第6話 計画、グレゴリアス領の特産品
無事、婚約破棄ミッションを達成した後、昼間に行った寂れたレストランでは私とロベルトが大盛りあがり。父が珍しく少食で、しょんぼりお酒を飲んでいたが、それは私のせいではない。
グレゴリアスの屋敷に戻った私はネグリジェのままベッドの転がっていた。
「婚約破棄、気持ちかったなぁ。『我慢するのは貴方の息子と、息子のムスコじゃないかしら』。くぅ! あのセリフもう一度言いたいわぁ」
ベッドの上で抱き枕を抱え何往復も転がり、興奮を噛み締めていた。
「アニエスカお嬢様、起きていらっしゃいますか?」
ドアの外からロベルトの声がする。寝ていたら気づかない程の塩梅の声量。相変わらず有能な秘書だ。
「ええ、起きていますわ。どうぞ、お入りになって」
「失礼いたします」
ロベルトが部屋へ入ってくると同時に、紅茶の香りが漂う。高級ではないものの、センスの良い茶葉だ。
「相変わらず有能ね。貴方がいなかったら、とうにグレゴリアス家は没落していたわ」
「滅相もございません。旦那様の人柄あってのもでございます。さて……」
ロベルトが今日のスケジュールを説明する。午前はロートシュヴェールト銀行の支店長との面会、夕方からは領の商工会の定例会の出席、その後は商工会長との会食だ。
「詰め込んでしまってすみません。アニエスカお嬢様」
「気にしないで、そのくらい楽勝よ。そうだわ、ロベルト」
「はい、何でしょう、アニエスカお嬢様」
「私の秘書として働く以上、貴方は多分、私の名前を両親以上に呼ぶ回数が多くなるわ」
「おっしゃる通りかと……」
「呼び名が〝アニエスカお嬢様〟では時間がもったいないわ。これからはアニーとお呼びになってください」
「かしこまりました。アニー様」
〝アニー〟、うん。これくらいの長さが呼ばれ慣れている。前世ではずっと〝社長〟って呼ばれていたしね。
家族で朝食を食べながら書類に目を通している私に父が言う。
「アニエスカ、食事の時は食事に集中しなさい。書類ばかり見ているじゃないか。家族での会話も大切なことだぞ」
「おっしゃる通りですわ、お父様。誰かさんが長年大赤字を垂れ流していなければ優雅にお食事できたのですが」
「痛てててて、父の威厳を出したかっただけなのに。父……撃沈」
母が楽しそうな顔をしている。彼女は最近、私と父のやり取りを見るのが好きなのだとか。
「そうだ、お母様。今日は久しぶりにアフタヌーンティーをしましょうよ」
「あら、嬉しいお誘いだわ。最近あなたは忙しそうにしていたから、私からは誘いしづらかったの」
「ロートシュヴェールト銀行に行った後ならば、少し時間がありますので、その時に」
「ええ、クランペットを焼いておくわ」
正直いうと、母が作るクランペットというパサパサのホットケーキみたいなやつは好みではない。令嬢友達のお茶会で食べたようなスイーツが食べたいのだが。これはスイーツ事業を興すときまで我慢しておこう。
「アニエスカお嬢様、こ、この資料は……損益の計算書はわかりますが」
「キャッシュフロー計算書と貸借対照表よ」
「なんと、こんなまとめ方があったとは。しかし、こんな内部の資料を我々にみせても良いのですか?」
この世界では、まだ貸借対照表が広まってないようね。キャッシュフロー計算書が無いのはわかっていたけど。これは日本だって義務付けられたのが西暦二〇〇〇年だもの。
「ええ、信用第一! これなら当家の状況がすぐわかるでしょ。命よりも大事なお金の貸し借りをしてるのですから、すべてをお見せいたしますわ。もちろん御行の外に漏らされては困るけど」
これから領地の再建をしていくためには、銀行の力がまだまだ必要。あと数千万エウロは引っ張りたいから、状況の把握は銀行にもしておいてもらいたい。
「す、すごい。お嬢様、これは金融業界、商売の世界に革命が起きる簿記方式ですよ!」
「そうね。これを参考にお勉強なさって。今日は、これを渡そうと思っただけですので、それでは、ごきげんよう」
支店長は私の見送りを忘れるほど驚いていた。
まあ、あの資料をみて驚けるなら有能な方ね。普通の人なら何のことだか理解すら出来ないはずだもの。
「ただいま戻りましたわ、お母様」
「あら、ちょうどクランペットが焼けたところなのよ。さあ、お茶にしましょう」
口の中の水分をクランペットに吸い取られ、それを補うように紅茶を啜る。
「私に誂えてくれた赤いドレスがあるじゃない」
「ええ、絹作りのリタがつくった生糸のドレスのことね。あなたにとっても似合っていたわよ」
「そのリタさんって、おいくつくらいの年齢なのかしら?」
「うーん、たしか……ことしで五十歳くらいだったかしら」
引退したと聞きいたが、隠居するにはまだ早いわね。なんとか口説いて復帰して欲しいわ。
彼女の撚糸職人としての技術は、素人が見ても他の絹とは雲泥の差。これをグレゴリアス領の特産品にできれば、大きな外貨が稼げるわ。
「お母様、リタさんの家がどこにあるかご存知?」
「知らないわ。あ、ロベルトなら知ってるかもしれないわ。彼女とは庶民学校の同級生だったと聞いたわ」
これは、ツイてる。意外と早く特産品を作ることができそうね。
「お嬢様、お茶の途中、失礼いたします」
ロベルトが私を呼びに来た。グッドタイミングだ。商工会の定例会に出る前にリタの家に寄っていこう。
「ロベルト、ちょうどよかったわ。出かけるわよ」
「いえ、屋敷にお客様がいらしていて」
「客ですって? 誰かしら。ま、いいわ。お通ししてくださいな」
ロベルトがドアを開けると、小柄で可愛らしい少女が立っていた。
「失礼します。侍女の面接に来た者です」
「面接?」
あのポンコツクソジジイ、侍女の雇用はダメってあれだけ言ったのに。可愛そうだけどお断りするしかない。
「はじめまして、侍女になりたくて参りました、私はロザリアと申します」
「ナタリアですー」
ロザリアと名乗った少女の背後から、同じ顔をしたもう一人の少女がヒョコッと顔を出す。
「双子ーっ? なんなの、めっちゃ可愛いんですけどー!」
――
あとがき
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