第10話 決別、船乗りのになった娘
◆ ◆ ◆
「パパ、もう起きないの? なんで起きないの?」
二十年前、ロベルトが運んできたのは、リタの旦那であり、親友であるダミアンの遺体だった。
無言で俯くリタの傍らにすがり、目を覚ますことのない父を見つめ泣いているジャンナ。
ジャンナは衛兵として働く父、ダミアンと、撚糸職人として独り立ちした母、リタと幸せに暮らしていた。リタが誕生日に 贈った航海士の冒険小説が大好きだったジャンナ。眠る時は、いつもダミアンが読み聞かせをしていた。
「嵐の中、航海士のジョゼは乗組員を守るために甲板へと出る……」
本を読むダミアンの声は徐々に小さくなる。
「ふふふ、ジャンナは寝てしまったわね」
「ああ、ここから面白くなるところなんだけどな」
ダミアンは眠りについたジャンナに布団を掛けてベッドから出ると、紅茶を飲んで読書をしているリタの向かいに座る。
「最近あの子ね、私が絹糸を作ってると自分もやりたいってうるさいのよ」
「未来の撚糸職人だな。ジャンナは器用だからリタより凄い職人になったりしてな」
「あはは。それは楽しみね。負けられないわ」
リタはこのまま幸せな家族の時間は続くと思っていたが、その年に戦争が勃発。父は生きて帰ることはなかった。
ジャンナは物語の途中で読んでくれる人がいなくなった航海士の冒険小説を、抱きしめて寝る夜が続く。庶民学校に通い文字が読めるようになると、物語の続きは自力で読み進めていった。物語が進むにつれて海への憧れが強くなるジャンナ。まるで、亡き父との思い出を噛み締めるように、海の世界へとのめり込んでいくのだった。
ジャンナはてっきりリタの後を継ぎ撚糸職人になると思っていたが、ある日彼女の告白によりそれが勝手な思い込みだった事を知る。
「母さん、私、航海士になりたいんだ」
「撚糸職人になるって言っていたじゃない」
「いつかはね。体力的にも航海士になれるのは今しかないの! わかって母さん」
五年間だけやりたいこと――航海士をしながら世界の海を廻る。帰ってきたらリタの後を継ぐという約束で、ジャンナは半ば強引に家を出た。
海に取り憑かれるような小説のプレゼントなんてしなければよかった。リタはずっと後悔をしていた。それでもリタはジャンナと約束した五年という約束を、日々、絹糸を作りながら待っていたのだ。
ジャンナとの約束をした五年の月日が流れた。
今まで毎月必ず届いていた手紙の代わりに届いたのは、働いていた海運事業者からのジャンナの訃報だった。
信じることが出来なかったリタは、ジャンナが働いていたヴァンドール領の海運事業者の元へ行ったが、その訃報が間違いでないことが確定しただけだった。
嵐の中、航海士のジャンナは乗組員を守るために甲板へと出で、運悪く海へと投げ出されてしまったとのこと。
奇しくも、リタが誕生日に贈った航海士の冒険小説の主人公と同じ災難に巻き込まれたのだ。小説と違っていたのは、リタは帰ってくることがなかったという点。
リタは後悔した。自分があんな小説を贈らなければ……
夫に続き娘を亡くした。しかも娘の遺体どころか遺品すら戻ってこなかった。
◆ ◆ ◆
「……撚糸職人を継ぐはずの娘が帰ってこないのに、絹づくりをしている意味を感じられなくなってしまってね。私が引退した理由だよ」
「そう、そんな悲しいことがあったのですね」
「お嬢様、そんな私の心の傷を抉ってまで、絹づくりに復帰しろなんて言えないだろう」
確かにそれは酷なことだ。
せめて、少しでも報われる何かがあれば良いのだけど。
「リタさん、話してくれてありがとうございます。今日はこれで失礼いたします」
心にリタの悲しみが流れ込んでくるような感覚。
人はいつか死ぬ。それが速いか遅いか。実際に前世でも悲しい死別は多く経験してきた。震災で死んだ自分のことですら、〝しょうがない〟で割り切れていたのだが。このどうしようもない悲しみがひどく胸を痛めるのは、アニエスカの性分なのだろう。
次の日、私は思い立ったようにヴァンドール領へと向かっていた。
ジャンナがどんな五年間を送ってきたかを知りたい。そして、その中にリタの心が救われるなにかがあれば、と漠然な目的で。
ヴァンドール領へはロベルトと二人で行くつもりだったが、そのことを知った父が付いてくると聞かない。遊びに行くわけではないと断るも、一向に引く気がない。
「私は遠出する娘が心配なのだよ。お前はしっかりしているが、私にとってはいつまでも子供なんだ」
「もっともらしいこと……さては、あの料理店、〝ジョゼ食堂〟が目当てね」
「え、あ……まぁ、どうせヴァンドール領に行くならば? 美味しい料理が食べたいというか?」
このジジイ……。あっさり白状したわね。
「それならば、私もご一緒しようかしら」
思いがけない母の同行宣言。
「ええ? あの出不精のエターニアが!」
父ですら驚く母の発言だったが、思わぬ形で叶った家族旅行に父の目が輝く。
こうして、前世でもしたことのない初めての家族揃っての旅行が実現した。
――
あとがき
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