる。生まれてこの方、どこへ行くにも馬車移動。最近、自分の体力の無さにもうんざりしていたところだ。
「とは言ったものの、もうすでに一時間以上歩いているわ。流石に足が痛いわね」
「お嬢様、もう疲れたですか? ロザリアたちは元気なのです」
「歩くの大好きですー。どんどん行くですー」
トトロの歌みたいな双子だな。私も領地の経営改革が本格化してくれば、もっと激務になっていくだろう。体力を付けなければ。剣術でも始めようかしら。
「着いたですー」
「リタおばさん、ロザリアとナタリアが今日も遊びに来たよ」
ガンガンガン――。ロザリアが力いっぱいドアノッカーを叩く。
この子達のノックがうるさいのは、この遠慮のない叩き方のせいだったか。
しばらくしても、リタが出てこない。こんな、朝早くに出かけてしまったのだろうか。
「あれ、お留守ですかね」
「ですかねー。次はナタリアが叩くですー」
ガンガンガンガンガンガン――
ガンガンガンガンガンガン――
「やめなさい! ドアが壊れるわよ」
私はナタリアの後ろ襟を掴んで後方に放り投げ、ドアに耳を傾ける。
「……うー……うーん……アァァ」
ドア越しに聞こえる唸り声はリタの声だ。
慌ててドアノブを引っ張ると、鍵がかかっていなかったようだ。部屋の中には床に蹲り、痛みに唸り声を上げ続けるリタがいた。
――
あとがき
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