73.兆(あく②)
「夜這いに興味ありませんか」
ラティエースは真面目くさった顔で言った。
「めっちゃあるけど?」
レンは怒気を込めて、ラティエースの問いに答えた。
街から戻ったラティエースは「聖都ロフルト・食べ歩きガイド(下巻)」なる本を片手に戻ってきた。戻るとすぐにレンの首根っこを掴んで個室に閉じ込め、前述の問いを発したのであった。
ユリは、ラティエースが両手一杯に抱えてきた土産に歓喜している。エレノア、アマリア、ウェルチカとそれらをテーブルに広げ、一つ一つ確認したり、つまみ食いをしたりとしている。少しは気分転換になったようで良かった、とラティエースは安堵した。エレノアたちも、多少の無作法には目を瞑り、ユリのやりたいようにさせている。
「帰ってきて早々、何?」
「あのさ。教皇とサシで話がしたい。正攻法でお伺いし立てても駄目だろ?OKだとしても、回りに人がいるだろうし」
「・・・・・・聖下が本音を言えないってこと?」
「そうそう」
「何で僕に言うのさ」
「だって、護衛中に聖下の寝顔を見るためにこっそり部屋に入ったり、お召し物をちょっと触ったりしてそうだなって・・・・・・」
ラティエースとしては鎌を掛けたつもりであった。が、レンはラティエースから顔を逸らす。その横顔から覗く耳が真っ赤である。
(マジでか・・・・・・)
「あっ、あんた、本当に・・・・・・。かっ、母さんはそんな子に育てた覚えはありませんっ!!」
ラティエースは両肩を掴んで、レンを揺らす。また声が心なしか震えている。
「いや。触ろうとしたけど、触らなかった。だからセーフ」
レンは、水平にした両手を外に向けたり、内に向けたりして動かした。
「いや、アウトだから!寝顔を盗み見したのは否定してないじゃん!!」
「あっ・・・・・・」レンは絶句し、しばらく俯いた。「・・・・・・。他の四人は黙ってて」
両手で顔を覆い、か細い声で言う。両手からはみ出した顔は真っ赤に染まっている。
「もちろん!!」
ラティエースは満面の微笑で応じた。
夜も更けた頃。
レンとラティエースは、天命の塔に続く砂利道を歩いていた。ラティエースはレンと同じ法服を着用し、念のため、頭巾で顔の半分を隠していた。
「ところでさ、何で分かったの?」
レンが気まずそうに問う。
「何が?」
「何がって、僕がその、聖下に特別な思いを抱いていたこと」
ああ、とラティエースは言う。
「いつから知ってたの?」
「つい最近。ほら、晩餐会の時に聖下にビンタを食らってたときあったじゃん。あの時」
「何で、それだけで気づくのさ」
レンが不服そうに言う。
「だって、レンなら避けられただろ?なのに、受けた。同じことが合宿中あったじゃん。カノトが何かにぶち切れて、レンを殴ろうとしたとき。確か、航海訓練か何かだったと思う」
「ああ、そういえばあったね」
「レイナードたちと言ってたんだ。女でも容赦ねーなって。あの時、カノトは頬を張り手で狙ったけど、レンはグーで腹に一発だよ?ありえんでしょ」
胃液を吐き出してのたうち回るカノトに、さらなる攻撃を加えようとしたところを、タニヤとレイナードが前と後ろの両方から羽交い締めにして止めたのだ。その間、ラティエースとウィズは、カノトを担いで逃げた。
「いや、攻撃してきたの、あっちだし」
「まあ、そうなんだけどさ。レンは誰に対しても容赦ないのに、聖下の張り手は黙って受けた。そりゃ、逆らったり、ましてや殴り返したりはしちゃいけないだろうけど。避けるか、ダメージを減らして受ける方法だってあったでしょ?」
(お見通しか・・・・・・)
レンは苦笑を落とす。
やがて、白石作りの建物が見えてくる。目指すは、教皇の生活の場である「宮」である。此処は、外には神兵軍の精鋭が控え、内部には天罰官を含めた者たちが見回りをしている。
レンは、天命の塔と宮の入り口、大門の前に立つ。見張りの兵が気がついて近寄ってきた。
「ご苦労様」
レンが笑顔で門番を労う。
「これは、これは。レン・ユーカス司祭様。遅くまでご苦労様です」
「うん。早速だけど、また聖下の呼び出しだ。後ろは聖女様の世話係のウェルチカだよ?」
門番に紹介され、ラティエースは小さくお辞儀をする。門番も心得たように頷いた。聖下が聖女の様子を聞くために二人を呼びつけたのだろう、と。
「どうぞ。お入り下さい」
ありがとう、と言って、レンとラティエースは内部に入っていく。内部には結界が張られており、レンはそれらを一々、解除しては進んでいく。やはり教皇の住まいは厳重な警備が敷かれてる。
「やあ、レン。こんな時間にどうしたんだい?」
レンと同じ歳くらいの青年が、レンたちとは反対側の廊下から姿を現す。
野性味あふれる青年で、褐色の肌に白銀の髪を持ち、笑うと八重歯が見え隠れるする。しかし、どこか一癖も二癖もありそうな油断ならない雰囲気も漂わせていた。
「これは、これは。第三席」
天罰官第三席フィン・スレイがレンの眼前で立ち止まった。
「またお呼び出しかい?」
「お察しの通りです」
「お気に入りも大変だな」
「体の良いストレス発散要員ですよ」
「で、後ろは?」
「聖女様の様子をお聞かせしようと連れて参りました。ウェルチカです」
大門でしたように、ラティエースは無言で頭を下げる。
「彼女、初めてここまで入ったから緊張しまくりで」
レンが取り繕うように言う。
「そうなのか?まあ、一介の聖職者は入れない区域だもんな」
「そういうことです。では、聖下をお待たせするわけには参りませんので」
「ああ、じゃあな」
すれ違う瞬間、フィンは何気ない所作で、ラティエースの頭巾をずらそうと手を閃かせた。しかし、予想外のことが起こった。フィンの手が伸びると同時に、ラティエースはその一歩を大きく踏み出し、サラリとかわしたのだ。
瞠目するフィンに対し振り返ることもなく、フィンに背を向けたまま、レンの後を追っていた。
フィンはその背を、廊下の角を曲がるまで見つめていた。
ビジーノは天命の塔にて、天命図の動きを見つめていたが、何か心に触れるようなものはなかった。集中力が切れているのだ。このような注意散漫な状態では天命は読み取ることは出来ない。
今日は無理そうだ、と結論づけて私室へ退いた。
宮と塔をつなぐ螺旋階段から見上げる空に上弦の月が浮かんでいた。それを一瞥して、就寝することを控えていた修道女に告げる。支度が済むと、修道女たちを下がらせた。私室の扉の前には、今日も屈強な兵士がビジーノを守るために寝ずの番をしてくれている。
(こんな偽物の教皇をよく守っているものだ・・・・・・)
薄い紗の帳からも、月明かりが入ってくる。窓を閉めても良いが、もう少しこの月光をの中に身を置きたいとも思った。
――――――お月見というのですよ?
――――――月を見て何とする?月はただの月だ。
――――――綺麗でしょう。ほら、あの影はウサギが餅をついているなんて言うんですよ。
――――――餅?あの共和国で食されているものか?それに、どこをどうしたらそう見えるのだ?わたしは月が綺麗だと思ったことは一度もないぞ。
あの人は、そう言って眉根を寄せて月を睨み付けるようにして見ていた。それから何度も二人で月を眺め、どの部分がウサギで、どの部分が臼なのかと話した。夜通し議論し、そのまま二人で寝台に沈んだこともあった。
(あの時は、満月だったけど)
――――――アカネはわたしに、「普通」を教えてくれた。・・・・・・ありがとう。
今度こそ、普通の生活が出来ると思った。側には愛しい人もいる。しかし、回りは二人に普通であることを許さなかった。常に「特別」であることを求めた。
フワリ、と風が舞う。風になびいて、紗も大きく空気を含んではためいた。
月光に満たされた寝台の布に、大きく伸びた影が落ちる。
「誰・・・・・・」
声を上げる前に、陰が飛び込んでくる。そのままビジーノの口を塞ぎ、一緒に倒れ込んだ。ビジーノに覆い被さるようにして人影が揺らめく。
「こんばんは、聖下」
ビジーノは返事代わりに睨み付けた。
まさか、相手側から仕掛けてくるとは思わなかった。しかもこのような手で。護衛は何をしていた、と頭を巡らす。
「ラティエースです。夜分遅くにすいません。聖女のことで秘密裏にお話ししたいことが」
ビジーノがピクリと反応する。
「他の者には聞かれたくありません。大声で叫ばないとお約束頂けますか?」
ビジーノはコクコクと小さく頷いた。ラティエースはゆっくりと手を外した。
「そなたどうやって・・・・・・」
「レンに手引きをしてもらいました」
「あの裏切り者か・・・・・・」
「彼は裏切っていません。これからもずっと裏切りません」
「なぜ、そう言い切れる?」
「友達なんで」
ラティエースはそう言い切った。
「・・・・・・。で、聖女に何かあったのか?」
「その前に質問が」
「何だ?」
「あなたはどこから来たんですか?」
ビジーノは瞑目する。
「あなたが聖女アカネだったことはもう知っています。あなたは日本から来たんですか?」
「日本?」
ビジーノは眉根を寄せる。
「ありゃ、違った?」
ラティエースは思わず零してしまう。
「日本・・・・・・。ああ、あの亡国か。中世に滅んだとされる島国であったか。そういえば、月見もあの国が由来だったか」
(中世?中世は大体、11~16世紀あたりだろ。いや、待て。さっき、亡国って・・・・・・)
「あの、あなたの世界に、米国、イギリス、シンガーポール等の国はありませんでしたか?」
いや、とビジーノは首を振った。
「そもそも国の概念というものはなかった。数字でエリアごとに区分されていた」
(そうか、この人は……)
ラティエースは自分の出した結論に、気を失いそうなほどのショックを受けていた。
(ああ、このまま白目をむいてぶっ倒れたい……)




