80.葬(さようなら②)
――――――お前は誰だ?
そう問われたフェネルは、えっ、と瞬いた。質問の意図が分からない。
「たっ、大老のフェネルにございます」
我ながら間抜けな返答だ。現に、ビジーノは満足したわけでも、しかし不満と言うわけでもない。ただ眼を細め、フェネルを睥睨している。
先程から感じる違和感。教皇の態度はもちろん気になるが、他にもなにか身の内に変化が起こっている。そう、何かが足りない。
「では質問を変えよう」
言って、ビジーノは扉を振り返り、指で何かを出すよう指示を出した。扉がきしみを上げ、両肩を支えられた男が現れる。
フェネルは目を見開き、その後ろの者たちからはざわざわと動揺の波が起こっていく。
(なぜ、こいつが此処に!)
やせ細った老人は一人で立つことができないほど衰弱しているのか。レンとフィンに支えられている。その後ろからラティエースたちとユリが続くいた。
「こいつもフェネルと名乗っておるのだが?」
確かに、みすぼらしい老人も顔かたちはフェネルそのものだ
ーーーーどういうことだ?
ーーーー何故、フェネル様が二人?
ーーーーなんだあのみすぼらしい格好は・・・・・・。
(こいつを見つけたということは、もう一人も……)
「どうした?」
「こっ、こやつはわたしの偽物です!誰が、こんな者を……」
ビジーノは軽く瞠目し、俯く。そして、クツクツと笑いを漏らす。
「そうか。そっちのフェネルはどうじゃ?」
「けっ、契約は履行されたっ!帰れ、悪魔め!!」
唾を飛ばしながら、枯れた声で老人は叫ぶ。
「悪魔?」
「悪魔だと!?」
背後の動揺が大きくなっていく。冷静なのは、フェネルと廟の扉の前にいる教皇や天罰官たちだけだ。そこは異様な空間となっていた。
「契約とは何だ?履行されたとは?」
務めて冷静にフェネルは言う。
(このままこの場にいる全員の首を刎ねてしまおうか。もう擬態する必要もないが……。いや、それではもう二度とこの世界には戻れない)
「とぼけるのか?そなたはこいつを教皇にするという願いを叶えるために召喚されたのではないか?」
(そうだ。しかし、こいつは戦時中の教皇になることを忌避した。平時と違って問題が山積みだったからな。代わりに命を貰おうとしたら命乞いをしてきた。だから、俺がフェネルに成り代わった……)
「何をおっしゃっているか分かりませんなぁ」
フェネルは肩を竦め、小ばかにするように言った。しかし、頭の中では次にどのような手を打つべきか死物狂いで考えている。
「……悪魔との契約は、召喚者が願いを伝え、悪魔が対価を求める。召喚者は求めに応じ対価を支払い、願いをかなえてもらう。しかし、対価が支払えなかったり、途中でキャンセルした場合は、その対価がさらに増える。フェネル、お前はキャンセル料の対価に自身の命をこの悪魔に渡した。ちなみに、願いを叶える贄には、ロザ帝国のとある村を2,3くれてやったそうだな。狂わせた共和国の兵士共に襲わせ、残虐な行為に浸ったそうじゃないか、悪魔よ」
(ああ、あれは愉快だった……。一人、元貴族か貴族の令息かが必死で対抗していた。そのせいで、村を全滅に追いやるのに意外と労力がいった……)
いや、今は回想に浸っている場合ではない、とフェネルは我に返る。
悪魔の力は、当然だが、聖力が強いものほど効力がない。この場にいる者たちで、操れそうな者は聖力がない代わりに武力の才能がある神兵たちくらいだ。だが、彼らも鎧や剣に聖法を掛けているから、対抗してくるだろう。
「わたしは悪魔ではありません。それに履行されたという先ほどのセリフはどういうことでしょう?」
「……こいつは昨晩、教皇の地位に着いた。……一時的にだがな」
フェネルは瞠目する。ようやく違和感、欠けた何かに思い至った。そうだ。本物のフェネルとの繋がりが途絶えている。これこそフェネルが教皇の地位についた左証であった。
「なのに、お前は還らないという。これは、契約不履行となるのではないか?」
(クソッ。クソクソクソ!!)
フェネルは剣や槍を構えた神兵軍を見る。その後ろには聖法使いが法典を構え、悪魔祓いを使おうとしている。
何か、何か、形勢を変える何かはないか。フェネルは周囲を見渡す。聖女はラティエースが守っているし、ビジーノの両脇には天罰官の第一席、二席が控えている。彼らは鬼神のような働きをするという。加えて神兵とも戦わなければならない。悪魔であるフェネルもこれだけの実力者を短時間で屠ることは難しい。いや、確実に負ける。存在そのものが消される。それは人間で言うところの死だ。しかも、人間と違って悪魔の魂は廻らない。無に帰すだけである。
レンとフィンが支えている本物には今や何の価値もない。フェネルが周囲に気を取られている中、何かが脚に巻き付いた。
次の瞬間、悲鳴が上がる。それは、幼い少女、ユリの悲鳴であった。
同時に、驚愕した表情を貼り付けたフェネルの頭が、何かに巻き付かれ、そのまま半開きになった扉の奥へと引きずり込まれる。
「なっ・・・・・・!!」
ラティエースが喉奥から声を上げた瞬間、廟に吸い込まれるように風が巻く。
ラティエース、エレノア、アマリア、そしてユリ。
レンとフィン、そして、本物のフェネル。
最後にビジーノ。
逆巻く風が彼らを廟に吸い寄せる。そして、扉が無情な音を立てて閉まった。
我に返った者たちが扉をたたき、あらゆる手段を用いて開けようとするが、扉は厳重に閉ざされ、決して開くことはなかった。
廟は広い空間で、中央に聖法円陣があった。四方をむき出しの石で囲われた空間には、ろうそくの明かりしかない。
中央の法陣は、ほのかな光を称えていた。そして、その上に、明らかに人間ではない黒い影と、その影から延びた手、その長い爪に頭部を掴まれた悪魔の姿があった。
「アモン!!」
ビジーノが悲鳴交じりに叫んだ。
かつて、スフォンが召喚した悪魔の名を叫ぶ。
悪魔の中でも序列上位に位置する知識の悪魔。序列10位以上は、伝説のような扱いで、実際に見た者や、その力の大きさなど、どれも物語のように語られるだけだ。
「おやおや、ご無沙汰しております」
その影が言葉を発した。影が溶けるように広がり、やがて、人の形を現した。黒い大きな布を纏った男が姿を現す。顔は真っ白な仮面をかぶり、大鎌を持った死に神を連想させた。
「アッ、アモン様・・・・・・」
フェネルが声を震わせる。
「ご安心下さいませ。今回はあなた方の呼びかけに答えたわけではなく、部下の不始末を回収しに参ったまで」
(回収?部下?)
ラティエースが混乱する頭を何とか整理しようとしていると、仮面がグルリと首を巡らし、ラティエースに顔を向ける。その瞬間、ゾクリ、と全身が恐怖で泡立った。
「そうですよ、お嬢さん。こいつはね、わたしの贄をかすめ取った小悪魔でしてね。いつか仕置きをしてやろうと思っていたのです。あなた方のお陰で契約が履行されました。こいつがごねるから、こうしてわたしが迎えに来てやったというわけです」
(思考を読まれた・・・・・・。じゃあ、今、どエロいことを考えたら・・・・・・)
「嫌いではないですが止めて下さいね。それとあなたの場合、思考を盗み見しなくても表情に出やすいだけですから」
「あっ、はい・・・・・・」
仮面の下では、きっと圧のある笑顔である気がする。そんな気がする。
(それにしても、やっぱこいつは高等悪魔で、偽フェネルは小物だったというわけか。秘術召喚と通常召喚ではこうまで喚ぶ悪魔の序列が違うんだな)
「くそっ!放せ、離せ!!」
「そう言われて離すわけないじゃないですが。あなたにはじっくりと地獄にて罰を受けて頂きますよ?無に帰すなんて楽な真似はさせません。全く、契約中は地獄から手が下せないという面倒な縛りがあるせいで、ストレスは最高潮だったんですよ。まあ、そこの方がもう一度秘術召喚した際は、必ずわたしが呼びかけに答えようと思っていましたけど」
言って、アモンは額に爪を立て、そのまま指を食い込ませる。悪魔が絶叫を上げた。
(これは好機なのか、それとも危機なのか・・・・・・)
エレノアたちは、その場にへたり込んでいる。大悪魔アモンの圧に耐えきれないのだ。ユリも何とかこらえている。失神しないだけ大したものだ。フィンもレンも武器は構えているが踏み出せない。あらゆる想像が、自身の負けを指し示していて動けないのだ。それはラティエースも同じだ。
(だが、今、秘術召喚していない状態で大悪魔が存在している・・・・・・)
「くそっ、くそぉぉぉぉ!」
偽フェネルが、異形の手を鞭のように撓らせ、そのままビジーノに襲いかかる。
「そもそも、スフォンがお前なんかに惑わされなければ!!」
ギリギリの処で頭を伏せて躱したビジーノに、さらに鞭が変形し大きな鎌首となって襲いかかる。アモンがその手を切り落としても、偽フェンルは反対の手を変形させ、鎌首をそのまま振った。それは、何としてもビジーノを○す執念がそうさせた。
止めなければならない。それは分かっていても体が鉛のように重くて動けない。
(動け、動け、動け!!)
ラティエースは自身を奮い立たせるが、その間に、ビジーノの体に向けて鎌首の切っ先が振り下ろされようとしていた。ビジーノはその場に固まったまま、目を見開いている。
エレノアがユリを抱き寄せその視界を阻み、自身も顔を逸らす。
アマリアも、ビジーノの未来から目を背けるように瞼を閉じた。
ラティエースはもんどりを打つようにして、手を伸ばす。
フィンは、声を上げるために口を開ける。
そして、レンは。
「アカネ様!!」
ビジーノが横に吹っ飛ばされたのと、レンの叫びは同時であった。
ズブリ、という肉を裂く音が響き、レンが鮮血を口から飛ばす。
「ラティ!!」
レンの裂帛の声に、ラティエースは反射的に飛び込み、鞭と鎌首の境にナイフを突き立てる。そのまま前に引き、切り裂いた。
「ぎゃあああ!!」
悪魔が叫び、鞭を撓らせ、ラティエースの腹部に打ち込まれる。ラティエースは軽々と吹っ飛び、そのまま床にたたきつけられた。レンの体を突き刺した鎌首はゆっくりと離れ、レンは静かに倒れ込む。ゆっくりと血だまりが床に広がった。
「レン!」
「ラティ!」
両者の叫びによって、ようやく止まっていた時間が動いたかのようだった。
エレノアとアマリアがラティエースの元へ、レンの元にはビジーノが駆け出す。
(あばらが折れてるかもしれない・・・・・・)
エレノアは呼吸の荒いラティエースの体を検分する。
「エリー。ラティが・・・・・・」
アマリアが半狂乱で声を上げる。
「大丈夫。骨が何本かいってるだけよ・・・・・・」
ラティエースのことだ。咄嗟に受け身を取って衝撃を逃がしたはずだ。あのまま素直にたたきつけられていたら、全身の骨が粉々になっていたことだろう。意識が朦朧としているのか意味不明な言葉を呟き、その瞳は虚ろだ。あっ、と間抜けな声を上げ、ラティエースは意識を失った。
「レン!レン!!しっかりしろ!!」
ビジーノがレンを抱き起こす。
「アカネ。僕は・・・・・・。僕はね・・・・・・」
(愛してるなんて、そんな陳腐なものじゃなくて、もっと・・・・・・、もっと・・・・・・)
「逝くな、レン!!余を独りにするな!!」
(でも、結局、他に言葉がないや・・・・・・)
「あい・・・・・・」
もう、口を動かす力はない。瞼が重くのしかかる。最後の言葉を言い切るまで死にたくない。
レンにはビジーノの涙を拭うことも、ましてや優しい言葉を掛けることも出来ない。なぜなら、もう死ぬからだ。
(初めて死にたくないって思ったや・・・・・・)
こんな場所で、こんな場面で、自分の命を惜しむとは思わなかった。
(カノトにもあの時のこと謝らなきゃ・・・・・・。グーパンしてごめんって・・・・・・)
ビジーノの涙が、レンの頬に落ちる。一度も、レンはアカネを笑顔にすることはできなかった。やはり、それはスフォンでないと駄目だったのだ。アカネを笑わせられないならば、せめて自分は笑っていよう。
(どうか幸せに・・・・・・)
レンは最後に笑って、ビジーノと別れたかった。
出来ただろうか。最後に、自分は笑って逝けただろうか。
レンの手首はついに力を失い、コトン、と床に落ちた。




