9.子と父と子の親友
――――――帝国歴413年葵の月13日午前8時。
「おはようございます、公爵」
キンバートが、食堂に向かうとそこには、制服姿の娘エレノアと、質素だがオリエンタル刺繍の入ったドレス姿の妻、そして、エレノアの友、ラティエースが食卓についていた。
「おや、ラティ嬢。昨日は実家に帰ったと聞いていたが」
「はい。ですが、公爵家の朝食が恋しくなって、朝一番に戻りました。やはり、奥様のスープを食べないと一日が始まった気がしません」
「やだわ、ラティちゃんったら」まんざらでもない様子で、妻のポモーナが言う。「ラティちゃん、おかわりは?」
「はい。いただきます」
ポモーナは傍にあったカートに載せたスープ鍋からスープを器にそそぐ。盆を持って待機していたメイドに手渡した。
「ポモーナ。わたしにもくれないか?」
返事の代わりに、ポモーナは食堂の入口に向かって、顎をツイと向ける。意は「自分でとりにいけ」だ。ダルウィン公爵家の朝食はビュッフェ形式だ。よりすぐりのメニューの中に、ポモーナ手製のスープや、エレノアが焼いたクッキーなども並ぶ。ラティエースやアマリアが経営するホテルや飲食店の新作が並ぶこともある。
「はいはい。家の主人にふさわしいあつかいだ」
そうぼやきながら、キンバートはパンやサラダを大皿に載せていく。その様子を、メイドたちがクスクスと笑みをこぼす。基本的に屋敷に従事するメイドたちは、静かに影のように立ち振る舞わなければならない立場だ。が、公爵家では違う。他家と比べ、メイドや執事たちと距離は近いが、侮られてるわけでも、上下関係がないわけでもない。そこの線引きだけははっきりしている。ただ、人間らしく、楽しいときは笑い、悲しいとき、つらいときも隠すことなく表現することを公爵家では推奨している。楽しいことは人数分増やし、つらいときはそのつらさを大人数で分け合い、解決していきたい。そう、娘が言った時、公爵家は変わった。
こんなに家が安らげるとは思わなかったし、家にまっすぐ帰りたいと思わなかった。すべてエレノアのおかげだ。娘がいなければ、公爵家に仕える者たちを含めた家族を、大事に思うことはなかった。
「それで?件の伯爵令嬢の件かい?」
食事が終わった頃を見計らって、キンバートがラティエースに言った。はい、とラティエースは肯首した。
「まあ、それについては今日から理事会の調査がありますし。聴取予定の生徒の何人かは、皇子に有利な発言をするでしょうが、想定範囲内です。証言よりも皇子がやらかした数々の証拠が重視されるでしょう。公爵のおかげで、向こうからの直接攻撃はないでしょうし、あくまで、学生間の行き過ぎたトラブルを理事会が裁定し、罰を下した。この筋書きで終わるはずです」
その裏で派閥が騒ぎ、いくつかの家々が動いたことは、あくまで大人の事情。エレノア達、子ども側もそ知らぬふりをしてこの事態を収束させる。
「そうか。今回の件で皇子派のメーン伯爵がこちら側に鞍替えしたことはありがたかった。軍に顔が利くローエンの力も弱められたのもありがたかった」
「少し勝ち過ぎた感もしますが……」
権力闘争の場合、一方的に勝利しては禍根を残し、さらに大きな闘争を生む。それが、ラティエースの考えであった。相手にもほどほどの勝ちを寄越し、自分たちの力は相手に通じる、と勘違いさせることが大事なのだ。そして、勘違いした派閥がやりすぎた場合、徹底的に潰す。中途半端に赦してはまた、禍根の種を芽吹かせる。種のもとを断つまでやる。それが、ラティエースのやり方だ。だから、自分の側はなるべくシンプルな命令系統、分かりやすい構図にしておく。相手側には利権関係を複雑に絡ませ、身動きがとりづらい状況にもっていく。これで、衝突したとき短時間で勝利をつかめる。相手が調整している間に、勝利は決しているというわけだ。
「そうか。そのことは考慮しておこう」
下手をすれば、キンバートは宰相付の官吏よりもラティエースに信を置いている。
(まったく。大公の教育はどうなっているんだ)
ラティエースが自分の側であること。娘の親友であること。同い年でなかったこと。これほど感謝したことはない。もし、同い年で貴族間の駆け引きをする立場であったなら、キンバートの勝率は0であろう。一度、エレノアにそう弱音を吐いたことがあったが、エレノアは不思議そうに言った。
「そうかしら?ラティって意外と抜けているし、詰めが甘いところがあるから。あと一歩っていうところで、自爆するのがあの子よ?」
と、にべもなかった。実際、エレノアに「お仕置き」されているラティエースを何度も目撃している。あれだけの権謀術数の能力があれば、立場は逆転するだろうに。
「さて、そろそろ出ないと遅刻するわ、あなたたち」
パンッ、ポモーナが軽く手を叩く。確かに、時計はそろそろ出発しないと遅刻する時刻をしめしていた。
「はーい」
「ごちそうさまでした」
エレノア、ラティエースが席を立つ。
「行ってきます、お父様、お母様」
エレノアは二人の頬に口づけ、食堂を後にする。ラティエースも一礼して、後を追った。
(こうしてみると、ただのお嬢さんって感じなんだどなぁ……)
キンバートは嘆息し、自身も参内するために席を立った。