88.蒼い血と魔女
ようやく脚のしびれが消えたジェム伯爵と、ベン・クーファ、そしてエレノアが正しい意味での三つ巴という状態で卓を囲んだ。
「今から話すのは超極秘事項だ。エレノア嬢も心して聞いて欲しい」
エレノアが厳しい面持ちで頷いたのを確認してから、ベンは続けた。
「ケイオス一世が襲撃された事件は、他国にいたあんたも知っているよな?その部分は大々的に報じられ、世界中に広まっているはずだ」
「ええ。ですが、大した怪我ではなかったと・・・・・・」
「いいや。すでに薨去されている」
えっ、とエレノアは瞠目する。それを無視してベンは話を続ける。申し訳ないがエレノアの感傷に付き合う時間はない。
「襲撃から四日、陛下は生きていた」
その間、陛下は筆記者を呼び、遺言めいたことを語った。その中には、ラティエース、エレノア、アマリアのことも含まれていた。自身の死後も、決してあの三人の平穏を壊すことは許さぬ、と。そのために最大限の配慮をせよ、と勅命を下された。陛下の最後の勅命は、君たち三人の安寧に関することだったよ、とベンは語った。
「そう、そうですか・・・・・・」
嬉しくないと言ったら嘘になる。今際の際に、エレノアたちのことを気に掛けてくれた皇帝のその優しさに、どう反応したらいいのか分からない。こんな大きな真心を受け止めるには、自分は脆弱すぎる。きっと、ラティエースも、アマリアも、戸惑うだろう。自分たちが行動したのは生きたいがためで、国を救うつもりなどなかった。結果的に、そうなっただけだ。それを口にできたらどんなに良いだろうか。しかし、言ってしまえば、ケイオス一世の配慮を台無しにしてしまう。この本音は墓場まで持っていかなければならない。
何度も、何度も、頭を下げたケイオス一世の姿が思い浮かぶ。少し皺の刻まれた温かい手に包まれ、息子の所業を何度も謝罪してくれた。
「だが、陛下が息を引き取られた直後、襲撃者の中に、ラティエース・ミルドゥナの姿があったという噂が流れた。そのタイミングはまるで待っていたかのようだった。信じられんことだが、時同じくして、教皇薨去の知らせ、共和国、連邦の自治区での軍事蜂起。その全てがラティエース・ミルドゥナの仕業だと言われている。もちろん、できすぎているこの偶然をまともに信じる奴などいないさ。どうしようもないバカ以外はな」
「・・・・・・そのどうしようもないバカが反貴族派の中にいると?」
「まあな。ただ同時ってのがやっかいでな。まあ、これを見てくれ」
そう言って、ベンが懐から取り出したのは文庫本サイズの薄い石版であった。布に包んだソレを、エレノアの前に差し出す。ぼんやりと浮かび上がる絵、いや、写真のように精巧だ。
「これって・・・・・・」
「魔法の一種でな。術者の命と引き換えに、その石版に目に映った場面をその石に転写するって魔法らしい」
石版には、ラティエースとおぼしき娘の姿があった。
「これ、ラティだと思うか?」
「どうでしょう・・・・・・。これはどういった状況ですか?」
「連邦自治区での様子だ。時は陛下襲撃と同日だ。つまり、これがラティだと証明できれば少なくとも皇帝陛下襲撃犯ではないということだ」
「そうですか・・・・・・」
ただし、皇帝陛下暗殺未遂は否定できても、連邦で何をしていたか、ひょっとすると武装蜂起の一翼を担っていたという疑いが新たに浮上する。それはそれで問題だ。
「こいつは、アマネと名乗ったそうだ」
「アマネ?」
「ああ。心当たりは?」
「・・・・・・ラティだと思います。アマネはラティが使う偽名の一つです」
(アマネ。天音はラティエースの前世の名字の一部だったはず・・・・・・)
「じゃあ、この娘がラティっていう確率は高いな」
ラティエースが姿を消して、半月。彼女がまさか連邦にいるなんて。いや、それよりも。
「生きてるんですね・・・・・・」
石版の上に、ポツポツと水滴がこぼれ落ちる。
レイナードがやってきたとき、期待したと同時に同じくらい覚悟したのは、ラティエースの死だった。あのふてぶてしくも、生きることに貪欲だったラティエースがあっさり死ぬことはない。そううそぶいても不安だった。生きることを最後まで諦めないくせに、手札を出し尽くしたらあっさり死ぬことを選ぶような人間だったから。
「ああ、間違いなく。ただどういうわけか、世界の敵になってるってわけだ」
ベンも興奮気味で言った。彼もラティエースの生存を心から喜んでくれているようだった。
「いいんです。あの子がそうするには意味があるから・・・・・・」
一息つき、エレノアはお茶を入れることを自ら志願した。ドア付近のサイドテーブルには茶器一式が揃えられていた。エレノアは慣れた手つきで茶を入れ、それぞれの前に茶器を置く。
三人は無言で紅茶を飲み、それぞれ息を整えた。
「じゃあ、まずはラティエースが陛下襲撃犯じゃないってことで一歩前進だ。襲撃時に陛下を守っていた兵士が全員重篤でな。ラティがいたと呟いたやつはそのまま息を引き取った。残りは回復を待つしかない。現場には魔法の痕跡があったことくらいしかわかっていないんだ」
ベンがそう切り出した。
「えっと、わたしがラティエース嬢が犯人かどうか確認するために遣わされたわけじゃないことはおわかりですね」
遠慮がちにジェム伯爵が言う。
「ええ、もちろんです。ラティのことはついでというか、反貴族派はラティが犯人であって欲しい。そういう何かがロザで起こっているのですね?」
「ああ。代替わりで、こっちは内乱が起きそうな雰囲気だ。念のため説明しておくが、以前は、マクシミリアン皇子を推す皇子派と反皇子派に分かれていた。で、その後、帝室派と貴族派に分かれた。帝室派は、蒼の一族を頂きとし、貴族の権力を削いで帝室にその権力を移譲させたいと思っている連中のことだ。貴族派は、その名の通り皇帝をトップとしつつ、実権は貴族が握るって考えの連中だな。ミルドゥナ大公、ブルーノ・ミルドゥナ侯爵、ダルウィン公爵は帝室派寄りの中立、バルフォン大公、ペンネローエ公爵は貴族派寄りだな。幸い、どちらも穏健派でお互いの主張を尊重しあう良好な関係だったんだが、その下がもうダメすぎて、とんでもない案をぶち上げる奴も出てきやがった。そのせいで、この対立構造も変化しちまった」
「そう、ですか・・・・・・。両派が衝突しないために三年の猶予を設けてリートリッヒ一世陛下からアレックス皇太子殿下に代替わりをする予定だったはず。ケイオス一世陛下が薨去されたことでその計画が狂い、貴族派が台頭した、と。アレックス皇太子殿下に王位継承の正当性がないとか?」
「おしい。嫌疑が掛けられているのはリートリッヒ一世さ」
ベンはパチンと指を打ち鳴らして言った。正解しても嬉しくないし、不正解でも悲しくない。
「何で今更・・・・・・」
「ケイオス一世陛下が薨去された三日後には、内々に即位式が行われた。空位は今のロザでは望ましくなかったし、どちらにせよ喪中だ。大々的な儀式には出来なかった。諸侯と帝室メンバーが数人だけのかつてないほどみすぼらしい即位式だったよ。当人はまるで気にしていなかったけどな」
ベンは苦笑を称える。ジェム伯爵が続きを引き継いだ。
「・・・・・・急いだのもケイオス一世の遺言の一つです。無理を言って枢機卿を呼び、即位式が執り行われました。官報で即位の様子が告知され、報道機関にも大々的な報道は自重してもらうことになりました。数日後には、ケイオス一世の薨去が広報官から発表される予定だったからです」
「全て前例のない代替わりですね」
「ええ。ところが、時期が早まったとはいえ、前から予定されていたリートリッヒ一世即位に、異議を唱える貴族が現れた。曰く、リート・ロザ・クラーク・アークロッドは魔女の子だ、と」
「魔女?」
エレノアが眉をひそめる。
「リートリッヒ一世の母親が、側室としても名を残されなかった無名の女だったと聞いたことは?」
「ええ。ヴィルヘルム・ロザ・クラーク・アークロッド陛下は生涯婚姻しなかったが、唯一の子であるリート皇子を認知し、母親である皇妃セスティア殿下に養育を任せ、我が子として養育した、と。その、お相手のことは全て闇に葬られたと。ただ、女官かメイドだったのでは、と言われていますよね」
「結局、ヴィルヘルム陛下が薨去して、皇位は血筋以外は何の文句もなかったリート皇子ではなく、ヴィルヘルム陛下の実父、ゲーゲン陛下が再度即位。そして、皇位はケイオス一世に引き継がれた。何としてもレオナルド皇子が受け継いだ真の蒼の一族に即位させない動きだった」
「確かに、当時はかなり揉めた、と。内乱にならなかったのが不思議なくらいです」
「皇妃セスティアの働きが大きい。目立った内乱が起こらなかったのも皇妃の力だ。実母に言い含められてレオナルド皇子は武装蜂起の手段を諦め、ミルドゥナ大公への婿入りを決めたと言われている。それもこれも、魔女の呪いを避けるためなんて言われた」
「魔女の呪い?リート皇子の実母が魔女?」
「ああ。元々、ヴィルヘルム一世は体が病弱だった。即位して二年しか持たなかったのも、病弱な体で無理をしたと言われている。が、逆を言えば、魔女の力で二年持ったとも言われている。あらゆる医師が匙を投げた中、藁にも縋る思いで薬師として招かれたのが、リート皇子の実母だと言われている」
「その方が魔女だった、と」
「まあ、そう言われてるけど。証拠があるわけじゃないぜ?」
「そうですよね・・・・・・。どんな方が母親だったかは置いておいても、リート皇子の血が蒼以外だった場合、皇子として居続けることはできません。ですが、今更ですか?」
「そう今更だ。つっても、通常、皇帝即位に関してはロフルト教皇聖下の祝福ってやつを受ける。だが、知っての通り、ロフルトにも今は教皇不在。祝福を受けるにも与える奴がいないんだ。そこを貴族派に突かれた」
「難癖といえばそれで仕舞いですが、そうもいかないのが世論でして。このご時世、誕生の際に女神の代理人による祝福を受けた皇子の方が皇帝に相応しい、と。本音を言えば、マクシミリアン氏を頂いた方が、貴族は権力を得やすいと考えているのでしょう。マクシミリアン氏は、一度は痛い目に合っていますから、以前のように貴族と敵対することはありますまい。むしろ、貴族は彼を骨抜きにし、マリオネットにするつもりでしょう」
ジェム伯爵が言った。
(確かに。以前の彼ならその矜持から突っぱねたでしょうけど、伯爵まで落とされた今の彼なら、貴族に耳を貸し、絡めとられるかもしれない)
「そう。あいつが何をしたか忘れたって顔で、反貴族派の奴らが言うんだぜ?マクシミリアン皇子を皇帝にって。議会で演説するあいつらに笑いを堪えるのが大変だったぜ。おたくの父親も青筋立てて握りこぶし膝の上に置いて、震えてたぜ」
その様子は、容易に目に浮かぶ。父は相当我慢したはずだ。
「アークロッド伯爵は乗り気で?」
「さてね。ただ、娘の婚約を整えた」
「お相手は?」
「グリーニッジ伯爵の次男坊だ。グリーニッジは伯爵だが、その権力は侯爵に匹敵する名門だ。反貴族派の筆頭であり、数代前には愛妾、側室を何人も帝室に送り込んでいる。歴代当主は、娘を皇帝の側に送り込み、グリーニッジ家の権力を強化した。その手腕は見事としか言い様がない」
「グリーニッジ伯爵領の位置も気になりますね。海を渡れば南方諸国連合。それに、共和国とも国境を接しています。西方諸国の王室とも縁続きで、伝手もそれなりに持っています」
仮に、婚約から婚姻まで進めば、アークロッド伯爵領は実質グリーニッジ家のものとなる。下手をすれば、マクシミリアンの母の実家であるモードン侯爵領も取り込まれることになる。そうなれば、一大勢力として無視できない存在となる。
「気づけば帝室派と貴族派は、様変わりしてリート派とマクシミリアン派の対立にすり替わってしまった。俺から言わせれば良識派と権益から漏れて逆恨みしている貴族派だな」
「では、元々、帝室派穏健派と貴族穏健派は融合したのでは?下のどうしようもない連中が派閥を超えてひとかたまりになって、マクシミリアン派となったのでは?」
「そういうこと。大方の大貴族はリート派だが、意外と古参貴族にマクシミリアン派が多いのが難点といえば難点だ」
元々、マクシミリアンは貴族を嫌っていた。古参貴族の中には、マクシミリアンによって隅に追いやられていた者も多い。そして、今度はマクシミリアンを神輿の上には乗せるものの、古参貴族は決してマクシミリアンに実権を握らせないだろう。随分と捻くれた、簡単には説明できない心持を抱いた派閥が誕生したものだ。
「で、結局、アーシア伯爵令嬢とグリーニッジ伯爵令息の婚約は整ったんですね?」
「そう。貴族の婚約には皇帝陛下の許しが必要だが、ここで婚約を却下すれば、当代皇帝は元皇子のマクシミリアン伯爵を恐れていると取られかねない。諸侯と協議した結果、リートリッヒ一世はこの婚約を承認した」
「そうですか・・・・・・」
「もっと困ったことに、マクシミリアンの嫁、バーネットが第二子を妊娠中だ」
「それは、困りましたわね」
エレノアはため息交じりに言った。厄介ごとは必ずと言っていいほど、一つだけではやってこない。それに付随したものが同時に、そして複数でやってくる。
「ああ、男だった場合、マクシミリアン派はこいつも担ぎ上げるだろう。やっぱ、アークロッド伯爵領に送り込む前に、断種させればよかったんだ」
頬杖をついて、吐き捨てるようにベンが言った。が、すぐに顔を上げ、エレノアを見やる。
「で、だ。こっちも対抗策を講じる必要だある」
考えたくはないが、予想は出来る。その予想は外れてはいないだろう。わざわざここまでエレノアに語ってみせたのだから。
とぼけるのは簡単だが、そうすれば、エレノアはこの二人に「バカ」の評価を受けることになる。それは、すごく嫌だ。
「・・・・・・リートリッヒ一世の皇妃が必要ですわね」
観念したエレノアは、声を振り絞った。




