79.送(さようなら①)
時は少し遡る。
午前二時過ぎ。ラティエースたちは地下道を引き返し、レンたちの部下を引き連れて再びあの地下牢へ向った。そして極秘裏で地下牢に閉じ込められていた二人の男を救出した。入り口から一番近い部屋はユリの居室だったため、とりいそぎその二人をユリの部屋に運ぶ。
一人はフェネル。そして、もう一人は。
知らせを受けたビジーノはトリトだけを引き連れて部屋を訪れた。ちょうど、ダブルベッドにそれぞれを寝かせ、レンが回復の聖法を掛けていたところであった。ラティエースとエレノアは腐食した皮膚と包帯を剥がし、清潔な包帯で巻き直す作業をしていた。
ビジーノはその光景を目にした瞬間、ラティエースを吹き飛ばすようにして包帯だらけの男に飛びついた。
「スフォン様!!」
その名に誰もが瞠目する。皆が硬直する中、ビジーノだけがスフォンの名を呼ばわり、涙する。
「スフォンって、前教皇の名前だよね?」
後ろに下がったラティエースがエレノアに問えば、エレノアも「ええ・・・・・・」とぎこちなく頷く。ちなみに、アマリアとユリの「お子ちゃま組」は、トリトの居室で就寝中である。
「秘術失敗で○んだんじゃないの?」
「わたしに聞かないでよっ!!」
あくまで密やかな声でエレノアが言う。
「悪魔に閉じ込められたフェネルって奴が生きてるくらいだから、前教皇が生きてるのもアリなんじゃないの?」
エレノアが投げやりに言う。
「ええ・・・・・・」
ラティエースは不満げに返す。だが、確かに何らかの理由でスフォンがフェネルを乗っ取った悪魔に救出され、牢に放り込まれた可能性はある。ビジーノに対する切り札としては、これほど良いカードはない。
エレノアとラティエースがヒソヒソと話している間に、レンが近づいてくる。聖法を酷使したせいか疲労の色が濃い。
レンが無言で首を振る。手遅れだ、と主張していた。
「すまぬが・・・・・・」ビジーノがラティエースたちに背を向けたまま言った。「少しだけ二人きりにしてもらえぬか?」
ビジーノの声は涙混じりで、そして震えていた。彼女も包帯男の命が間もなく尽きることを分かっているのだ。聖法での回復はすでに効果がない。
トリトは「さあ・・・・・・」とラティエースたちを引き連れて寝室を後にした。フィンは心底嫌そうな顔で隣に寝ていた老人を抱え上げる。
「フィン。ありがとう・・・・・・」
ビジーノが包帯男の手を握ったまま、そして背を向けたまま礼を言う。
「はっ、はい」
こう言われては、老人を落とすわけにもいかない。仕方なく姫のように丁重に運ぶ。
「何かあればお呼び下さい」
レンがビジーノの背に一礼して、ドアを閉めた。
さすがに老人を床に転がすわけにはいかず、ラティエースがベッド代わりに使っていたソファーを提供する。老人の方は回復聖法の影響からか食欲も出て、質問の受け答えもできるくらいにはなっていた。まだ一人で歩けるほどではなかったが。
「で、そのウェルチカという子を、まずは探さないとねぇ」
エレノアとラティエースが紅茶を入れ、トリト、レン、フィンを含めた5人で、この先のことを話し合う。
「少なくとも教皇の庇護は受けてなかった。やはり長老会の回し者ですかね」
地下道を抜けたところを、長老会の息が掛かった神兵軍たちに取り押さえさせる。そうすれば、教皇は聖女に対して見切りを付けると踏んだ強硬派の策略とも取れる。ユリがウェルチカに不審を抱かなければ、ラティエースたちはまんまと罠にはまっていただろう。
「ただねー」トリト卿は宙を見上げ、「わざわざ地下牢を通るルートを示したのが気になるんだよぇ」
「引っかき回したいだけ、ということですか?師匠」とレン。
「うん・・・・・・。聞けば、聖下にも色々と吹き込んでいたみたいだし。何がしたいか分からないところがあるよねぇ」
「とりあえず、俺の部下にウェルチカを捜索するよう命じておきます」
フィンが言う。
「うん、頼むね」とトリト卿が言って、「じゃあ、次。フェネル大老が悪魔だった件だ」
「まず、それが現実と受け止めるのが難しいっす」
ラティエースが軽く手を上げて言った。例えるなら、隣に座るエレノアが、実は人間では無く鬼だ、ということ。
(いや、鬼みたいなところがあるから受け入れられるかも?)
自分で例を出しておいて、意外と違和感がないことに首を傾げる。
「あんた、今、すっごく失礼なこと、考えてるでしょ」
エレノアが低い声で問う。ラティエースは無言で顔を逸らした。
「にわかには信じられないけどね。ただ彼の言っていることを嘘だと断じることも出来ないんだよ」
その老人は、鼻提灯を出して眠りこけている。
(もう一回、地下牢にぶち込んでやろうか・・・・・・)
「もう一度、地下牢にぶち込んでやろうか」
レンとフィンが声を揃えてドスのきいた声で言った。
(あっ、やっぱ、そう思うよね)
ラティエースは不思議な連帯感と安堵を抱いた。
「ケイルル教皇聖下が薨去して、次の教皇を選出する際、一番有力視されていたのがフェネルだ。結局、彼は辞退して枢機卿も辞し、大老に就任した。そしてギーランが即位した」
「こいつも言ってました。戦争中の教皇になりたくなかったって」
幸せそうに寝ている老人に、親指を立てた拳を向けてフィンが言った。
「そうだろうとも。戦禍が最高潮に広がった時期だったからね。とすると、彼が一時でも教皇に即位すれば悪魔との契約は満了だ。すでに教皇になるための贄は支払っているだろうから、悪魔との関係はこれでチャラになるはずだ」
「願いを叶えた悪魔はどうなるんですか?」とエレノア。
「普通は、地獄に戻るというけどね。悪魔もね、身勝手で自由なようで制約があるんだよ。この世界に契約者が存命していない限り、この世界に留まることは出来ない」
だからこそ、本物のフェネルを生かす必要があったというわけだ。
「師匠。今、此処でこいつを○しちゃえば、いいんじゃないですか?」
レンは言った。まさにラティエースも同じことを考えていた。見れば、フィンも、うん、うん、と頷いている。エレノアだけが、「ええ・・・・・・」と顔をしかめ、ラティエースと距離を取るようにして忌避感を態度で表した。
「それは最後の手段だよ。彼には、スフォン聖下を生かした可能性がある。それも聞き出さないと。なるだけ多くの人の前で彼が悪魔だと言うことを知らしめる必要がある。・・・・・・この無意味な聖女召喚と秘術行使を終わらせるためにもね」
瞬殺推進派の3人に、トリトは温和な口調を崩さずに諭す。意外にも、3人はそれ以上の異論を唱えない。トリトの人格故だろう。
「では、ビジーノ聖下に、一度、退位していただき、老人を教皇に即位させる。その事実をもって契約満了ってことにする。即位と退位は、何か特別な儀式とか必要ですか?」
「いや、そこまで面倒なことはないはずだよ。洗礼式と同じで場所と見届け人さえいれば問題ないはずだ」
ラティエースの問いに、トリトが応じる。
と、ちょうどその時。寝室のドアが静かに開いた。目を腫らしたビジーノが姿を現す。その憔悴しきった様子に、皆、一瞬だが言葉を掛けられなかった。
「あの包帯の男が息を引き取った」
ビジーノが静かに言った。
「スフォン様が……」そう言いかけたフィンを、ビンジーノは手で制す。「あれは、身元不明の男だ」
「しかし……」
「……スフォン様はとうにお亡くなりになられている。レン、あの男を弔ってやってくれ」
レンは一瞬だけ躊躇した後、ビジーノを見据える。
「何者かは分かりませんが、長年、俘虜の身だった男です。丁重に埋葬してやろうと思います。よろしいでしょうか」
「ああ……、頼む」
レンは黙って寝室に入っていく。
ビジーノは堪えきれず嗚咽を上げて、その場に崩れ落ちた。恥も外聞もなく床に伏せ、声を上げて泣いた。誰も、彼女の慟哭を邪魔することなくただ静かに佇んでいた。
――――――アカネ。わたしの代わりに叶えておくれ。・・・・・・わたしの代わりに「普通」に幸せになっておくれ。
レンはドアを閉め、ドアに背を預けた。ビジーノの泣き声がドア越しに響く。それをレンは目を瞑って耐えた。
スフォンの身元を明かさず、このまま正体不明として埋葬した方が良いのは分かっている。ビジーノは教皇としてそう決断したのだ。そうできたのは、わずかだが二人きりでお別れの時間が持てたからだ。あの二人が何を話したかは分からないが、きっと、スフォンはビジーノの目論見を咎め、生きるよう諭してくれたはずだ。ただそう思いたいレンの勝手な想像だと分かっていても。それでも、レンはアカネが愛した男が、そういう男であってくれることを勝手に望んでいた。
レンは寝台に横たわる男をぼんやりと見つめる。転がっている枕には腐食した液体が付着していた。口元にも跡があることから、ビジーノが手を下したのだろう。請われて行ったか、見るに堪えられなくてやったかまでは分からない。
包帯男の死に顔は、穏やかで微笑んでいるようにも見えた。レンは一瞥し、シーツを取り出して、包帯男の身体をそのシーツでくるむ。その作業をレンは淡々と行った。
遺体を運び、祈りをささげて、埋葬してやらなければならない。他でもないレンが命じられた仕事なのだ。
「手伝うぜ」
そう言って部屋に入ってきたのはフィンであった。
「ラティたちは?」
「あのおっさんを叩き起こして、簡易即位式をするために移動した」
「そっか。じゃあ、足元を持ってくれる?とりあえず居間まで移動させて、担架を借りてくるよ」
おう、とフィンは応じてレンの言うとおりにする。その後、レンは車輪付きの担架を調達し、それを使って遺体を運び出す。
「どこまで運ぶんだ?」
「元召喚廟跡。あそこだったら、人も滅多に来ないから」
瓦礫の山と化した召喚廟跡まで移動し、レンはフィンと共に聖典を朗読する。そのあと、二人は廟の奥まった場所に穴を掘り、遺体をその掘った穴に安置した。そして、油を撒いて火をくべる。万が一、彼の遺体が掘り返されることを恐れたためだ。これは、出ていく際に、フィンがトリトから指示されていたことであった。二人はこの作業を黙々と行った。
火が轟轟と遺体を焼いていく。その焦げた臭いは、嫌な思い出を掘り起こさせる。レンもフィンも、任務の途中で仲間を埋葬したこともあった。天罰官は、ロフルトの暗部を請け負う部署だ。それは俗世の暗殺部隊や諜報部隊と何ら変わりない。別に、この役職を誇り思うこともなかったが、今は、天罰官で良かったと思う。この役割を他の男にやらせるなんて、レンの矜持に関わることだ。これは、レンにしか、レンだけができる仕事だ。
(僕は・・・・・・。僕は・・・・・・)
子どもの頃の情景が脳裏に浮かぶ。
スフォンが愛おしそうにアカネの頬に触れ、アカネはその手を愛おしそうにして頬を寄せる。二人はとても幸せそうで、それいでいて、どこか自分たちの結末を理解しているように思えた。それでも、最後の瞬間まで二人でいることを選んだ。
レンはただ羨ましかったのだ。アレが、欲しかったのだ。
ふと、顔を上げると朝日が降り注いでいる。いつの間にか、夜明けを迎えていたようだ。
「夜明けだ……」
レンはポツリと呟いた。その頬に一筋の涙が流れていた。




