第1話 令嬢、前世は資産日本一の女社長
「アニエスカ・グレゴリアス、お前は当家との婚約を破棄されてもよいというのか!」
私の婚約者であるロメオの父、マルイル・ヴァンドール侯爵が怒り心頭のご様子。
確かにお怒りになるのは仕方ないわ。没落寸前のグレゴリアス男爵家に多額の花嫁代をすでに支払っているのだもの。
だけれど、そんな端金で私を買った気になっているのが度し難いわ。
「クソ結構ですわ、ヴァンドール侯爵。ちょうど貴方や御子息にも嫌悪感が限界に達しておりましたの」
「な、な、貴様! なんと下劣な女なのだ! 破棄だ、婚約を破棄する!」
その言葉、待っていたわ。
一度やってみたかったのよ、汚い言葉を添えてのカーテシー。
「クソありがとうございます。契約破棄の件、クソ謹んでお請けいたしますわ」
私は背筋をピンと伸ばし、最上級に綺麗なカーテシーをした。
「おのれ、グレゴリアス男爵家に支払った花嫁代の五〇〇万エウロ、すぐに返済してもらうぞ」
「はあ、それで私が怖気付くとお思いですか?」
◆ ◆ ◆
我がグレゴリアス男爵家は先祖代々、細々と小さな領地経営をしている家柄。
代々、経営がうまくいかないのは遺伝かしら。
不器用でお人好し、少しポンコツでお金にだらしない父と、買い物好きだけど誰にでも優しい母。もう何年も赤字続きである落ちぶれ貴族の一人娘が私だ。
去年、一六歳になった私は夜会デビューをした。
「これで私達もデビュタントね。そうだ今度、私の屋敷でお茶会しましょうよ」
貴族の令嬢同士、キャッキャウフフするのは確かに楽しかったわ。お呼ばれしたお茶会、そこで私は自分の家が他の貴族たちと違うことに気づいた。
まずは、屋敷の大きさ。グレゴリアス男爵家の屋敷は几帳面な母がいつも掃除をしていたお陰で、古いながらも小綺麗ではあった。
夜会で仲良くなったとある令嬢の家で、大勢いる侍女たちが掃除をしていたのには驚いた。
井の中の蛙、大海を知らずね。でも、それはしょうがない。夜会デビューする前は小さな領地より外に出たこと無いのだもの。
ティースタンドにも驚いた。紅茶好きな母の影響で毎日アフタヌーンティーはしていたが、お菓子といったらパサパサのクランペットだけだった。
それに引き換え、ティースタンドに並ぶ名前も知らない焼き菓子やおしゃれケーキ。私は恥をかかないように無口を押し通していた。
ある日の夕食のこと、いつになく明るい表情の父が私に言う。
「アニエスカ、お前の婚約の話がまとまったぞ! なんとヴァンドール侯爵家のご令息だ」
「まあ、アナタ。とっても良家じゃない」
母も喜んでいる。グレゴリアス家が男爵家だから、三つも位の高い侯爵家との縁談だ。
「お前には苦労を掛けまいと良縁を探していたが、夜会でお前を見かけた侯爵令息のロメオ殿が気に入ったらしくてな」
「まあ素敵。アニエスカの美貌の賜物ね」
たしかに私の容姿は良い。これは両親のお陰だろう。母のエターニアも美人だし、父のバルトスも痩せればイケメンの類だ。
しかし、実はこの縁談、諸手で喜ぶ事ができない理由があったのだ。
幼少の頃より屋敷に頻繁に訪れる男たちは、訝しげな表情で父と面会していた。
領地のために一生懸命打ち合わせをしているのだろうと思っていたが、話の内容がわかる歳になった頃には心配の種に変わった。
「グレゴリアス男爵、これ以上、当行からは融資できません」
「そう言わずに頼む。これ以上領民に負担をかけたら、君たち銀行に返済する税も徴収できなくなってしまうのだ」
「そう言われましても……」
こんな具合だ。不安でしか無い。
そんな首の回らないはずの我が家の質素だった夕食が、ある日を境に豪華になった。
そして数日後、明るい表情の父から告げられる侯爵家との縁談。
「お前には苦労を掛けまいと良縁を探していた」だって? 体の良い人身売買じゃない。
でも、私にはそれを受け入れるしかなかった。父や母、領民のためにも私が嫁ぐしかない。
ヴァンドール侯爵家に挨拶に行く数日前の事。私は恒例となった令嬢たちとの茶会中に、高熱で倒れた。医者曰く、精神的ストレスの類であろうとのことだったが、私は三日三晩うなされた。
高熱に苦しみながら長い夢を見た。
大災害が起きて、そこら中の家が燃えている。津波に押し流された瓦礫の山。倒壊するビル群。
変な服装に、変な髪型の人々。妙にリアルなその夢は、前世の記憶―
――私は、日本でバリバリ働く敏腕女社長だった。
ワンルームのアパートで起業したスタートアップは、時代の波に乗り、あれよあれよと業績を伸ばしていった。
起業してから三年で上場。その後も急成長し、十年で日本を代表する大企業になった。
そして、経済新聞のトップにも掲載されるような大型買収が決まり、純資産日本一位の企業になる調印式の日。大災害が未曾有の大災害が起きたのだ。
日本一位の会社になり、ゆくゆくは世界一の会社を作る。
そのために、すべてを捨てて形振り考えずに走り続けた私の人生は、人間の力の及ばない大災害によって幕を下ろしたのだ――
「クソがーーーーっ!」
下品な言葉とともに意識を取り戻したアニエスカ。
ベッドの傍らに居た父や母、それに医者が仰天の表情で固まっていた。
「ああ、アニエスカ、意識が戻ってよかった」
母が涙を流しながら私の手を握る。よほど心配していたのだろう。
「良かった。明後日はヴァンドール侯爵家への挨拶へ行く日だぞ」
と父。
……? この豚め。私の体より、そっち心配か。
「お父様、お母様。ご心配をおかけしました。もう大丈夫、このグレゴリアス男爵家は私が再建いたしますわ」
再び驚く、父と母。
「さ、再建? 何を行っておるんだアニエスカ」
「お父様、ヴァンドール侯爵家からの花嫁代はいくらですの?」
「何を言っている、花嫁代なんて。あれはご支援というか、支度金というか……」
「あやふやな返事に意味はないわ、数字でおっしゃいなさい。この穀潰しの豚め」
「ひぃっ! 五百万エウロです! え、へ? ぶ、豚?」
五〇〇万エウロ――この世界の通貨を日本の相場で考えると……五億円か。
「たった五〇〇万エウロで私を売るなんて……」
私が睨みつけると、父は蛇に睨まれた蛙のように固まっている。
「私はお風呂に入ってきます。その間にお父様、この領地の会計、財務資料を全部用意しておいてください」
祈願の資産日本一の企業になった感動を噛み締める前に死ぬなんて。前世の私……度し難い。
こうなったら、この世界で一番の経営者になってやるわ――!!
私、お金以外に興味ありませんからっ!!
――
あとがき
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