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転生令嬢の生存戦略のすゝめ  作者: 草野宝湖
第三編
87/152

87.跳べ!!

 エレノアは官吏の先導により、貴賓室から別室へ移動した。廊下を歩くエレノアの堂々とした出で立ちに、メイドやラドナの官吏たちも、思わず(こうべ)を垂れる。

 ――――――あれが、ダルウィン公爵家の・・・・・・。

 ――――――国外追放されたんだろ?

 ――――――さすが、市井に降りたとはいえ堂々とした立ち振る舞いだ。

 ――――――きれいねぇ・・・・・・。

 ――――――ロザの連中、好き勝手しやがって。

 時折、耳に入る密やかな声に、エレノアは思わず苦笑する。ロザ帝国にいた頃も、こういう密やかな言葉に反応しないようにしていた。ただし、しっかりと耳を澄まし、誰が何を言ったのかは記憶した上で表情には出さない。そういったことを常に行っていた。マクシミリアンは能面のようだとエレノアを嫌っていたが、宮中において心情を表に出すことはそれだけリスクの高いことだった。敵に己の思考を読まれないためにも、表情は常に一定であることが求められる。バーネットのことを天真爛漫だとマクシミリアンは誉めていたが、宮中では最も嫌われる行為であり、少なくとも自分の味方にしたいとは思わない。彼女のような振る舞いをすれば、相手にこちらの意図が筒抜けになってしまうからだ。もちろん、宮中の外や信頼のおける人たちの前でならば、愛すべき性格と評されるのだろうが、所かまわず己を表に出すことは宮中では短命を意味していた。

(そう考えるとバーネットが皇太子妃になったら、とっくに〇されていたかも……。いや、意外と生き残るのかしら)

 目的地である部屋の前には、ロザの兵士が二人立っていた。これは、ラドナにとって、特にレイナードにとっては不快なことだろう。他国の人間が一部屋陣取り、その部屋の前に自国の兵士を堂々と配置しているのだから。そして、こういうことを平気で行えるのがジェム伯爵なのだろう。

(そりゃ、王子がジェム伯爵を嫌うのも分かるわ)

「エレノア・ダルウィン公爵令嬢。規則に則り、その、身体を改めさせていただきます」

 兵士が戸惑いながら言った。おそらく、兵士が守っている部屋の主がそう命じたのだろう。エレノアの矜持を傷つけるために。

(愚かしいにもほどがあるわね)

「あなたは、あなたの責務を果たしなさい」

 エレノアは言って、身体検査をしやすいように自ら腕を肩当たりまであげてみせた。

「しっ、失礼いたします」

 兵士は赤面しながら、エレノアのボディーチェックを行った。罪人でもない女性に、ましてや未婚の女性の身体検査を行うと言うことは侮辱以外の何物でもない。兵士も分かっているからこそ、やりにくそうにエレアの身体を確認していた。

 エレノアも不快ではあったが前世の記憶があるお陰か何とか耐えられた。これは度の過ぎたセクハラと自身に言い聞かせ、報復の方法を思い浮かべる。目には目を歯には歯を。同じことを彼に体験してもらうのはどうだろうか。女性に身体検査と称して彼の体の隅々まで点検してもらうのだ。検査員にはとびっきりの美人を用意しよう。彼が片思いしている相手がいるのならばより良い。そんな現実逃避をしていたら、まさぐる手が止まった。

「・・・・・・結構です」

 兵士は謝罪するかのように言ったが、それにエレノアが応じることはなかった。全てが終わったとき、きちんとお返しをさせて頂こうと考えている。

  エレノアは無言でドアに視線を向けた。

「エレノア・ダルウィン公爵令嬢のご到着です」

 もう一人の兵士が声高に言って、両扉が開けられた。

 

 部屋は、貴賓室と同じく若草色で統一された部屋であった。肖像画が壁に飾られ、趣味の良い骨董品も至る所に並べられている。バルコニー付きの窓からは柔らかな陽光が降り注いでいた。

 部屋の中央には、長い卓が据えられ、そこには二人の男が座っていた。一人はジェム伯爵。その口元は下劣な微笑が浮かんでいる。扉の前で行われたことにご満悦のようだ。しかし、エレノアがあまりショックを受けていないことに怪訝そうでもある。

「君は下がり給え」

 ジェム伯爵が案内係の官吏に言い捨てる。

「しかし・・・・・・」

「ここからはロザの人間だけで話し合いたい。二度は言わないぞ」

 ジェムが重ねて横柄に言う。

「下がっていただいて結構です」

 エレノアも言った。

 官吏はボディーチェックの時もただ呆然と立ち尽くすだけであった。せめてこの部屋に入ってからはエレノアを守ろうと決めていた。王子にもできる限りエレノアを守るよう言い含められていたにも関わらず、早速、守れなかったのだから。身体検査が嫌がらせなのは明らかだ。事実、官吏は身体検査を受けずにこうして入室しているのだから。

 しかし、ジェム伯爵だけでなくエレノアにまで退出を命じられれば、出ていくしかない。官吏は一礼して立ち去った。

「ケケケッ。エレノア嬢、初めましてかな?」

 そう言って席を立ち、エレノアの前に立ったのは、一人の紳士であった。

「いえ、存じ上げております。ロザ帝国議会衆民院議長ベン・クーファ様でいらっしゃいますね?」

 ベンは、ジェム伯爵と異なり、スラリとした体躯に上等なアッシュグレーのスーツを身に纏っていた。少し癖のあるさび色の髪が跳ねている。細面の顔に、三白眼の瞳と薄い唇。鷲鼻の男だ。ゼロエリアからいきなり衆民院議員に当選し、瞬く間に議長まで上り詰めた謎多き男だ。本来、民衆の代表である衆民院の議員と貴族とは対立関係にあるのだが、彼は貴族からの支持が多かった。それは彼が貴族に迎合しているからではない。かといって闇雲に貴族を敵視するわけでもない。そのバランス感覚が、一部の貴族に好感を持たれているのだ。エレノアの父もその一人で、面白い男だ、不思議な男だ、と父にしては珍しく大絶賛していた。

「何度かパーティーでご挨拶を」

「そうそう。悪いね、あの豚は・・・・・・」

「そろそろ、いいかい?わたしも好きでこんなことをしているわけじゃないんだよ」

 眉をへにょりと曲げてジェム伯爵は言った。先ほどとはまるで違う態度である。

「まあ、大丈夫だろ。いいぞ、ジェム」

「ああ、やっと気が抜けるよ」

 そう言って、ジェム伯爵は椅子の背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。

「あの一体・・・・・・」

「説明すっから。さっ、まずは座って、座って」

 エレノアはベンに促され、彼の対面の席に座る。そして、何故かジェム伯爵がエレノアの隣に立つ。エレノアは不快感をあらわにして彼を睨みつけた。

「ケケケッ。ずいぶんと嫌われたものだなぁ」

「思惑通りとはいえ辛いですよ」

 トホホ、と擬音がつきそうなくらい悄然とした顔をして肩を落とす。本当に孤児院のときと打って変わった態度だ。

「ダルウィン公爵令嬢」言って、ジェム伯爵はキッとエレノアを見据える。負けじとエレノアもにらみ据えた。しかし、次の瞬間。ジェム伯爵はエレノアの予想外の行動に出た。

 ジェム伯爵、テニファン・ジェム伯爵は跳んだ。「とうっ!」というかけ声と共に。

 そのでっぷりとした腹も彼の跳躍によってタプン、と上に、重力に逆らう。ついでに顎のたるみといった全ての贅肉も一拍おいて跳躍に合わせて上にあがる。

 エレノアは驚きつつも、ふとラティエースの言葉を思い出す。

 ――――――◯ブには二通りある、と。動けるデ◯と、動けない◯ブ。

 今の彼は、ラティエースが言うところの動ける◯ブであると同時に飛べるデ◯ということだ。

(で、何で彼がわたしにそんな姿を見せるのよ)

 彼は空中に浮いた瞬間、膝を折った。そのまま膝小僧を床にめり込ませ、正座した状態で着地する。それだけでは終わらない。彼は額を床に叩きつけるようにして頭を下げた。

「この度の無礼、何卒お許しください!!この豚めをお好きなだけ辱めてくださって結構です!!ですので、どうか、どうかっ!!お話だけでも聞いていただきたく存じます」

 ジェム伯爵は、動けるデ◯であり、飛べる◯ブであり、そして、謝れるデ◯でもあった。

 ポカンとするエレノアの後ろでは、椅子から転げ落ちて大爆笑するベンの姿があった。


 土下座するジェム伯爵。

 笑いすぎてひきつけを起こしているベン・クーファ。

 呆然とジェム伯爵の頭頂部を見つめるしかないエレノア。

(これって、三つ巴っていう状態なのかしら・・・・・・)

 いや、本来は三人が向かい合って座っている状態を意味するはずだ。

 さて、事態を変える一言を発することができるのは、この場ではエレノアだけのようだ。

(それは分かってるんだけど・・・・・・。何て言えば良いのかしら・・・・・・)

「あの、とりあえず頭を上げてください」

「許して下さるんで!?」

 待ってましたとばかりに、頭を上げるジェム伯爵に、エレノアは表情を消す。

(こいつ、わたしがこう言うの、待ってたわね)

「それは保留で」

「あっ、やっぱり・・・・・・」シュン、と項垂れたジェム伯爵はそのまま海老反りになって笑っているベン・クーファに恨みがましい視線を送る。「あなたのアドバイス通りにしたのに、これは一体、どういうことですかっ!!」

「ああ?俺は、絶対とは言ってないぜ?ラティはこの方法で、エレノア嬢の怒りの二割は削れるって言ってたってお前に教えただけ」

「こんなに頑張っても、たったの二割!?」

 ジェム伯爵の目尻にうっすら涙が浮かんでいる。

「百よりマシだろ、百より」

(一体、何の話よ・・・・・・。しかも、ベン・クーファがラティのことを愛称で呼ぶなんて・・・・・・)

 そして、ここでようやく一つのことに思い至った。何故、ジェムの土下座でラティエースの言葉を思い出したか。既視感(デジャブ)の正体は、ジェムの一連の動作が、ラティエースと重なったからだ。ラティエースもこうして、エレノアに土下座して、鉱山送りだけはご勘弁を、と額を擦りつけていた。

「ああっ、と。まずは、こいつの所業が演技だってことを知って頂きたいんですが・・・・・・」

 ベンは握った拳に親指だけ立てて、ジェム伯爵に向けた。

「そうまでして、わたくしに屈辱を与えた理由は?」

「表向き、ジェム伯爵はあなたのお父様と対立関係にある貴族の代表だからです。まあ、それも演技ってわけでして。お叱りはいかようにも。俺も二割くらい加担してるんです。身体検査がやりすぎだとはわかっているんですが、ここまですればラドナはあなたの味方になり、ジェムの悪行は瞬く間に広まるでしょうから決行させてもらいました」

「ところで2割削って、ベンに2割肩代わりしてもらっても六割はわたしの負担なの!?」

「やっぱ、八割いっとくか?」

「いや、うん・・・・・・。ろっ、六割でいい」とか細い声でジェム伯爵。

「外に向けての過激なパフォーマンスがしたかったわけですか。レイナード王子にもそう思わせておいてよろしいので?彼は事情を話せば分かってくれると思いますけど」

「・・・・・・実は、爵位は身分偽称(カバー)の一つなんです。わたしは、帝室直属諜報部員の一人です。王子殿下のことを信用してないわけじゃないんですが、真実を知る人は少なければ少ない方がいいので」

「確か、ロザの暗部と言われる秘密組織ですわね。本当に実在していたんですか・・・・・・。都市伝説の一つかと思ってましたわ」

「そう思われても仕方ないですね。実際、ケイオス一世は我々の存在は知らなかったので。このまま消え去る運命の部署だったんですが、リートリッヒ一世は我々の存在を知っていらっしゃいまして、即位直後にいくつもの命令をくだされました。久々に我々は大忙しです」

「そうだったんですね」

「はい。伯爵のジェム、カロン子爵、ベヌーヴ男爵は、我々が対外活動するために作られた実態のない爵位でして。わたしは今回、ジェム伯爵として活動しておりますが、数年前には別の者がジェム伯爵として対外活動を行っておりました。今回は、わたしがジェム伯爵として最近活発化している貴族派の動向を探るために動いておりました。整形して体も太らせて。もう大変です」

 そういう割に苦労がにじみ出ない口調だ。

「そのジェム伯爵とクーファ議長がいらっしゃった理由とは?」

「もちろんあなたの身を守るよう、皇帝陛下から勅命を受けたからです」

「リートリッヒ一世が・・・・・・?」

「ええ。それを含めて腰を据えて話をしたい。おい、ジェム。いい加減、こっちに来て座れ。そんなんじゃ、まともに話もできやしない」

「でも、ベン。脚が痺れて動けないんだ・・・・・・」

 ジェム伯爵は情けない声で返した。

「ケケケッ。その痺れに耐えてこそ、ドッゲザーは完成するらしいぞ」

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