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転生令嬢の生存戦略のすゝめ  作者: 草野宝湖
第三編
98/152

98.地獄への手引き①

 ドブの腐った臭いが日常。

 暴力が日常。

 親切、優しさ、慈しみは非日常。それらはエイゼン・イヨをはじめとしたゼロ・エリアの深部に住む者にとっては縁遠いものであった。

 眼前に死体が転がっていても、少年は一瞥して自分がそうならないために息をひそめる。誰もいなければ懐を探って、金目の物を奪う。一歩間違えれば明日は我が身だと震えながら生きるための糧を探す。

 生きるのに必死なのは子どもも大人も同じ。だったら、と弱い子どもは徒党を組む。しかし強い大人もまた徒党を組み、弱者を狙う。ならば、知恵をふるうしかない。騙し、騙され、相手の裏をかく。

 絶え絶えの息の中、エイゼンは己の失敗を振り返った。何がいけなかったのか。裏切りはないはずだ。だが、エイゼンが死にかけているのは、計画が破綻したことを意味する。

(仲間は、仲間は大丈夫だろうか・・・・・・)

 薄暗い路地の奥まった一角。湿った壁に背を預け、か細くなる吐息に耳を澄ませる。視界は霞み、視野もだんだん狭くなっていく。閉じる瞼を押しとどめる力すらわかない。

「おい、生きてるか?」

 追手だろうか。しかし、エイゼンには抵抗する力もない。

 男はエイゼンの正面に座ると、目を合わせた。

 刈り上げた茶色の髪と、それより深いダークブラウンの瞳がエイゼンを見つめる。

 目元に大きな切り傷がある男だ。傷は古い。高級カジノのディーラーのようなシュッとした体躯、整いすぎていない顔立ちでまず惹かれるのはその三白眼だ。きっと表通りに出れば女たちが群がることだろう。彼は仕立ての良いスーツを着用し、容姿や雰囲気も少なくともこの辺の底辺で暮らす大人たちのそれとは違う。ふと腰に目をやれば、しかっりと武装している。

(アインスさんのところの幹部あたりか?)

 虚ろな思考でエイゼンは男の正体を想像する。

「どうする?死ぬか?」

 エイゼンは乾いた口をもごもごさせる。本当は死にたい、と言いたかった。そうすれば見ず知らずのこの男は〇してくれるだろう。その後の遺体をどうするかは、エイゼンが知ることはないのだから勝手にすればいい。介錯してくれたお礼に抜け殻となった体くらいしかくれてやるものはない。

「此処よりひどい地獄がある。だが、飯はたらふく食えるし、給金も出る。それも一日でお前らの1年分の生活費だ。人死にも毎日のように見るだろうし、此処よりもひどい有様だ。だが家畜じゃなく、一人の戦士として扱われる。どうだ?死ぬか、オレと一緒に来るか?」

 ここよりひどいところに来ないか、というスカウトを初めて受けた。しかも死にかけの自分に向かって言うことだろうか。

「なっ、仲間は・・・・・・」

「皆、〇されていたよ。悪いな、助けられなかった」

(そうか、あいつらは皆逝ったか。じゃあ、俺も・・・・・・)

「いいのか?それで」

 心を見透かしたように男が問う。

(なんで、なんで、あいつらが死ななきゃいけないんだよ・・・・・・)

 涙を流したいのに、そんな力すら出ない。ズズッ、と壁にもたれる力がなくなり、グラリと体が傾いた。ぺしゃりと泥水を吸った地面に横たわる。その間、男は何もしてくれなかった。

「答えろ。じゃなきゃ、オレは動かない」

「・・・・・・・」

 言葉にできたか定かではない。エイゼンはそのまま気を失った。


 御者のゲンはゼロ・エリアの大通りに面した車止めで主人を待っていた。

 ゲンの主人はユエとアインスと立て続けに面会し、そのまま宿に戻る予定であった。明朝、共和国に向けて出立し、魔法国でも仕事をいくつかこなすらしい。

 ゲンの主人は、あの事件の生き残り、カスバート・ケトル。ケトル商会の跡取り息子で、ロザでは現在も指名手配中だ。彼はいくつもの偽名や経歴を駆使して世界中を飛び回っている。今は、共和国のスポークスマンとしての仕事が多い。ロザ帝国、共和国、そして魔法国を行ったり来たり。カスバート・ケトルとしてよりも、共和国の一大犯罪組織のボスの顔としての方が有名かもしれない。数年前にラティエース・ミルドゥナが解決したとされる人身売買事件の首謀者。その組織のボスにカスバートが収まり、再び、かつて組織が手を染めていた犯罪と同じことをしている。この組織が担う本当の意味を、ラティエースとカスバートが知ったとき、カスバートが自ら手を上げて、己の手を汚すことを決意したのだった。

 ユエとアインスとの面談後、馬車を走らせているとカスバートが厳しい声で「止めろ」と言って、杖を天井に向けて何度か突いた。これは声の届かない御者への合図だ。ゲンは手綱を引いて馬を止めた。速度が遅くなった途端、馬車から飛び出したカスバートはあっという間に、細い路地の奥へ消えていったのだった。

 すでに半刻が過ぎようとしている。主人を迎えに行った方がいいのだろうか。

 ジャンス・ファミリーが壊滅した後は、ある程度の治安は確保されたものの、やはり路地裏は危険には違いない。ただの観光で遊びに来ている者たちは決して路地裏に進んではならないという不文律があるが、やはり極少数の愚か者たちが足を踏み入れ、四肢を引き裂かれていたという事件が後を絶たない。

 カスバートはゲンよりもよほど腕が立つだろうが、囲まれてはそれも通用しないだろう。どうしたものかと右往左往していると、建物と建物の間から、人影が現れた。

「ご主人様、ご無事で」

 そう言って、ゲンは駆け寄る。と、カスバートは血まみれの少年を抱えていた。ずたずたに引き裂かれた体と出血。まだ息があることの方が驚きだ。

「この子は?」

「そこでドンパチがあったみたいで、こいつしか生き残っていなかった。とりあえず病院、いや、ドクはまだ現役か?」

「ええ、そのはずです。乗ってください」

「いや。お前はこの子を連れて宿に戻れ。オレはドクを連れて戻る」

「はい!」

 心得たゲンは大きく頷いて、馬車を走らせた。


 ドクことゼロ・エリアの医師、ミーユを連れてカスバートが戻った。

 寝台に横たわったエイゼンを一瞥して、白衣を引っかけた女性、ミーユは振り返る。

「〇してやった方が、この子ためだと思うけど?」

 キセルをくわえたままカスバートに言う。

 ミーユは、ゼロエリアで唯一の診療所を営む女医であった。40代前半の化粧っ気のない女だ。うねりのある金髪を乱雑にまとめ、マダム・ローズのコレクションから拝借したキセルをくわえている。

 金のない者も金持ちも、後ろ暗い連中は皆、ミーユの元を訪れる。片手片足、ついでに片眼を失明しているミーユであるが、その腕は下手な町医者よりも腕が良い。筋肉隆々の助手二人を従え、ゼロエリアの端から端まで診療に走る女であった。

「なんだ、助からないのか?」

「わたしを誰だと思ってんの?ただね、生き残ってもこの子にはつらいだけじゃないのかって言ってんの」

「オレもそうだったから分かる」言って、カスバートは少しだけ唇を噛み、「でも、今は生きててよかったと思っている」

「そりゃ、お前が元々いいところの坊ちゃんで、火遊びで大やけどしたってだけの話だ。この子は違う。肥溜めで生まれて肥溜めで育ち、肥溜めしか知らない連中の餌食になったってだけだ。生き残ったところで、肥溜めに戻るだけさ」

「肥溜めよりももっとひどいところに誘ったところで気絶した。返事を聞きたいから診療してよ、ミーユ」

「その名で呼ぶんじゃないよっ!!」

「あのー、重病人の前でキセルはどうかと・・・・・・」

 ゲンが余計だと思いつつ口をはさむ。ゲンは手拭いで少年の身体の血を拭いてやっていた。血に染まった桶に手拭いを入れて、もう一つの清潔な水につかった手拭いを絞り、額に当ててやる。気休めだが、少しは楽になればいいという思いからであった。

 ゲンもこの少年には同情してしまう。ゼロ・エリアには少年のような子がたくさんいる。此処まで激しい暴力を受けたのは、たぶん、この少年がジャンス・ファミリーの関係者だからだろう。組織が壊滅してからも、どこにも行き場のない者たちはゼロ・エリアに住み続けるしかなかった。弱体化した組織の生き残りなど格好の捕食対象だ。アインスはもとよりユエも、率先して生き残りを救済するなんて慈善はしない。生き残りの狩りを命じないだけマシというものだ。

「うっさいね。どうせ死にかけてるんだ。煙吸って死ぬか、大けがで死ぬか、大差ないよ」

「暴論だなぁ、ミーユ」

 カスバートがカラカラと笑いながら席を立つ。

「ほら、ゲン。オレらは別室で待機だ。これ以上ミーユの機嫌を損ねて、うっかりメスでこの子の心臓を刺されたら大変だ」

「だから、ミーユって呼ぶな!!」

 ミーユは手近にあった枕を出ていこうとするカスバートの背に向かって投げた。が、それはドアに阻まれ、ボスッという擬音を立てて枕は落下したのだった。

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